EP 38 悪戯者の導き
ゆったりと港町へと進む帆馬車の乗り心地は悪くない。南へ行くほど青々とした草葉は姿を消して行く。代わりにちらほら見え出すのは、枯れかけの草と乾いた地面に広がるひび割れである。
ヨルド国は南北に長く広がる国土だ。最北端と最南端に火山があるためか、都市ヒストルエを中心として外側へ行くほど段々と緑が減る傾向にある。大農園を過ぎると景色がガラッと変わっていた。
馬車の中を通り抜ける風が顔を撫ぜる。カラッとした風は南西の方から吹いてきているらしい。ルイーナは存分に風を楽しむためか、御者席の方に陣取っていた。んー、と体で乾いた風を受け止める。風精も喜びの感情でもあるのかルイーナの周囲を光りながらぐるんぐるんと回っていた。
対するリッカは俺の背後に陣取り、背中合わせで馬車の後ろの景色を眺めていた。時折横目でちらりとこちら側を確認してはフイ、と視線をそらすことを繰り返している。その視線の先にいるのはリッカの様子に苦笑するアンナさん。そして、にやにやと笑う桃髪の少女である。
「おや、嫌われてしまったかな? どうにも昔から私は小さい者に好かれないらしい」
「なぁに、気にするでないアンナ。童はそこな男を取られて嫉妬しているだけよ。まるで妹か弟に母親を取られた幼子のようにのぅ」
小馬鹿にするように少女はくつくつと笑う。ギロリ、と幼女にあるまじきリッカの視線を受けようが、少女の態度は変わらない。まるでその反応すら楽しむように好奇の視線を向ける。より一層きつくなるリッカの眼差し。アンナさんは何かが起きる前に少女を軽く窘めた。
「エニス、あまり煽るな。すまない、こういうやつでな。軽く流してくれると助かる」
「ええ、分かりました。そういえばアンナさんたちはどうして南へ? これってハヴェッタ行きですよね」
俺もさっさと話題を流すことにした。まさかリッカが暴れ出すことはないだろうが、苛立ちが溜まっているのは目に見えているからだ。
「うむ、ハヴェッタで動いている軍の動向が気になってね。それの調査に向かっている。それからこいつを送るついでもある」
「ふん! わしをついで扱いなぞ天誅を喰らっても知らぬからな」
「神なぞ信じちゃいないだろうによく言う。アレン君たちは……依頼かな?」
こくんと頷いて肯定する。依頼の内容まではさすがに話せない。
アンナさんはなるほど、と言ってそれ以上踏み込んでくることはなかった。代わりに俺の後ろに隠れるリッカの方に視線を向けている。彼女も? と目で聞くアンナさんに軽く肩を竦めた。
「君たちを拾えたのは僥倖だったかもしれんな。子供にそんなに歩かせるわけにもいくまい」
「その時はおぶるなりしますけどね」
そう返事をすると、どすっと鋭い肘がわき腹に突き刺さった。うっ、と思わず声が出てしまったのは仕方あるまい。肘の主はというと凄く嫌そうな顔で無言の抗議を続けている。おぶるの発言が相当お気に召さなかったらしい。
「はははっ! 相当懐かれているようだな」
「わしには照れ隠しにも見えんのじゃが……」
「うむ、喧嘩をするほど仲はよいものさ。ところでアレン君たちはあれから何か手がかりを見つけられたのかな?」
そのアンナさんの発言でピタリと肘が止む。顔こそこちらを向いてはいないものの、きっと耳を澄ませているのだろう。一語一句聴き逃すまいと。
進展の方はあった。これから俺たちの行動目的も定まっている。だが、果たしてそれを正直に話していいのだろうか。
アンナさんは多分信用できる人だ。情報屋を営んでいる彼女は抜け目こそないだろう。けれど、協会の中でなんども味わったドロドロに濁るような悪意は感じない。人を傷つけようとする意思を、俺はその目からは感じない。
だけど、気になるのは乗車前にリッカが放った言葉だ。
--うまく言えませんが、よくない気配を感じます。最悪、"終焉の杖"の構成員かもしれません。
彼女がそうだとは俺には思えない。だから、もしもそうだとすれば彼女の隣で笑っている桃髪の少女の方だろう。なら、話さないのが賢明だ。アンナさんには悪いが俺は隠し通すことにした。
「いえ、それがなんとも……。次の依頼で何か見つかればいいんですが」
「そうか……。少しは何かが出てくるかと思ったがそううまくはいかないか。なに、情報を集めるには根気がいるものだ。まして正体が不明確なものなら尚更、な」
「はは……」
