EP 34 大農園の珍客
戦闘編です。では、どうぞ
空を見上げれば黒と濃紺のコントラストが目に映る。光を放っているはずの星々は、空を埋め尽くす雲に隠されその姿をくらましている。わずかに薄ぼんやりと光る半円の月だけが、暗い地上を照らしていた。
ざわざわと草葉の擦れる音だけが、静寂な夜に響き渡る。生き物の気配すら感じない静かな農園。今なら押し殺した自分の呼吸すらも辺りに聞こえてしまいそうだ。事実、後ろを付いてくるルイーナの息遣いが僅かに聞こえてくる。
背中の鋼鎚に手を添えたまま、周囲の様子を窺う。まだ魔物の姿は発見できていない。家屋から反時計回りにぐるりと確認をしている。今までの出現場所は主に北方面。恐らく農園の北にある森や山岳地帯から食べ物を求めて出てきているのだろう。そのため、今回もそちらから出現すると予想を立て、北側の農地をまず見にきているのだ。
(どうだ、ルイーナ。何か気づいたか?)
小声で後ろのルイーナに問いかける。彼女は首を横に振って俺の問いに応えた。
(一応風精にもお願いしてるけど、異音みたいなものは聞こえないみたい)
(そうか……)
時間帯は既に出没時間を迎えている。いつ現れてもおかしくないのだが、やはり警戒心の高さが尋常じゃない。パトムさんたちの話していた魔物は周囲の気配に敏感で、外敵の存在を認識するとたちまちの内に逃げてしまうらしい。
こういう魔物に対しては、シーフのような探索系冒険者が非常に重宝される。探索系冒険者はその習得過程の特性上、気配を遮断する能力が使える。そのため、リズのように職業がシーフの場合には気配遮断を使って相手に気づかれることなく倒すことができるのだ。生憎、俺たちにはそのような能力がないため、できうる限り気配を殺して探索をしている。
畑の間にある道をゆっくりと歩いていく。今日は月も雲に隠れているせいで一層闇が濃い。暗闇の中で動く影を見落とさないよう必死に目を凝らす。家屋のすぐ北に広がる第一農園を通り過ぎ、北西の第二農園に差し掛かる頃、ピッと後ろ袖が引かれた。
(アレン、西側の畑に妙な気配があったって)
ルイーナに頷き返し、第二農園の西側へと急ぐ。やはり敵は北側から来ていたのだ。第二農園には収穫前の作物が植えてあるとパトムさんに話を聞いている。熟れ頃の作物を横取りしようと森からわざわざ現れたということだ。
ルイーナにハンドサインで先行を促し、道を譲る。ルイーナは一呼吸置くと音もなく急加速した。足には朧気な翡翠色の燐光。足が地面に着く間もなく、ルイーナの体は前方へ飛んだ。風精による加護があってこそできる空中での加速。音もなく、知覚する暇も与えず確実に目標との距離を詰められる。これならば彼女はすぐにでも敵に接近し戦闘を開始できるだろう。後を追う俺は彼女が残す燐光を辿っていく。その途中、胸に妙な違和感を感じた。
(……? ……!?)
