第二幕 しでかした彼氏
翌日。すなわちバレンタインデー。
学校までまっすぐに伸びる通りを、ゆっくりと歩いていく。バレンタインデーということでせかせかしていた空気の中で、自分だけは落ち着いていたかった。そもそも、この日に男がそわそわしていたら恰好がつかない。
しかし、内心では落ち着かないところもある。なぜって、きのう神谷を見て以来考えまいとしても気になってしまうからだ。
結局、あのチョコレートは誰に買っていたのだろう?
「あ、今成。ちょうどよかった」
「へ?」
ぼうっとしたまま歩いていると、その神谷に出くわした。おれが焦って何も言葉を返せないうちに、神谷は鞄を押し付けてくる。
「ちょっと持ってて」
「あ、ああ」
神谷はおれが鞄を受け取ったのを確認すると、そのまま脇のコンビニへと入っていく。そういえば、この表通りのコンビニは受験日にも使っていた。あのとき神谷を初めて見て、本を読みながらチョコレートバーを口にくわえ、さらにはコーラを手に取ったのを憶えている。驚くべき女だと思ったものだが、いまでは本を読みながらうろついたり、コーラを躊躇いなく飲んだり、ということは減ったかもしれない。
今度は一体どのような買い物をするものかと思っていたが、トイレを借りたようだった。学校まではあと五分も歩けば着くだろうが、こういうときもあって仕方がないか。
しかし、寒い中待たねばならないおれの身にもなってほしいものだ。『普通』に近づきつつある神谷とはいえ、あと一歩、他人への配慮やマナーが足りていない。まったく呆れたものだ――
まったく呆れたものだ……
「どうしておれはこれを持っているんだろうか」
手に収まっているのは、綺麗に赤色の包装紙で飾られた正方形の箱。しかも周囲を見回すと、ここは一年校舎の果て、人の気がない場所だ。これは間違いない、おれはこれを盗んでここまで逃げてきたということ。
思い出してみる……
まず、最後の記憶はコンビニの前にいたときだ。あのとき、コンビニのトイレに寄ろうとした神谷から、おれは鞄を押し付けられた。そのあとだが……なんとなく記憶にあるのは、この箱を神谷の鞄から取り出した、ということだ。
おそらく、おれは無意識にこの神谷の箱を鞄から抜き出し、自分の鞄に忍ばせたのだ。そのまま知らないふうを装って神谷と共に登校、そしていま、この箱について調べてみようと思って人のいないところまで移動したのだろう。
おれは頭を抱える。ああ、どうしてこんな奇行に動いてしまったのだろう?
「完全に泥棒じゃないか――」
返すべきだよな、盗んだんだから。
しかし、いまから返せるだろうか? いや、言い訳が思いつかない。「ちょっと変わったものがあったから、つい」では泥棒であることには間違いないし、「お前は勉強すべきだから不要物は回収しようと思った」と言えば、何様のつもりだ、と一蹴される。
この際、おれが白を切り続ける続けるしかない。放課後になってから、下駄箱なり机の中なりに放り込んでおけばとりあえずは黙っていられる。
…………。
でも、気になるものは気になる。ラッピングをされたこの箱、きょうという日付と、きのうデパートで神谷を見かけたことを鑑みれば、十中八九、いやそれ以上に確かな可能性で、これはチョコレートである。となれば、誰に贈るものなのか、おれの興味的関心が疼く。珍獣を観察している気分だ。
唾を飲む。
見れば、うまく包装をはがすことができそうだ。修復のことも考えながら、ゆっくり、静かに包装の境目に指を入れ、そこに沿って走らせる。
時間をかけてようやく開いたので、調べてみると、一枚のカードがふたつ折りにされて忍ばせてあった。おれは念のためもう一度廊下を見回し、誰もいないことを確認した。そして、カードを開く。
『Dear I.S.
Happy Valentine!
出会ってから一年、いろいろな事件に遭遇して……いろいろ考えてはみたけれど、たぶんこうしてこれを送るのが一番だと思った。いままで径験したことはないから、こういうのが恋愛なんだと初めてわかった。変なところで真面目すぎるあんただから、笑ってごまかされるような気もする……でも、渡しておかないと気が済まない。買ったチョコレートで悪いけど、食べながらついでに少し考えてみて。
Kamiya Risa』
読んだ文章から察するに……
こ、これは本命ということか?
持ち主は署名からも判るし、ところどころ漢字を間違えているし、英語が見るからに和英辞書から写したというようなぎこちない字で書かれているあたり、疑う余地はない。確かに、神谷が恋い焦がれるI.S.なるどこかの男に渡そうと思っていたものだ。
I.S.か……つまり、さ行で始まる苗字と、『い』から始まる名前を持つ生徒――すぐには思いつかない。
おれの知らない相手となると、なんだか複雑な心地がする。一年を過ごすうちで、神谷と関わっていた時間が長かったせいだろう、神谷の交友関係を知るときにはいつも妙な気分になる。ペットが他人に懐いたときの気分だ。
気分が晴れない……
いや、待てよ? おれはきっと、わからないから気が済まないのであって――




