5-瞳に映る星空は明るくて
友人「それ多分、誤魔化しているよ」
楓が僕に取り柄が無いと言ったことを素直に伝えたのだが……。友人の分析によると、それは誤魔化しているらしい。
友人「いい所が無い人と付き合うはずが無い。真剣に聞いてみな」
凄く上から目線だ。だが、とても格好良い一言だった。この一言以来、真面目なシチュエーションを僕は待っていた。でも、楓のトークスキルはそれを華麗に回避する。僕に『可愛い』とか恥ずかしい言葉を言わせる割に、楓はお世辞の一言も浴びせないのだ。楓の口から真面目な事や恥ずかしい事を引き出す事も僕の目指すものの一つとなっていた。
友人「まだ聞けていないのか?」
何度言われただろうか。僕の友人は嫌味を言いつつも、僕と楓の関係をしっかり応援してくれていた。今日がその日だと思う。どうして、僕を好きになってくれたか聞きだせるその日だと。
楓「そろそろ寝ようか?」
楓の提案で、僕は階段を上り、楓の部屋へと向かう。部屋はピンク色を基調としていて、全体的に暖色でまとまっている。沢山の人形がベットの頭側の棚に置かれており、女の子っぽさを演出していた。普段の様子を見ていると演歌歌手のポスターとか貼ってありそうだが、そんな事は無くて安心する。また、楓用のベットの隣には、お客さん用だと思われる毛布が敷かれており、今日はここで寝て欲しいという事なのだろう。
楓「まだ早いけど、電気消すよ」
楓は、部屋の物の位置を僕に確認させるとすぐに電気を消した。カーテンが開いた部屋には、夜の星の光が差し込む。
楓「この部屋窓が大きいんだよ。天窓も付いているし、電気を消しでも十分に光が満ちるんだ」
楓の言葉通り、光量は充分あり、僕たちは星空の照明によって照らされる。心地の良い薄暗さは、楓をと僕をほんわりと包む。暗闇の中で見る楓は、ベットの上にちょこんと座っているだけなのだが、映画館にいた時みたいに魅力は増し増しだった。何も言わずにぼーっと外を眺めている楓。そんなに光輝く星空が楓の目には素敵な光景なのだろうか。……30分程経過する。相変わらず、動かずに外を眺めている楓。外を眺めている楓を眺める僕。動かない楓はまるで人形の様だ。攻撃性の無い楓は、触ったら脆く崩れてしまいそうだった。
僕「あのさあ」
楓「うん?」
外を見たまま声だけの返事をする楓。
僕「どうして、告白を受けてくれたの?」
楓「特に理由は無いかな」
相変わらず、楓は僕の顔を見ることは無かった。多分恥ずかしくて流したいからなのだろうか? でも、どうしても聞きたいのだ。星空と楓の間へ僕は移動して懇願する。
僕「お願い。どうしても知りたいんだ」
いつもと違う僕の真剣な眼差しに戸惑う楓。
楓「おじいちゃんに似ているからかな?」
楓は、長く語りだす。
楓のお父さんとお母さんはとても仲が良いらしい。テーブルの上に乗っかっていた写真を見てもそれは感じられた。父母の仲が良すぎるせいで、楓はその中に混ざれなかった。姉は、交友関係が得意で友達が沢山いた。その為に寂しさを感じる事は無かったそうだ。でも、楓は小学校の頃、友達がいなかったらしい。そんな時に楓を支えたのは、おじいさんだった。おじいさんは、楓に沢山の事を与えた。コーヒーの味わい方を教えたのも、おじいさんの仕業だそうだ。おじいさんは、中学校の時にお亡くなりになった。でも、今の楓の中には、まだおじいさんは息づいているようだ。
楓「君から告白された時に、おじいさんと似ている気がしたんだ。いや、今でも似ているのを感じる。優しくするだけじゃない。時には、厳しくて、ちょっぴり酷い事もする所とかおじいさんとそっくりだよ」
褒めているのか、貶しているのか……。取り敢えず、褒められていると受け取っておく。
楓「私がした靴紐のいたずらのせいで、遅刻をした時、私の事凄く叱ってくれたよね」
僕は、遅刻をした時に楓を叱りつけてしまった。あの時は、かっとなっていた。もう少し、僕が早く登校していれば良かったのだ。楓も遅刻させる為にしたいたずらでは無いだろう。
僕「あの時は、ごめん」
反省して深々と頭を下げる。
楓「いやいや、私は嬉しかった。きちんと怒ってくれる事が。私の事を特別扱いしていた訳では無いと思ったんだ。多分、私は感情を素直にぶつけてくれる人が好みなんだと思う。だから……、私には素直になっていいから」
今日一番の楓の笑顔だった。売店の時に見せた笑顔。裏の無い純白の笑顔だ。
楓「それじゃあ寝ようか」
楓は、ベットに入る準備を始める。今日ならちょっと理性の枠を外れてもいい気がずる。
僕「ちょっと、ちょっとしたお願いなんだけど、キスしたいんだけど……」
僕に楓が近づいてくる。こっ、これはチャンス。こういう時は目を瞑ればいいのだろうか?そう思った僕の頭は、無防備だった。
