第2話 結晶洞の調査 ②
結晶化したゴブリンの群れを排除した後、空間に再び静寂が訪れた。だがそれは安堵を与えるものではなく、耳の奥を圧迫するような不気味な沈黙だった。
結晶に反射した光が洞内に乱舞し、仲間の影を幾重にも重ねて映し出す。まるで別の存在が背後に潜んでいるかのように。
リーナが低く唸った。
「……やっぱり気持ち悪い場所だな。大盾を構えてても背中がぞわぞわする」
「警戒を解くな。まだ入口に過ぎない。先がまだある」
レンの声は冷徹に響く。
クラウスは魔晶石片らしきを欠片を手袋ごしに拾い上げる。わずかに紫色の光が内部で脈動している様子が見えた。
「……やはり魔晶石だ。魔素を吸収して結晶化を促進している。揮発成分が精神を侵す……危険だ」
学者めいた分析を呟く彼に、リーナが苛立ったように返す。
「難しいことはいい。こいつらが厄介だってことだけわかれば十分だろ」
「理解の浅さは命取りになる。これは浄化すれば晶石になる可能性がある。だが今のままでは人を蝕む毒だ」
クラウスの瞳が冷ややかに光る。
「知識は剣と同じ。知らないと弱者だ」
リーナはため息をつき、大盾を叩いた。
「まったく、魂より晶石に目が眩む連中もいそうだな」
二人の会話をミーシャが小さな声で遮った。
「…二人とも、静かに。奥から……聞こえる」
彼女の耳が捉えたのは、石を軋ませる鈍い音。重い何かが引きずられるような、嫌な響きだった。
レンが瞬時に判断を下す。
「リーナ、進路封鎖。クラウス、魔力障壁を二層展開。ミーシャ、上段の結晶群を利用して狙撃位置を確保、魔晶石との接触に注意」
無駄のない指示が飛び、仲間は即座に動いた。
次の瞬間、奥の闇から現れたのは、結晶に覆われた異形のゴブリン。先ほどの群れよりも一回り大きい。
胸の中央で膨れ上がった結晶核が、青白い光を脈打たせていた。明らかに潰れた眼窩。だがこちらを見ていた。
一直線に突進してきた異形のゴブリン。リーナが前に出て、大盾を床へ打ちつける。火花みたいに魔力が走り、巨体の突進を止めた。
「重っ……!でも、押し返せる!」
クラウスが詠唱を短く切り、風刃を飛ばす。
刃は核に届く寸前で、音もなく痩せた。結晶が魔素だけを吸い取り、術が相殺される。
「……効かない。術式が空っぽになる」
クラウスが息を呑む。
「魔法は通りにくい。そしておそらく見えてない。狙っているのは魔力か魔素か」
レンが冷静に言う。
「クラウス。詠唱禁止。他も一旦魔力を使うときは注意!」
核が明滅するたび、空気中の魔素が吸い込まれるのか魔素濃度が低くなっている。ミーシャだけがその違いを把握していた。
「核が空気中の魔素を吸収してる!多分魔素を狙ってると思う」
ゴブリンの顔がクラウスへねじれた。真っ直ぐ突っ込んでくる。
「クラウス、杖に誘導させる。右へ十歩、投げるだけでいい」
「くそっ、これは高いんだぞ!」
体術は苦手でも、これなら問題ない。クラウスは自分の杖を右の通路へ思いきり放った。魔力を帯びた杖が床を転がり、淡い光が滲む。
異形の頭がそちらを向いた。次の瞬間、巨体は杖めがけて跳んだ。
レンの声が鋭く響いた。
「狙うのは支点だ。右足関節、結晶が不完全。ミーシャ」
高所に上っていたミーシャが弓を引き絞り、光を帯びた矢を放つ。矢は正確に右足の結晶を砕き、巨体がバランスを崩す。リーナがその瞬間を逃さず、全身を使い大盾を押し返した。
体勢が崩れた瞬間、リーナが踏み込む。
「はぁぁっ!」
盾が壁みたいな音を立ててぶつかり、巨体が膝をつく。胸の核が一瞬だけ無防備に開いた。