一瞬だけ疑問が頭を過ぎるが、違和感の正体がわかった瞬間に疑問はたちまち氷解する。首に提げたリベリオンがうっすらと赤い光を溢しているのだ。それと進路方向の先からけたたましい金属音が聞こえたのはほとんど同時だった。すぅぅと息を吸い、一息吐くとともに音が立つのも気にせず全力で地面を蹴った。魔物はとうにルイーナと戦闘に入っている。今更音を気にもするまい。
まさか依頼を受けて本当に手がかりが見つかるとは思わなかった。これは思わぬ幸運というべきか、それとも確実に事態が進行しているという不幸を嘆くべきか。きっとどちらもというべきだろう。この農園を荒らしていた魔物の正体は、黒馬のようにリベリオンに関する魔物だったということだ。
走る程金属音は近くなる。明らかにただの魔物を切りつけている音じゃない。甲高く響く高音は暗闇の落ちる農園にはひどく場違いだ。心臓というエンジンに魔力をつぎ込み、足に力を漲らせる。蹴り抜いた地面はバガンッ!と割れた音を立てながら抉れを残された。
暗闇の中を疾駆する。ビュンビュンと流れる景色をよそに、俺の視線は薄く光る剣を捉えた。気合一閃、剣は下から上へと振り上げられる。ガキンッと派手に音を立て、暗闇の中で影が揺れる。影は体を小刻みに震わせ、耳障りな咆哮を上げた。
その時、雲の合間から現れた月から地上に柔らかな光は降り注ぐ。月の光は影の全容を照らし出し、その姿を徐々に暴いていった。剣の切っ先を向けられた魔物を見て、俺は思わずウッと息を詰まらせる。
それを一言で表現するならウサギだったモノだろう。茶色の体毛は背中から伸びる赤色に侵食され、まだら模様に塗り替えられている。その色の根元には小型ながら赤色の燐光を溢す水晶。体長は並みのものを明らかに超え、見上げるほどに大きい。身体の各部には黒色の岩石のようなものが付着し、異様に長い前足には爪のように鋭く黒い岩石がある。そして何よりも異質なのがウサギとは思えぬほど長い首と、開いた口から見える不揃いの鋭い牙。それでいながら長い耳はピンと天に立っている。ぎょろりと血走った黄色い目が新たな獲物を捉えた。
そいつはニィッと笑い、ゲギャギャギャギャと不快な笑い声を上げる。
「ルイーナ!!」
「アレン!! こいつ硬い! おまけに私の速さに合わせてきてる!」
言うや否や、ルイーナは連続で剣を振るう。3つの軌跡に対して風切り音はたったの一つ。それだけルイーナは本気で剣を振っている。直後、ガガガンッと金属音が鳴り響いた。音の正体は分かっている。敵の魔物が全ての斬撃を防いだのだ。音が重なったその理由は全ての斬撃を見極め、弾いたからに他ならない。
容赦はいらない。掴んだモノを叩きつけるように鋼鎚を力一杯振り抜いた。
今までよりも一際大きく農園に音が鳴り響く。後退はなく、動揺もなく、獰猛な笑みをそいつは顔に貼り付ける。一丁前に人間の真似をしているのか、舌を出して小馬鹿にしたようにゲッゲッと喉を鳴らした。
続けざまに鋼鎚を叩き込む。慢心そのものの敵の意識を刈り取ろうと巨塊が頭の芯を捉える。返ってきたのは岩石を叩くような硬い感触。舌打ちして一歩後方へと下がり、ルイーナに並んだ。
「ルイーナ、一応聞いておきたい。あれに見覚えはあるか?」
「ないね、全然ない。少なくともこれまでに見覚えがないのは確かだよ……ッ」
喋り終えた直後に鋭爪がルイーナを襲う。横合いから迫る4本の黒い斬撃に剣を合わせてギリギリで弾ききる。僅かに彼女の体が宙に浮き、端整な顔立ちを不快で歪めた。
「まったく、会話もする暇もないったら!!」
返す刀で一閃。初めから弾かれることを前提に、彼女は追撃を重ねる。
翡翠の剣閃が翻る度、飛び散る火花と衝突音。舞い上がる土煙を意にも介さず、その瞳に捉えた急所を裂くべく舞い踊る。敵に比べてはるかに小さい体は、振り回される腕をすり抜けて確実に身体に斬撃を叩き込んでいく。
