EP 42 対立
パンシック道具店で暴れていたのは銀色の鎧に身を包んだ長身の男をはじめとする数人の男たちだ。チンピラのようにくちゃくちゃと鳴らし、悪びれた様子もなく店内の客に睨みつける。客たちはそれを怖がって、視線を合わさないようにしていた。
まともな集団ではないことは誰の目から見ても明らかだった。
中でも受付嬢の胸ぐらを乱暴に掴む男の雰囲気はとても堅気がもつそれではない。左眉から頬にかけて大きな切り傷があり、黒い肌の中にちらほらと鈍い鱗の輝きが見える。鷹のように鋭い眼光はギロリと受付嬢を睨みつけていた。受付嬢はその視線に不快感とわずかな怯えを示すように身じろぎする。
「……そのように騒がれますと他のお客様にもご迷惑になります。どうか…、お引き取りを」
「お引き取りを、だ? 勝手なことをぬかしやがる。俺様たちに断らずどこの誰と依頼の契約をしたのか、それを聞かねぇと帰るわけにゃいかねぇ! さっさと喋れ! 俺様は無意味に待たされるのが大嫌いなんだ!!」
苛立ちも露わに男は受付嬢を怒鳴りつけた。ひぃ、と周囲の客が一斉に物陰に隠れる。そうしてこっそりと、受付嬢たちの様子を窺うように物陰から頭を出した。激昂した男が彼女に手を上げることは想像に難くない。
「おいあんた、その手を離すんだ! 店の人に迷惑だろうが」
急いで彼らに近づき、受付嬢の胸ぐらを掴む手を掴む。その時、俺は男のガッチリとした手に目を瞠った。
ゴツゴツした手は多くの戦いを超えてきたのか、いくつもの傷と肉刺がある。俺がちょっと力を加えた程度じゃ動かない。俺だって鋼鎚を振り回しているだけあって、多少の力はあると思っていた。だが、男はビクともしないどころか不快そうな顔で割り込んできた俺らを睨むだけだ。後ろの連れは知らないけど、こいつは多くの戦いを超えてきた戦士だ。
「あんだテメェ? ガキはガキらしく大人しくしてやがれ!」
ブン!と勢いよく腕を振りほどかれ、たたらを踏んで後退する。その背を追いついたルイーナが支えてくれた。
「あなたたちがそうやって絡んでいるからでしょう! どういう目的でここを訪れたのか知らないけれど、ただの買い物じゃないのは私たちにだって分かるわ!」
「やかましい! テメェらガキには関係のない仕事の話だ! それとも邪魔して怪我してぇかコラ!」
ビリビリと空気が振動する。ぞわぞわと肌を撫でる悪寒は、大声による迫力だけではない何かを感じさせた。それでも俺はグッと腹に力を込めて睨み返す。
「あんたの言う仕事の話が依頼の話っていうなら尚更だ! パンシックさんの依頼は、もう俺たち冒険者が引き受けた!」
その言葉にピクリと男の片眉が跳ね上がった。射殺さんばかりの視線はそのままに、ズンズンと大股で近づいて来る。
……デカい図体だ。人間の成人男性の大きさなど優に超える。鋭い視線も相まって俺を見下ろす威圧感は内心で冷や汗をかかせた。ジロリと下から上まで品定めするような視線を向ける。そうして盛大に舌打ちして、ガッ!と俺の左腕を掴んだ。
「……っ、お前!?」
「テメェが冒険者だ? この俺様の腕も振りほどけないような脆弱なガキが? あまつさえ俺様たちの仕事を横取りしようってか?」
次の瞬間、俺はぐいっと無理やり体全体を下へと引っ張られる。凄まじい膂力に床に叩きつけられそうになり、すんでのところで踏みとどまった。
「笑わせるなよ、クソガキ。依頼ってのは自分らの命をはる命がけの仕事なんだよ。テメェらみたいな弱い雑魚どもに半端な覚悟でうろちょろされると迷惑だ。ガキはガキらしく家に帰って遊んでろや」
「アレンッ!!」
「おっと、アニキの邪魔はさせねぇぜ、お嬢ちゃん」
「…っこの! どいてよ!」
ルイーナの行く手を遮るように他の男たちが俺とルイーナを分断する。鎧を着ていることもあり、立ちはだかる彼らの間に隙間はない。