「リーナ追撃、ミーシャ左肩、クラウス魔力を練ろ」
レンが短く告げると、腰のアイテムボックスからリーナ愛用のウォーハンマーを渡した。
リーナは大盾を捨てハンマーを両手で構え叩き込む。キィン、と金属が悲鳴を上げ、ひびが星形に走った。
「もう一撃いくよ!」
ミーシャが矢を撃ち、今度はゴブリンの左肩を射抜く。ゴブリンは痛覚がないのか魔力を練り始めたクラウスを凝視し体を動かそうとねじる。
「締める!」
リーナは最後の一歩を踏み切り、全身のバネを使いハンマーをふり抜く。鈍い破裂音。核に蜘蛛の巣のような亀裂が広がり、内側の光が砂みたいに崩れ落ちる。
異形のゴブリンは、崩れた。結晶片が雨のように降り、通路に静けさが戻る。
荒い息だけが響いた。リーナが汗を拭って、口角を上げる。
「ふぅ……物理で押し切ったな」
「術は相殺される場だ。無駄撃ちはしない」
レンは短く言い、砕けた核の名残を確かめてから続けた。
「滞在は短くする。魔力を上げすぎると、さっきみたいに寄ってくる可能性がある」
クラウスは膝に手をつきながら、苦笑い。
「今回、私はただの的だったな」
ミーシャは矢を回収し一本一本拭う。
「次来たなら、私たち自身の魔力か漂う魔素濃度の変化かはっきりすると思う」
クラウスが結晶片を拾い、眉をひそめる。
「……やはりこれは、自然の産物ではない。古代文明の実験体か……。そもそもダンジョン自体が自然の産物として定義していいかにもよるが……」
急に自分の世界に走るクラウス。
ミーシャは不安げに仲間を見回した。
「ねえ……もしこれ、ゴブリンだけじゃなかったら?」
その問いに、誰も答えられなかった。
静寂の中、ミーシャが小さく肩を震わせた。
「……背後に、誰かが立ってる気がする」
振り返っても誰もいない。魔晶石の揮発成分が生む幻覚か、彼女の鋭敏な感覚が敏感に反応しているのか判断がつかなかった。
レンはその異常を冷徹に計算に組み込み、即座に結論を下す。
「症状が進めば撤退する。それだけだ」
仲間たちは黙って頷いた。さらに奥へ進むと、結晶の輝きは次第に強まり、洞窟全体が淡い青白い光に包まれる。光は脈打つように明滅し、空間そのものが呼吸しているかのようだった。
「……おかしい」
レンが足を止め、低く呟く。
「迷宮は本来、外部からの干渉を排する。だが、ここはあきらかに作られた気配がある」
その時だった。大地が低く震え、結晶群が一斉に共鳴音を響かせた。高周波の不協和音が鼓膜を刺し、リーナが顔をしかめる。
「耳がっ……!くそ、嫌な音だ!」
「防御結界を張る!」
クラウスが即座に魔法を展開し、音を遮断する。
だが次の瞬間、洞の奥で巨大な影が動いた。
結晶で構成された人型の巨像。胸部には古代文明エーテリオンの文様が刻まれ、脈動する魔素が鼓動のように鳴り響いている。
ミーシャが小さく悲鳴を上げた。
「な、なにあれ……!魔物じゃない……」
レンの声が冷徹に返る。
「これは魔物ではない。…遺物だ」
その言葉と同時に、結晶像の眼が閃光を放った。
轟音とともに光線が奔り、洞窟の床を焼き抉る。砕けた結晶片が雨のように降り注ぎ、視界が白に染まる。
リーナが咄嗟に大盾を構え、火花のように散る魔素を逸らす。
「っ……!馬鹿みたいな威力だな!」
「耐えろ、時間を稼ぐだけでいい!」
レンが叫ぶ。
クラウスが詠唱を開始し、結界を展開する。薄い光の膜が仲間を覆い、衝撃を和らげた。
「持って数秒だ!これ以上は維持できん!」
「十分だ」
レンの瞳は冷たく光る。
「その間に退路を決める」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