楓「やっ」
小さい気合の掛け声が聞こえたすぐ後、自分の脳天にはチョップがクリティカルヒットしていた。
僕「うっ」
痛い。痛いよ楓。
楓「寝ますよ」
楓は、布団に戻ってしまった。今日の僕は、どうかしている様だった。……。暫く、目をつむっていたが寝る事は出来ない。女の子。同世代の女の子が、同室で寝ているのだ。落ち着いて眠れる事は、今日の僕には出来そうがない。白い天井は、特に何の記号も持たず、時間を潰すには適当な物では無いと思われた。でも、天井に視線を落とす事位しかやる事が無かった。
僕「ふー」
ため息と呼吸の中間の様な物が僕の肺から出て、程よい暗黒へと溶解する。変化は特になにも起こらない。デート中とは真逆。静かで緩やかな時間だ。……。……。時間を持て余した自分は、楓の方を見てみる。そこには、僕の事を星空の様にぽーっとみる楓の姿があった。
僕「どうしたの?」
楓「面白いなー。そう思って」
特に動的でなかった僕の寝姿が楓の興味をそそる物だっただろうか。
楓「あなたは、どうして私に告白してくれたの?」
楓は視線を僕に投げかけたまま、同様の質問をぶつける。
僕「可愛かったし、性格も優しかったし、僕が楓を選ばない理由は無かったんだと思う。」
いつもの自分なら、恥ずかしい事を述べている為に、目を背けていただろう。しかし、ぼーっと眺めている楓の眼には、僕の視線を閉じ込める不思議な力が宿っていた。
楓「そっか」
素っ気なく反応する楓。特に視点を移す事なく、感情を顔に表さず僕を見つめ続けている。僕も見つめ返す。艶やかで、程良く伸びた細い髪の毛。酷い事を優しく伝えるみずみずしい唇。そして、見たものを吸い込んでしまう小宇宙を所持する瞳。視点は、交わり続ける。楓「そっちに言ってもいい? ちょっとだけだから……」
期待していないと言えば、嘘になる。次第に早くなる鼓動を押さえ込む。僕は、楓じゃない方へと布団の中を動く。距離を詰める時はいつも楓だった。自分から距離を詰めようとすれば、草食動物の様にさっと逃げてしまう。自分は、楓の望みを叶えるだけだ。でも、それは僕の望みでもあった。
僕「どうぞ」
楓「お邪魔します。暖かいね」
楓は、布団に蓄えられた僕の熱エネルギーで温まっていた。夏だがら、毛布も要らないような暑さ。寝るのに暑さは邪魔になるだけだ。でも、暖かさを分けた僕も受け取った楓もとても嬉しそうだ。近距離にある楓の髪からオレンジの匂いがする。しかし、今日洗ったシャンプーよりも少しだけ酸味の強い匂いだった。
僕「楓のシャンプーって僕が使った物と同じだよね?」
楓「違うよ。あなたの使ったシャンプーは、地中海風オレンジの香りのシャンプーで、お姉ちゃんの物。私の物は、日本海風オレンジの匂いだよ」
同じシャンプーだと思ったが、違ったようだ。僕は忘れないように大きく息を吸い込む。一緒に寝る。ただそれだけ。でも、一緒にいる事が本当に嬉しくて。少しだけ、今日最後の意地悪を……。僕は、楓の耳にふーっと息を吹きかける。かゆそうに体をくねらせる楓。
楓「そういえば、おじさんにもやられた事あったな。おじさんには、仕返ししなかったけど、あなたなら……」
僕は目をしっかりと閉じて寝たふりをする。多分、耳に息を吹きかけられるのだろう。耳に全神経を集中させて、体をこわばらせて、くねらない様にする。そんな僕の右耳に楓の呟きがきこえる。
「寝たんだよね。寝てるふりじゃないよね。それなら、起きるまで、いたずらしようかな」
ささやきは、ゆったりとした口調だ。楓は、何をするつもりなのだろうか。
楓「じゃあ、いくよ」
楓の宣戦布告だった。僕の耳に暖かい刺激が伝わる。何かに僕の耳が包まれている。とても柔らかいものだ。人生で初めての刺激だったが、何をされているか想像しやすい物だった。楓は唇で僕の耳をはむはむしているのだった。息を吹きかけられるだろう以上のかゆさ、気持ちよさが全身を覆う。思わず声が出そうになる。しかし、僕は直前の楓の言葉を思い出した。
『起きるまで、いたずらしようかな』
声を出したらこの至福の時を楓は終わらせるつもりなのだ。だから僕は声を出すことが出来なかった。勿論動く事も出来ない。楓は、更に深くまで耳を口に入れる。暖かい息、柔らかい刺激が耳を往復する。上から下、下から上へと。何度も何度も往復する。その時は、永遠に続いて欲しいと思った。
僕「……うっ」
声は無情にも口から落ちる。
楓「起きたんだねー。じゃあ終わり。……お休み」
右耳に再び言葉が聞こえた。楓は再び、睡眠の体制に戻る。それが今日の初デート終了のお知らせだった。僕と楓は深い、深い眠りに落ちる。右耳に幸せな感覚を残しながら。