第2話 結晶洞の調査 ①
王都アステリアの中心にそびえる冒険者ギルド本部は、朝から活気に満ちていた。
石造りの重厚な柱が立ち並ぶ広間は、人の声と金属音と酒の匂いでむせ返るほどだ。壁一面に貼られた依頼票の前には、若い冒険者が群がり、報酬を巡って言い争っている。
「なあ、こっちの方が楽に稼げるだろ」
「ばか、報酬が安すぎる。四人で割ったら飯代にもならねえ」
「でも簡単に終われば実績になる。次に繋がるんだよ」
別の一団は依頼を終えて帰還したばかりらしく、まだ泥と血に汚れた鎧姿でテーブルを囲み、酒場の店員に「勝利の杯」を催促していた。笑い声の中には、負傷した仲間を労わる声音も混じっている。
「おい、足の傷は大丈夫か?」
「ちょっと裂けただけだ。あのオークの斧があとちょっとずれてたら死んでたがな……」
「ははっ、運が良かったってことだ。今夜は飲め。痛みなんか忘れろ!」
冒険とはそういうものだ。無事に帰還する者もいれば、重傷を負って引退を余儀なくされる者もいる。
傷ひとつ負わずに帰るなど、夢物語に近い。少なくとも、普通の冒険者にとっては。
だが、今まさに受付の前に姿を現していた四人はその常識を覆しつづけていた。
黒髪の青年、レン・ヴェリタスを中心とした四人組。静寂の歯車。
彼らは雑音に心を乱されることなく、ただ整然と立ち、受付嬢を見据えていた。まるで軍隊の分隊のように、規律の取れた立ち姿。会話も視線の交わし合いもない。
ただ「そこに在る」だけで、周囲の空気を変えてしまう異質な存在感だった。
彼らの評判はすでにギルド全体に広まっていた。任務の完遂率は百パーセント。
しかも「負傷者ゼロ」。
二週間前には迷宮で遭遇したオークの群れを完全制圧。二十体を超える敵を相手にしながら、無傷で帰還した。続く依頼ではゴブリンの巣窟を壊滅させ、犠牲者の遺品を残らず回収して持ち帰った。そのやり口は職員の間でも話題になり、評価を決定づけた。
その実績は畏敬を集めると同時に、不気味さも呼び込んでいた。
「……ほら、あいつらだよ」
「また依頼を受けに来たのか?」
「怪我なしってどうやってんだか」
斜め後方のテーブルから、小声のざわめきが漏れる。
「運が良いだけだ。小細工で誤魔化してるんだろうさ」
「いや、あれは実力だろう……。オーク二十体を無傷なんて、運で片づけられるもんじゃない」
「それにしたって、気味が悪い。血の匂いが一切しねえ」
反面、若い冒険者たちは憧れと疑念を隠そうともしなかった。
「すげえ……ほんとに怪我したことないんだって」
「でも、昔は空回りの歯車って呼ばれてたらしいぜ」
「なんでそんなパーティがあんな風になったの?」
「俺、いつかあのパーティに入ってみたい」
「無理だろ。あんな無口な連中と組んでも、息が詰まる」
羨望と嫉妬。両極端の感情が視線に乗って突き刺さるが、静寂の歯車の面々は微動だにしない。彼らの静けさは、喧騒の中で逆に際立っていた。
受付嬢エララは、その異様な沈黙にわずかに肩をすくめつつ、控えめに咳払いをした。
「……それで、本日はどの依頼を受けられますか?」
差し出した依頼票の束を、レンは無言で手に取り、数枚をざっと目を通す。ページをめくる指先には一切の迷いがない。
やがて、彼は一枚を抜き出した。
「『第七階層』結晶洞の調査」
低く告げられた声に、仲間三人が自然と耳を傾ける。
エララは小さく息を呑み、表情に不安を浮かべた。
「……結晶洞、ですか?最近は魔晶石化の兆候が報告されていて、危険度は下層に劣らないと見られています。上層だからといって、安全とは言い切れません」
