10
「優陽、このコーンスープうまいぞ。おいしく飲むコツは頭を空っぽにすること――」
カップを二つ持ってドアを開けた俺が見たものは、誰もいない部屋だった。
俺はコーンスープを放り出して、廊下に出た。
思えばさっきは、不自然なくらいに物分かりがよすぎた。まさかとは思うが、一人で処理場に向かったんじゃあ……。
しかし杞憂だった。
優陽は、廊下をさっきと反対側に行った先の、外が展望できるバルコニーにいた。
「なんだ……ビビった……」
大きく息をついた俺に、優陽は振り向いて言った。
「ごめん、勝手に。風に当たりたくて」
「そうか」
と、俺も欄干に寄りかかった。風が気持ちよかったがうんこ臭かった。
しばらく二人で街を見下ろしていた。今も爆発音は頻繁に聞こえる。だが、人々も学んだらしい。爆発が起きているのは特定の場所だけだった。つまりそこがトイレということだ。
そんな景色を見ながら、俺は優陽に話しかけるタイミングをはかっていた。
あのことを、言わなくてはならない。
処理場に、彼女は連れていかない。もうこのわけのわからない使命から自由になるんだと。
「……優陽」
「行くなっていうんでしょ」
先に言われた。
驚く俺に、優陽は微笑んだ。
「わかるよ。もう三年以上の付き合いだもん。なんで仲良くなったのか、今でもよくわかんないけど」
「……だな」
たまたま、席が隣で、美良野も入れて同じ班で、普通に話が通じるから話をして、帰り道が同じだったから一緒に帰ったりした。
それがなければ繋がりなんてないし、友人だ仲がいいだと言ってるが、決して親密とは言えす、ベタベタしたりケンカになったり、ましてや恋仲だなんて考えられないような距離感がある。
それでも、相手が次に何を言うかはわかったりする。
「私は、行くよ」
優陽は言った。
「役には立たないかもしれない。けど、何もできないわけじゃない」
「でも、優陽……」
言いかけた俺を、彼女は優しく微笑んで制した。
「私は、計画が立てられない」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、優陽はそのまま続けた。
「小さい頃からずっと、先のことよりも今、目の前にあることが気になって。それが、普通に考えたら自分と無関係なことでも、私がやらなきゃって思っちゃって……」
そういえば、中学から今まで、俺は学校でいじめというのを見たことがない。
もしかすると、こいつがそういう芽を全部潰していたのかもしれない。
「テレビをつけたら、外国で理不尽に人が死んでる。テレビを消しても、気になって気になって、勉強なんて手につかなくて、気づいたら体鍛えたり、格闘技を習ったりしてた」
「……」
「スポーツ推薦で高校入れたのも奇跡だって言われてて。……私、自分でもわかってる。世界の現状を変えたいなら、勉強して、そういう仕事に就く方がずっと近道……いや、そうするしかないって。自分が強くなったって、外国の紛争は終わらない。わかってるのに、先を考えて動けない。気づけばまた筋トレしてる。……そんな自分が嫌だった。けど――」
優陽は言った。
「世の中がこうなって……思ったんだ。今、この時のために、私は生まれてきたんだ、って」
「……そうか」
言えない。こんな話をされて、「行くな」なんて、言えるわけがない。
「……わかったよ。一緒に行こう。でも」
俺は言った。
「絶対に無理はするな。自分を一番大切にしろ。他の誰よりも……いや、俺よりも先に死ぬなよ」
「うん……」
優陽は頷いた。
いつの間にか、爆発の音はやんでいた。
単に、人々が寝入ったからだとは思うが、なんとなくそれがありがたかった。
静寂の夜空を二人で見上げた。
午前八時、朝食を済ませた俺たちは、メインルームと称される大部屋に集まった。
