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うんこが消えた。
今、教室で俺の目に映っているあいつも、こいつも、俺自身も、もううんこをすることはない。
この世界から汚いものが一つ減って、よかった……?
どうだろうか。うんこが俺たちの生活の一部だったことは誰にも否定できない。まさかうんこが人生とまではいかないだろうが、汚いものや面倒なことを含めてのこの世界だとするなら、うんこの消失は世界の欠落であるともいえる。
「なんか、深刻な顔してるな……お前も優陽も」
美良野が言った。
「ああ、喜ぶべきなんだろうけどな」
と俺は言って窓際の席を見た。
「朝倉さん、朝倉さんってば」
と後ろの女子から声をかけられている朝倉さんこと優陽だが、自分の世界に入っていてまるで気づかないらしかった。
この現状が何を意味するのかを、一生懸命に考えているのだろう。しかし俺もそうだが、すぐに答えが出るなら苦労はない。
俺のようなやつは実際、三日もすれば忘れてどんな生活にも馴染んでしまう。しかし優陽は慣れたりなどできず、筋トレの動機がまた一つ増えるのだと思う。
「朝倉さん……!」
後ろの女子が少し強めに言ったので、とうとう優陽は振り向いた。
「これ、あなたたちのことだと思うんだけど」
と女子は携帯を見せた。
……たち? というのは俺と美良野も含むのか? と何気なく思ったところで、携帯から顔を上げた優陽と目があった。
「長浜」
呼ばれて、俺は立ち上がり、美良野を促した。
「ていうか先生遅くないか? いつになったらホームルーム始まるんだよ」
と言いながら美良野はついてきた。
女子から見せられた携帯には、今回の一連の騒動について公式説明があったというニュースが表示されていた。
うんこの爆発にはじまり、世界の混乱、宇宙滅亡の危機、それから紆余曲折を経て、うんこが消え去ることとなり、事態は収束したとのこと。
国連を通じて説明を行ったのは、ポケモン星軍ガブリエル司令官。彼は、共に戦い宇宙の危機を救った地球の高校生たちを、ポケモン星と地球合同で表彰するつもりだ、とかなんとか……。
「長浜、いるか」
担任が教室に入ってくるなり言った。
「あと、美良野、朝倉、すぐに来い。国連とか、宇宙人の方々が来てる」
職員室に行くと、服を後ろ前にした草村がすでにいて、
「お願いですから教室に行かせてくれませんか。僕に恥をかかせる気ですか」
と国連らしい外国人に詰め寄っていた。
俺たちは他人のふりをしながら、その隣にいたガブリエルに話しかけた。
「なんだよ、表彰って」
俺がきくと、ガブリエルは苦笑いをして、
「こうしないと気がすまない連中がいるのだ。私たちの星にも、君たちの星にも」
「バカバカしいよな、まったく」
と、正装をしたカルマが職員室に入ってきた。
彼はここの学生ではないはずだが、きくと、ここに来る道すがらガブリエルたちが捕まえて、隣の部屋で着替えさせていたらしい。
とにかく全員集まったので、カルマのようにタキシードやらドレスやらに着替えてから、瞬間移動でニューヨークの国連本部に向かった。
国連本部ビルの前には、各国メディアに加えてポケモン星の報道陣であろうトカゲ連中も、多分撮影装置である浮遊金属球体を連れて来ていた。
俺たちは特設されたステージに上げられた。
流れとしては、各国トップが順に感謝の意を伝えて、その後、俺たちが一人ずつ何か喋れとのこと。さらにそれが終わってから、世界中の著名人を招いたパーティーがあるらしい。
俺もそうだし、他の連中もさぞうんざりしているだろうと思ったが、そうでもなかった。
優陽はずっと考え事をしているし、美良野は「表彰とか小学校ぶりかな〜」とか言っている。
草村は多分、スピーチで何かやらかそうというのだろう、時々ニヤついては吹き出している。
カルマは、「パーティーか。いい食事が出るんだろうな」などと言っていた。
「そのパーティーは俺も出られるのか」
とドスのきいた声が降ってきた。
