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黄昏と黎明のアストリア  作者: 空想好き
第1章:Bランクの日常と歪な契約
32/43

第10話 封鎖線の十層 ①

王都アステリアは、戒厳令発令から三日目を迎えていた。


街中は昼でさえ暗い雰囲気が漂い、鎧の擦れる音だけが石畳に残響していた。露店は幕を閉じ、パンの香りも途絶えた。窓辺に立つ市民たちは、外の様子を伺いながら、兵士の通り過ぎる足音に息を止める。


この都市の静寂は、祈りではなく、恐怖から生まれていた。


通行許可証を持たぬ者は外出を禁じられ、商人たちは検問ごとに足止めを食らっている。教会の鐘も沈黙し、噂の代わりに警告符が貼られた。


市民は知らない。


深淵の迷宮で発見された“結晶個体”の報告が、王宮によって封じられていることを。

宰相バルトロメウスの命により、導管と迷宮に関するあらゆる発言が禁じられたことを。


冒険者だけが、辛うじて外に出られた。

しかし、いまやその自由も「ギルド許可証」という札の上にある。


王国法の外に立つギルドですら、戒厳令下では王国の呼吸に合わせて動かねばならなかった。




冒険者ギルド本部もまた、異様な静けさに包まれていた。

石造りの大広間は、かつての喧噪を失い、依頼掲示板には封鎖符が貼られている。


酒場では、椅子が半分も埋まらず、ジョッキを打つ音がまばらに響く。

受付嬢たちは、通常の依頼処理を止め、身元確認と通行許可の書類整理に追われていた。


「王都の地下が腐ってるらしい」「導管が噛んだ」「ダンジョンで何かが動いてる」、そんな噂だけが、封じられた掲示板の代わりに人々の口から流れていた。


許可待ちの冒険者たちは階段の下で溜息をつき、鉄鎧の音だけが無駄に大きく響く。

誰もが感じていた。

王都の心臓が、いつか止まるかもしれないという不安を。


その重苦しい空気の中、受付嬢エララは机上の封印符付き文書を確かめ、顔を上げた。


「……静寂の歯車の皆様、どうぞ二階へ」


彼女がそう告げると、広間の空気が一瞬だけ揺らいだ。

名を聞いただけで周囲が黙る。恐れと期待の入り混じった沈黙が、階段の上へと続く。


二階、管理局。

エララは軽く息を整え、手にした封筒を差し出した。


「こちらが通行許可証になります。宰相派の検閲を通す名目上は“観測任務”。実際の目的は第十層で確認された結晶個体の調査です」


机の向こうで、レン・ヴェリタスは文書を受け取り、無言で確かめた。


十層観測任務・緊急対応。

刻印にはギルドマスター・アイゼン・ジェラルト――“天秤”が押されていた。


リーナが低く呟く。


「第九層、救護所まで近い……本気で動くってことね」


クラウスは指先で眼鏡を押し上げ、封書を覗き込む。


「観測任務を名目に、実質討伐調査……政治的にも危うい橋だな」


エララは短く頷く。


「表では点検扱いです。宰相派の監視がありますので、報告書は二系統でお願いします。

 一つは“公式”、もう一つは、ギルド本部宛の“真実”をお願いします」


レンはわずかに口元を動かした。


「了解。公式記録は整合を保つ。実地観測は俺の判断で進める」


言葉は簡潔だが、その奥に熱はあった。


封じられた迷宮、結晶化しかけた命、そして再び現れた異常。

彼らはその全てを、数字と記録で暴き出す役目を負っていた。


階段を降りながら、リーナがぼそりと呟いた。


「……この空気、息苦しいわね。戦場の前より重い」


「戦場では敵が見える」


クラウスが淡々と返す。


「今は、誰が敵かすらわからん」


ミーシャは通路の窓から外を覗いた。石畳の向こう、検問の列が延びている。並んでいるのは荷車と腕章を付けた役人、工匠組合の搬送員ばかりで、市民立入禁止の札が張り巡らされていた。


