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鋼鎚使いの無能神官  作者: しらぬい
第2章 紅焔破刃の継承者編
29/45

EP 26.5 陰ニテ蠢クモノタチ

番外編です




 夜の空よりもなお深く、暗闇に包まれたその回廊には耳に痛いほどの静寂が浸透していた。

 コツリ……コツリ……。

 まるで時計の針のように一定のリズムでその音は刻まれる。

 暗がりの向こうから姿を表すのは燭台を持った一人の男。目深にフードをかぶっているために顔には影が落ち、その様を見ることは叶わない。しかし、ローブの内側からは臙脂(えんじ)色の髪が一房漏れており、彼が歩くたびにその髪がゆらゆらと揺れた。


 灯りで照らされるのは足元の僅かな部分のみ。だというのにその男は微塵も恐れることなく、その歩みを進めていく。

 ここにはゴーストのような霊も、墓場から這い出してくる亡者もいない。

 ただ純然たる暗闇だけに満ちている。それを知っているだけに男がこの場所を恐れる必要はない。だが常人ならばこの場を歩けば、その暗さと延々続く閉鎖空間に気がふれてしまうだろう。その一方、男はむしろ口元に笑みすら浮かべている。気が狂ってしまったわけではない。彼にとっては恐れるに足らないものであったというだけである。


 難なく歩みを進める男の前に、ぼぅと灯りが零れ落ちる。どうやら回廊の天井から漏れ落ちているらしい。太陽のように鋭く差す光ではなく、行灯のように今にも消えてしまいそうな光の粒だ。

 何をなすわけでもなく、床の端にそれは溜まり続ける。男が隣を通り過ぎる直前に、それは突然にふわりと人を形作った。男と同じくローブを纏い、そうして奇妙な仮面で顔を覆う。それの横を通り過ぎる男にそれは問いを投げた。


「どうした"道化"? 貴様がここにいる必要はないはずだが…?」


 訝しみを含むその声は、女性特有の凛としたソプラノ。顔を覆う仮面故にその声にはくぐもりがあるものの、静寂な廊下に鋭く響く。

 対する男、くるりと振り返りひらひらと手を振った。無論、男にここに仮面の女がいるのは分かっていたのだが声もかけないと思っていたのだ。普段の彼女であればたとえ男が通り過ぎようとも何の反応も返すまい。


「はぁい元気、"閃雷せんらい"ちゃん? 僕はねぇ、もぅ元気一杯だよぉ。どこぞの誰かさんが"黒嵐こくらん"をぶっ倒しちゃったおかげでワクワクしてきたからねぇ!」


 男の声は喜色に満ち、うずうずと興奮を抑えきれない様子である。"閃雷(せんらい)"と呼ばれた女はそれにクスリと苦笑を漏らし、身に纏う古めかしいローブを僅かに揺らした。


「相変わらずだな。貴様のそれは随分と業が深い」

「またまたぁ、そういう"閃雷(せんらい)"ちゃんだって僕とかわんないでしょぉ?」


 聞き返す男に女は一笑を付す。

 強い者に心が惹かれるという意味で言うなら女もそれに異論はない。

 だが男の高揚は女のそれとは根本的なところで違いがある。伊達に"道化"と称されるほどの奇人ぶりを女は持ち合わせていない。


「貴様のことだ、大方アレを見にきたのであろう?」

「そうそう! 新しいおもちゃが手に入ったって聞いたからさぁ、見にきたんだよねぇ」

「まだ調整中だ。壊されるのはごめんだからな、見るだけにしておけ」


 うきうきと浮かれていた男の肩が大げさに下がる。女は呆れたようにため息を吐いた。

 ――やはり見に来るだけではなかったか。

 釘を打っていおいて正解であったと女は密かに思う。この男の性質(たち)をよく理解していただけに、言っておかねば他の材料まで壊しかねないと彼女は危惧していた。過去に何度それで"教授"の怒声が響いたことか。もっとも本人はそれを気にするどころか遠慮なしに"教授"のもとへ出入りしているようだが。


