EP 24 目覚め
顔を優しく撫でる風でゆっくりと意識が覚醒する。心なしか鳥の囀りも聞こえるような気がする。
目を開き、徐々にはっきりしてくる世界を俺はぼんやりと眺めた。目が覚めた今もふわふわとした感覚に包まれ、もしかしてまだ夢の中にいるんじゃないかという気すらしてくる。
視界に映るのは見覚えのない木製の天井。そして、俺が寝かされているのはちょっとばかし固いベッドの上だった。
「……どこだ、ここ?」
はて、何が起きたものかと目を閉じ記憶を辿ってみるも、ぼんやりした頭でははっきりとは思い出せない。
気晴らしにゆっくりと視界を傾け、カーテンのかかった窓に目を向けた。
どうやら片側が開いているらしく、ゆらりゆらりと風を受けて不規則に揺れている。
その向こう側には外の景色が広がっている。遥か遠くに並んでいるのは、頂上が白く霞んだ山々。その内の一つはうっすらと黒い煙を上げ、その存在感を主張する。あれは活火山というやつだろう。火山の中にも、長い時の中でずっと生き続けて噴火を起こす奴があるのだ。
そのまま視線を下ろせば、元気にはしゃぎまわる子供たちと立ち並ぶ木製の民家が目に映る。ここはどこかの村なのか…?
窓からの範囲では詳しい時刻は分からない。けれど、僅かに見える建物に隠れてしまいそうな影を見るに、おおよそ昼を過ぎたといったところだろう。
視界をもう少し移せば部屋の全体を見てとれた。
小ざっぱりとしており、棚とベッドと灯りが唯一この部屋にあるものだ。余計な装飾もなければ、少しは置いてありそうな小物もない。もっとも、扉の閉まった棚の中には何か置いてあるのかもしれないが…。
いよいよもって、ここはどこだろう? 最後の記憶は確か…。
そこで俺の思考を断ち切るようにギィと扉が開く。
『よォ、兄ちゃん。お目覚めかい?』
入ってきたのは年若い肌黒の少年。見た目だけなら若く見られやすい俺よりも更に若い。
しかし、髪の隙間からのぞいている小さな緋色の角が、その容姿が年齢通りでないことを告げている。
実際に会うのは初めてだが覚えはある。火山地帯などに住まうとされている一族、竜人だ。
その寿命は人間より遥かに長く、そして彼らの感じる時間は人なんぞよりゆっくりである。故に彼らにとっての一日は俺たちにとっての1年かもしれないし、俺たちにとっての10年は彼らにとっての1年かもしれない。数こそ少ないものの抜群の戦闘力は他にないもので、その力こそが彼らを強豪たらしめている。
また、竜と意志を交わすことができ、火山地帯一帯を治めることができているのはそれに依るところも大きいとか。
『あァ…? まだ意識がはっきりしてねェのか? おい、兄ちゃん、オレの言ってること伝わってるかい?』
彼はベッドの隣までやってきて、手に持った盆を棚の上へと置いた。そして、ぶんぶんと俺の視界の前で手を振ると、聞き覚えのない言葉でこちらに話しかける。
「あー、すみません。何か言ってくれてるのは分かるんですが、言葉が通じてない」
ジェスチャーを交えようとして動かない手に違和感を覚えながら、とにかく言葉が伝わらないということを伝えようとする。
すると彼も合点がいったのか、何度か頷くと「あー」、「あー」と発声練習を始める。
「あー…、っとこれでいいのか? おい、兄ちゃん、これで伝わってるか?」
「ああ、ありがとうございます。それなら伝わりますよ」
「ふィィ…、伝わってよかったぜ。人によっちゃァ何言われてるかさっぱりだって顔されたりするからなァ」
ヒヒヒと少年は笑いながら棚の上の盆へと歩いていく。
こちらにも伝わる共通語で話してくれているが、少しばかり訛りがある。聞き間違いだのを起こすほどじゃないが独特な喋り方だ。
「あァ、それから別に敬語じゃなくてもいいぜ。オレもそんな歳食ってるわけじゃねェからよ」
「……そうか。なら言葉に甘えさせてもらうよ」
「おゥ、そうしてくんな」
彼はまず棚に寄りかかると腕を組んで不敵にニヤリと笑いを作った。
「まず単刀直入に聞くがよォ、兄ちゃんどこの人だい? 血だらけでぶっ倒れてるもんだから面食らっちまったぜ。この辺の奴……じゃァねェよなァ? オレは兄ちゃんに見覚えがねェもん」
「俺? 俺は……」
記憶の海へと網を投げる。沈んでしまった何かを汲み上げるように、意識の網を引き上げていく。
そうだ…、俺は王都カノーネにいて……。ルイーナと一緒に……、………!?
