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「星まつり」が近くなると黄色い星型の『プリエラ』という花を模した髪飾りが売られるようになる。
昔はこの時期に咲く生花のプリエラを髪に飾っていたようだが、プリエラは日没後5時間後に開花し翌日の昼頃には萎んでしまう。
開花する前に摘んでしまうとつぼみが開くことはないので扱いも大変だということもあり、今では造花の髪飾りが主流になった。
近年の流行は…男性が結婚を望む女性にプリエラの髪飾りと待ち合わせ場所を書いたカードを添えて贈り、女性はYESならば星祭りの日に男性が贈った髪飾りを付けて待ち合わせ場所に行く。0時の「祈りと誓いの刻」に鳴らされる鐘の音の時に、男女が互いの額にキスをすると婚姻と永遠の愛を約束される…というものだ。
恥ずかしながらそういうことに疎い私は全く知らず、ケインの「お前はどうするの?」という例の噂をからかった話から知り得た情報だった。
その話を聞いた後に街のあちこちで売られている髪飾りを目にし、漸く祭りの時期に売り出される髪飾りにそういった意味があったことを知った。
そのことを知ったあとに街を歩いていた時、無意識にマリアンヌに似合う髪飾りを捜していた。
ハッと気付いてそんな自分に苦笑した。
それからも多忙な日々が続いていた。
私の周辺も皆、準備に慌ただしく忙しくしている。
忙しさで注意が疎かになったり、現場の雰囲気もピリピリしたり…そんな時には何かが起こったりするものだ。
祈りの舞台の組み立てが始まり3日目。
ほぼ外観が分かるように木枠が組みあがった夜、この時期には珍しく天気が大荒れになった。
夜が明けると前の晩がうそのように爽やかに晴れ渡った。
舞台が嵐の影響を受けていないか確認と見回りに会場を訪れ、舞台の点検結果の報告を受けている時にそれは起こった。
舞台自体には問題がなかったのだが、嵐で折れた太い枝が舞台の幕を取り付ける柱に引っかかっていた。
舞台は既に組みあがっているので、滑車を使って下ろそうと現場監督が滑車を取りに行かせている間に、現場の建設班と役所側の双方が声かけを怠たったため、役所側の身の軽い若者が良かれと思ってよじ登りノコギリで引っかかった太い枝を解体し始めていた。
そしてうっかり主軸の柱とその他の柱や支柱を止めているロープを切ってしまった。
ガゴン ガン ガラガラ ガガガガー ドウォン!
私は現場監督と図面を見ながら舞台袖にいた。
2メートル先に太い柱が倒れて、引っかかっていた太い枝が背後ににドスンと落ちた。
私も周辺の者たちも身の危険を察して頭を抱え込み、体を小さくしてうずくまっていた。
轟音と舞い上がる塵が収まると「大丈夫かぁ!」と声が聞こえた。
幸いなことにこの事故で命を落とす人間は出なかった。
一番重傷だったのはよじ登ってロープを切ってしまった本人で、転落の際に肋骨を3本骨折。
他の者は打ち身や擦り傷で、慌てた際に足をくじいた者もいた。
私は服や肌が塵などで汚れていたので擦り傷くらいはあると思っていたが、奇跡的にかすり傷一つなく着ているものも無事で、自分でも驚いたほどだ。
その後2日かけて舞台の修復がされていた。
祭りまで10日を切った日の昼休み、プライベートで借りていた本の返却日が過ぎていたので急ぎ国立図書館に向かった。
返却だけなので庁舎から近い図書館なら、職員が使う連絡通路を使えば昼休みの1時間で事足りる。
今日の図書館は祭り前で返却のみのせいか空いていて、直ぐに返却ができた。
時間に余裕ができたので日ごろの運動不足を解消しようと、遠回りで職場へ戻ることにした。
来た道と違う職員連絡通路に向かって歩き出す。
そこで建物の入り組んだ影になる場所に見知った背中…シルベスの屋敷の執事を見つけた。
屋敷外であまり見かけることのないその姿に「ウォルス!」と声を掛けようと一歩足を踏み出した時、姿は見えないが女性の責め立てるような声が聞こえた。
「前にも言ったわよね。私の言ったことが分からない?」
「…。」
「あなたは、相応しくないの!」
(あの声はタチアナか?相手は?)
