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黄昏と黎明のアストリア  作者: 空想好き
第1章:Bランクの日常と歪な契約
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第1話『忘れられた回廊』⑤

レンが鑑定室の重い扉の向こうから姿を現した瞬間、待機していた三人の視線が一斉に彼へと突き刺さった。


ギルドホールの喧騒は、まるで遠い世界の残響に過ぎない。そこにあるのは四人だけを包む張り詰めた沈黙。問いかけ、訴える視線。


リーナは腕を組み、仁王立ちのまま睨み据える。その表情は「どうだったんだ、全部話せ」と雄弁に語っていた。


クラウスの瞳には理知的な光と同時に、指揮官ひとりだけが情報を独占したことへの苛立ちが隠せずに滲む。


ミーシャはただ心配げにレンの顔色を窺う。魂の目が告げていた。彼が纏う空気は、先ほどとは比べ物にならないほど重く冷たく、明確な秘密の色を孕んでいる。


レンは姿勢を崩さず、簡潔に口を開いた。


「聴取は終わった。結論として、あの区画は危険な魔素の濃縮地帯と認定された」


声は平坦で抑揚がなく、感情の色は一切にじまない。


「振動や発光も、その影響による現象と判断された。ギルドの決定で、十二階層のあの一帯は当面立ち入り禁止だ。我々の任務は、これで終了となる」


淡々とした報告。だが、それは仲間たちにとっても「公式の結論」を伝える周知でもあった。


最初に声をあげたのはリーナだった。


「……なぁんだ、それだけかよ。まあいいさ、危ねぇ場所は封鎖、任務は完了。無事に帰ってきたんだ、十分だろ。とっとと報酬もらって、うまいエールで乾杯しようぜ!」


豪快に笑おうとしたが、その声にはどこか強がりが混じっていた。


クラウスの反応は真逆だった。


「……馬鹿な」


低く冷たい言葉が漏れる。


「ただの魔素の揺らぎ?あの精緻な文字列が、劣化の副産物だとでも?ミーシャが感じたあの圧力は?……説明になっていない」


疑念が抑えきれず、目が怒りに震えていた。


ミーシャは、怯えを含んだ視線でレンを見つめた。ミーシャの目には、彼の言葉の隙間から漏れる重い秘密の影が映っていた。


「……レン、本当に……それでいいの?」


小さな声は、届いたのかどうかさえ曖昧だった。


レンは一切の動揺を見せない。


「ギルドの決定だ。我々の役目は調査と報告まで。それ以上は管轄外だ」


議論を封じる冷たい声。それは仲間に対する説明ではなく、命令だった。


クラウスが理性で怒りを抑えながらもなお食い下がる。


「それで満足か。真理を前にただ引き下がるのか」


「満足も不満もない。それは僕にとって無価値な感情だ。最優先はパーティの安全。ギルドの決定に従うことが最もリスクが少ない。以上だ。この議論は終わりにする」


それは議論ではなく、冷徹な命令。契約の鎖が、仲間たちの口を封じた。クラウスは言葉を探したが、理性が押しとどめた。


彼の知性は、レンの論理を崩せない。友情ではなく契約で繋がる現実が、改めて突きつけられる。


凍りついた空気のまま、一行はカウンターへ戻った。エララは既に指示を受けていたのか、何も尋ねず事務的に処理を進める。


「依頼達成、おめでとうございます。基本報酬に加え、素材の買い取りで金貨十五枚。そして……」


彼女は一度区切り、別の袋を差し出す。


「鑑定士長のガランより、特別功労金として五十ギル。危険な未確認領域の調査と貴重な情報提供への謝礼とのことです」


受付の奥では合計六十五ギル。Bランク帯が一回で年ぶん稼いだ計算よ、とざわついていた。

金貨五十枚。異常な大金。リーナの目が驚きで丸くなる。だがクラウスの顔は一層険しく歪む。


(口止め料か。この額となると…。あとは禁書庫頼みだな)