岩を叩く音の中に、徐々に皮を裂く鈍い音が混じり始めた。飛び散る血飛沫は地面に赤い斑点を描く。続けざまに放たれた斬撃が15回目を超えた時、彼女は苦悶の表情を浮かべ、大きく息を吐いて後方へと飛びすさった。そこが彼女の一息の限界。その隙を逃すまいと獣は大きく口を開け、彼女の胴体を捉えんとする。
「させるかよ……ッ!!」
地面を蹴り、開いた口めがけて鋼の塊を叩き込む。腕を危うく持っていかれそうな衝撃が柄を伝って伝わってきた。負けじと奥歯を噛み締め、一歩踏み出すとともに体幹を回転させる。白い破片が飛び散り、獣の顔は潰れた饅頭みたいに厚さが薄くなった。
これにはさすがの相手も効いたのか2足で立ち上がって仰け反り、首を振り回す。獣が轟かす苦悶の叫びはあいも変わらず不快な感情を俺たちに引き起こさせる。この世の住人である限り、やつの存在は生理的に受け付けない。紛れ込んでしまった異物に抱くのは未知への恐怖と不快感だけである。
狙いもつけず、デタラメに腕が振り回される。横から上から手当たり次第に周囲を破壊しだした。追撃にと腹に加えようとした一撃は、全く予想できない後方からの攻撃で防がれる。
「アレンッ!」
鋼鎚を盾代わりに、横にステップする。辛うじて致命傷は防げたものの、黒い鋭爪が二の腕を掠めた。
「問題ない! かすり傷だ!」
「この……ッ!」
「待て、ルイーナ! 早まるな!」
激昂したルイーナが引き気味に剣を構え、低く姿勢を構える。次の瞬間、放たれた矢のように彼女は飛び出した。蹴られた地面は爆発でもしたように土塊を巻き上げる。その様はまるで流星のごとく。翡翠色の尾を引いて、彼女の体は獣に向かって突撃した。
今までで一番大きい金属音。しかし、今度は硝子が割れるような音とともに鋭爪の一部が吹き飛んだ。弾かれた鋭爪は月明かりに照らされながら宙を舞う。彼女の刺突は見事獣に命中し、右手の鋭爪を3本吹き飛ばし、深々と胴体に突き刺さっていた。が、離れようとした彼女の顔がギョッとした表情に染まる。
彼女の剣は獣に深く刺さりすぎていた。それ故に刺突直後の筋収縮に巻き込まれ、簡単に抜けなくなっていたのだ。
「風精!!」
彼女は剣から風を巻き起こし、周りを破壊しようとした。風は巻き起こるそばからすぐにかき消され、その度に背中の水晶が明滅する。
「離れろ、ルイーナ!」
彼女の頭上に巨大な手の平が迫るのが見えた。そのまま彼女を押しつぶそうという魂胆だろう。ルイーナはほんの一瞬だけ剣を離すのを躊躇ってしまう。しかし、その躊躇が命運を分けた。
「づ……ぁ………ッ!!」
後方へ飛び退る彼女の片足が手の平の一撃をまともに受け、彼女の体が跳ねて地面を転がった。ようやく止まった彼女の体はふるふると震え、起き上がることもできずに地面にうずくまる。
「ルイーナッ!!」
すぐさま駆け寄り、ポーチの中からポーションを手に取る。瓶の蓋を空け、急いで彼女の口に流し込んだ。直後、後方からの気配に彼女を抱いて前方へと飛んだ。振り向きざまに見たのは、獣が深く地面に左手の鋭爪を地面に突き立てているところだった。獲物を逃したことを悔しがっているのか、低く唸りを漏らしている。
ポーションを飲ませたことで彼女の顔色は幾分良くなっている。意識ははっきりしているようで、ありがとう、と短くお礼を言った後にフラフラと立ち上がった。
「ごめん、先走った」
「気をつけろ、一瞬の油断が命取りだ。剣は俺が取り返すからしばらく休んでいるんだ」
言って鋼鎚を構える。取り返すにはスタンさせて引き抜くか、直接奴の肉を切り裂く他ないだろう。幸い相手も手傷で最初ほどの余裕はないはずだ。下から顎をカチ上げて頭を揺らせば全身が弛緩する可能性はある。
獣は今までのダメージが大きいのか、前傾姿勢で口から息を吐き出している。ガチンガチンと歯を嚙み鳴らしているのは威嚇のつもりか。今まで以上に殺意がみなぎった眼をこちらに向けていた。