「リーナ、前衛固定で注意を引け。クラウス、防御結界を二重に重ねろ。ミーシャ、高所から膝関節を狙い、動きを鈍らせろ!」
命令は短く、即座に実行へと移される。リーナは雄叫びとともに突進し、巨像の腕を大盾で受け流す。クラウスは詠唱を重ねて結界を厚くし、ミーシャは結晶柱をよじ登り、弓を引いた。
リーナが雄叫びと共に突進し、大盾を巨像の腕に叩きつけた。火花のように魔素が散り、衝撃が全身を駆け抜ける。だが彼女は歯を食いしばり、踏みとどまった。
「おらぁ!こっちを見ろ、化け物!」
魔力による身体強化を行ったリーナにヘイトが集中する。巨像の腕が振り下ろされ、洞床を砕く。岩片と結晶が弾け飛び、轟音が洞窟に木霊する。
リーナは寸前で身を翻し、大盾で受け流したがその衝撃だけで大盾が大きくゆがみ腕が震えるが、倒れはしない。力をうまく分散していた。
その隙にミーシャが弓を最大まで引き絞り、割り矢を放つ。矢は結晶の膝を貫き、わずかにひびを走らせた。
「効いてる……でも、硬すぎる!」
「十分だ。まずは動きを鈍らせる!クラウス、槍!」
レンが叫ぶ。
クラウスが詠唱を切り替え、魔力を練ると巨像が視線を変えた。少しその圧力に気圧されながらも長年唱えてきた風と氷の複合魔法を放つ。
練り上げられた魔力の塊、氷嵐の槍がひび割れに突き刺さるが魔素が拡散され威力は皆無に近かった。
「…ゴブリンの結晶個体と同じか」
クラウスが放った氷嵐の槍の結果を見つつレンはアイテムボックスから短剣を取り出した。右手に魔力を集中させ、目に見えぬほどの超振動を加える。
高まるレンの魔力に巨像が反応する。視線を向けるのと同時に短剣を投擲。ひび割れ箇所に突き刺さりわずかに体勢を崩した。
「今だ、後退開始!」
レンが鋭く命じ、仲間が動く。
リーナが巨像の進路を塞ぎ、ミーシャが矢を連射、クラウスが結界を張り直す。レンは退路を確保しつつ、巨像の動きを計算して先導する。
だが巨像は執拗だった。砲撃のような光線を次々と吐き出し、洞窟の壁を抉る。崩れた岩が落下し、粉塵が舞い上がる。
「くっ……退路が塞がれる!」
クラウスが叫ぶ。
「問題ない。崩落を利用する」
レンは即断した。
「リーナ、落石は大盾で逸らせ。ミーシャ、支点を撃ち砕け。クラウス、風で粉塵を押し流せ!」
瞬時に役割が噛み合う。リーナが大盾で巨岩の落下位置を反らし、ミーシャが狙撃で崩れかけた岩柱を撃ち抜き、クラウスが風を巻き起こして視界を確保する。
レンの声は冷徹だが、一切の迷いがなかった。仲間を守るために必要な行動を、瞬時に構築し導き出す。
「撤退する!」
追撃するように繰り出された光線はクラウスの結界を溶かす。その溶かしているわずかな隙に四人は退路へと飛び込んだ。
背後で巨像の咆哮が洞窟を揺らしていた。結晶の光が脈動し、さらに膨れ上がる気配を感じながらも、誰一人振り返らなかった。
足音と荒い呼吸だけが響く。
ようやく安全圏とされる通路に戻ったとき、四人は一斉に立ち止まり、深く息を吐いた。
リーナが汗に濡れた額を拭い、苦笑した。
「……ったく、死ぬかと思ったぜ」
クラウスが冷ややかに応じる。
「撤退の判断は正しい。だが、あれは……ただの魔物ではない」
ミーシャは小さく震えながら呟く。
「……あれ、もし地上に出てきたら……どうなるの……?」
レンだけが冷静な表情を崩さず、短く告げた。
「報告だ。討伐ではない。異常の存在そのものを、ギルドに伝える」
その声には感情の色はなかった。ただ、決意だけが宿っていた。