アンナさんはさほどがっかりした様子もなく、眉を少し寄せるだけに留まった。最後にアンナさんと話してからさほど日にちも経っていないから納得するのも当然の反応か。
「なんじゃ、お主ら。探し物でもしておるのか?」
隣のエニスと呼ばれた少女は会話の端からいくらか事情を悟ったらしくそう尋ねてきた。
「ああ。ちょっと難しい探し物だよ俺と御者台近くのルイーナと……で旅をしながら探してるんだ」
危うく三人でと言いそうになってなんとか誤魔化した。我ながら下手くそなやり方だ。しかしエニスはさほど気にもせず感心した様子で俺とルイーナを一瞥する。
「ほぉん……弱いのによくやるのぉ。お主ら未熟のミの字にも至っておるまいて。そこいらの雑多な魔物どもにも劣りそうに見えるというのに……、いやはや人というのは中々侮れんものじゃ」
「……そりゃぁどうも」
ド直球な物言い、それに彼女は悪さなど微塵も感じていない。小馬鹿にしたような言い方と表情はさもそれが当然だと言わんばかりだ。さすがのルイーナもこちらを振り向いて眉根を顰めている。
俺たちの剣呑な雰囲気を感じ取ったか、エニスは袖で口元を隠し、くすくすと笑う。アンナさんの静止の声も聞かず、エニスはニヤニヤと笑い言葉を続ける。
「なぁに、そう怖い顔をするでない。よくまぁやると感心しておるだけじゃ。して、探し物とはなんぞや? わしが知っとるものやもしれんぞ?」
「エニス、あまり彼らを困らせるな」
「そう堅いことを言わずとも良いではないか、アンナよ。なに、年長者として助言をしようとしとるだけじゃて」
年長者? どこからどう見ても俺より幼げな彼女の発言が気にかかった。俺の視線に気づいたかエニスは訝しげな表情を作った後に、あぁと自分の姿を見て納得した。
「そういえばそうじゃったの……、忘れておったわ。なに、見てくれ程中身は若くないでな。ほれ、言うてみ言うてみ?」
ウキウキと尋ねる彼女に俺はどうしたものかと、ちらりと後ろのリッカの様子を窺った。彼女は依然馬車の後方を眺めたままだ。が、軽く背中をつねられたのですぐに視線を前に戻した。あまりこちらを見るな、ということだろう。
何か答えないとこのままずっと追求されるだろう。それぐらいの興味をエニスは示している。
それでも疑いのある彼女に言うわけにはいかないし、それらしい理由もつけて適当にぼかすことにした。
「大昔の宝物さ。父さんがずっと探していたものらしくてね」
「ほぅ、宝とな! 胸が踊るのぅ。宝石かあるいは魔導器か何かかや? よもや実体なきものではあるまい?」
意地悪そうに彼女は尋ねる。笑いを浮かべるその目は冷静に俺を観察しており、俺の挙動や発言からその宝の正体を見極めようとしているようだった。
実体なき、という辺りで内心どきりとしたが表情は努めて平静を装う。エニスの見透かされるような目に負けまいと、見返しおどけたように彼女に応える。
「まぁ、そんなところだ」
「大昔のものらしいんだけど、アレンのお父さんは見つけられなかったんだよね」
俺の発言をフォローするように御者台近くのルイーナも続いた。よいしょ、と半立ちにこちらへ近づいてきて俺の隣に腰掛ける。かしゃりと金属が擦れる音とともにルイーナの髪が揺れる。
アンナさんは我関せず、という様子で俺たちの会話を見守っていた。あくまで情報は漏らさず中立でいてくれるらしい。
「良いのぅ良いのぅ。ふふん、わしの読みじゃとヨルドの古代動力装置と見た。ふむ、その中でも相当に知れ渡っているものというと……あれかのぅ」
などと呟きながら考えていたエニス。思い当たるものがあったか、きっとこれじゃのと言いながらニンマリと笑いを浮かべる。
「しかしわざわざ他国、それもヴィーゼから夢を追ってくるとは。じゃが、それが幸いしたのぅ。なにせお主らは巻き込まれずに済んだのじゃからなぁ」
「………っ」
彼女の発言に思わず顔が強張った。俺たちは彼女に一言もどこから来たかは告げていない。だと言うのに、彼女はどんぴしゃりと俺たちの出自を当ててみせた。
言葉に詰まってしまった俺にエニスはわざとらしい仕草で驚いた。とんだたぬきだ。この分だと俺たちの嘘にもどこまで気づいているか。
「お、当たりかのぅ? わしの勘も鈍っておらんか。なぁに、お主らの胸の魔導器を見ただけじゃよ」
「エニスさん?」
ルイーナがエニスの雰囲気の変容に気づく。しかしそれに気づくのは少々遅かった。