「おいあんた! 俺以外に誰か倒れてなかったか!? 例えば…、そう、エルフの女の子とか…!」
えらい剣幕でまくし立てる俺に驚いたのか、少年は宥めるような口ぶりで俺の質問に答えてくれた。
「お、おいおい落ち着けよ。安心しろって、一緒にいたエルフの姉ちゃんも一緒に連れてきてるからよ。かすり傷こそあるけど兄ちゃんよかマシだぜ?」
つまりそれはルイーナが無事であり、はぐれることなく一緒にこの地へ着くことができたという事になる。
「そ、そうか…、無事か。そいつはよかった…」
心の重圧が少しばかり軽くなったような気がする。ほっと息を吐く俺に少年はやれやれとばかりに肩を竦めた。
けど喜んでばかりもいられない。俺の記憶が確かならばカノーネ全体に大きな被害が出ているはずだ。もはや無事なところを探すことすら困難かもしれない。
最後に出現したあの腕は容赦なく街を破壊した。生き残った人間はいるだろうか……。いや、きっと生きているはずだ。リリアーナたちだって異変に気づいて逃げたかもしれないし、悪魔たちに大立ち回りしてた師匠が巻き込まれたなんて信じられない。
きっと、きっと生き延びているはずだ。今は……、そう信じよう。
ふと、ヴィーゼ王国から脱出する寸前にあのアルタールと名乗った少女が叫んだことを思い出した。
あの時は状況が状況だったから、戦いが終わって息を吐く暇もなく移動させられた。今一度、彼女の言葉を反芻する。
『飛ばす場所はヨルド国! 伝承に語られる火なる国…! 貴方たちはそこで次の力の手がかりを探しなさい! 私もすぐに追いつきます』
『詳しいことはその首飾りが教えてくれるでしょう! リベリオンの導きに従いなさい…!』
彼女の言葉に偽りがないのだとすれば、俺たちが今いるのはヴィーゼ王国から幾つかのきりたった山を超え、火山の地下道を抜けた先に辿り着く国。リベリオンの伝承に火なる国として登場するヨルド国。
やっと手に入れかけた手がかりは、手に注がれた水のようにあっさりと滑り落ちてしまった。
また探し直し。リベリオンとは何なのか、そして何故彼女がこれを俺に託したのか、謎は明かされるどころか靄の向こうに霞んでいくばかりである。
「兄ちゃん、いい加減に答えてくれよォ。そんな勿体ぶるもんでもねェだろ?」
待ちくたびれたのか口を尖らせ、不満気に鼻息を漏らす少年。そう言えば質問されたきり答えていない。心配事があったとはいえ失礼なことをした。
「すまん、質問されたのは俺側だったのにな。俺の名前はアレン・ストライフ、カノーネの神官だ」
「へェ…! ヴィーゼ王国からわざわざやってきたのか。俺はソル、ソル・スプライドだ。しっかし、あんなボロッボロの格好で何やってたんだ。野盗にでも襲われたか?」
「………話すと長くなる」
「ほォん……」
スプライドはキュッと目を細め、その鋭い視線で俺を射抜く。心を見透かすような鉛色の瞳はどこか俺の心にずしりとした重苦しさを感じさせた。
「……兄ちゃん、ひでェ顔してるぜ。明日死ぬって宣告をされた人間よりよっぽど真っ青な顔だ」
「……………」
「そんな血が出るほど唇を噛まなくたっていいだろうよ。待ってろ、拭くもん持ってくるついでに姉ちゃんも呼んできてやるよ」
「……すまない、助かる」
「はいよォ」と彼は短く答えて部屋を出ていく。後に残された俺は複雑な思いで外を眺めた。
俺以外の力があったこともあるけれど、確かに俺はあの黒馬を撃破した。けれど、結果として俺が守れたものはほとんどない。それだってあのアルタールが俺たちを転移させたおかげだ。
とどめだって俺ではなくあのアルタールだ。あれ程の力があるなら……、俺が死にもの狂いで戦わなくとも…。
……そうであるならば、俺ができたこととはなんだったんだろう。見殺し同然だった街の人々を助けられなかった責任は…。
目を閉じ、深い思考の中に沈んでいく。黒い黒い淀みの中に、まるで底なし沼にでも沈んでいくように段々と意識はブラックアウトしていく。
コーン……コーン……と遠く響いていく鐘の音をバックにぶつんと意識は断ち切られた。
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「おーい、兄ちゃん呼んできたぜェ……って寝てるじゃねェか」
部屋へと入ってきたソルは、ベッドの上で寝息をたてるアレンを見て顔を顰めた。余程疲れがたまっていたのかもしれないと思うと仕方がないと思うところもある。
あんなに顔を青ざめさせていたということは彼が想像できないほどの地獄だったのだろう。
ちらりと後ろを見れば心配そうに部屋の中を覗き込もうとするエルフの少女。名をルイーナ・エレンチカ、アレンと共にソルに拾われた少女である。
アレンよりも早くに目を覚まし、体の傷もほとんど癒えていた。彼女も起きたばかりの頃はアレンと同じように重い雰囲気で悲しみと悔しさに満ちた顔をしていたが、今ではある程度それは払しょくされている。