来たときからずっと、国連ビルの隣に黒い山がそびえ立っていて、新しいモニュメントかと思っていたが、それがドゴランだった。
『……ていうか、謝辞とかスピーチとかの前に』
俺は目の前のスタンドマイクが入っていると気づかず喋ったので、まだ式典的なものは始まっていないのに拡声された声を響かせてしまったが、まぁ、あまり気にせずそのまま続けた。
『ドゴランを入れて今、昨日のメンバーが全員集まったから、一言いっときたい……。おつかれさま。マジで昨日は助かったぜ。誰一人欠けずに帰ってこれて、本当によかった。優陽』
優陽は顔を上げた。
『無茶するなって言ったりもしたけど、お前の無茶がなければ、あのときに全部終わってた。んん……だから、なんて言ったらいいかわからん。お前への気持ちは、言葉にするのが難しい。とにかく、ありがとう』
優陽は、「うん、いいよ、そんな感じで」と早口で言って、さっと顔をそむけた。
そして俺は、他の一人ひとりにも同じように声をかけていった。
『美良野、お前がロボットになってくれて……』
『カルマ、うんこを投げてくれて……』
『草村、お前のキモさのお陰で……』
などなど、言葉にするのがさらに難しい場面が続いたが、俺はなんとか言い切った。
最後に、地球の人々と、ポケモン星軍の協力にも感謝の言葉を述べてから、
『何が欠けても、誰が欠けても、この結果にはたどり着けなかったと思う。みんな、ありがとう、…………って、これは後のスピーチで言うべき内容だったか』
と、自分のうっかり具合に苦笑したところで、
――周囲は怒涛の拍手に包まれた。
『……は?』
俺は唖然とした。
優陽も、美良野も、全員が手を叩いていた。
ガブリエルも手を叩きながらマイクを通して言った。
『確かに、君の言うとおり、誰が欠けても、この結果は得られなかっただろう。……だが、いや、だからこそ、このメンバーを集めて、その中心で常に鼓舞し続けた、長浜、君に私たちは、最大級の賛辞を送りたい』
拍手は鳴り止むことはなかった。
……参ったな。
俺としては、たまたま周りに凄いやつが大勢いて、状況も状況だったし、目の前の危機に当たり前に対処してきただけだ。
今だって、頑張ってくれた他の連中に、一言礼を言いたかったってだけで。
……まあ、いいか。
結果、世界は救われた。俺もそれに一役買ったということで、その賛辞ってやつを受けようじゃないか。
俺は拳を突き上げた。
ワアッと歓声があがった。
で、嬉しいことなのだが、それから三分ほど経っても拍手が止まなかったので、式の進行もあることだし、俺が言って止めることになった。
『あー……、拍手ストップ、ストップ……。拍手って英語でなんていうんだっけ? あれ、ていうか、さっきもそうだけど、日本語で通じてるのか?…………ああ、ガブリエルの翻訳機があるからか。えーーと、じゃあ、拍手を一旦やめてくださーい。一旦やめ』
そのとき、
突然だった。
ステージ上の俺たちは、一人ひとり、透明な球体に包まれて宙に浮かんだ。
「えっ?」
どんな余興だと思いながら球体に触れたが、それはまず間違いなく物質ではなかった。
磁力……? 磁石を反発させたときの見えない力……それに近いかもしれないが、なぜか硬さも感じるようで、やはりよくわからない。
「これは、無限障壁……まさか」
作動しないらしい瞬間移動装置から手を離して、ガブリエルが言った。
「ドンドンガラガラピッピッピー星人か……!」
ここ最近で一番ひどい名前だった。
「なんだそのドンドンガラガラピッピッピー星人ってのは」
と美良野が言った。
「超科学と、無限生命とよばれる不死身の特性で、宇宙カーストの最上位に君臨する種族だ。この宇宙のすべてを観測していると言われている。しかし彼らは基本的に平和主義で、自発的に戦闘を起こすことなどないはず……」
ガブリエルは唸った。
そこに声が降ってきた。
「うんこが消えたからさ」
見上げた空に、人が浮いていた。
見覚えのある顔だった。
全員が驚愕していた。
「なんだよ、その反応。まさか、神が死ぬとでも思ってた?」
神少年はそう言って、くすりと笑った。