そこには、多分、美良野の体調とか機嫌とかを示すのであろう計器類と、いくつものモニター、スイッチ類、安全ベルト付きシートが五つ、そしてマッサージチェア、ルームランナー、冷蔵庫など、なんでもあった。
雰囲気を阻害するものは全部部屋の端に寄せて、俺たちは中央のテーブルを囲んだ。
「いくぜ、隣町の下水処理場」
カルマが言った。
どんな因果か、最も小規模でリミット間近の処理場は電車で五分の隣町だった。そのおかげで昨日はゆっくり休めたわけだが。
「美良野、任せていいんだな?」
俺が言うと、
『オーケー。このガンダム、飛行機能がついてるからな』
と室内スピーカーから声がした。もはや俺の心も突っ込むのをやめた。
俺たちはシートに座ってベルトを装着した。よくわからない乗り物に乗るのだから当然と思ってしたのだが、
「美良野、まだ発進しないのか」
『もう着いてるぜ、早く降りろよ』
なぜか下ろしっぱなしだった窓のブラインドシャッターを開けると、処理場が眼下に見えた。
とんでもなく静かな離発着だった。ギュイイイイイ、ガシャア! ピカア! バアアアアン!! という馬鹿うるさい駆動音は、じゃあ何だったのか。
俺たちはエレベーターで降りて、美良野の左足のつま先から外に出た。
「沈殿池ってのはどこだ」
俺が言うと、なぜか表情をこわばらせたカルマが言った。
「目の前にあるぜ……」
目の前……。視界いっぱいにフェンスが広がっている。この下がそうなのか?
位置的に見えないと思い近づくと、徐々に違和感がでてきた。
なんだか、向こうの景色が見えにくい。湯気が出ているのだろうか。この周辺は、夏の気温とは別質の暑さな気がする。
気づけば、ごぽりごぽりという得体のしれない音も聞こえる。
うんこが、沸騰しているのか……?
多分、美良野の高さからは中身がすでに見えているのだが、彼は何も言わない。……言えないのだろうか。
俺たちは慎重に、フェンスまで近づいた。
ものすごい熱気と湯気だった。
苦労して目を開き、見た。
そこに、大量の、赤黒いマグマが溜まっていた。
「うウッ!」
俺はうめいた。
「これが、全部……」
優陽が口もとを覆った。
「うんこだ……ッ」
カルマは青ざめていた。
「くせえ!! 息止めてても臭うぜーーーッ!!」
美良野は大きくのけぞった。
「まずい……まずいぞ……」
カルマは突然、頭に手を添え、目を強く閉じて、思考するような格好をしながら言った。
「お前ら、マジですまない……。爆発エネルギーが熱となってうんこ内部に溜まってるのはわかっていたが、それが沸騰を起こすことを――クソォ! こんなの小学生の理科だ!――考えていなかった!!」
「つ、つまり……?」
俺は努めて冷静に先を促したが、カルマはもう絶叫しかかっていた。
「沸騰による質量の減少、水分が失われ冷却作用喪失、諸々を考慮して再計算の結果――――もう時間がねえ! このうんこ、今この瞬間に爆発しても全くおかしくねえぞッ!!!」
見たまんまだ。
この膨れ上がったマグマは、もはや爆ぜる寸前の印象しかない。
「うおおおおお!! お前らどいてろーーーーーーッッッ!!!」
視界すべてが影に覆われた。
俺たちの頭上を越えて、美良野が跳躍していた。
「どうする気だ! お前のパワーじゃうんこは持ち上がらないぞ!」
俺は言った。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
美良野は雄叫びをあげ、そして、
「影分身!!」
四体に分裂した。
……もう、もう、なんでもいい! この事態を変えられるなら細かいことは言わない! いけ、美良野!!! やれーーーーーーーっ!!!
「は・か・い・こ・う・せ・ん」
四体の美良野はどう見てもかめはめ波のポーズで、あきらかにかめはめ波の模倣と思われる光線を発射した。
ワッッッッ――――!
辺りは光に包まれた。