少し離れた詰所では、子供を抱えた母親が衛兵に何かを差し出している。行方不明届か、帰還者名簿の閲覧願いだろうか。衛兵は首を振り、掲示板のほうを指して彼女を下がらせた。


その肩越しに見えるのは、封鎖された迷宮の門。


「……また、誰かが結晶になってるのかな」


小さな声は、メンバー以外には聞こえないほど弱かった。


レンは振り返らず、「答えを出すために行く。感情で判断するな。記録と観測で見極めろ」


その声には、一片の揺らぎもなかった。

リーナが肩をすくめ、「あいかわらず冷たい男ね」と呟く。


クラウスが小さく笑う。


「冷たいのは温度じゃなく理性だ」


二人の軽口に、わずかに緊張がほぐれる。

それだけで十分だった。


石畳の街道を覆う霧が濃くなる頃。


封鎖線の前には、灰鉄の鎧をまとった王国衛兵が二重の列を作っていた。

背後には、魔導灯を吊るした検問台。符術士が通行証の刻印をひとつずつ照合している。


「通行許可証を」


レンが封書を差し出すと、衛兵の視線が一瞬固まった。

ギルド最高印が押された通行証、めったに見ない許可証だった。


「ギルド特例任務。…どうぞお通りください」


衛兵の声に混じるのは、恐怖と安堵のどちらともつかぬ響きだった。

彼らも知っているのだ。迷宮の異常が、いまだ地下で続いていることを。


通行許可が下りると、封鎖線の奥から白い霧が流れ込んできた。

それはまるで、地の底から吹き上がる吐息のようだった。


リーナが盾の縁を叩き、笑う。


「まったく、あんたの言う観測ってやつは、いつもトラブルの臭いがするな」


レンは答えず、視線を霧の向こうに投げた。


青白い光が、遠くでわずかに瞬いている錯覚がした。

その色は、沈黙の森で見た結晶の輝きと同じだった。


クラウスが低く呟く。


「……リザードマンはなぜ上層に来るのか…」


「それを確かめるだけだ」


レンは遮った。


ミーシャが息を詰める。


霧の向こう、迷宮の門がゆっくりと開く。

青い灯火が、彼らの顔を照らした。


「……静寂の歯車、任務開始」


レンの声が落ちる。


石の門が閉じる音が、遠い雷鳴のように響いた。

その瞬間、王都アステリアの沈黙が、再び地下へと吸い込まれていった。




同時刻、ギルド本部二階の会議室。黒檀の長卓に、ギルドマスター・アイゼン・ジェラルト、“氷の副官”レナ・シルヴァナス、Aランク冒険者のシリウス、Bランク冒険者たちが座す。


地図の上には十層の簡略図と、赤い駒が点々と置かれている。


伝令官が紙片を掲げた。


「救護所報告。第十層、大広間にてリザードマン複数。結晶個体を確認。脈動は弱から中。現在観測継続中」


レナの声は硬い。


「救護所は第九層にあり、現状は警戒圏。十層の突破があれば危険域に入ります。現状の戦力では防衛戦は長く持ちません」


アイゼンは天秤の紋章が押された印をひとつ叩いた。


「負傷者は冒険者が多い、王国は動かぬ。最悪、救護隊の撤退もありうる。ならば我々が動く。“封鎖線”を築く。通路を制し、戦場を選ぶ」


シリウスの視線が地図に落ちる。


「先行はどこまで出す?」


アイゼンは迷いなく答えた。


「静寂の歯車を先行させた。彼らはすでに現場に向かっている」


レナが書類束を滑らせる。


「正式な討伐命令ではなく“観測”。ただし必要なら即時交戦可。許可証は既に発行済み。封鎖線構築のため、結界符の支給を増やしています。彼らならしばらくは持ちこたえるかと」