「少し前だって体調を崩して寝込んでいたわよね。」
「そっ…それはっ…」
( この声 ! 相手はマリアンヌか?)
「昔よりだいぶ良くなったとはいえ、子どもを産むことができない娘なんて望む人はいないわ!」
「…そんなこと…、分かっている。」
「だったら気を引くようなこと、紛らわしいことはしないでちょうだい!」
「そんなこと、していない…。」
「あなたにそのつもりがなくても、男は勘違いするものよ。目ざわりなのよ!いいわね!」
カツカツと石畳にヒールを叩きつけるような、歩く音が遠ざかっていく。
「お嬢様!」とウォルスが駆け寄る。
私もマリアンヌが見える位置まで駆け寄る。
ウォルス以外の足音に気付いたマリアンヌが顔を上げ、顔面蒼白となる。
「いやっ、今の聞いて・・・?」
突然姿を現した私を見た驚きで立っていられなくなり、ウォルスに支えられてはいたが、彼女はその場にしゃがみ込む格好となった。
もっと近くに寄るべく、足を進めようとするとウォルスが
「アーノルド様、こちらは大丈夫ですから。どうぞ、お仕事に戻られてください!」
と強い声音で私を制止する。
その時、庁舎の鐘が昼休みの終わりを告げるのを聞いた。
結局、ウォルスの「今は主人に近寄らないでください」という無言の圧力を感じてそれ以上近寄れず、また私事で昼休みに外出していたので急ぎ職場に戻る必要があったのだが、午後の仕事はため息ばかりついていた。
いてもたってもいられなくなり、その日の仕事帰りにシルベスを私の家に呼んだ。
「なんだ、酒はないのかよ。」
「悪い、酒はちょっと…飲みながら話す気にはなれないんだ。」
昼間の衝撃が収まらないのと、酒を交えてする話ではないと思った。
シルベスに昼休みの出来事を話すと
「で、お前は僕に何を聞きたいんだ?」
と、渋い顔で言った。
「タチアナがマリーに言っていたことの意味や、機嫌を損ねている理由が全く分からない。」
はははっ!とシルベスが笑い声をあげ「全く、女心に疎いお前らしいよ。」と言った。
「さて僕の身内のことで言いにくいとは思うが、率直に答えてくれ。君はタチアナのことをどう思っている?」
と聞くので、正直に
「美人でスタイルもいい女性だが、正直性格が僕のタイプではない。自分に自信がありすぎる人は男女問わず苦手だ。」
「そうか、では…マリアンヌは?」
そう聞かれ、私は戸惑った。
「マリーは、妹のように思っていた…はずだった。ついこの間までは。じつは、最近はいつも彼女のことを考えているんだ。」
親友であるシルベスだがマリアンヌの兄でもあるので、自分のこの何と言っていいのかわからない、おかしな気持ちを彼に話すのは恥ずかしいことだった。
「ありがとう。アーノルド。そこまで君の気持が聞けたなら、僕は全てを話すよ。」
シルベスが話した内容はこうだった。
フィルダナ家での食事会が始まる前にマリアンヌは久々に会う私のことをとても楽しみにしていて、シルベス相手に「実はアーノルドは私の初恋の人なの!」と無邪気に頬を染めて言っていたらしい。
タチアナが私のことを学業や仕事での評判も良いようだから、見た目も伴ってくれていると申し分ない。
年齢的にも自分と一番釣り合うし、次男だから自分との結婚で彼も得るものが大きいからきっと自分を選ぶ…と自信ありげに言っていた。
それを聞いてマリアンヌが「彼は損得で動く人ではない!真面目で優しい人よ。」と言ったのだが、タチアナが「誰だって子どもの頃のままではないのよ。」と言った後の「男は子どもを産めない女に興味持たない。」という、ボソリと言った一言にひどく傷ついていた。
虚弱体質のマリアンヌに子どもが望めないということは本人も知っていることであったし、親類の間でも周知のことだった。
シルベスがタチアナを軽く諌め、マリアンヌに「気にするな」と声を掛けていたところに私が到着したと、執事が告げに来てその場の話は終わったのだが、このことが発端となったと考えられるそうだ。