ポーチの中を再び探り、一本の投げナイフを取り出した。投げる先は奴の眉間。そしてその投げナイフを追うように疾駆する。高々投げナイフ一本。あの獣ならいとも容易く防ぐだろう。だが真の目的は奴への一撃ではなく、動作直後の硬直にある。
予想通り獣は右手を振るって容易くナイフを防ぎ、それがどうしたとばかりに一鳴きした。だがその頃には俺はもう奴の目前にいる。立ち上がり、薙ぐ左手を屈んで避け……。
「おぅらぁぁッ!!」
膝を伸ばす勢いも合わせて、奴の顎を鋼鎚でカチ上げた。ガァンッ! という音と確かに頭蓋を叩いた感触。ふらりと傾いたのは一瞬。すぐに体勢を立て戻そうとする頑丈さに思わず舌をまく。急いで剣の柄を握り、力任せに引き抜いた。ゾリゾリゾリっと肉が削れる感触とともに剣が引き抜かれる。それを持ってすぐに後退し、剣に付着した血を振って散らす。
バックステップをしてルイーナの傍まで戻る。ちらりと見た彼女はすでに傷も癒え、気力も充実していた。それを確認して剣を渡す。
「やっぱり倒れない。頑丈な奴だ」
「異常な耐久力だよ、こんなの。普通の生物じゃない」
「いくら頑丈でも頭がつぶれりゃさすがに止まるさ。ルイーナ、奴の首を串刺しにして地面に縫い付けられるか?」
俺の問いにルイーナは数秒考え込み、眉根を寄せた。
「多分……、下に気を逸らしてくれればなんとかやってみるよ」
「了解。陽動は任せてくれ」
これが成功すれば奴の最後になるだろう。気合を入れ直し、鋼鎚を手に吶喊する。
「ああぁぁぁぁッ!!」
奴の注意を引くように殊更大きく声を張り上げた。奴もまたそれに応えるように頭を震わせ、大きく咆哮を放つ。足を地面に叩きつけ、地面を舐めるようにこちら側へと突っ込んできた。相対する俺たちの距離は一瞬にして詰められる。奴の前方を丸ごと吹き飛ばそうとなる薙ぎ払いは、突進の速度も相まって轟と凄まじい風切り音を響かせた。
鋼鎚は背負うように上段に構え、軽く膝を折る。体の重心を下げ、腹の辺りに力を込めて来るであろう衝撃に備える。息を吸い、グッと止めた瞬間に全身の筋肉に力が漲る。奴の薙ぎ払いが繰り出される瞬間に、上段からの叩き落としが奴を襲った。
衝撃波でも発生しそうな凄まじい力のぶつかり合いが起きる。ほんの一瞬のせめぎ合い。わずかな時間だけ保たれていた均衡はたちまちに崩れ去った。
両腕に感じた重さは一気に全身に伝わった。それでも尚立っていられたのは吶喊で入れた気合のおかげか。獣に押されるようにして俺の足は地面を滑り出した。腕はとうにパンパンだ。ぷるぷると震える手が今すぐにでも鋼鎚を離したっておかしくない。それを魔力の大量消費と引き換えにすぐに癒していく。
「ふ…ぐぅぅぅぅぅ……ッ!」
歯を噛み締めたって、喉から苦悶の声を漏らしたって、重さも負担も変わりはしない。
そもそも巨体を真っ正面から受け止めるなどという行為自体が自殺行為なのだ。それでも敢えてこの手を選んだのはその先に奴を息の根を止める必殺の一手が存在するから。数メートル後退させられた後に俺たちは再び均衡を保ったまま睨み合いを始める。
まだだと言わんばかりに奴の顎門が喉元を狙う。均衡を維持するために両手を塞がれた俺にこの手を防ぐ術はない。数秒と経たず、奴の顎門は俺の首を食いちぎり、無様な死体を一つ転がすだろう。しかし、それをさせじと上空から高速で銀閃が飛来する。ブロンドの髪が風に踊り、ヒュンッと鋭い音を立てて果たして奴の首は地面へと縫い付けられた。
俺を狙っていた顎門を広げたまま、何が起こったかもわからずに奴の頭は地面に叩きつけられる。
「アレン! とどめッ!!」
言われるまでもなく、すでに鋼鎚は振り上げられている。奴の瞳の中では憎悪の炎が燃えている。言葉にするならこんな下等生物どもに、というところだろうか。だがいくら血走った目でこちらを見ようが、結果は結果だ。慈悲はなく、躊躇いはなく、鋼鎚は奴の頭めがけて振り下ろされた。
2018/10/14 タイトルを修正しました。