Bランクの一人が息を呑む。


「封鎖線の支点は?」


レナは赤い駒を二つ動かした。


「第十層、上層大広間の通路を起点に、第九層側は救護所前に多層結界。静寂の歯車が“流れ”を作り、後続が封鎖を補強する」


アイゼンが短く締めくくる。


「救護所にはまだ未搬送の負傷者が多数いる。生命線を守れ。以上だ」


その後の会議で静寂の歯車の次点としてシリウス率いるグリフォンの誇りが先行することとなった。残りは準備でき次第の出発となる。




一方、静寂の歯車は第九層に到着していた。


救護所は見張り塔を骨格に、白布のカーテンで仕切られた小部屋が蜂の巣のように並ぶ。粗い布で仕切られたベッド列、薬箱、湯気を上げる鍋、灯りを抑えた魔導灯。緊張で硬い空気の中、鎧の鳴りを避けるため布巻きにした足音が行き交う。


入口で検問を終えたレンたちに、短髪の若い男が駆け寄ってきた。胸甲の留め具が新しい。徽章には“隊長”の線。


「ケイン・ロウ。……イレーヌ隊長は前回の件で後方へ。今は私が暫定です」


リーナが目を細めた。


「顔色悪いわよ、暫定隊長さん」


ケインは苦笑も作らず、真っ直ぐに言う。


「はっきり言います。今回、何か問題が発生したら、私は宰相からの“見せしめ”として据えられている可能性が高い。……それでも、ここを通すつもりはありません。命を護ります」


ミーシャは静かに頷き、包帯の束を整えた。


クラウスが周囲を見渡す。


「負傷者は?」


「直近ではいません。偵察の二名が一時的に眩暈を訴えましたが、回復しています。以後、結界層を増やして対応しています」


ケインは棚から大ぶりの封筒を取り出した。封蝋の下から銀黒の紙片がぎっしり顔を出す。


「暫定処置として、結界符を大量に支給する指示が出ています」


レンは受け取り、符面の確認を行い、等級を見てどこまで耐えれるかを試算。指が止まるたびに視線がどこか遠くの計算へ沈む。


「助かる。第十層からの通路を封鎖し、流路を一本に絞る。救護所の結界は触らない。君はここを離れるな」


ケインが踵を揃えた。


「了解。……どうかご武運を」


彼の背は細いが、折れてはいなかった。




第十層 上層大広間


湿った風が、古い石の匂いを押し上げる。天井は高く、過去の戦いの痕跡、崩れた土砂とひしゃげた古代の装飾が瓦礫の山を作っていた。ここはかつて上層のユニークボスが君臨した広間。壁面の古傷は巨大な武器の軌跡を刻んだまま、苔光の下で鈍く濡れている。


中央に、冒険者なら必ず二度見する大型の晶石があった。天井から垂れるように成長した大型の澄んだ塊。そこから、蜘蛛の糸のような細い光の筋が床へ伸び、そこに群れがいた。


リザードマンが、半ば結晶に吞み込まれて跪く。腕、胸郭、頭蓋に透き通った塊が咲き、呼吸のたびに内部の光が明滅する。六体。残りの数十体は、その六体の動きに合わせ、同じ間隔で首を傾け、爪を鳴らした。


ミーシャが息を細くする。


「……結晶個体に魔素が流れてる。上から落ちて、下で溜まって……徐々に結晶が大きくなっているかも」


クラウスが眉根を寄せる。


「結晶を求めて移動しているというわけか……知性ではなく、飢えた反射だとしても厄介だな」


レンは地図板を広げ、瓦礫の上に置いた。指先が通路図をなぞり、結界符を並べる。


「結界符で第九層までの通路に防壁を作り、移動経路を一本に絞る。音と魔力を最小限に、他の通路を塞ぐ。過去単独で調査済みだ。抜け道はない」


クラウスが問う。


「どこで待ち伏せる?」


レンは一点を叩いた。


「禁じられた回廊だ」


古記録の赤印にだけ残る旧通路。罠が多くしばらくすると再起動もある難所。当時被害が多いことから通行禁止となった場所だった。


リーナが顔をしかめる。


「げっ、あの道を使うのか」


ミーシャは頷いた。


「でも時間は稼げそう」


「時間がない。回廊以外は迅速に結界を張る。層は四、音も殺す。手順通りに。観測符はここで切る。以後はミーシャの魂視のみで追う」


「そもそも結界と観測は両立しないからな」


「そうだ。各自散開」


三人「了解」


四人は散り、静かな手際で道を描き換えた。結界符が石の継ぎ目に滑り込み、銀黒の紋が薄く光って消える。反響を吸い、歩みを隠し、誘導のための僅かな隙間だけを残す。やがて、広間に残るのは一本の黒い喉のような通路とクラウスとリーナが戻る道だけになった。


