解説 ミステリの読み方 その1
ミステリとは何でしょうか? 探偵の活躍、鋭敏な推理、読者と作者の知恵比べ……。様々な定義があると思いますが、そのいずれにも共通しているのは、読者に「洞察力」が要求されるということです。ここで言う洞察力とは、ミステリが小説の形式を取っている場合、テキストへの洞察を意味します(漫画の場合は、これに絵が加わりますが、ここでは省略します)。テキストへの洞察力としては、例えば以下のようなものを挙げることができるでしょう。
・時系列をきちんと再構成できるか。
・ささいな言い回しの違いに気付くことができるか。
・書かれていないことを理詰めで導き出せるか。
etc...
もちろん、作者はこれらの情報を簡単には提供してくれません。ミステリにおいて、作者は可能な限り(フェアな範囲で)読者を騙そうとしてくるのです。これを通常、ミスディレクションと呼びます。作者のミスディレクションには色々ありますが、最も重要なもののひとつに、「登場人物の性質やアイデンティティを錯覚させる」という手法があります。男だと思っていたら女だった。探偵だと思っていたら犯人だった等々。数えていけばキリがありません。
今回はこの作者(騙そうとする側)と読者(騙されないようにする側)との関係を、試験官(騙そうとする側)と受験生(騙されないようにする側)との関係に反映させました。そして主人公2人のうち、今成くんの方は試験官のミスディレクションに引っかかった例であり、神谷さんが考察する箇所こそ、読者の洞察力が試されるポイントなのです。この「洞察力を働かせる」ということが、本件のテーマでした。作者のミスディレクションに引っかからないことは、ミステリで最も重要な心構えのひとつだと思います。
本シリーズでは、今回のように一話一話にミステリ入門の要素を取り入れる予定です。ミステリをどう読んでいいのか分からないという方にも、楽しんでいただければ幸いです。
『消えた受験票 A Case of Identity』
⇒コナン・ドイル『The Adventures of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの冒険)』に収録された短編『A Case of Identity』より。『花婿の正体』『花婿失踪事件』『消えた花婿』などと訳されている。
ある日、ホームズとワトスンのもとに、メアリ・サザラントという女性が訪ねてくる。彼女は婚約者ホズマ・エンゼルとの結婚式当日、別々の辻馬車に乗って教会へ向かった。しかし、ホズマの乗っているはずの馬車にホズマはいない……走っている辻馬車から、花婿は一体どうやって消えたのか? 花婿は一体何者なのか――?