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神谷リサは見逃さない  作者: 稲葉孝太郎 シナリオ / 大和麻也 著
消えた受験票 A Case of Identity
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第四幕 見逃さない彼女

 しん、と教室は静まり返り、ぴりぴりとした空気が流れはじめた。

「最初から……なかった?」ショックのあまり、おれは深く考えずに話してしまう。「つまり、そもそも倉林は受験票を家にでも忘れてきたということか? もともと試験を受けることができなかったということか?」

 神谷は首を振る。腕を組み、目を閉じたままの、余裕の態度だ。

「確かに、美羽さんは受験票を持っていなかった。でも、忘れてなんかいない。……そう、最初から試験を受ける資格なんてなかったのよ」

 歯がゆい。

 悪魔のようなことを並べる神谷を止められる証拠を出せない自分が、歯がゆい。

 でも、倉林の唖然とする表情を見ると悔しくて、勝算もなくただただ神谷の推理に嚙みつく。

「どういう意味だ? 受験票のチェックはミスで、倉林は一次試験を合格できていないというのか?」

「そうじゃない」神谷は余裕の態度のまま鋭く否定する。「受験票のチェックにミスはないし、美羽さんは一次試験どころか、書類提出の段階すら通っていない」

「だったら!」揚げ足を取るようでみっともなくても、倉林が信用を失う結末だけは阻止したかった。「どうしてこの会場にいられるんだ? 神谷は、倉林がこの学校の受験に応募していないと言っているんだろう? 本人確認をパスしたのはなぜだ?」

 神谷の口元だけがにっと微笑む。

「見なかった? わたしは見逃さないよ……美羽さんがチェックをされたとき、試験官は封筒を覗いただけで、受験票を取り出して確認することはなかった。わたしたちのときは決してそんなことはなく、顔も調べられたし、受験票もしっかりと確認されていた」

 ……ゆっくりとそのとき見た光景を思い出す。倉林だけ、見られていないかもしれない。

「そして、ろくに顔も調べなかった」眼鏡の試験官を一瞥してから、神谷はつらつらと続ける。「この部屋の試験官が『受験票がない』と指摘したときにも、受験票を見ていないはずなのに、なぜか『倉林さん』と呼んだ。……これは変だよ」

「いや、受験者名簿で確認したのかもしれない。それなら、写真も名前も受験番号も載っているはずだし、さほどきっちりと調べなくたって本人だとわかるはず。名簿は面接の前から届いていたようだから、少しは見ているだろうし」

「封筒を覗いて、そのまま顔を確認しただけ……名簿には目を向けなかったのを見ていたよ。受験番号と逆順に受験票を集めたんだから、念のためもう一度調べないかな? そう考えると、……試験官と美羽さんは、知り合いってことじゃない?」

 …………。

 眼鏡の教員を窺った。手を差出し、『続けてください』とサインを出してきた。

 神谷は息をふっと吐いてから続ける。

「受験票は厳重に管理され、常に手に持っていなくてはならないのも――――」

「いや、待て」

 受験票の管理方法が厳重すぎる、と疑問を呈したいのだろう。これに関しては否定できる自信があった。

「それなら、受験要項に書かれていた。将来警察や探偵になる人が多い学校だから、いざ恨みを買われたときに追われないよう個人情報の管理には注意している、とのことだ」

 神谷はまたも首を振る。

「話はまだ途中。言いたかったのは、『受験票は厳重に管理されているのに、集団面接にするのは矛盾がある』――だって、面接をするなら名前や出身校、だいたいの住所くらいは質問のための基本情報として必要でしょ? だったら最初から集団面接にしないほうが合理的なはず。……これではプライバシーポリシーに一貫性がないわ」

 …………。

「さて、学校関係者と美羽さんが知り合い、という話に戻るわよ。証拠はまだあるの。

 控え室で美羽さんがトイレに立ったとき……教室にいた監督官は、美羽さんにトイレの位置を伝えようともしなかったし、場所を知っているか尋ねもしなかった。それでも美羽さんはしっかりと素早くトイレに向かい、時間通りに戻ってきた。要するに、美羽さんは校内の間取りに詳しいようね――しかも、それを監督官も知っている」

 …………あれ?

「もうひとつ。この推理の試験が始まったとき、試験官は『推理をするか?』と、わたしたち三人の受験生に訊いた。三人全員の運命を決める質問だから当たり前。

 そして、もう一方の質問は『ふたりで面接をするか』――でもこれって、美羽さん以外に受験方法を選ばせるものだから、美羽さんが『自分を失格にしてほしい』と言える訊き方ではない。さっさと不合格にしたいなら、『受験票がないから、諦めるよね?』と美羽さんに聞けばいい。