禁じられた回廊の出口。床石はわずかに沈み、壁の格子は斜めに呼吸する。天井からは見えない針が、光の角度でだけ輪郭を現した。


クラウスが低く呟く。


「一歩間違えば犠牲者がでる回廊か。……研究対象としては嫌いではないが」


リーナは大盾を半分寝かせ、縁に指をかける。


「戦闘中あたしの盾に穴が増えたら責任取りなさいよ」


レンは広間の群れに視線を戻す。六つの結晶個体のうち、二体の明滅が他より強い。鼓動の中心。主核に準じる個体がそこにいた。


「核の動きを止める。先行して結晶個体をつぶす」


リーナが眉を跳ね上げる。


「はっ?どうやって?」


「前回同様だ」


リーナの顔に、短い沈黙が落ちる。


「……あれか」


クラウスが訝しむ。


「そのあとどうするんだ」


「他の結晶個体との再接続の有無を確認する。同期するなら回廊に引き込む」


ミーシャは弓弦に指をかけた。


「なら私が視るね。繋がりの太さ、切れ方、全部言う」


レンは頷いた。


「ミーシャが要だ。ミーシャと二人で回廊の内部を確認する。クラウスとリーナは避難路を使い回廊前に待機。クラウスは入り口で結界の準備、リーナは付近を警戒」


「以後はミーシャの魂視のみで追う、ここは記録に残さない」


三人「了解」


二人は回廊へ踏み込んだ。まずは往復で罠の息を測る。


ミーシャが瞳を細め、魂視で床石の下を走る薄い光脈をなぞる。流れが一方向に吸い込まれ、タイルの縁下で一点に集まる箇所がある。そこが床下スイッチだ。


光脈が壁の格子の裏で細く絞られ、溝へ一直線に流れ込む線は側面刃の走路。天井の影の切れ目に向かって薄い流れが垂直に落ちる筋は落ち針の筒。


彼女の指が空をなぞるたび、一般冒険者では見えない配線図が頭の内側に焼きついていく。


レンは足裏で微妙な傾きと沈みを拾い、空間を把握し床石の凹凸からスイッチ位置の詳細を地図に可視化。リザードマンたちを警戒しつつ壁を叩き、反響の欠けで空洞の位置を割り出す。


継ぎ目の開き幅の不均一や粉塵の流れが同じ方向へ擦れた跡は、機械が動いた痕だ。苔が縁に乗って外へ膨らむ段差は、既に死んだ罠。ミーシャが示した座標を、レンは距離と角度に落として安全帯と危険帯の境界線を引いていく。


「床、右奥の縁下にスイッチあり。右から約0.5m」


「了解。境界を印す。刃はこの継ぎ目から手前まで出る」


「ここは既発動。苔の縁が外に膨らんでいる。生きてるのは二枚先、継ぎ目の内側、0.3m」


「うん、魂の光もそこで遅れる」


二人の見取りが重なり、禁じられた回廊は見える通路に変わっていった。


往路で刻んだ目印を復路で検算する。レンはアイテムボックスから取り出した光符を微弱に発光させ壁の低い位置に点で貼る。


光源は最小、幻惑を避けるため直視線は避け、折り返しで位置ズレがないかを確認。ミーシャは矢羽根に細工した糸印で天井の落ち針の射程端を測り、帰りに一本ずつ回収しようと手を伸ばすと…


「ミーシャ、糸はそのままでいい。リザードマンが視認するか確認する」


「うん。わかった」


「第九層側へ抜ける回廊前まで、罠は計二十七。発動可能は二十一。うち床噛み十、落ち針三、側面刃八」


レンは数字を短く読み上げる。


「私も一致してる」


ミーシャが応じる。


二人は再度回廊を抜け、クラウスとリーナに合流、第九層方面の回廊前で足を止めた。分岐は狭く、ここを栓にすれば道は一本になる。レンが掌で空間の歪みを撫で、クラウス合流時の結界の張り足す場所を指で示す。


