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作者: 水灯

「私」が「私」であることの証明には、「痛み」が必要なのであろうか。


いま現在、私は大学2回生の春を迎えているはずである。いや、迎えているのである。その点に関しては疑いようのない事実であり、疑問を持つ事柄ではない。意味のない事実に疑問を持つのは高等学校を卒業した時にやめた。そんな私は自分を人と違うと信じ、政治的思想を人前で得意げに話すようなごく平凡な大学2回生である。


日々が流れて行く中で喜怒哀楽を表現し、夜眠る前には人生について考える。しかし、その自問自答には朝が来る前に終止符を打つ。繰り返す日々の中でやりたいことも特になく、ぼーっと過ごしている自分自身、「私」は一体なんであるか、「誰」であるかを考える。こうして時は過ぎて行く。この時間の消費こそが「私」が「私」である「私」への証明である。

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