それに、と続けてエララは話す。
「調査に出た方たちも、不調を訴えて途中で断念しました。今も復帰できていない方がいます。レンさんたちでも、油断すれば……」
言い淀む彼女に、レンは淡々と答えた。
「任務に適している。それだけだ」
冷ややかな声音。安心させようという意図は一切ない。ただ事実を述べるのみ。
リーナが肩をすくめて笑う。
「相変わらずだな、レン。ま、いいさ。どうせやるなら一番やりがいのある方がいい」
クラウスは腕を組み、涼しげに微笑んだ。
「未知の現象か……実に興味深い。学術的な価値もあるはずだ」
ミーシャは小さな肩をすくめ、控えめに言葉を添える。
「怖いけど……まあ、レンがいるなら」
エララは三人の様子に視線を落とし、深い息を吐いた。
「……どうかお気をつけて。私は、ただ無事に帰ってきてほしいだけですから」
その言葉にも、レンは頷くことなく踵を返す。仲間たちも黙ってそれに続いた。
彼らの背を見送るギルド内の視線は、畏れと羨望と疑念がないまぜになっていた。
だが、四人は一切振り返らない。静寂の歯車の滞在宿、灰色の旅人亭に戻った彼らは翌日の出発に備えて装備を点検した。
リーナが大盾の縁を磨き、クラウスが杖に魔力回路を刻み直し、ミーシャは弓弦を張り替える。レンは机に広げた羊皮紙に、戦術図と想定される行動パターンを書き込んでいく。
「……本当にお前、寝てんのか?」
リーナが呆れたように言う。
「少しは休めよ。お前が倒れたら、この歯車は回らねえ」
「僕が休むかどうかは、結果に関与しない」
レンは視線を紙から上げずに答えた。
「戦闘を開始する前に、すでに勝敗は決まっている。準備が全てだ」
「へえ、随分と偉そうなこと言うじゃないか」
クラウスが皮肉げに笑う。
「だが、その言葉は嫌いじゃない。理屈は筋が通っている。だが、寝不足で集中力が途切れては準備も形無しだが」
「……ほんと、二人とも口が悪いんだから」
ミーシャが苦笑を漏らす。
「でも、レン。それで気持ちが落ち着くなら、私は信じるよ」
短いやり取りの後、また沈黙が落ちる。言葉は最小限、だが歯車は確かに噛み合っていた。
翌朝、彼らは迷宮へと向かう。
大門の前には、今日も多くの冒険者が列を作り、衛兵と職員の確認を受けていた。身分証を提示し、依頼票を提出する。その光景は毎日の儀式のようなものだが、彼らが列に加わると、自然と周囲の空気が張り詰める。
「静寂の歯車だ」
「今日も行くのか」
囁きが広がる。彼らにとっては日常だが、周囲にとっては異様そのものだった。
その背に注がれる視線を誰も振り返ることはなかった。
石造りの大門をくぐり、衛兵の厳しい確認を受けた後、四人は迷宮へと足を踏み入れた。
その瞬間、ひやりとした空気が肌にまとわりつく。外の陽光と活気に満ちた王都とは別世界。ひとたび扉を越えれば、そこは常識も理も通じぬ深淵の領域だった。
目指す第七階層、通称結晶洞。
降下を重ね、岩盤の回廊を進むごとに空気は湿りを増し、光は翳りを帯びていく。やがて視界に飛び込んできたのは、光を放つ無数の結晶が林立する、幻想的な空間だった。
青と白、そして紫色の輝きが洞窟を照らし、足元の岩肌に模様を描き出す。まるで巨大な神殿に迷い込んだかのような荘厳さ。
しかし、その美しさは同時に異様でもあった。
壁に取り込まれた装備品。結晶に半ば呑み込まれた冒険者の残骸。動きを止めたまま石像のように固まった魔物の姿。
どれもが、ここが自然の造形ではなく、人が持つ魔力ではなく、環境中の魔法の根源、『魔素』が滞り凝固した結晶体、魔晶石の発生によって空間そのものが歪められた領域であることを物語っていた。