「ここで二手に分かれる。俺とミーシャが釣って戻す。クラウスはここに四層結界の準備。リーナは回廊口で楔」


「了解。膜構造の四層結界で対応する」


クラウスの声が返る。


二人は同じ道を戻り、もう一度、罠の息をなぞり直し、自然を利用した即席トラップが出来上がった。特に殺傷効果が高い側面刃にはミーシャが位置を特定できるようある細工もしていた。


(これで経路は確保された。今後、リザードマン以外にも監視を撒きたいときや罠が再起動する期間の調査等、色々と活用できそうだな)


レンの中で、すでに禁じられた回廊は有効活用の素材になっていた。


大広間に戻るとリザードマンたちの群れがざわめいていた。六体の結晶個体が低く唸り、背鰭の間で結晶が淡く脈打った。


鱗が擦れ、爪が石を叩く音が重なり、振動の合唱が始まる。


その只中で――レンが、右腕をゆっくりと構えた。


腕の輪郭が、青白い光で滲む。急激な魔素の収縮反応。

結晶体がいっせいに振り向いた。敵を視たのではない。魔素の圧に気づいた。


光が収束する。

右腕の先端で、魔素が細い線へと絞られ、超振動刃の準備が整う。


「……始める。」


一筋の光が閃く。

距離にして三十数m。だが刃は伸びた。空間ごと削るかの如く。


最初の結晶個体の胸部が、光に触れた瞬間に砕け散る。

結晶の弾ける音だけが連続で響いた。


二体目、三体目の腰が、わずかに揺れて崩れる。

その動線上にいた十数体のリザードマンをも巻き込み、肉も骨も内側から裂かれて倒れた。


青白い光が消え、残響だけが低く唸る。


ミーシャはその光の尾を追って息を止めた。

視界に、まだ立っている三体がいた。


以前視た個体よりも結晶化が進んでいた。そのうえ、先ほど散った破片を奴らは取り込んでいる。


傷口から、結晶の根が生えていた。


「レン……吸ってる。結晶を喰ってる……!」


ミーシャの声は低く、焦りを含む。魂の目には、三体の内部に渦巻く魔素が見えた。あれは、もうリザードマンではない。リザードマン本来が持っている魔素の量から逸脱していた。


レンは返事をせず、右手の一時的な痺れを確認しつつ、瞬時に判断する。

これ以上この場に留まるのは危険。あの濃度では、共鳴を起こす。


「罠まで誘導する」


ミーシャが矢を二本射った。


光の筋が空中で交差し、群れの視線を誘う。リザードマンの足が動いた。結晶の軋む音が、怒りの脈動のように追ってくる。


「後退。回廊へ」


レンが指先で合図を切る。


二人の影が反転し、誘導線に沿って駆ける。背後から裸足の群れが追う。爪と石の摩擦が次第に合唱になり、広間の呼吸を上書きする。


レンとミーシャは回廊に向かって突き進む。結晶個体が一体、リザードマンが二十数体ほど先行してくる。


レンとミーシャは合図を最小限に回廊を最短で進む。回廊内での索敵能力はミーシャの方が優れていた。


後方のレンはアイテムボックスから光符をだし、出力限界ぎりぎりまで発光させ地面や壁に張り付け目くらましとして使用した。


また、移動しながら投げるように音遮断の結界符、魔素遮断の結界符を壁に張り、それぞれ侵入した時の反応をもとにどれが有効か確認していた。


(結晶個体は光と音は反応なし、魔素のみ反応あり、通常個体はその逆か)