 単純に戦力の低下は困る、と告げると男は心底おかしそうに腹を抱えて笑っていた。


「やだねぇ"閃雷せんらい"ちゃん。僕は遊んでるだけじゃない」

「それの程度をもう少し抑えろというのだ。お前の娯楽で何体も潰されれば戦力の無駄遣いだ」


 フードの影に隠れていた蒼色の双眸がぎょろりと光を発する。


「それは違うよぉ、"閃雷せんらい"ちゃん。僕の遊びにも耐えられないゴミが生きる価値なんてないじゃない。与えられた役割すら満足に果たせないんだからさぁ」


 女はその眉をひそめる。共に歩みを並べる者ではあるものの、やはりその考えは理解しがたい。

 男にとっての命の価値観は女とは異なるものであるのは明らかだ。しかし同じ目的を成就するためであればそのようなことは女にも男にもどうでもよかった。


「フン…、まぁいい。精々遊び疲れて殺される無様だけは晒すなよ?」


 その言葉に少しだけ、男はニヤリと口の端を歪ませた。

 物騒ではあるが女にしてみれば親切からくる言葉だった。事実、女は男の力を充分に買っており、男もまた自身の力に微塵も疑いを持ってなどいない。

 故に男はからからと、実に面白そうに笑い声をあげた。


「なぁに? 僕の心配してくれてるの? やっさしぃなぁ、さっすが"閃雷せんらい"ちゃん」

「心にもない言葉だな。通りたければさっさと通れ」


 それだけ伝えると、女は現れた時と同じように光の粒となって消えていった。

 後に残された男はやれやれとばかりに肩を竦め、再び回廊の奥へと歩いていく。その途中でふと顔を上げ、フードの下でニヤリと口元を歪めた。なるほど、それならば彼女が出てきたのも頷ける。


「あのお方のお戻りかぁ。んー、偶然だねぇ。でもま、今回は用事がないからスルーでいっかぁ」


 男の独り言は暗闇の中に溶けていく。燭台の灯りとともに男は闇へと消えていった。




§




 ごぽり…とソレは暗闇の中で目を覚ました。薄っすらと開かれた目に光はなく、瞳孔は定まらない。

 自意識というものが何かと言えば、それは外界から存在を切り離し明確な境界線を引くことで、己の存在をこの広い世界の中で認識し得られる産物だと言える。

 故にソレは今、目覚めと共に初めて自意識を得た。しかし、不思議なことにソレにとって初めて得るという感覚に実に奇妙な違和感を感じた。ごぽり…と口元から何かが漏れる。なるほど、ごぽりという音は自身が発していたのかとどうでもいいことを思う。


 目覚めてからは思考の連続であった。腕がある、髪がある、冷たい、暗い、痒い、何かがついている、若い、息が…できる。

 初めて得たようで再度記憶を焼きなおすかのようなえも言われぬ感覚。そこでソレはもしかすると"思い出す"という行為なのではないかとふと考えた。自分の中にある感覚とすり合わせ同じかどうか、あるいは違うかどうかを考えること。なるほど、と納得し"思い出す"行為を続けてみる。


 冷たい感覚、ごぽりという音、極めつけは浮遊感。それらの物証がソレに『水の中である』という推論を導き出させた。

 ――なるほど、これは面白い。

 自覚はないものの、"思い出す"行為を楽しんでいたソレは夢中になって続けていた。

 そうしていると、ふと自分は何か、ここはどこかという疑問にたどり着いた。


 それらだけは"思い出す"ということをしても思い出せない。ただ、じくりと腕だけがソレに不快感という新たな感覚を与えていた。


「気分はどうかね、"影霊"」


 水中に反響して響く声はするりとソレの耳の中に入っていった。

 視線を彷徨わせてもその声の主を捉えることはできない。残響を残す声にソレは沈黙を貫いた。


「ふむ…、まだ『話す』ということにも至らんか。適合率はいいようだが…」


 ぺらり、ぺらりと新たな音を耳にする。その音はソレにとって初めて聞くものであり、今のソレに到底出せるものではないと自覚する。其の正体が気になり、身動ぎするもその音源を確かめることはできない。