ギリギリと加えられる圧力に抗って、掴まれていない腕で男の手を外そうと試みる。けれど失敗した。いくら力を籠めようが男の腕はビクともしない。歯を食いしばって懸命に抗う俺に男は吐き捨てるように言い放つ。
「実力の差を理解したか? さっきも言ったが、俺様は無駄なことが大っ嫌いだ。特にテメェみたいにクソ弱い癖に邪魔をする野郎には一層虫唾が走る。チンケなガキの頭でも理解できたならとっとと依頼の契約を…」
「半端な、覚悟なものか…」
「あん?」
その言葉を遮るように呟いた。
「俺たちだって、安い覚悟で引き受けてるわけじゃない…! 命をはってるのは、冒険者だって同じだ…‼︎」
「…………ハンッ‼︎」
ブンッと横に強烈に引っ張られたかと思えば、視界が急にくるん、と反転する。次いで背中に感じる鈍い痛みが何処かに叩きつけられたのだと物語っていた。
更に続くガタン、と言う音と頭や肩に感じる鋭い痛み。
「…ぐっ……ぅ…!」
「アレン!」
「くだらねぇ…、マジにくだらねぇぜ! クソ弱い癖にプライドだけは一丁前と来た‼︎ あぁ、反吐が出そうだ!」
痛む体を制してなんとか起き上がり、床の血痕に気づく。頬に感じる生暖かさに、ぼんやりした頭でもようやく叩きつけられた先が商品棚が何処かだと分かった。顔を持ち上げ男を見返すと、奴は苛立たしげに舌打ちする。
「……フン‼︎ 気色悪りぃ野郎だぜ。…おい、いくぞお前ら」
「仕事はいいんですかい、兄貴?」
「どこぞの命知らずの大馬鹿野郎が引き受けてくれるらしいんでな。精々兵士隊に泣きつくことがねぇようにするんだな!」
男は踵を返し、取り巻きと連れだって外へと出て行く。扉を開ける直前、もう一度俺の方を見たが何を言うでもなく外へぞろぞろと出て行った。
全員が出終わってようやく、俺は一息吐いた。ぶつけた衝撃で鈍かった思考も徐々にはっきりし始める。ルイーナが無事かを確認すると、取り巻きに進行を邪魔されていただけで怪我もなさそうだった。彼女は急いで俺に近づいてきて、服の袖をまくり傷を確認し始める。
「アレン、傷見せて! ホント無茶するんだから…! こっちにも傷が…、すみません受付嬢さん、包帯とかってありますか!?」
「す、すぐお持ちします」
受付嬢も顔面が青ざめてこそいるが、姿勢もしゃんとしていておおよそ傷も見当たらない。先ほどのやりとりのショックくらいだろうか。きゅっと唇を引き締め、急いで奥の方へと駆けて行った。
「ルイーナ…、怪我は…ないか?」
「私は大丈夫! それよりアレンだよ! アレンが投げられた時、私心臓が止まるかと思ったんだから」
「はは……、すまん」
「笑い事じゃないよ、もう! ほら、気休めだけどこれ飲んで」
手渡されたポーションを一気に飲み干す。腹の奥からじんわりと熱が溢れてくる。じきに傷も癒えるだろう。
周囲の客もザワザワと騒ぎ出している。これは噂になるのも時間の問題か。悪い話にならないことを祈るばかりだ。
「ご、ご無事ですかアレンさん! ルイーナさん!」
「包帯と当て布…持ってきました!」
「ありがとうございます! アレン、じっとしててね」
パタパタと先ほどの受付嬢がパンシックさんを連れて現れた。パンシックさんは俺の頭の血を見ると、ヒィッと短い悲鳴を上げる。
「アレンさん、ち、血が……」
「大丈夫です…、見た目ほど深くはなさそうなので。それより……」
そう言ってルイーナの邪魔にならないように背後の棚に目をやった。パンシックさんは散乱する瓶の破片やら道具やらと傾いた棚を見て顔色をさらに青ざめさせた。
「すみません、商品を壊してしまって……」
「い、いえ、このくらい。あなた方冒険者の身の方が大事ですから。ひとまず奥の部屋でお休みください。ジョゼさん、アレンさんたちを奥へお連れしてくれ。アイルくん、お客様をこのエリアには近づけないように。それから…」
彼はてきぱきと手早く指示を出し始める。店員も彼の指示に従って行動を始めた。
「アレン様、ルイーナ様、ひとまずこちらへ」
