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それでなくとも旧棟でガタの来ている放送部の扉は、6月の湿度にかなり重い。ため息を吐いて引き戸を閉めると放送部の面々がパッと目を逸らした。窓際のいつもの席に陣取る。一瞬、止まった会話がそこここでわざとらしく開始される。旺盛な生命力を見せて校舎に接触せんばかりの桜の枝から、窓めがけて水滴がしたたり落ちる。幾筋も垂れ落ちる水脈をぼうっと眺める。
どうせ今回もそうなんだろう。分厚いプリントを手でもてあそびながら鈍く思う。放送部にシナリオライターは2人いる。3年の定橋菊子と2年のわたしだ。2学期の共同制作でドラマ化されるシナリオが、部員全員の投票により今日決定する。今回も当たり前のように定橋さんに決まるんだろう。
入部以来いつだってそうだった。定橋さんはいわゆる引き抜き組で、文芸部では県の賞を取ったこともある。先生の御眼鏡も高く誰もが一目置いている。彼女の硬質な表現はわたしも好きだ。
だけど、違和感があるのだ。それはシナリオライティングに対する彼女の気持ちなんだと思う。映像や音楽が入るドラマというものを、たぶん彼女は文芸よりも一段下のものとして配している。確かに文章だけで全てを表現できるというのは凄いことかもしれない。でも、だけどドラマと小説はそもそも枠が違う。表現が違う。定橋さんの文章は流麗だ。けれどこれは、映像としてのシナリオに役立つかというとそんなことはない。この辺り適当に音楽、この辺りガヤガヤ、など書き込まれるト書きは、正直シナリオというものを舐めているようにしか感じられない。
とはいえ。予定調和は今回も起こるんだろう。神経質な腺病質の池谷部長が黒板に【二学期共同制作・シナリオ決定】と右肩上がりの文字で書くと向き直り、さて皆さん、定橋さんと光岡さんのシナリオ2稿は読みましたね、と声を張る。はぁいと気だるげな返事が上がる。じゃあ早速ですが、皆さん伏せてください。どちらかに手を上げてくださいね。2つ挙げたら意味ないじゃん、1学期のドラマでヒロイン役を演じた隣のクラスの高波がそう言うとさわさわと笑いが漂った。
こんなお飾り、やらなくたって既に決定事項なのに、そう思いながら素直に顔を伏せる。すこし饐えたような机の匂いがぷんと香る。定橋さんがいいと思う人、手を上げて。池谷部長の声が響く。しばらくして光岡さんがいい人、という声にふてぶてしく、私は手を上げる。しかつめらしく同じくらいの時間をとる部長に嘲笑だ。
どれだけ皆読み込んでくれているんだろう。もう2年目なのだし、いくつかのテクニックを配したけれど気付いてくれただろうか。思うとすこし不安になる。読んでもいないのかな。誰も彼も皆予定調和だ。決められたように皆おなじ紺の靴下を履き、スカートをウエストで2つ分折り返して短くし、ひとの顔色を伺いながら生きている。組体操なんてやった日にはさぞかし息が合うんでしょう。サカナの眼をした右向け右集団には反吐がでる。顔を上げてください、部長の声にしぶしぶ眼を開ける。
定橋26票、光岡11票。思わず息がとまる。問答無用でいつもならば100ゼロの戦いなのに。これだけの人がわたしを支持してくれたというのか。あ、自分で入れてるから10人だけれど。
なぜだか眼の奥が熱くなる。慌てて目を抑えようとしたら手に張り付いていた紙がぺらりと落ちた。では今回は定橋さんの「ロストワールド」に決定します、部長の言葉が軽く心を滑ってゆく。まぁ結局2学期も、することがなくてこの部室に足を運ぶこともないんだろう。
ちょっといいですか。何かと思えば高波が手を挙げていた。提案なんですが、チームを2つ作るってのはナシですか。心持ち上気した頬で彼女はずけずけと物を言う。正直、光岡さんの作品、演りたいって思ったんです。繊細な少女の心理とそれを描写する映像手法と、これを私たちでやったらどんな風になるんだろう、って。だから今回初めて票も入ったんじゃないですか?
部室が騒然となる。そもそもルールだし。二つの脚本だとレベルに差があるし微妙じゃない?けど40人でひとつを作るのも腕がなまりそうだしね、分けるのもアリかも。編集陣は2人しかいないからそこ難しくない?さまざまな声が飛ぶ。
じゃあ、2つに分けたいひと。何だか申し訳なくなって小さくなっていたが部長の言に背が伸びる。はーいと手を挙げる生徒は──ざっと10人。光岡!びくっとして首を回すと、アンタも手を挙げるホラ!と高波がにいっと笑った。