EP 2 疾れ!!
依頼回前編です
2018/10/14 タイトルを修正しました。
「はぁっ、はぁ…! クソ! あの野郎、やってくれるじゃないか!」
背中に引っさげた鋼鎚を片手で支えながら、懸命に地面を蹴った。
喉はからからに乾き、肺に針で刺すような痛みを感じる。心臓は全身に血液を送るため、休むことなくどくんどくんと脈を打つ。
足場は悪い。いつ地面から顔を出している木の根やツタに足をとられるか分かったものではない。一つ越えるたびにひやりと背中を冷たい汗が伝う。
それもそうだ、ここは深い森。人の寄りつかない魔の森。
一度足を踏み入れれば、その複雑さから外へ出ることはできないと言われる森である。
ちらりと後ろを振り返る。大丈夫だ、奴は来ていない。遠吠えは聞こえど、その姿はまだ見えなかった。
追われていた。それも相当に厄介な魔獣にだ。
一度目にした獲物は絶対に逃さない。巧みな誘導とその脚力でゆっくりと、だが確実に袋小路へと誘い込む。
獣でありながら狡猾な思考と数キロ離れていようが確実に獲物の匂いをかぎ分ける嗅覚を持ち合わせ、冒険者たちを苦しめるその獣。
瞬間、地を揺るがす程の衝撃と鈍い音が前方から轟いた。
無理矢理衝撃を殺しながら足を止める。もう追いつかれたか。
ギリッと奥歯を噛み、その音源を睨み付けた。
のそりと黒い体を起こし、それはこちらに視線を向ける。
その瞳は血が濃縮されたように紅く、ただ純粋な殺意だけを湛えていた。
手の先に生えた鋭く赤い爪は、魔力によって研ぎ澄まされたその一つ一つが必殺の刃。一度でもくらえば容易くこの身は裂かれるだろう。
そいつは黒い霧を身に纏い、時折火花が弾けるように稲妻が迸る。
「ヘルハウンド…!」
その名を呼ばれた大狼の魔獣は、俺の声に応えるかのようにニヤリとその口端を吊り上げたのだった。
§
ことの始まりは今朝まで遡る。
似合わないローブを脱ぎ捨て、その足で向かった先は冒険者ギルド。民間によって立ち上げられた軍に所属しない機関である。
故に外部からの命令を受けない、国からは独立した機関である。まぁ『聖法協会』の冒険者バージョンみたいな感じだ。
特にここ王都カノーネのギルド“星屑の燐光”はヴィーゼ王国でも有数の冒険者ギルドであり、世界最大のギルドとしても知れ渡っている。
扉を開けて中に入れば、熱気と独特の緊張感を感じられた。
手前のカウンターでは、そこに納まる受付嬢がこれ以上ない笑顔で「おはようございます」と冒険者たちと挨拶を交わす。それは俺も例外ではなく、受付嬢の挨拶に片手で応えた。
奥に進むと、左には大きな酒場がある。何やら祝い事でもあったのか笑い声と物音が絶えない。また朝から酒盛りをしている奴らがいるのだろう。賑やかな雰囲気ながらも少しばかり物騒な声も聞こえる。時たま罵声と共に物が飛んでいるような気がするのは気もするが、これも日常茶飯事である。
対して右側には掲示板と複数人のギルド員が待機しているカウンターがある。
迷うことなく掲示板の前まで進み、何か貼られていないかそれを見上げる。丁度ギルド員が新たな依頼を張り終えたようで、依頼が更新されている。
これは依頼掲示板。街の住人や国から請け負った依頼を掲示するものである。その内容は犬の散歩から危険な魔獣の討伐まで様々だ。
依頼には難易度が其々設定されており、EからSまで存在する。高難易度ともなれば非常に危険を伴うが、成功時の報酬は格別である。
こうやってわざわざ難易度を区分しているのは、確実に冒険者たちに依頼をこなしてもらうためだ。初心者が難易度Sの依頼を受けたところで無駄死にするのがオチである。
そのため、冒険者には冒険者ランクというものが設定されている。ギルドから指定された依頼をこなすことで昇進が可能だ。基本的にこのランクの一つ上か下までの依頼しか請け負えないようになっている。
例えば、俺のランクはCなのでD,C,Bの依頼を請け負える。このランク帯だと採集や討伐の依頼が主になる。
冒険者ランクはギルドから支給されるギルドカードというもので確認できる。これ一つで証明書にもなるのだから便利なものである。
「さて、何かないかなっと」
ざっと依頼を見てみる。霜薬草の採集、クリムゾンボアの討伐、毒草の一掃…etc。どれもパッとしないものばかりだ。
採集はモンスターと対峙する可能性が低いため、討伐の依頼よりも報酬は安くなっている。半日かけて集めてもその日の夕食分しか稼げないとかいうこともあるので、あまり割りには合わない。
そうなると討伐系に絞られる。D,Cランクには目ぼしいものがないので、Bランクのものを覗いてみる。
「ん? なんだこれ」