受付嬢のジョゼさんが俺たちを誘導する。肩を貸してくれようとしていたが、大丈夫だと断って立ち上がる。ふらつく体を律して心配そうにこちらを見る受付嬢に案内してもらう。廊下を通り過ぎ、先ほどの応接室よりもさらに奥の部屋へと向かう。こちらへ、と案内された先はベッドといくつか収納棚があるくらいの簡易な一室だった。
受付嬢は消毒用のお湯を取ってくる、と言って部屋を出ていく。
ベッドに腰掛け、額を雑に拭う。ピリッとした熱さが額を走る。先ほど床に落ちていた血はどうやら額を切っていたからのようだ。右手の掌に刺さっている親指大のガラス片も危うく貫通するんじゃないかとくらいだ。袖を捲り、体に刺さっている小さいガラス片は次々に抜いてしまった。
回復のポーションを飲んでいるのだ。多少の傷ならすぐ治るだろう。
「ちょ、ちょっとアレン。いくらなんでも雑にやりすぎだよ。ポーション飲んで怪我が治るのが早いからって……」
そう言って俺の髪をかきあげ、手持ちの布で額を拭おうとしていたルイーナの手がピタリと止まる。彼女は驚いたようにまじまじと俺の額を見ていた。
「……。…治ってる。痕はあるけど、もう……」
捲った袖の下にあった傷もしゅぅと煙を上げて薄紅色の肉で塞がっていた。
「………ねぇ、アレン。これ本当にポーションのおかげ? 新しい回復属性の魔法を覚えたりしてない?」
「いや、してない。俺が使える魔法は昔と変わってないよ」
ルイーナは考え込むような素振りを見せたかと思うと、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「これは……、いや、いくら…、なんでも……」
「お湯をお持ちしました」
彼女が話終える前に受付嬢が白い湯気を立ち上らせた容器を持って現れる。やや緊迫した状況の俺たちを見てか、受付嬢はやや遠慮気味にお邪魔でしたか?と問うた。
「い、いえ、ありがとうございます、ジョゼさん。ほらアレン、念のために体拭うから上脱いで傷跡全部見せなさい」
「あ、ああ……」
促されるまま上の服を脱いでルイーナの拭く手に任せる。
ふと空いた右手を見つめる。そこには先ほどまで傷痕だったものがある。周りに血こそ散っているものの、薄紅色の肉が盛り上がり、やや赤みがかった肌色がそれを覆う。小さく、小さく上がる煙は傷の治りが進むごとに薄くなっていく。
それは随分と見慣れたモノだった。それこそ冒険者になり、怪我をする度に何度も見た光景だ。
ーーーそっか……、君が……だったのね、アレン。
ーーーふふ……、どうりで見つからない……訳だわ…。君の中に……ずっとあったものね…。
そういうものだと思っていた。他の人との治りの違いも個人差による薬の効き目の違いだろうと思っていた。
ルイーナはなんと言葉を紡ごうとしていたのだろう。俺の体を拭う彼女は黙々と作業を続けている。
ーーー…君のその力は、いつか…何かを為すために……あるのだと思うわ。
ーーー……でもね、それは使えば使うほど……きっと君を蝕んでしまう。今の君に…自覚はなくても……君が君でなくなっていくわ。
ずきりと痛む頭に突如フラッシュバックする記憶。内側から圧迫されるとしか形容のできない頭痛に苦悶の声が漏れた。
「……ん、ぐっ!?」
「ご、ごめん! どこか痛いところあった?」
「い、いや、大丈夫だ。問題ない」
心配そうに見つめるルイーナに大丈夫だと笑顔を作る。痛みに堪えたぎこちないものになってしまったに違いない。
ーーー…だから役目を果たすべきその日まで……、私の力でおまじないをかけてあげる…。
ーーー”……の象徴”、そうあれと望まれた君が……、自分を見失わないように…。
視線を床に落とし、目を瞑った。覚えてもいないのにその情景が思い浮かんでしまうのはなぜだろう。
記憶の中で腕に抱く彼女は、青白く血塗れの顔で苦しみに耐えながら笑顔を浮かべていた。
ーーーごめんなさいね……、こんなことしか…してあげられなくて。
ーーーどうか君に、精霊の祝福がありますように……。