01
「そいつを摘み出せ」
命令には逆らえない老執事は、ただ頭を垂れた。
「……はっ」
この家の六歳の長男であったカーマインは大切な後継者として大事にされてきた。
しかし、六歳の時の能力検査で家にとっては重大な欠陥が発見されてしまったのだ。
この能力検査は教会が行っていて多くの魔力と資金を必要とされるので、事実上、王族や大貴族ぐらいしか使う事はできない。
そして、得られる情報は能力検査と銘打っていても、判明するのは所持スキルのみ。
それでも人は、目に見える指針に頼りたくなるものだ。
カーマイン・ウィル・スカーレット。カーマインは名前であり、ウィルは貴族という意味を持つ。最後は家名だ。
スカーレット家は長く続く火魔法で知られる大貴族で、カーマインはその適正が無く、土魔法の適正があったのだ。
当の本人は六歳という年齢にも関わらず暴れる事無くぼんやりとそのやりとりを聞いていて、まるで頭も悪いようなので、それが更に家長の癪に障る。
だが実際のカーマインは違う。彼には現代で過ごした前世の記憶があるのだ。
(貴族からのドロップアウトコースか……確か冒険者に年齢制限は無かったよな……?)
カーマインは現実として受け入れられていないわけでもなく、かといって目に映る人をロボットかなにかと勘違いしているわけでもない。
ちょっとした現実逃避である。今まで暖かかった家族から、いきなり掌返しを喰らえば誰だってそうなる。
それを見ていた老執事は、これ以上は拙いと判断し、素早くカーマインを掴むと出来る限り早く丁寧に部屋を出て行った。
誰だって死体の後片付けはしたくない。
苛立っていた家長は二人が見えなくなると、ぼんやりと掌に光っていた火魔法の魔法陣を消した。
「……フンッ」
カーマインの母親は第三児の出産で、この場には居なかった。
地面に軽く投げられた黒髪の少年カーマインの前で門が閉まる。
与えられた路銀など一枚も無い。貴族を示す上着も剥ぎ取られた。
老執事は無言で門を閉めると、きっちりと鍵を掛けて戻っていく。
(……普通なら野犬の餌コースだな)
名乗る事も剥奪され、カーマインは新しく名前を考えないといけない。
前世の名前も忘れたカーマインは適当にドローと名乗る事にした。土魔法つながりだ。
(コロコロ変えるのもあれだけど、これといったのも無いからなー)
ドローの前世の記憶は趣味や食事などは覚えていても、家族や友人は記憶から抜け落ちている。
神様には出会っていないが、特典と思わしき機能もある。RPGによくあるメニュー。"つよさ"や"どうぐ"といったシロモノだ。
ドローが"つよさ"で自身の能力を見ると、スキル欄には"土魔法:一"とある。
これが生まれた時から存在する先天スキルだ。
(レベルを上げれば火魔法程度、いくらでも生える気もするけど……他に有益なのが多そうだな)
"つよさ"には次のレベルアップまでの経験値を示す数値も書かれている。
まだ実際にレベルアップした事のないドローの言葉では説得力がないが、メニューにはヘルプ機能もある。
もっとも、この世界の住民にとってレベルアップは遠い存在だ。
むしろその存在がない。一言で言えばスキル制だ。
ドローはこの世界で一人だけレベル制が導入されている存在なのだった。
そうとは知らないドローは、冒険者ギルドを目指して大通りを一人でテクテク歩く。
ドローは読み書きなら多少はできる。とはいえ、看板は分かりやすい記号が多い。
(奴隷落ちしなくて良かったな。いや、貴族にも見栄はあるか)
売ってしまえば存在を認めてしまう事になる。
まさかそこまで無かった事にしたいとはドローも思っておらず、一人安心しながら道を進む。
家長が発動しようとした火魔法も表面を炙る程度の魔法だった。
それでも治す手段がないドローには、時間経過による致命傷になるはずだった。悪運は強いようである。