レンが立ち止まり視線を巡らせる。靴音を殺し、呼吸を抑え、ただ地形と痕跡を見極める。
足跡、結晶の成長の歪み。その全てが彼の目に情報として刻まれていく。ただし、魔素自体は数値化できなかった。
「……魔晶石か」
冷徹な声が空間に響いた。
クラウスが膝をつき、結晶片を凝視する。赤色の光が内部で脈動していた。
「揮発成分が強い……精神干渉の残滓まで含まれている。長く吸えば、幻覚や錯乱に陥るだろう。やはり魔晶石だ」
リーナは大盾を握り直し、眉をひそめた。
「だから装備品が散乱しているのか……。気味が悪いにもほどがある」
ミーシャは震える声で囁いた。
「……ここにいるだけで、頭がざわざわする。声が聞こえるみたいで……」
レンは一瞬だけ仲間を見やり、淡々と結論を告げる。
「浄化すれば晶石。今は毒。以上」
その時、四人の背筋を、冷たい戦慄が走った。
「索敵開始。ミーシャ、左回廊の気配を確認。リーナは前衛固定。クラウス、後方を警戒」
命令は簡潔で、迷いがない。
三人は即座に反応した。ミーシャは小柄な体で静かに壁際を駆け、鋭敏な耳を澄ます。リーナは大盾を前に構え、足を踏ん張って進路を塞ぐ。
クラウスは杖を掲げ、指先から淡い光を散らしながら周囲を確認した。
一分の隙もない。精密機械のように噛み合った動き。
その刹那、ミーシャが小声で告げた。
「……来る。左回廊から……数は十以上!」
次の瞬間、結晶に覆われたゴブリンが闇から姿を現した。
魔物というより鉱石の人形に近かった。
クラウスが叫ぶ。
「見ろ、結晶化したゴブリンだ!魔晶石が核に融合している。結晶自体が擬似装甲だ」
結晶ゴブリンは全身を鎧のように結晶で覆い、眼窩は光を宿し、関節はぎしりと不気味な音を立てる。
通常の武器では容易に貫けない。低ランクの冒険者であれば、恐怖に足をすくませたに違いない。
だがレンの瞳には、恐怖の色はない。
ただ観察し、計算し、命令を下す。
「クラウス、右前方の個体に風刃。結晶間の隙間を砕け。リーナ、正面右方向を抑えろ。ミーシャ、左前方の射線を確保し心臓部を狙え」
即座に行動。
クラウスの詠唱が響き、鋭い風の刃が結晶を裂いた。
リーナが咆哮と共に大盾を叩きつけ、突進してきた個体を押し返す。
ミーシャの矢が閃光のように飛び、結晶の隙間から心臓を貫いた。
一体、また一体。
ゴブリンたちは次々に倒れ、結晶の破片となって砕け散っていく。
リーナの腕に汗が滴り、クラウスの額に光が宿り、ミーシャの呼吸は早まる。だが彼らは乱れない。
レンの指揮は冷酷なまでに正確だった。敵の配置、弱点、仲間の動き、すべてを瞬時に組み合わせ、最小の労力で最大の成果を引き出す。
時にレン自身がアイテムボックスから短刀を出し、関節狙いで投擲し動きを止める。
数分も経たぬうちに、数十体の魔物は一掃されていた。
床に残るのは結晶の残骸と、淡い光を放つ粒子だけ。
リーナが荒い息をつき、大盾を肩に担ぎ直す。
「……結晶化個体なんてあまり遭遇していないのに、信じられない正確性だな」
クラウスは杖を下ろし、冷笑を浮かべた。
「これが異常と呼ばれる所以だ。だが合理的ではある」
ミーシャは胸に手を当て、小さく囁く。
「みんな無事でよかった」
レンだけが、冷たい瞳のまま投擲した短刀と戦利品を回収しつつ声を落とす。
「次に備えろ。これは始まりにすぎない」
(結晶化が進んだゴブリンの核付近で魔法が効きにくい個体を確認。修正が必要)
仲間たちは言葉を返さず、ただ頷いた。
結晶洞の奥深く、さらなる異常が待つことを、誰もが理解していた。




