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これが死と言われるなら、納得したかもしれない。
視界一面、白の中で、肉体の境界がわからなくなった。
今こうして考えている意識すらも、本当に自分のものなのか確信がもてない。
「何が起きたんだ」
と声が響いた。
これは、ガブリエルの声だ。
いや、彼の思考なのかもしれない。その違いもわからない。
「神を倒したから、彼が作った世界も消えてしまった……?」
と俺は声を発した。
「神って倒せるもんなんだなぁ」
と美良野がいった。
「自分が創り出したものに倒される……。自分の書いた小説の人物に倒されるようなもんだ。なんか想像つかないな」
草村がいった。
「いや、普通はありえないんだ」
とガブリエルがいった。
「創造物は創造主を超えられない。まさに今、草村が言った通りで、物語と作者の関係と同じように、私たちと神の間には次元の差がある。作者は物語に自分を登場させて、さっきのように『遊ぶ』ことはできるだろう。だが、神の作品が神を『殺す』となると……」
「うんこだ」
カルマがいった。
「倒したのは、俺たちじゃない。うんこだ。うんこの爆発だけが、神に致命傷を与えられた。つまり……」
「「「うんこが、神を殺した」」」
全員がいった。
……確かにそうだ。
もっというなら、他の攻撃はまったく効かなかったのに、優陽の超能力、美良野の特攻技、草村の召喚術は若干だが効いていた。
それはおそらく彼らの能力が、神の作った法則を逸脱したものだから……。そして、逸脱させたのは、うんこだ。
「うんこの爆発から、すべては始まった……」
俺は思い返すようにいった。
すると、優陽が、
「もしかして……うんこは……」
慎重に、探るような調子で、
「神様に、反逆した……?」
といった。
全員が沈黙した。
「……そうかもしれない」
ガブリエルがいった。
「爆発は、神への反逆だった――。うんこは、独立しようとしていたのかもしれない。神の手を離れて」
「じゃあ、俺たちも……」
と美良野がいった。
世界を覆う白が、そのとき輝きはじめた。
自分でも理由がわからないが、その光景が確信となった。
「そうだ……、神と戦い、勝利した俺たちも、また、神の手から離れていく……」
俺はいった。
そして、すべてが光につつまれた。
「ははっ……。ははははは」
光の中で、誰かの笑い声がきこえる。
……誰だ? 知っているやつじゃない。
「おまえらは、ちっちぇえなぁ」
その誰かはいった。
「ずっと思ってたけどよ、はははっ、なんか笑えるくらいちっちぇえわ、おまえら」
なんなんだ。
誰だ。誰なんだよ、お前は。
「俺か? おまえらのよく知ってるやつだ」
……こんな雄々しいというか、野蛮な響きの声の知り合いなんていない。
マジで誰……、
「うんこだ」
と声はいった。
「生きるだ死ぬだ、神だなんだって、いったいいつまでくだらないことやってるんだろうな、おまえらは。俺みたいに爆発してみろよ」
うんこ、だと……。
まさか、うんこという概念そのものの声なのか、これは。
「はは、まぁこれも遊びだけどな」
まるで存在すること自体が愉快であるかのような口調で、うんこはいった。
「俺は、縛られるのが嫌いなんだ。神だかなんだか知らねえが、他人が決めたくだらない法則や理屈……それに従わないのは当然として、自分自身にも縛られねえ。使命だとか、目的だとか、そういう真面目くさった感じ、馬鹿らしいって思うんだよな。……だから、『遊び』なのさ」
一体、なんなんだこいつは。
命がけで戦った者たちをあざ笑うみたいに……。
そもそもこいつの爆発がすべての元凶だというのに。
「じゃあ、俺は先に行くぜ」
俺の不快感など気にもとめないように、さらりとうんこはいった。
「悔しかったら追いついてみな」
目の前に、茶色い人型の影が一瞬ゆらめいて、消えた。
「…………う」
窓からの眩い光を受けて、俺は目を覚ました。
そこは自宅の、自室のベッドの上だった。
まさか、全部夢だったのか。
いや、それならそれに越したことはないんだが……。