彼の胸の疑念は確信へと変わった。


袋の重みを抱えたまま、四人はギルドを後にした。夕暮れの王都アステリア。空は茜に染まり、人々は賑わう。


彼らは依頼を成功させ、大金を得た。名声も高まるだろう。だがその間に流れるのは、これまでで最も深い亀裂だった。


仲間でありながら、真実を一人だけが握り、他は壁の外へ追いやられた。レンは背後に続く三人の距離を感じ、その痛みを胸に閉じ込める。


ギルド上階の窓から注ぐ名もなき監視の視線もまた、彼の孤独を深くする。


扉が背後で重々しく閉ざされ、舞台の幕が下りるように音を立てた。


夕暮れの街は活気に満ち、家路を急ぐ声、露店の呼び込み、酒場から漏れる音楽が重なる。だが四人の周囲をよけるように流れていった。


そこにあるのは、戦いを終えた達成感ではなく、死線を共にした者たちの温もりでもない。重苦しい沈黙だけだった。


「……おい、お前ら」


それを破ろうとしたのはリーナ。豪快さを装いながら、わざとらしいほど声を張る。


「まあいい!依頼は成功だし、見ただろあの金貨の山!今夜はあたしの奢りだ。高い酒場で一番高いエールを飲み尽くそうぜ!」


彼女なりの優しさ。騒がしさで空気を壊そうとする歩み寄り。だが届かない。


「……遠慮しておく」

クラウスは冷たく言い捨て、足早に背を向けた。その背中は雄弁に拒絶を語っていた。


「……ごめんなさい。あたしも、ちょっと欲しいものがあるから」


ミーシャも小さな声で言い、そっと路地に消える。


「……ちっ」


リーナは拳を握り、ぶつけようのない怒りを飲み込んだ。


レンは黙ってそれを見て、リーナの横を通り過ぎる時にだけ口を開く。


「宿に戻れ。今日の戦闘データを整理し、大盾の運用に修正点を加える。明朝、結果を渡す」


労いはない。ただ歯車に告げる業務連絡。それが指揮官の全てだった。


一人、また一人と去っていく仲間。彼が築いたシステムは、彼自身を完璧に孤立させていた。


レンは背を伸ばしたまま、振り返らず王都の裏路地へと歩き出した。


夕暮れの大通りから外れると、空気が急速に冷え込んだ。人通りはまばらになり、灯火は減り、影が濃く伸びる。人々の笑い声や楽器の音は遠く霞み、石畳に響く自らの足音だけが妙に大きい。


レンの足は迷いを知らなかった。記憶に刻まれた経路をたどり、さらに奥へ。やがて立ち止まったのは、木製の古びた扉の前だった。看板もなく、外からは廃屋にしか見えない。


だがここは「時の忘れ物」。リューネが営む、王都でただ一つの外界と切り離された場所だ。


(仲間には決して話さない。俺が持つ特別な箱のことも、この店のことも。メンバーに公にしている一般的なアイテムボックスと、リューネから授かった特別なアイテムボックス「蒐集家の虚」。内部でつながってはいるが、扱えるのは俺だけ。だからこそ話すわけにはいかない)


扉に触れると、澄んだ鈴の音が鳴ると同時に空気が薄皮一枚たわみ、レンの耳に短い耳鳴りが残った。


中は外観からは想像できない広さだった。壁一面の本棚、整然と並ぶ古物。時代も国も異なる品々が淡く魔素を帯び、別の世界の縮図のように見える。


カウンターの奥。背もたれの高い椅子に、小柄な少女が腰掛けていた。

艶を失った銀髪。透明な紫の瞳。その姿は幼いが、漂う雰囲気は底知れない叡智を秘めている。


「おかえり、坊や」


リューネは椅子の上で足をぶらぶらと揺らし、いたずらっ子のように手を振った。


「今日の顔は難しいのう。ギルドで余計な縛りを背負わされたか?」


「……似たようなものだ」


レンは小さく頷き、表情を変えぬまま近づく。


「まあよい。お主は無駄に真面目だからのう」


リューネは肩をすくめ、唇に笑みを浮かべる。だが紫の瞳は真剣だった。


レンは無言で小さな包みを取り出し、カウンターに置いた。ギルドに提出すれば即時没収されると判断した副産物。仲間にも存在すら知らせていない。アイテムボックスを経由して持ち出したものだ。