「ミーシャ、結晶個体は魔素のみ反応、通常個体は光と音に反応」


前を見据えながらミーシャ。


「わかった。罠は魔素が流れているからリンクしてると効果がないかも」


レンが頷く。


「了解」


回廊前。クラウスが立っていた。杖先に組んだ四層の結界が、空気の密度を変えている。通常のドーム型から連結四点式、上下両端に符を張り膜構造の結界を構築していた。


リーナは半身、盾をやや斜めに構え、通路の噛む床を踏み外さないラインを身体に覚え込ませている。


「二十五。結晶一。接続更新中」


レンが早口で渡す。


クラウスは短く頷き、杖先をわずかに寝かせた。


「通せ。止めるのは道だ」


先頭のリザードマンが回廊に貼られた光符に目が取られた直後、意識せず踏んだ床石がわずかに沈む。見えない歯車が噛み合い、魔素が溝へ一直線に流れ込む。


側面から突然突き出た刃が群れの先頭に近い個体の胴体を切断、後方が押し重なって全体の「拍」が崩れる。


だが、結晶個体だけは別だった。罠が初めから見えているかのように直進し、追随する個体の乱れた拍を、肩のきらめき一つで補正していく。


「来な!」


リーナが吠え、大盾の縁で先頭の顎を弾く。重心をわずかに振り、床の「噛み」に載せた瞬間、リザードマンの足首が急にくぼんだ床石に囚われ挟まれる。反動で膝が逆に曲がった。悲鳴はない。ただ、動けないことで他の個体の動きを阻害する。


クラウスの結界が低く鳴動し、音は吸われ、衝撃はほどけ、群れの勢いが数秒遅れる。結晶個体が回廊で肩をすり、剥げた結晶片が床に散った。剥げ落ちた結晶片の揺れを、ミーシャの魂視が捉えた。


「今。接続、細い――切れてる」


通路右壁の溝に、親指大の晶石が一つ、ミーシャには白く灯って視える。

ミーシャが先行時に置いた目印だ。魂視で刃の走行面がそこだけはっきり見える。結晶個体が寄れば、取り込まれても座標はズレない。


四体目が前に出て、光の筋を舐めるように近づいた。


「割り矢、いくよ」


ミーシャは結界の外に一歩踏み出し、放った矢は奥の床石にあたり、衝撃がスイッチを押した。


壁溝から、薄い板一枚分の刃が無音で走る。

四体目の胸へ、光の境界がすっと通り抜けた。

遅れて音が返り、結晶の体は上下でわかれて床に落ちる。身体は戻らず、魔素へと帰っていった。


ミーシャが短く数える。「四」


四体目が倒れる。


後方の二体が、動きの止まった個体に触れ、再び細い光を絡めた。ミーシャが歯噛みする。


「再接続が速い……切っても繋ぎ直してくる!」


レンは短く息を捨てた。


「正面から押しても崩れない。盾を前に出すな。光と音で雑兵を剥がす。ミーシャ、準備」


符の出力限界を超える魔力を光符と音符に過剰に込め投げる。限界を超えた符は回路が焼き切れる前に強烈な光と音が連続して弾け、雑兵の視線がそちらへ流れる。が反応が薄い。


「盾役、反応少し薄い」


ミーシャが低く告げる。


進路の床をひと目でさらう。落ち針の盤が一枚、まだ生きていた。


「針、先に落とすよ」


ミーシャが矢を放つ。石床に鈍い音。床が呼吸するみたいに沈み、大量の針が結晶個体の頭部にあたるも結晶が頭部を守り効果が薄い。しかし、床に落ちた針を足裏が拾う。刺さったことで腰がわずかに落ちた。