「ね、ねぇソル。アレンの様子はどう? 起きてるの?」
ドアに立ち止まったままだった彼は無言で前へと進み、彼女に中に入ってくるように促した。次いで、右手でベッドの上の彼を指さして左手の人差し指を口の前に立てる。
ルイーナはぱちくりと目を瞬かせていたが、アレンの様子を見ると納得したように頷いた。
「そっか…、また寝ちゃったんだ。無理もないね…、あんなにボロボロだったんだから」
しょうがないなぁとの意を込めて小さく嘆息した。意識を取り戻した彼と再会するにはもう少し時間がかかるのだろう。
優しそうな、けれどどこか影のある彼女をソルは横目で眺め、腕を組んで少しばかり重そうに口を開いた。
「…なァ姉ちゃん、この前話してたのはマジな話だったのな」
途端、彼女は目を伏せ何かを反芻するように押し黙った。
彼女が口を開くまでそう時間は経たなかったが、目を瞑る彼女の雰囲気に圧されたかやけに長く時間がかかったように感じられた。
「…うん、今でも私は信じられないけどね。それに、この前の外報見たでしょ?」
「けどよォ…、オレも信じらんねェぜ。王都に魔物が大量に出てきたとか、一匹の魔物にほぼ全滅させられたとかよォ。しかも王様も王子様も行方不明ってんじゃ…」
「…王国はほぼ滅亡と言ってもいいだろうね。だって国の頂点がいないんだもの」
目を覚ましてから、ルイーナはソルや新聞から様々な情報を得ている。ヴィーゼ王国の滅亡、周辺国の情勢、そしてあの悪魔たちの話も。
驚くべきことに、事実上滅亡状態のヴィーゼ王国は未だ周辺国からの干渉を受けてはいない。鍵が開けっ放しの金庫を狙う盗人のようにヴィーゼ王国を狙う輩がいないわけではないのだ。それには良好な関係を築いていた国が多かったということもあるが、それよりも大きな要因が今のヴィーゼ王国には存在していた。
『ヴィーゼ王国に謎の影現る』
そんな2流ゴシップもかくやというタイトルが新聞にはでかでかと載っていた。そしてその記事内には見たこともない異形達が王国内を闊歩しているとも書かれていたのだ。
その記事を見た瞬間、ルイーナにはある確信が生まれていた。そう、あの悪魔たちが王都から外へと飛び出してきたのだと。
それ故に周辺国は悪魔たちの出方を窺うように刃を懐に隠しているのだ。しかし、それが時間の問題だということもルイーナは理解している。悪魔と人間、どちらに分があったとしても惨状は避けられまい。
「…なんつゥか、姉ちゃんたちの家族も無事だといいな」
開きにくそうにしていた彼の口からようやく出てきたのはそんな言葉だった。
ソルなりに元気づけてくれたのだろうなというのがルイーナにも感じられる。けれど、彼女は困ったような笑みを浮かべたまま口を閉ざしてしまった。
「姉ちゃん?」
「……うちね、もう家族はいないんだ。アレンも私と同じ」
ソルはしまった、と目に見えて分かるほどばつの悪い顔をする。がりがりと頭を掻き、不躾けなことを言ったことを後悔した。
「わりィ…、辛いこと聞いちまった。オレどうにも空気が読めねェみたいでよォ…」
「ううん、大丈夫。もう私の中で清算はついてるし、それに今は今で大切な人がいるからさ」
ルイーナは静かに眠るアレンの枕元まで近寄ると、ベッドの淵に腰かけた。
安らかな寝息をたて、彼は眠っている。目を覚ました時は傍に傷だらけだったアレンがいなくて心臓が止まりそうになったが、元気になっている姿を見て彼女は心を撫でおろしていた。
「パパもママも冒険者でね。私が幼い頃に依頼で出ていったっきり帰ってこなかったんだ。それで私がふさぎ込んでた時に会ったのがアレンってワケ」
「長い付き合いなんだな、兄ちゃんと姉ちゃんは」
「まぁね。いっつも無茶ばっかりするからさ、私が見ててないとなって。なんか手のかかる弟みたいだったんだ」
どこか名残惜しむように彼女はそう言った。
それにはいかなる想いが込められているのか。全てを測ることはできないソルであったが、彼女にとってアレンがとても大切な存在だということはよく伝わっていた。
「仲、いいんだな。まったく羨ましいぜ、この色男がよォ」
「あはは、本人はあまり気づいてなさそうだけどね」
「さて…、オレはちょっくら出てくるからよ。姉ちゃん、悪ィけど兄ちゃんのこと見ててくれるか?」
「うん、わかった。気を付けてね」
ソルは彼女たちに背を向け、ひらひらと手を振った。
軋む音を響かせながら閉じゆく扉を見つめ、その向こうに消えていくソルを見送った。完全に扉が閉まったのを見ると、彼女は優しげな、それでいて少しだけ悲しそうな顔でベッドの上で眠る彼を見つめていた。
次回は来週か再来週になると思います。
2017/2/26 誤字修正
2018/10/14 タイトルを修正しました。