確かに私は次男なので領地の管理をしている兄と違い、譲られる土地や家などの財産なく生活は自分の働きによる収入が主だ。
タチアナのような跡目に女子しかしない家の婿になったり、あるいは血縁の子どものいない家の養子になるなどすれば、容易に地位と財産を手に入れることができる。
そんなのは古今東西、多くある話だ。
マリアンヌの心を傷つけたタチアナの言葉が気になって、シルベスに問う。
「マリーの体は健康になったのではないのか?…子どもを産めないって、本当なのか?」
シルベスは深く息を吐いて言った。
「マリアンヌに子どもは産めない。正確にいえば産むだけの体力を持ち合わせていないのだ。もし子どもができれば自身の命と引き換えに産むということになるだろう。それを我々家族は望まない。」
マリアンヌにはタチアナから言われた言葉が、ナイフのように突き刺さったはずだ。
だからあの夜に空を見上げ、自分ではどうにもならないことに涙していたのだ。
まだまだこの国では女性の社会的活躍は少なく、若い女性に望むことは結婚し子を成すことが家のため婚家のため、そして国のためという風潮が強い。
そんな中で子どもを産むことができないことが分かっているということは、辛く悲しいことだろう。
「体は…日常生活に支障がないくらい回復したのだろう?ああでも、この前寝込んだってタチアナが言っていたな。」
と言うと、シルベスは
「そうだな、無理は利かないが命の危険は無くなった。この前寝込んだのは実は…お前のせいでもあるんだよ。」
渋い顔をしていたシルベスの顔がゆるみ、意味ありげに口元に笑みを浮かべながら言った。
「俺のせい?心当たりが全くないが。」
真剣な話をしていたのに突然からかわれているような気持ちになる。
「マリアンヌにハンカチを貰っただろう?」
私は今日も胸ポケットに入れて持ち歩いている、薄いブルーのハンカチを取り出した。
「それだよ、それ。僕も驚いたんだがマリアンヌはモチーフを刺しながら、そこへルーニーをルーナに変えて、流し込んでいたんだ。「祈願縫い」という古い技法だそうで、自身のルーニーをルーナに変換しつつ針を通じて糸へ伝えていくらしい。感覚をつかむのが難しいので、今はあまりやる人はいないらしい。」
この世界の人間は魔力を大なり小なり持って生まれてくる。
それを潜在魔力『ルーニー』といい、訓練や鍛錬で伸ばした部分を増幅魔力
『ルーナ』と呼んでいる。
すべての人はルーニーだけ、もしくはルーニーとルーナを併せ持って生活をしている。
「マリアンヌはどうやら療養先で誰かに教わって、それを会得していたようだ。そのハンカチへ魔力を流し込みながら願かけの刺繍をしていたが、もともとルーニーが弱いものだから、何日も続けて刺して終わったとたん魔力切れを起こして倒れたんだよ。」
「願かけ?」
そっと月桂樹が刺繍されている濃紺の糸を指でなぞる。
「そうさ。僕も倒れるくらいの願かけに興味があってね、マリアンヌに聞いたよ。そしたら真っ赤になって『アーノルドを全ての災いからお守りください』と想いを込めたんだって!可愛らしいだろ。」
そう言われて指先を刺繍に集中させると、そこから暖かなまるで春の日差しの様な優しい魔力が感じられた。
私はその時気付いたのだ。
祭りの舞台が倒壊したあの日、現場のほぼ中心にいたにも関わらず、自分だけがかすり傷一つ負わなかったのだ。
ただ運が良かった?そうだと言えばそうなのかもしれない…でも、私にはそうは思えなかった。
「本当は兄の僕がこういう話をしてしまうのは、ルール違反だとは思うけれどね。」
シルベスが秘密をうっかり話してしまった子どものような顔で言ったので、
「シルベス、ありがとう。教えてくれなかったら疎い僕は、マリーの気持ちにも自分の気持ちにも気付かずにいたかもしれない。」
といって、握手をした。