第五幕 暖かな冬日
神谷を追うと、角を曲がったところで双子と遭遇しているのに出くわす。すでに三人で話しはじめているらしい。おれはこっそりと、角の手前の電信柱を使って身を隠した。
耳を澄ます。
「愛の告白……」弘樹先輩の声にひやりとする。「――ではなさそうだね、その様子だと」
ほっとした。
美樹先輩に小突かれ、弘樹先輩は冗談をやめる。
「どうしたの? 俺たちに用事?」
「カードの件です。どうして盗んだんですか?」
……え?
神谷は黙っていたようで、推理を完成させていたのか? しかも、犯人は弘樹先輩だって? 話してくれればよかったのに、一体どういうことだ?
「へえ、流石は話題の探偵少女……気づいていたんだ」弘樹先輩がうそぶく。「そうだ、相棒はどうかな? 解ってた?」
「相棒?」
背中しか見えないが、神谷が顔を歪めているだろうと解る。
これはおれのことだな。
「盗み聞きしてすみません」
おれは観念して物陰から出た。
神谷はおれを一瞥すると、再び前を向く。その背中に、おれは問いかける。
「神谷、お前は何を話そうとしているんだ?」
「……今回の細工はごく簡単なことなの」背を向けたまま答える。「今成のように、窃盗が『二回あった』と騙されず、前提を疑ってさえいればね」
すぐには飲み込めない。
まして、おれが騙されたと言われたのでは堪らない。認めたくはなかった。
「どういうことだ?」双子よりも先に、おれが問う。「盗まれていない、というのなら納得がいく。でも、『二回』じゃないってことは、一回だけだったというのか?」
「そういうことよ」肩越しに振り返り、さばさばと言う。「片方の紛失はそもそもなかった。そう、キーホルダーのほうね」
キーホルダーはなくなっていない?
つまり、まだ美樹先輩が持っている、あるいはどこにあるか知っている、ということなのか? おれはすぐに美樹先輩の表情を窺う。
当然、美樹先輩は何のことかわからない、という表情だ。
「ええと……弘樹が長部くんのカードを盗んで、しかも私が共犯だった――そう言いたいのかな?」
神谷は静かに頷き、それからいつものように饒舌になって捲し立てる。
「そのとおり、美樹さんはキーホルダーをなくしてなんかいない。さほど大きくないから、鞄の中でもコートのポケットでも、簡単に隠せるでしょうね。
ふたりのキーホルダーはお揃い……しかもプレゼントとなれば、美樹さんがどうにも簡単に諦めたように思えて、違和感があった。考えてみれば、些細な紛失が二件重なっただけなのに、それが窃盗だと当たりをつけて同一犯だとした途端――真相が見えなくなる。それって冷静になれば、おかしいでしょう?
弘樹さんは上手く誘導した。『カードゲームのイベントでは、カードや手荷物の窃盗はよくある』と窃盗を印象付けたあと、荷物検査によって打ち上げメンバーの中に犯人はいないことを確かめさせた。そして、盗むタイミングが少ないと解れば『ふたつまとめて盗むには時間がかかる』と吹き込む……
こうなれば、推理のまとまっていない今成が『外部の同一犯によって盗まれた』と乗せられても無理はないわね」
…………。
思い返せば、誘導されたとしか思えなくなってきた。確かに、ふたつの紛失を同一犯の窃盗だと考えれば犯行は不可能。ところが、ひとつひとつに分解してみれば、考えようはいくらだって広げられるだろう。
弘樹先輩が肩をすくめる。
「そこまで解っているなら、黙っていなくてもよかったのに」
「…………」
神谷は俯き、口を噤む。
急に大人しくなったと思ったが、そのまま小さく、それでも悔しさを含んだような強い語調で呟く。
「――解らないから」
……そうか。
神谷は、推理が完成していないから黙っていたのだ。まだ、神谷の中には煮え切らない部分があるのだろう。それを完璧に明かさないうちに吹聴して回ることを嫌った――大きな失敗の経験から、神谷は学んだのかもしれない。
また少し、おれの中の神谷の像が叔父の像と重なっていく。叔父には決して、奇を衒う態度はなかった。探偵という業種では、いちいち図に乗っては隙が出るのだろう。そんな警戒の姿勢を、神谷も身に着けたのだ。
神谷は素直に、解らないことをふたりの犯人に尋ねる。
「どうして盗んだんですか? 動機だけが解らない」
双子は顔を合わせた。まず先に話したのは美樹先輩だ。
「動機……弘樹が最初に、『サンタクロース役をしてみないか?』って」
「そう、俺が言いだしっぺ」弘樹先輩が引き継ぐ。「ああ、みんなでやった仮装の話ではないよ? 本物の真似をしようと思ったんだ。いい子にしている子供にプレゼントをしようとね」
プレゼント?