目に入った依頼書を取り、詳細を見る。内容は王都カノーネの南にある魔の森の討伐依頼。しかし、困ったことに討伐対象が意味不明なのである。
討伐対象は森を騒がせる魔獣と書いてある。魔の森は魔獣がたくさんいる森だし、これだと特定し辛い。目的が分かりづらいのは難点である。
「なぁ、ギルドの姉ちゃん。これ討伐対象がわけ分かんないだけどどういうことだ?」
依頼受注カウンターに立つギルド員に確かめると、困ったような笑顔を返された。
「それが…、ご依頼人の方が見ればすぐ分かるだろうって言ってそういう書き方をされたみたいなんです」
「ふぅん、勝手な依頼人だな」
半目で依頼書を追い、報酬欄まで辿り着いた時驚きに思わず目を見開いた。
「お、おい、これ普通の依頼の10倍の報酬じゃないか! 桁間違えてんじゃないのか!?」
「いえ、依頼をこなしてくれればそれだけきっちり払うとおっしゃってましたよ」
ここまで割のいい依頼はそうないだろう。それにこれだけ高いってことはそれだけ難しいということも予想される。
これを成功させれば、ギルドからの俺の印象もよくなるはずだ。そうなればまた一歩目的に近づくこともできるだろう。
すぐさま依頼を受けることを告げ、依頼受注の手続きを終えたのだった。
§
ヘルハウンドと対峙する。森を騒がせていた奴とはこいつの事だったらしい。
奴はまるでこちらを値踏みするかのようにジロリと一瞥し、大したことはないと感じたのかフンと小馬鹿にするように鼻を鳴らした。腹立つ奴だな、あいつ。
鋼鎚を構え、柄を強く握り込む。やるなら油断をしている今だ。本気を出されたら少々厄介だ。
一呼吸をして、間合いを確認する。二歩、いや三歩といったところか。
ならば一歩踏み込めばこの鋼鎚は確実に届く。
ふっ!と息を吐き、深く一歩踏み込んだ。先手必勝、鋼鎚を振りかぶる。
ヘルハウンドは低く一鳴きすると、大きく横へ跳躍した。だがそれも想定内!
「フン!」
体を捻り、振りかぶった鋼鎚を奴を追うように振り下ろした。が、あと数センチの所を掠めていく。
振り下ろされた鋼鎚が大地を叩く。ズン、と地を揺らし、石と砂を巻き上げた。
巻き上げられた砂が不快だったのか、ヘルハウンドは大きく鳴きながら腹めがけて飛び込んできた。
地面をなめるように鋼鎚を滑らせ、鎚頭が奴の爪と激突する。大きく火花を散らし、鍔迫り合いになる。
だがそれ束の間。鋼鎚の重みに耐え切れないと悟ったか、俺の振りぬく力を利用して押されるがままに後方へと跳躍した。
戦闘は仕切り直しになる。
ヘルハウンドとの距離は先ほどより遠い五歩。こちらを脅威と悟ったかあるいは楽に狩れなかったためか、低く唸り声をあげている。
警戒させずに一気に狩るつもりだったが、どうやらそううまくはいかないらしい。鋼鎚を再び構え、奴の動向を探る。
向こうに攻めてくる気配はない。先程の一撃で鋼鎚を警戒しているようだ。
ならこちらから再びいくしかあるまい。しかし、先程と同じようにしたところで同じことの繰り返しだろう。
左手で腰のポーチを探り、三丁の投げナイフを取り出す。
それを奴の左右と上目がけて投げつけた。同時に、そのナイフを追うように地面を蹴る。
この投げ位置ならヘルハウンドが避ける方向はただ一つ。そう、奴の後方だ。
ヘルハウンドは俺の予想と違うことなく後ろへ飛んだ。ニヤリと笑って奴を追う。
次の一歩に強く力を込め、跳ぶように地面を後ろへ蹴った。突然の加速に戸惑ったか、奴の動きが一瞬だけ止まる。
それが命取りだ。
奴目がけて袈裟に振り下ろす。鋼鎚はヘルハウンドの胴体に吸い込まれるように食い込み、肉を潰すような感触が手に届いた。
たまらずヘルハウンドが悲鳴を上げる。鋼鎚の衝撃でたたらを踏み、叩いた個所から濃密な黒い霧が吹きだした。
「ハァッ!!」
振り下ろした鋼鎚で更に追撃を重ねる。振りぬいた鋼鎚の爪が奴の首の皮と肉を裂く。
裂かれた部位から血が迸る。と、その血がバチンと音を立てたかと思うと、地面に触れた瞬間強烈な閃光が放たれた。
「おわっ!?」
思わず目を覆い、後ろへ跳び退る。一体何が起こった!?
戻らぬ視界を庇いながら、ヘルハウンドが攻めてこないか警戒をする。しかし、火花が弾ける音はするが、奴が攻めてくる気配はない。
ようやく戻った視界ですぐさま状況を確認する。
体は健在、武器も無事。しかし、眼前のヘルハウンドだけは先ほどと様相が変わっていた。
「ははぁ、成る程…。本気ってわけかい」
先ほどヘルハウンドが纏っていた黒い霧は全て消え失せ、その体には雷を纏っていた。
体色は黒から金へと変わり、紅い筋が何層にも体を走っている。奴の瞳は怒りに満ち、俺を射殺さんばかりに睨めつけていた。
次回更新予定日は9/2の20:00です。