「盾の肩いくよ」


ミーシャは連射で雑兵の利き腕の肩だけを順に抜いていく。倒さない。盾が上がらず列がほどけ、結晶個体の前が空いた。


レンは壁の魔素遮断用の結界符を見やり、片側だけを起動させる。壁際に細い流れが立ち、結晶個体がそちらへ顎を向けた。胸が半身になり、奥の核が斜めにのぞく。


「貼る」


ミーシャの次の矢は鏃が二又に分かれ、鏃の先には薄い紙片が貼られていた。矢は正確に胸板に刺さり、結界符が吸い付いた。明滅が一段、鈍る。心臓一拍ぶんの静けさ。


「今」


割り矢が放たれる。角度は胸の中心からわずか右外し。表面がもろくなり、矢は核の縁をかすめて深く入った。内側で硬い音が砕ける。しかし、まだ倒れない。


レンはとっさに虚から投擲用の短剣を取り出し、出力を抑えた振動刃を形成する。このままでは直線状にいるリザードマンにあたる。


全神経を集中し、短距離跳躍の距離を算出し、短剣を投擲した。放たれた短剣は手前のリザードマンにあたることなく、結晶個体の直前に出現、射出した威力のまま核を捉えた。


明滅が止む。結晶の身体は糸の切れた人形のように膝から崩れた。


「五」


大きく息を吐きながらレンが短く数える。


残る結晶個体は一体。だがその胸奥で新たな光が凝り始める。大広間の大型結晶からも細い筋が吸い寄せられ、線がひとつに集束していく。剥がれた盾がじりじりと列を組み直し、空気が重く沈んだ。飽和しかけの罠が低く唸る。


「……集約してるよ。全部の接続が最後の一体に乗り移ってる。今までの比じゃない」ミーシャの声が震える。


「総和で一体を主にする気か。厄介だ」クラウスが眉をひそめる。


リーナは唇を噛み、盾を握り直した。


「来るなら来い。ここは通さない」


レンは一度だけ息を吸い、吐く。瞳が細くなる。


「最後を落とす。回廊の奥で終わらせる」


群れが吠え――いや、吠えないまま、光だけが爆ぜた。青白い脈動が回廊を満たし、石の継ぎ目に白い稲妻のような線が走る。最後の結晶個体の胸奥に、星のような核が点り、膨らみ、瞬いた。


「来る、ハウリングだ」


クラウスが一歩踏み出し、わかっていながら詠唱を叩きつける。


「略式、光矢――展開!」


光条が放たれ、核へ伸びる前に空間で弾かれた。波紋が逆に押し返し、彼の足元の砂利がぱらぱらと跳ねる。


レンは距離を詰め、刃を傾ける。


「抑える」


超振動刃が白い線を描く、その刹那。

核が瞬いた。音のない咆哮が、脳の奥で鳴る。


視界がずれた。

回廊が海の底になり、仲間の影が魚の群れにほどける。リーナの声が遠くに引き伸ばされ、クラウスの背が二重写しでぶれていく。リザードマンの輪郭が人の姿に変わり、助けを乞う口がこちらに開いた。


「…っレン!レン!戻ってきな!」


リーナの声だけが、細い糸になって届く。


「…遮断」


レンが低く呟いた。助けを乞う人々の手のひらが空を切り、半径数歩の空間がぴたりと沈む。

音が消え、色が抜け、魔素の流れが断ち切られる。世界から切り離された真っ暗な無音の泡の中で、幻影が紙のように剥がれて落ちる。


3秒で切る。呼吸が戻り、見定める。


「直線で仕掛ける!」


遮断を切った瞬間、騒音と光が一気に押し寄せた。レンは瞬時に状況を確認し超振動刃を再度練りこむ。青白い光があたりを包む。


列の前に、通常個体が躍り出た。盾のようにシミターを前に構え結晶個体を隠す。

魔力の練りこみ中は能力の併用ができない。レンは仕方なしに賭けに出た。


「三、二、一、退避!」


刃は群れをまとめて薄く削ぎ、結晶個体の胸郭まで貫いたが、核の右をわずかに逸れる。

核は割れない。核の光が脈を二つ、三つ。群れの残りが再び拍を合わせ、切断された外殻がぬめるように接続を取り戻す。


「外した…っ」


ミーシャの呻き。


「立て直す!」


クラウスが構え直し、接近してくるリザードマンの関節を詠唱破棄した光矢で狙い打つ。

ミーシャは矢をつがえ、囮の関節部を次々に射る。


「盾は私が裂く。もう一度、核を露出させる!」


青白い光はなおも回廊を満たし、星の鼓動が次の波を呼ぶ。

続けて超振動刃を放ったレンの腕が痺れて動かないことはまだ誰にも知られていなかった。

決戦は、まだ終わらない。

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