解説 ミステリの読み方 その2
アリバイ。推理小説を読む人なら誰でも、この単語を目にしたことがあると思います。もともとはラテン語の副詞alibiに由来しており、「他の場所にいる」という意味を持ちます。ここで「他の場所」とは、もちろん「犯行現場以外の場所」という意味です。つまり、アリバイがあるということは、犯行現場にいなかった、ということなのです。
犯行現場にいなかった。これは推理小説において、犯行の不可能性に繋がり、容疑者が犯人ではないことを示唆します。もちろん、話はそう簡単にはいきません。アリバイには、本物のアリバイと、偽物のアリバイがあるのです。アリバイが偽物であることを暴く形式の推理を、通常「アリバイ崩し」と呼びます。最も有名な古典作品は、クロフツの『樽』ではないでしょうか。
犯人のアリバイを崩す場合、そのアリバイの性質が問題になります。数え上げたらキリがないのですけれども、ここでは代表的なものをご紹介いたします。
1、容疑者が別の場所で第三者に目撃されている。
最もポピュラーなアリバイであり、本作でもこのアリバイが問題になっています。このタイプのアリバイ崩しは、多くの場合、第三者の証言にトリックが仕込まれています。つまり、証言崩しというわけです。第三者が嘘を吐いている、誤認している、よくよく考えてみるとアリバイになっていない、などなど、様々な下位分類が考えられます。
2、犯行現場へ移動することが、一見不可能に見える。
これもよく見られるタイプのアリバイです。例えば被害者が東京で午後6時に殺害され、容疑者が大阪で5時45分と6時15分に目撃されていたとしましょう。この場合、容疑者に午後6時のアリバイはないわけですが、普通に考えて30分で東京と大阪の間を往復することはできません。したがって、推定的にアリバイがあるわけです。広い意味では、「時刻表トリック」もこのアリバイの一種と言えるでしょう。
3、犯行現場が偽装されている。
A地点が犯行現場かと思いきや、実はB地点で犯罪が行われていた場合、これもアリバイのヴァリエーションに含まれることがあります。先ほどの例で言うと、東京のマンションが犯行現場と思われたが、実は大阪のホテルで殺されていた、というような場合です。大阪で犯行が行われたのですから、東京と大阪の間を往復する必要がなくなるわけです。但し、どうやって死体を東京まで運んだか、それを考えなければなりません。
4、実際に現場にはいなかった。
これは、アリバイがあるにもかかわらず、犯行を行うことができる場合です。アリバイの変種と考えて良いかもしれません。小道具を使った遠距離殺人などが考えられます。
最後に、アリバイ崩しのコツを少々。万能薬のようなものはありませんが、アリバイの多くは複雑な時系列とそれを裏付ける証言から成り立っています。したがって、読者はこの時系列を頭で追い、順序立てて検証していくことを求められます。
刑事になったつもりで考えてみるのも、時にはいいかもしれません。
『薄墨色の習作 A Study in Light Black』
⇒コナン・ドイルがシャーロック・ホームズシリーズ第一作として描いた『A Study in Scarlet』より。邦題は『緋色の研究』がほとんどだが、最近はStudyの翻訳が議論され、『緋色の習作』と訳されることもある。
医学博士ジョン・H・ワトスンは、戦地アフガニスタンで軍医として兵役に服していたが、負傷によりイギリスへ帰国。住まいを求めるワトスンは、紹介により顧問探偵シャーロック・ホームズと同居することになる。奇抜な言動をするホームズではあるが、優れた観察力と推理力を持つことにワトスンは気づく。そんなある日、刑事のグレグスンから殺人事件の相談を受ける。現場にはイーノック・ドレッバーの名刺を持つ男性の遺体と、血で書かれたRACHEの文字。そして、結婚指輪が落ちていた――