彼女は左手を床につき、妖艶な笑みを浮かべながら近づいてくる。幼い子の姿であるのにアンバランスな彼女の仕草はどこか妙にハマっていて、違和感らしい違和感を感じない。
呆気にとられる俺に徐々に近づき右人差し指でトン、と俺の胸を叩いた。上目遣いの彼女は蠱惑的だ。ニヤリと吊り上げられた彼女の口端、嗜虐的な感情を秘めた彼女の瞳からどうしてか俺は目を離せない。ぞわぞわとする背筋の寒気は俺に危険を知らせている。ほぅと吐き出されるエニスの吐息はやけに艶かしい。
「お主の、ここのなぁ?」
そこは俺が提げたリベリオンの少し上のあたりだ。彼女の指は確かに翻訳の魔導器を指していたが、彼女の言うそれはどうにも違う意味をはらんでいるようにも感じられた。
頭が混乱でショートする。健康状態は間違いなく異常をきたしている。でなければこんなにも頭が回らず何も言うことができないなんてありえない。何かが起きている、でも何が起きているかわからない。結果として俺はどうにもできず、あ、だのう、だの情けない声しか出てこない。彼女は満足そうに指した指を下げていこうとして……。
ぐいっと俺の体は後ろに引っ張られた。抵抗することもできずに俺の体は後ろへと倒される。その勢いのまま乗り口に頭をぶつけて悶絶する。
「いぃっづ……!?」
ちょうど後頭部が突き出た部分にぶち当たったらしく、視界に星が舞った。ジンジンする重い痛みに頭が覚醒する。意識のほとんどを後頭部の痛みに持っていかれるが、先ほどまでのクラクラふわふわした高揚感は綺麗さっぱり消え去った。おかげでクリアな思考が戻ったものの、それが余計に頭の痛みを意識させる。
体を横にして後頭部を抑える。と、チカチカする視界の中で苛々しているリッカの表情が僅かに映った。どうやら彼女に引っ張られたらしい。
「あんまりお兄ちゃんに変なことしないで」
怒気を孕んだリッカの声。それにエニスはホッホと笑って答えるだけだった。
「す、すまん……、リ………リサ」
そういえば仮名を考えてなかったと思いつつ、その場で思いついた名前で彼女を呼ぶ。彼女はフン、と鼻を鳴らすが名前に突っ込むことはしなかった。
「愛い愛い。ちょっかいを出してすまんかったのぅ。坊主が弄りやすそうな顔をしておったからついつい遊んでしもうた。許してくりゃれ」
「アレン、大丈夫?」
ルイーナが心配そうな顔で覗き込んでくる。さわさわと後頭部を触って彼女はあちゃー、と漏らした。
「結構大きいね。直してあげられればいいんだけど」
「ん、まぁその内腫れも引くさ」
痛む場所を押さえつつ起き上がる。と、誰にも見られないようにリッカの手が素早く俺の後頭部を撫でた。途端に和らぐ痛み。たんこぶの大きさこそ変わらないが、マシになる何かをしてくれたらしい。
リッカは知らぬ存ぜぬでエニスを睨んでいる。後で礼を言うことにしよう。
「まぁ、騒がせた詫びじゃ。助言でもしておこうかの。お主らの探し物でわしが思い当たるものというと……アンナよ、この国に珍しい宝玉がなかったかのぅ」
アンナさんは一瞬だけしかめ面になる。しかしすぐに消し去ってエニスに答えた。
「それは"炎王の加護"のことか?」
「"炎王の加護"?」
「それじゃ。以前の国の王が持っておったんじゃったかな。なんでも大昔に作られた古代動力装置らしくてのぅ、魔力を込めればたちまち強力な炎の力を手に入れられると言う」
俺とルイーナは顔を見合わせる。その古代動力装置の能力は確かに大いなる力に似ていると思った。しかしそれが誰でも扱えるという点においては俺たちの探し求めるそれとは異なっている。
リッカはぶすっとした顔で俺の後ろに隠れ戻ったかと思うと、彼女たちから見えないようにしながら顎に手を当て考え込んでいた。
信用できるかどうかはさておき、これも一つの手がかりと言えるのかもしれない。少々調べ物をする必要も出てきた。
「"炎王の加護"についてはハヴェッタの図書館にもいくらか資料が残っていたはずだ。気になるなら調べてみるといい。あそこは入るのも無料だしな」
アンナさんが補足するように最後に付け足す。
であれば、ハヴェッタで依頼を受けた後もそれについて調べる必要が出てきそうだ。
「それが探しているものと同じかは知らんが、調べてみるのも一興じゃろうて」
ニンマリと笑うエニスの顔が、人をからかう時と同じ意地の悪い表情であったのは言うまでもあるまい。