 見方を変えれば、『最初から美羽さんは失格になると想定されていなかった』」

 ……そうか。

 おれはようやく、神谷の話を一筋につなぐことができた。

「じゃあ、神谷」ゆっくりと倉林の表情を窺う。その本人はにこやかに微笑んでいた。「倉林はまさか……」

 神谷はすっと腕を解き、まぶたを開ける。


「そう。倉林美羽さんは『受験生』ではなく、探偵学園の『在校生』――この推理による面接をするために仕込まれた『サクラ』に違いない」



 禿げ頭の教員がぱんぱんと手を叩いた。乾いた音が響く。

「多くの証拠をもとにそこまで筋を通されて、真実なのですから隠すまでもないでしょう」そう言って、机に身を乗り出す。「正解です、倉林美羽さんは本校の生徒です」

 ほらね、とでも言いたそうに神谷が笑っている。

「つまり、今回の試験は――」三人合格なんですね、と言いかけた。しかし、思い直して口籠る。「倉林……さんは受験生じゃないから合格も何もないのか。それに、……おれはほとんど推理に参加できていない……」

 どんよりと心が曇った。神谷の独擅場だったのだから、見当違いの推理をしたおれは評価してもらえないではないか。

 そう考えて顔を落としていると、禿げ頭の試験官は少し笑って答える。

「この部屋を出ずに三人で真相に辿り着いたのは事実……前向きに検討しますよ。多少参加が少なくて、多少推理を外したからといって、約束したのですから悪いようには見ません」にこやかにそう言ってから、少し引き締める。「……筆記の結果も併せてしっかり判断します。希望を捨てず、反省も忘れずに待っていてください」

 試験官の言葉に、おれの心はすっと晴れていった。今度は眼鏡の試験官のほうが笑みを浮かべながら話す。

「今成くん、ですね。筋道が通っていて、立派でした」

 …………。

 おれは唇をきつく嚙みしめながら、深く礼をした。



 倉林さんから賛辞を浴びせられながら見送られ、神谷と校内を歩く。おれと神谷の使う駅は同じらしい。

 きょうのヒロインである神谷だが、また平然とチョコレートバーをかじり、非常識を振りまいている。おれは自分へのご褒美として今朝買った野菜ジュースをストローで吸いながら、ヒロインの背中に話しかけてみる。

「お前、ずっと考えていたようだったな。はじめに倉林……倉林さんが話しかけてきたときから、疑っていたのか」

「考えていたという根拠は?」

「観察したところ、お前は考えるときに腕を組んで目を閉じる癖がある。その素振りを早い段階からおれは確認していた」

 くすっと、神谷がはじめて中学生の女の子らしく笑った。

「そうね、疑ってた」笑いながらも、おれの質問には躊躇なく答える。「だって、受験番号順に試験をするなんてどこにも書いていなかったでしょ? なのに、いきなり話しかけてくる理由が『面接の組み合わせだから』ってことは、受験のことを知っている学校側の人間かもしれないじゃない」

「確かに理にかなった根拠だ」おれはひとこと神谷を認めてから――――すぐに否定する。「だが、面接の組み合わせは番号順だと、受験要項に書いてあったぞ。……お前、受験要項ちゃんと読んでいないだろ? 面接でも、チェックされるであろう校訓の『協調』を丸投げだったしな」

「…………」

 神谷は黙って上を向いていた。おそらく図星だ。おれは野菜ジュースを飲むのを中断し、今度こそはと畳み掛ける。

「お前は本当に、何から何まで順序がおかしい。絶えず菓子を食べるし、本を読みながら歩くし、結論を先に言うし、受験要項もろくに読まないし――」

「いいじゃない」神谷は体をくるりと回してこちらを向く。「もう試験も終わったし、この学校に入る気でいるんだから……でも、まだ気がかりなことはあるね」

 お前なあ、と頭を抱える。指摘した非常識をまるで反省していないし、まだ気になることがあるのか。

 おれも背後を振り返り、校門を出たばかりの探偵学園を眺める。レンガのような色の校舎は、木々の緑と混じり、そこに雲が晴れた空の青も加わり、三色の鮮やかな光景を作り出していた。

 神谷は後ろ向きに歩きながら、おれの顔を覗き込む。

「名前、何だっけ?」

 その程度がまだ残っている気がかりなのか?

「今成定」

「本当に?」

「なぜ人の名前を疑う、無礼者」

 駅の改札が見えてきた。駅と探偵学園は非常に近い。

 神谷はチョコレートバーを食べきり、無礼の理由を語りだす。

「前提は疑ってかからなくちゃ。受験会場で制服を着ている人がいても、その人が受験生とは限らない。病院にいる人が医者と患者と見舞客とは限らない。駅にいる人が全員電車に乗るとは限らない――――同じように、名乗ったからといって、簡単に本当の名前と信じてはいけない」

「……妙な理屈を言うな。常識からして中学生が偽名を使うはずないだろう」

「そうだね、試験官にも名乗っていたし。……ふうん、今成定。順序だの常識だの、今成は面白い――気に入った」

「はあ? お前どんな了見で人を――」

「ああ、今成、電車の方向が違うみたいだね! 合格発表日にまた会おう!」

 そう言ってホームの階段を上って行った。おのれ、またいつの間にかおれを観察して、自分と上下線が違うことを推測していたのだろう。なんという洞察力だ……いつか目にもの見せてやる。

 神谷リサ――――妙な女に出会ったものだ。

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