そのくらい解っている、というふうに神谷は頷いた。それを見て、弘樹先輩がまだまだもったいぶりながら話していく。
「じゃあ、探偵コンビさん。カードの行方はわかっているよね?」
「あつしくんのところですよね?」神谷がさっと答える。
「そう、そのとおり。ケーキの中に入れたのさ」
……え?
あつしくんのケーキの中だって? あのチョコレートケーキの中にだって?
「待った! それじゃあプレゼントするはずのカードがべとべとに汚れて台無しに!」
「大丈夫だよ」美樹先輩が苦笑いする。「カードそのものもラップで包んでおいたから」
な、なるほど。
おれは給仕室で放っておかれたラップを見たが、あれはケーキの外側を包む以外にも使われていたのか。見ただけではわからないな。
「ケーキを食べればカードが現れる、おしゃれなプレゼントだったのは解ります」神谷が皮肉交じりに話を本筋へ戻す。「でも、どうして盗んだカードをあつしくんにプレゼントしようと思ったのか、それが解らないんです」
「ああ、確かに解らないかもね」弘樹先輩は笑う。「だって、長部くんから盗んだカードは、あつしくんからシャークされた、もともとあつしくんのカードだもの」
シャーク?
意味が解らず、神谷もおれも話を続けられない。それを察して、弘樹先輩が解説を交えて語る。
「『シャーク』っていうのは、トレーディングカードゲームの隠語だよ。相手を騙して、弱いカードと強いカードを交換させることさ」
そういえば、長部はあつしくんとカードを交換していた。おれがその様子を覗き込んだとき、あまりいい顔をしなかったのを憶えている。シャークが不平等で悪質なトレードだということは、長部が覗かれていい気分でないのも当たり前だ。
話からすると、弱いカードを渡したのは長部。強いカードを差し出したのがあつしくん、ということか。
「つまり、あつしくんのカードが……」
おれが漏らすと、いい気分で酔っている弘樹先輩は頷く。
「とてもレアなカードだよ。あつしくんにはバージョンが古かったから解らなかったようだけれど、マニアのあいだでは万札と等価くらいかな?」
息の長いカードゲームだと聞いた。弘樹先輩や長部の世代にとって価値ある珍しいものを、あつしくんが無防備に持っていたとしたら……
合点のいった神谷が続ける。
「だから、カードを取り返すために」
「そういうこと。たまたま交換を見たから、出来心だったけどね」
…………。
結果的に、誰にも迷惑はかかっていない。カードを卑怯な手段であつしくんからかすめた長部は悪いけれども、弘樹先輩がずる賢く取り上げてあつしくんに返した――カードの行方だけ見れば、すべて元通りなのだ。強いて言えば、長部が価値の低いカードを損したくらいか。
春にもこんなことがあった。誰にも迷惑をかけていない罪を犯したとき、罪を犯した本人しかその罪を咎められない。
となれば、双子を咎められるのは、双子自身のみ――
「どうする?」弘樹先輩は降参を示すように両手を上げる。「長部に知らせるかな? まあ、長部も怒れないだろうけど」
「ええ、そうですね」神谷が応じる。「この先どうするかは、わたしたちの役目ではありません。すっきりしました、ただそれだけです」
双子と別れて、駅まで神谷を送る。
「どうだ、きょうは満足したか?」
「うん、面白かった」
面白い、ね。
久しぶりに言ってくれたけど、いま言ったらお茶を濁したようにしか聞こえない。チョコレートケーキをあんなに嬉しそうに食べていたじゃないか。余っていた三切れも。
間が持たなくなる前に、適当に手を振る。
「じゃあ、また。よいお年を」
「またね。メリークリスマス、アンドハッピーニューイヤー」
…………。
神谷はすぐに踵を返すかと思ったが、何か言いたそうにしている。
「どうした? 何か忘れたか?」
「ええと……クリスマスプレゼント、ありがとう」
「何もやっていないぞ?」
「その……誘ってくれたじゃない」