晴天の下、二台の馬車が楽に行き交える石畳の道に、石材を積み上げた建物が並ぶ。
古くて地震に脆そうに見える景色だが、建物の見えない所にはモンスター素材が使われていて強度が補強されている。
やがてドローは看板の記号を頼りに冒険者ギルドに辿り着いた。
受付は美男美女で構成されている。ドローはノンケだが、美男の方へ向かった。
美女の方は並んでいるのがむさ苦しい男ばかりで、嫌な熱気がある。正直、ドローは近寄りたくなかった。
「冒険者ギルドへようこそ」
ドローの番になると美形はあからさまに肩の力を抜いた。
今まで肉食系に目を付けられ続けて居たのだから無理もない。
ドローの後ろでは一部の婦人が脳内で掛け算に励んでいるが、表に出さなければ些細な事だ。
「登録をお願いします」
「かしこまりました。こちらに名前をお願いします」
冒険者ギルドは社会の治安維持兼セーフティネットになっているので、入会金は発生しない。
長々とした説明も無く、カードに名前を書けば後は壁に書いてある標語を説明されて理解するだけでいい。
といっても難しい事ではない。街中で争わない事と人殺しなどの普通の犯罪をやらない事だ。
ギルドランクも存在するが、それも大雑把に新人、一人前、手練、超人の四つに分かれるだけだ。
「以上で登録は完了です。ありがとうございました」
ドローの登録が終われば、また肉食系の視線だ。イケメンもなかなか大変である。
しかし、ドローは同情しない。爆発しろと思いながら受付を離れた。
さて。登録の終わったドローが次にするべきは資金の獲得だ。
この世界には迷宮が点在しており、冒険者ギルドが管理しているのもある。
そこに入るには王族や貴族といったお偉方であるか、国を守る兵士や、おこぼれにあずかれる冒険者になるしかない。
他にも素材の回収といった冒険者らしい依頼があるが、新人の依頼では宿代には程遠い。
(流石に杖がないと少しやり難いが……)
魔力の使い方や魔法の発動の仕方などは、その人物にスキルとして存在するならば行使は容易い。
それでも杖などの発動媒体があれば更に楽になるのだ。持たない理由は無い。
「ストーンアーマー」
ドローの表面が石に覆われ、ちょっとした武器と盾のある全身鎧のようになる。
それでもドローは何か上乗せされたような重みを感じていない。羽のような軽さだ。
「……よし」
ドローが完全武装になった場所は迷宮だ。
冒険者であれば入り口の兵士にギルドカードを提示すれば入る事ができる。
中は少し明かりが物足りないが、先が見えないほどではない。
迷宮の壁が発光していて、それが松明代わりになっている。
ここは、街中にある冒険者ギルドが管理運営している新人向けの初級迷宮だ。
それでもスライムなどのモンスターは存在するし、運が悪ければ怪我もするし、死ぬ。
奥に行けば行くほどモンスターが強くなる構造だ。
何度か他の駆け出しと鉢合わせながらも、ドローはフリーなスライムを発見した。
周囲に他の冒険者は居ない。やるなら今だ。
「せいっ!」
ドローは武器を棘のついた棍棒状にすると、それをゆっくり動くスライムに振り下ろした。
棒を水面に叩きつけた様な音がして、スライムは弾けた。
攻撃がスライムの耐久力を超越して死に至らしめたのだ。オーバーキルである。
「……?」
そして、レベルアップ。
ドローの身体が男の生理現象のように震え、少しして収まる。
すぐに"つよさ"を見たドローは驚いた。
(能力値は軒並み倍化でスキルポイントが一つ増えている……だと……)
元の能力値は最低値だったので、他と比較すればそれほどでもないが、オールアップはドローの嬉しい想定外である。
スキルアップもたったの一つだが、必死になってやっと上がるようなのがスキルという、この世界の住民が聞けば怒りで憤死するような優遇ぶり。