「む…。ほぅ、好奇心は旺盛という事か。今までの個体とは違う変化だ」


 かさり、しゃっ…。ソレの思考を他所に音は続く。


「……もしかするとお前は当たり・・・なのかもしれないな」

「だったらいいよねぇ」


 新たな声。最初の声よりも高く、だが決定的な違いが見込めるほどの高さの違いではない。

 そして第2の声が響いた瞬間、がたりと大きな音が響いた。次いで明らかに今までとは違う調子で最初の声は叫びを発した。


「"道化"!! また我が領域へと無断で入りおって!! 貴様には来るなと厳命したはずだが!?」

「まぁまぁ、そう固いこと言いっこなしだって。"閃雷"ちゃんにも釘さされちゃったし、今日は見にきただけなんだってばぁ」

「貴様はそうやって我が作品をすぐに使い物にならなくするのだ! だからここへは立ち入り厳禁にしたというに」


 最初の声は"道化"という声におされていた。少なくとも、"道化"はソレが最初感じたように面白いという感覚を持っており、最初の声はソレが感じたような不快感という感覚を持っているのかもしれないと、ソレはわからないながらも感じた。


「大体貴様はいつも遊びすぎる癖が…」

「"教授"、"黒嵐"が倒されたらしいよぉ」


 ぴたりと"教授"という声が止まる。先ほどまでの勢いは鳴りを潜め、しばしの沈黙が続いた。


「…あれは出来損ないの作品とはいえ、並の人間に倒されるとは到底思えんが…?」

「どうも"鋼鎚"と"リベリオン"が共鳴したみたいでねぇ、しかもそれを使う人間が現れたみたいだよ」

「ほぅ、それは面白い。我が作品を倒しうるものがいるとはな。ククク…その人間をどのように調理してくれようか」


 ぶつぶつとつぶやきを始める"教授"。その様を心底嫌がるように"道化"は苦々しく言った。


「まぁた始まったよ…。んで、コレの方はできてんの?」

「まだ目覚めたばかりだ。『会話』すらもろくにできんが、今までのものよりは期待できるだろうな」

「へぇ…! 期待させてくれるじゃん。いいねぇ、いいねぇ! 楽しくなってきたねぇ…!」

「貴様に遊ばせるために作ったのではないぞ」

「分かってるって。拾ってきた甲斐(かい)があったってもんだよ。いやぁ、楽しみだなぁ。コレができるのも…」





「『継承者』のアレン・ストライフと会うのもさぁ」





 瞬間、ぞわぞわとソレの背筋を逆なでるものを感じた。

 頭の中を内側から平たくちくちくとしたもので塗りつぶすような、新しい何かで染め上げられる感覚。真っ黒だった脳裏はちかちかと目が眩むほどの真紅色を映す。がちがちと口が震え、喉の奥からこれまでにないほどの泡を吐き出した。

 全身の肉という肉は強張り、手のひらに爪を突き立ててなお足りない。

 苦しい。息が詰まりそうになる。全身の血という血が滾ってその放出先を求めていた。


 荒れ狂う意識の異常を感じて初めて、ソレは感情というものを知る。

 ――憎悪。

 皮肉なことにソレは初めての感情として負の想いを得ることになる。そしてその感情はソレの根幹を為す大黒柱であり、ソレ自身の自意識を歪める歪なものであった。


「なっ…!? クソッ…いらぬ手間をさせるな"道化"!!」

「あれれ? 今回は僕何もしてないんだけど…?」


 "教授"の叱咤は明らかに焦りを含んでおり、想定外だと言わんばかりであった。飄々とした"道化"もまたそれは同様であるが、"教授"とは対照的に酷く落ち着いている。


「…………ア……レン……!!」


 膨れ上がる憎悪に後押しされるようにソレは新たな行為へと踏み出していた。喉を震わせ、血反吐でも吐くような低いしわがれた声。その怒りは次第に真紅へと染めていた世界を新たな世界へと導いた。

 ゆらゆらと揺れるローブ。そしてそのとなりに首まできっちりと締まった白い衣服の男。

 紅色がかった世界は変わらないけれど、ソレは初めて外界というものを認識した。


「…! へぇ、そっかそっか。そういうことねぇ。君、あの『継承者』に縁があるんだぁ」


 ローブから"道化"の声が響く。その影に潜む蒼色の瞳の中に、ソレは底知れない喜びを見た。


「いいねぇ、そうこなくっちゃねぇ!! あっはははははは、だから世界ってのは面白いんだよねぇ!!!」


 もはや恍惚すら感じる"道化"の声は暗闇の空間に何度も反響する。

 そうしてうっとりと、"道化"はこれからの未来に想いを馳せるのであった。

ぼちぼち活動報告の方も再開しようかなと前向きに検討中です


2018/10/14 タイトルを修正しました。

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