11(澱んだ水)
しまった!
黄色い魚は女の姿で、仰向けになってひうひう咽喉を鳴らす。口をぱくぱくさせて、空気を取り込もうと、苦しそうに胸元をかきむしる。長い髪が乱れ、手足がひきつり、ドレスの裾がめくれあがる。飛沫が亜希子の頬や腕を濡らした。
やがて黄色い魚はもがくのをやめ、ぱたりと静かに四肢が落ちると、すうと姿が霞んで消えた。後には大きな水溜まりが残った。
澱んだ水の重たく濁る湿った臭気に、亜希子はバスタオルの一端で手と顔を拭い、もう一端で口と鼻を覆った。
どんなに突飛な話でも、最期が生乾きの雑巾なんて。
こんな結末になるとは思いもしなかった。
亜希子は自分に云い聞かせる。
わたしは悪くない。
尋臣を選んだ黄色い魚が悪いのだ。
黄色い魚が尋臣を悩ますことはもうない。
だからわたしは悪くない。
尋臣は床に出来た赤茶色の水溜まりをぼんやり見下ろしていた。やがてゆるゆると膝を突き、手を突きそして顔を近づけ、濁り水を啜り始めた。
*
「どうしたの」
一目見てミチ子が云った。唇が震え、うまく言葉にならない。突然の来訪だったが、何かを察したようで、すぐさま亜希子を自室に連れ込み、家族には適当な説明でいなした。
空色のチェック柄のクッションに座らされ、ブリックパックのアップルジュースがふたつ、ローテーブルに置かれる。亜希子は膝を抱え、震える自身の身体を押さえつけるようにしていた。
対面に座ったミチ子は、パックにストローを挿すかどうか、手元を迷わせながら訊ねた。「……失敗した?」
亜希子は首を振った。かすれ、か細い声で、「分からない」と云った。
着の身着のまま飛び出した。床に這いつくばった尋臣の、ぴちゃぴちゃと立てる音が頭から放れない。
「まさか、」
「分からない。分からないよ」
頭を抱えて、亜希子はうずくまる。首を振りながら、「分からない」それ以外に云えるはずもなかった。「分らない」
とめどなく溢れる涙は熱く、頬を濡らし、服に落ちて黒い染みになる。
ミチ子は思う。
まるで何かに謝っているかのよう。
*
彼女が立ち止まるのを見て、またと思う。ガラスの多い場所はイヤと云う。でも避けてばかりもいられない。そしてウインドウに視線を向けて、立ち止まる。
黒い猿がこっちを見てる。
彼女の云うそれを、自分は一度も見たことがない。ひょろりと背が高く、ジッと見つめてくると云う。
ぷいと歩き出した彼女の後を、さあらぬていで追う。それはたぶん、猿でない。
─了─




