2-暗がりでの出来事は、幸せと後悔を内包して
楓は、本当に可愛い。
友人「世の中って何が起こるか分からないよな」
楓と僕が付き合う事になって、友人が初めに言った言葉だ。僕は、特に目立たない男だ。アニメやドラマの世界だと僕は男Fとかなのだろう。それと比べて楓は間違いなくヒロインだ。勉強は上位のレベルで出来る。性格は誰に対しても丁寧で優しい。僕以外に対してだが……。そして、容姿。背が特別に小さいという特徴以外に特に問題が見つからない。身振り手振りや目遣いと合わせて、楓には世の男を振り向かせるだけの魅力があった。僕から見て全ての面で楓は僕の事を上回っていた。
友人「絶対に告白成功する訳ない。ありえない」
同じ友人が告白の日に僕に対し放った言葉だ。
僕「成功したら、コーラ1本奢りだからな」
友人「コーラ1ケースでいいよ。まあ成功したらだけど」
結局、僕の足元には12本のコーラが並ぶ事になった。
僕たちは不釣り合いだ。楓と比べて僕は、彼氏とは思えない存在だった。背の違いも相まって、ぱっとしない兄と美人な妹。関係を知らない人たちが僕たちを見てもそう思うだろう。そんな僕たちは映画館へと向かう。
映画館は、平日の午後という事もあり、お客さんの数はまばらな様だった。また、夏休み期間中でもないので、特に話題作があるわけでもない。デートといえば映画という安易な発想は僕たちの足を映画館へと向かわせる。
僕「ヒーロー物、恋愛、ホラーと三作品がやっているみたい」
楓「なんか、あまり見たいものないね」
楓の言葉通り、気の進むラインナップではない。
僕「やっぱりデートといえば、ホラーかな?」
楓「ヒーロー物の方がいい気がするなー」
……デート中なのに2人共、恋愛物を選択しない辺りが、僕たちらしさなのかなと思う。
僕「なんだ、怖いのか?」
楓がホラーを嫌いかどうか分からない。でも、せっかくだし煽ってみる。
楓「そんな事ないよ。そっちのほうが映画中に逃げ出しそうな顔してるよ」
僕「それじゃあ、ホラーで決まりだな」
楓「えっ」
楓の口から自然と言葉が漏れる。少し動揺しているようだ。この様子だと多分苦手なのだろう。
僕「嫌だったら他のでもいいよ」
楓「大丈夫……。怖くなんかないもん」
顔が少しこわばっているようだった。
僕「ヒーロー物でもいいんだけ……」
楓「ホラーでいいの。私決めたから。OKだよ」
言葉を途中で遮られてしまった。楓は、強がりだ。他人に弱いところをみせたがらない。もう少し自分に素直に生きた方が楽なのにと僕は思う。
楓「なにぼやっとしてるの? チケット買いに行くよ」
僕は、楓に右手を引っ張られてチケット売り場へ向かう。
楓「チケット2枚下さい。学生証はこれです」
チケット売り場の店員さんに見せる笑顔は、僕に見せる笑顔と違って裏がない笑顔だった。
楓「早く、諭吉さん2枚だしてよ」
心の中で野口さんの間違いだろとつっこむ。僕は財布から2枚の野口をカウンターへ置く。金曜日の今日はカップル割が効く日だ。男女1人ずつで映画を見ると安くなるキャンペーン。けちな割に、お財布からお金が飛んでしまいやすい僕にとってとても嬉しい物だった。
店員「このホラー映画は、相当怖いという話ですが……、いいですか? カップルさんでしたら、こちらの恋愛映画の方がおすすめですよ」
まさか店員さんに止められるとは思わなかった。やっぱり、他の映画の方がいいかな……。
楓「いいえ。ホラーで間違いないです」
僕「えっ」
今度は、僕の口から言葉が落ちてしまった。楓は余裕そうな素振りだが、本当に2時間耐えられるのだろうか。
夏休み前ではあるが、最近は少し暑くなって来ていて、外と比べてホールの中は涼しく居心地が良い。映画の上映まではまだ少しだけ時間がありそうだ。僕たちは、指定された座席へと座る。
楓「そういえば、映画館といえばなんでしょうかね?」
僕「映画じゃない?」
楓「それは、そうだけど……。やっぱり、飲み物とポップコーンは必須だよね?」
僕「そう言われれば、そんな気もするかな」
楓「という訳で、買って来て。お願いの権利を使います」
僕「あー。分かりました。分かりました」
楓の言葉の流れから少しだけ嫌な予感がしていた。でも、お願いと言われたら仕方ない。そういう約束だし……。でも、せっかくのデートのお願いなのだ。もっと有効な事に使って欲しかったな。
楓「飲み物とポップコーン1つをお願いしますよ」
僕「飲み物はコーラでいいの?」
楓「私が炭酸嫌いなの知ってるよね。もしかして、わざと言っているのかな?」
まじまじと顔を見つめられる。まあ、知っててわざと言ってみたのだけど。そんなに見つめなくても。
楓「コーラじゃなくて、コーヒーをお願いするよ」