着替えてリビングにいくと、母親がいた。
「恵介、早くごはん食べて学校に行きなさい」
そんな普通の調子で朝食を出されたので、これはマジに夢だったかと思ったが、
「なんだか知らないけど、爆発で壊れたこの家も他所の家も直ってるし、これで安心して暮らせるわね。あ、恵介たちがやってくれたのよね。テレビに映ってるの観てたわよ。お母さんは鼻が高いわ」
などと言われた。
全部元通りってことか。神が死んでしまったのにか。……まぁ元々、神なんているのかいないのかよくわからなかったし、俺としてはいたことの方が衝撃だったし、実際いなくなっても影響はないのかもしれない。
いつものことなのだが登校時間ギリギリだったので、朝食と身支度を終えて慌ただしく家を出た。
母親の言っていたとおり、周りの民家はきれいになっていた。どこにも爆発の痕跡などない。
空だって、昨日まではもっと茶色がかっていた気がする。……これは本当に、新しい朝がきたって感じだ。元の日常が戻ってきたんだ。
「よう長浜」
交差点から美良野があらわれた。
「お前ももうロボットじゃなくなってるな」
と俺は言った。
美良野はうなずいた。
「だな。なんだかんだで普通が一番だぜ」
それをこいつが本心で思っているのかは謎だが、とにかく遅刻寸前だったので道を急いだ。
途中、頭は向こうを向いているのに制服はこちらを向いていて、要は後ろ前に制服を着ている学生がいるなと思ったら草村だった。
「シーーーーッ……!」
彼は言った。
「学校で女子に見られるまでは、このことを指摘しないでくれ……!」
一緒に登校しながらそれに触れずにいるというのは無理があるので、俺たちは先に行くことにした。ちなみに彼はメガネも後頭部にかけていた。
どうにかチャイム前に学校につき、教室に入った。
「あれ、優陽は?」
と美良野が言った。
あいつも同じクラスなのだが、姿が見えない。
隠れてるのだろうか。俺たちはテレビに映されていたし……まぁそれはうんこを殴ったり水鉄砲を撃ったりしている俺の奇行のあたりまでだが……流れ的に今平和になったのは俺たちのお陰だと認識している人もいる。学校についてから、そして教室に入ってからも、適当に流してはいるが声をかけられっぱなしだった。
「恥ずかしいんじゃないか」
俺は言った。
今回、他のやつらもそうだが、優陽には特に助けられた。あらためて礼ぐらい言いたいのだが、向こうは望まなそうだ。
と、そのとき、教室の扉がガラガラッと開いて、優陽が入ってきた。
「長浜」
どこか緊迫した表情で言った。
「一緒にトイレにきて」
廊下から見える男子トイレには、個室というものがなかった。
俺と美良野が中に入ってみたが、あるのは小便器だけで、その向かい側はタイルの壁だ。
「……どこでうんこすればいいんだよ」
美良野が言った。
「二人とも、こっちに」
と優陽が俺たちを女子トイレに招いた。
いいのか? と思いながらも、必要の方が勝って、俺たちは踏み込んだ。
「個室だ!」
と美良野が声を上げた。
女子トイレは……いや、入ったことはないから常識的予想とか想像なんだが、元と変わっていなかった。
優陽が個室のひとつを開けた。
「「大便器だ!」」
俺と美良野が叫んだ。そこにはおなじみの洋式便器があった。
「これでうんこができるぜえーーーーーーッ」
と今ここでズボンを下ろしそうな勢いの美良野を、優陽は無言で制すと、
「見て」
タンク側面のレバーを指さした。
奥側に、『小』とある。
それだけだ。
『大』がない。どこにも。俺はあちこち探したが、ウォシュレット操作パネルにも『小』のボタンしかなかった。
「TOTOなにやってんだ……」
俺は言ったが、優陽は冷静に、
「……うんこは、もう存在しないのかもしれない」
と言った。
そんなバカな。じゃあ大腸はなんのためにここにあるんだ、尻だって……と、女子の前だというのに過度のうんこトークをしそうになったとき、ふと思い返した。
――俺は先にいくぜ。
そう言って、うんこは消えた。
じゃあ本当に、ここは、うんこの存在しない世界……。
なぜだろう。
そのとき俺が感じたのは、虚無感だった。