その基礎を学んでいないのに関わらず、モンスターを狩るだけで知識とコツが発生してしまうのだ。彼らの怒りももっともだ。
しかし、ドローはそれを気付かないし、配慮する事も無い。
結局、誰だって上がるのだから他とちょっと違うだけだと思っているのだ。
(これは今すぐ振らなくてもいいのか……でも、候補がありすぎて逆に迷うな)
ドローの脳裏に浮かぶ必要なスキルの数々。
このまま土魔法を伸ばすのもよし、回復魔法を獲得してもよし、感知系で安全を取ってもよしだ。
ただ、生産系を取るには時期尚早であるし、気スキルは競合が起きる可能性がある。武器スキルはスライム相手には要らない。
「う~ん……」
迷いながらもドローは手堅く感知スキルにした。
感知は敵意や隠された罠を発見するなど、ふわっとしたスキルながらも実用性の高いスキルである。
不意に"そこかっ!"などという遊びもできる。ちなみに、これに関わらず、スキルの最大値は五だ。
「……よし」
初の実戦だがドローの心に罪悪感は無い。
ならば動物系や人のような形をしていれば話は違うのかというと、そうでもない。
ドローは追い出された時に既に覚悟を決めていたのだ。
(生きるなら命を殺すしかない。生きるってそういう事だし)
何気なく口にしている何かも、元を辿れば生きていた命だ。
直接的に手を掛けたからといって、今更心動くほどドローは初心ではなかった。
古の狩りの記憶が本能として刺激されるせいか、むしろ不謹慎ながらもドローの心が高ぶる。
「これか」
濡れた地面を弄り、ドローは一つの石ころを取り上げた。
魔石。様々な色や形があるそれは、モンスターから得られる素材の代表格。
様々なモノに使えるおかげで、例え欠片でも冒険者ギルドで買い取られる素材だ。
もっとも、これ一つでは宿屋には泊まれない。
ドローは獲物を探しに時間を掛けて練り歩いた。
次のレベルアップまでの必要経験値はスライム二体分。ドローの足取りは軽かった。
あれからスライムでレベルを更に二つ上げたドローは、ポケットを通して"どうぐ"に入れたスライムの魔石をギルドに売って安宿代にした。
能力値は力、体力、知力、魔力の四つあり、知力は記憶力に直結している。知性ではない。
他は名前の通りで、速さは力と体力を合わせて割った感じだ。
ドローの能力値は今では倍々ゲームで常人の平均である五を超えている。
もちろん、基準は普通の大人だ。
「……ふぅ」
シャワーを浴びてさっぱりしたドローは、安宿とは思えない清潔なベッドに腰を掛けて肩の力を抜いていた。
ストーンアーマーは、部屋に入って鍵を掛けるまでそのままだった。
これも冒険者ギルドと提携して割引されている恩恵であるが、大前提としてこの国は自然が豊かで水源が豊富だ。
ついでに上下水道も完備しており、ぼったくりな店も少ない。色々と優良な国である。
ただし、奴隷が居るし、運が悪ければ奴隷に落ちる。
といっても、殆どの奴隷は借金や犯罪などの自己責任だ。
そんな御国事情はともかく、ドローはスライムを狩ってレベルを上げた。
得られたスキルポイントは二つ。強化か新規か。
ドローは両方選んだ。つまり、感知の強化と新規の鑑定だ。
元々土魔法だけでスライム退治できていたのに加えて、レベルアップのおかげで魔力が上がって安定性が増加。
物足りない感知を一つ上げてより磐石とし、鑑定で見落としを無くすというのがドローの作戦だ。
ただ、まだ鑑定の方が成功率が低い。それでも何度かやれば成功するので、ドローは長い目で見る事にした。
(明日も行かないと……)
スライムで得た資金は宿代で消し飛んでしまった。
なんとかなった安心と、急に訪れた孤独感を胸に抱えながら、ドローはベッドで丸くなって眠りに落ちた。