楓の好きなものはどことなく、年寄り臭い所がある。飲み物のコーヒーが好きである位だったら、大したことはない。でも、好きな色は茶色。好きな教科は歴史。趣味は釣り。どことなく叔父さん臭い。もっとコーラとか、ピンクとか、女子高生らしい物を好んで欲しい。彼氏として少しだけ心配だった。このまま20代を迎えたら趣味が盆栽とかになりそうだ。だから、ゲームセンターで人形が欲しいと楓が望んでくれて嬉しかった。
僕「それじゃあ、行ってくる」
僕は、ホールを抜けて売店へと向かう。メニューには美味しそうな写真が並んでおり、漂う匂いと共に僕は食欲をそそられた。
僕「コーラ、コーヒー、ポップコーン1つずつ下さい」
店員から楓の望んだものを手に入れた僕は、足早にホールへと戻る。
楓「早かったね」
僕「全く混んでなかったからね」
ホールの椅子でゆっくりとくつろいでいた楓は早くコーヒーを飲みたいようで、両手を伸ばして飲み物を欲する。楓の可愛らしい目は僕の目を当たり前のように捉える。この自然と目を合わせられる時間が僕はたまらなく好きだ。自分から目を合わせられる勇気がない自分にとってとても大切な時間だ。
楓「早く、早く」
ぱたぱたと手を動かす楓。少しの間、楓の目に吸い込まれていた僕は正気に戻る。僕は、楓に対して飲み物を手渡す。楓は、飲み物にクリームと砂糖を入れて、くるくるとストローでかき混ぜる。ホールにいるので少し暗い。そんな中で見る楓の行動。楓は飲み物を攪拌しているだけだ。それだけなのだが、とても絵になっていた。僕も自分のコーラに手を伸ばす。……苦い。とても苦かった。隣の楓が椅子の上でのたうち回っていた。
楓「これ、コーラじゃん。とても、とっても口の中がシュワシュワだよ」
楓が小声で耳打ちする。僕は間違えて渡してしまったようだ。色は同じだからね。ごめん、楓。
楓「交換、交換」
僕の信任を取らず、自然に飲み物をひったくられる。代わりに手元に戻ってきた飲み物はクリームと砂糖入りコーラだ。飲まなくても分かる。炭酸が好きでも美味しくないと感じるだろう。
楓「恨むなら、自分を恨んでよね」
楓はブラックのコーヒーを飲んで口直ししていた。少し飲んだ僕との関節キス。自然と男の夢の一つを叶えた僕は嬉しかった。自分もコーラを飲めば関節キスに成功するのだが……、甘すぎるコーラは僕の気持ちを喜ばせる以上に、気分を害する味だった。
そんな事をしているとホールがより暗くなる。ホラー映画開始の合図だ。
ホラー映画はよくあるストーリーだった。井戸やテレビの中から髪の長い女の子が出てくる、そんな映画だ。内容は退屈しないのだが、店員さんに怖いと脅かされる程ではないと思った。3度程、体がビクッと動いたが、驚いただけで怖いとは違う感情だ。映画以上に楓の様子が気になって集中できなかったというのが素直な感想だ。最初の30分程は、余裕そうだった。だが、ちょうど上映時間の半ば程で楓の顔からは血の気が引いていた。小刻みに震える楓の揺れが隣に座っている自分にも伝わってくる。ホラー映画の最中に彼女に手を握られるのも男の一つの夢だ。だから、自然に見える様に手を楓の方に伸ばしてみる。でも、楓には誰かの手を掴めるほどの余裕がなさそうだった。
僕「途中で抜けようか」
楓の辛そうな様子に我慢できずに提案をしてみる。だけど、強がりな楓は僕の手の平に震える手で文字を書く。
大……夫……夫。
楓の手がとても冷たかった事からも分かる。楓は全くもって大丈夫とは程遠い状況だった。
後、30分程で映画が終わる。ホラー好きの自分は分かる。最後の盛り上がり、この時間帯からが最高に怖い時間だ。楓の顔は短い間に随分と老けた様な気がする。生気が抜けたというかなんというか……。
映画が終わった時には、楓の心はどこかへ、体の外のどこかに抜けてしまっていた。
僕「大丈夫ですかー」
救急隊員の様に訪ねてみた。
楓「大丈……夫です」
力無い返事だった。
僕「うわっ」
少し大きな声で脅かしてみる。少し意地悪だが、ショック療法だ。
楓「ぎゃあああああああああ。えほっ、えほっ」
少しむせているようだったが、やっと楓の意識が帰ってきたようだ。少し大きすぎる楓の咆哮に僕だけでなく、帰り支度をしていた周りの観客も驚いていた。
楓「あんまり女の子を脅かすと天国に行けないよ」
僕「ごめん、ごめん。楓の意識が戻らないかなと」
楓「謝る気無いよね。それに飲み物も間違うし……」
僕「ごめん、ごめん。お礼に夕食は楓の好きな場所でいいよ」
楓「お願いしたけど渡し間違えたから、私のお願いをもう一個叶えてよね」
僕「分かった、分かった」
僕たちの会話は少しずつ噛み合っていなかった。でも、怒っている楓も可愛くて、どこかに優しさを含んだ怒り方だと僕は感じた。