リューネは紐を解き、中身を覗き込む。


「ふむ……坊やはやっぱり面白いものを拾ってきおったか。虚をうまく使っておるのじゃな」


レンは短く息を吐いた。


「……実際にいろいろ確かめた」


「おお?」


リューネは目を輝かせ、椅子から身を乗り出す。まるで子供が宝物をねだる時のようだ。


「草や虫も結果は……入る。ただし、出した時には死んでいた。姿は変わらないが、動きも反応もなかった。保存されるのは死骸だ」


リューネは頷き、満足げに微笑んだ。


「そうそう、まさにその通り。虚もアイテムボックスも、生き物を飲み込むことはできぬ仕様になっておる。例外は小虫といった生物だ。だが、魂は肉体から離れてしまう。しかし、なぜ草を生き物としてみなしたのじゃ?」


「(地球上では)草も分類上は生きている」


「…なるほど、面白い!草にも魂が宿っているというわけか。だから乾燥させないと入らないのか!たしかに、草もぽわっとした明かりが見えたからのう。だがそれは自然に存在するものほとんどに見えるからのう。違いがわからんだ。…それにしても新発見のような事象をあたり前のように話すのう」


リューネは頬杖をつき、悪戯っぽく笑う。


「わしが坊やに虚を渡したのは、集めることに徹するためじゃ。魂を閉じ込める倉庫では坊やはきっと迷う。アイテムボックスにはそもそも生き物は入らないからのう。虚はアイテムボックスの改良版みたいなものじゃ」


「それにしても……」


リューネは紫の瞳を細める。


「草や虫まで試すとはのう。坊や、やはりお主は面白い。普通の冒険者なら、剣や薬草の保存だけで満足して終わるのに」


「確認しなければ気が済まない。それだけだ」


レンの声は冷たいが、その端にわずかな苛立ちが混じっていた。


「ふふ……だからこそ、わしの退屈を晴らしてくれる」


リューネは子供のようにくすりと笑い、次の瞬間には大賢者の顔に戻る。リューネはくすりと笑い、今度は子供のように椅子の上で膝を抱え込む。


「ただし、坊や。虚は便利じゃが、すべてを抱え込むのは危険じゃ。死んだ虫と同じく、心も魂も入れっぱなしにすれば、出したときには動けなくなるやもしれんぞ」


「心を預ける気はない」


レンの声は冷徹だった。


リューネは数秒レンを見つめ、ふっと笑う。


「ほんに頑固じゃのう。だが、それが坊やらしい」


静かな間が流れる。店の古時計が小さく刻む音が、世界の境界を示すように響いた。机に置かれた副産物をしげしげとみていたリューネがぽつりとつぶやく。


「この品を持ってきたということはギルドに縛られたのじゃろ?」


リューネが唐突に問いかける。


「監視は始まっている」


レンの返答は短い。


「やっぱりな。あやつらは安全を盾に真実を隠す。お主の箱の存在も秘密を知られれば、安全確認を名目に取り上げられるじゃろう。だから、仲間にすら見せられんしのう」


「最初から、そのつもりだ」


「良きかな」


リューネは椅子の上でくるりと体を回し、笑みを浮かべた。子供のような仕草だが、瞳の奥は大賢者の光で輝いていた。


「虚は坊やの影。何を残し、何を隠すか。それは全部、未来を決める選択になる。ゆめゆめ忘れるでないぞ」


レンは短く息を吐き、背を向ける。


「助言は受け取った。用は済んだ」


「つれないのう。まあよい。次に来るときは、もっと面白い顔を見せておくれ。おぬしが壊れる前にな」


扉を押すと、鈴の音が鳴り、外気が流れ込む。裏路地の空気は軽くなり、王都の夜のざわめきが戻ってきた。


背後でリューネが独り言のように呟く。


「さて……坊やは、どこまで持つかのう」


店内の古時計の針が、一瞬だけ逆回転し、静かに止まった。


レンは振り返らず歩き出す。仲間にも告げられない秘密と、虚の重み、そしてリューネの紫の瞳に映る未来への警告を背に。


王都の街路には夜が降り始めていた。灯火の下で人々は日常を続ける。だがレンにとって、その光景は遠い仮面にすぎなかった。


孤独はますます深まり、その歩みは、彼の背負う歯車の契約をさらに重く沈めていった。


彼らが寝床としているのは、王都の外壁区にほど近い安宿、灰色の旅人亭の一室だった。四人は仲間でありながら、部屋を共にすることはなくそれぞれ別室で生活していた。


結成当時と比較し生活は豊かになったものの宿を変えたいという意見はでなかった。

レンは自分の部屋に入るなり扉を閉ざし、鍵をかけた。


その空間は宿の一室というよりも、作戦司令室か研究室と呼ぶべき部屋だった。


壁一面には王都の地下水路から深淵の迷宮の中層に至るまでの地図が貼り巡らされ、床には仮想の戦場を描いた巨大な羊皮紙が広がっている。


質素なベッドの横には、魔物生態学や古代戦術論といった専門書が山のように積まれ、部屋全体が知識と計画の迷宮と化していた。


机の上に置かれたのは、依頼で得た五十枚ギル、日本円にして五百万円相当。


普通の冒険者であれば、年単位の稼ぎとなる大金だ。だがレンの心は、その黄金の輝きに一瞬も揺れなかった。金は目的ではない。故郷、クライネルトで誓ったアリアとの約束を果たすため、自らの完璧なシステムを維持するための資金に過ぎなかった。


視線は地図の一点に吸い寄せられる。王都の中心にそびえるアストリア王城。その一角にある離宮、アリアが暮らすはずの場所。


(……ギルドの監視、宰相派の敵意、そして深淵で目覚めた未知の存在。変数が増えすぎた)


頭脳が熱を帯びるように回転する。


(アリアとの誓いを果たすには、最低でもAランク、いや…Sランクに至るしかない。そのためにはユリウス王子の支援が必要だ。しかし政治闘争に足を踏み入れれば、宰相派の妨害は必ず激化する。以前よりももっと悪質で、予測不能なものになる……)


彼のシステムは冷徹に正確であるほど、外部からの「人間的な悪意」によって揺らいでいた。戦場で計算できるものは多い。しかし、人の嫉妬や恐怖、利欲の連鎖は数式に落とし込めない。


レンは理解している。仲間に真実を告げなかった嘘が、修復不能な亀裂を生んだことを。


だが後悔はなかった。あれは最適解だった。


まだ制御不能な「歯車」に危険な情報を渡すことはできない。クラウスが好奇心に駆られ、再び石碑へ手を伸ばすかもしれない。


その可能性を一つでも潰すには、彼らには真実を知らせないまま自らの指揮下に縛りつけるしかなかった。


窓の外に広がる王都の灯りは、地上に散らばる星々のように瞬いていた。その光の下で、人々は笑い、泣き、愛し合い、日々を営んでいる。


だが、レンの胸に広がるのは徹底した隔絶感だった。彼が選んだのは、冷たく孤独な檻の中から、守ろうと誓った世界を見下ろす道。


深く息を吐き、机に積まれた地図を整える。その指先は震えていた。恐怖ではなく、決して揺るがないはずの理論がわずかに軋みを上げていることに気づいていたからだ。


(僕は……間違っていない。そうでなければ、アリアを、仲間を守れない)


灯火を落とし、狭いベッドに身を横たえる。瞼を閉じても、脳裏では戦場の駒が動き続ける。仲間たちの配置、敵の奇襲の可能性、政治の罠――すべてが渦を巻く。


やがて、疲弊した思考が少しずつ速度を失い、意識の底に沈んでいった。最後に見たのは、遠い日の炎の中で交わした誓い。アリアの瞳の光だった。


レンは眠りに落ちた。守るべき世界から隔絶された孤独の中で、それでもなお彼女との誓いを唯一の灯火として抱きしめながら。

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