第8話 沈黙の森 ②
翌朝、宿を発った一行は再び沈黙の森へと向かった。昨日発見した地下への裂け目、結晶洞の入口を基点とし森全体の異常範囲を測るのが今日の目的だ。
レンは記録板を抱え、仲間に告げる。
「入口は確認したが異常の全容を掴まないと危険だ。範囲を測り、強度の勾配を明らかにする」
まずは入口から外縁へ向けて放射状に測量を行う。レンは魔素を確認するため測定器を腰袋から取り出し、魔素の流れを感知する。微弱な光で濃度を示す。
「三十メートルごとに標。音響、気配、魔素濃度を計測」
淡々と指示が飛び、仲間たちはそれぞれの役割を担う。
クラウスは魔素計測器を操り、数値を読み上げる。
「先ほどの地点で濁度二割上昇。……今回で三割。急激に跳ね上がるな。中心に近づいている」
リーナは盾で幹を叩き、音の減衰を確認した。
「残響、ほとんどねぇな。外縁じゃカーンと響いたのに、ここじゃ届かねぇ」
ミーシャは目を閉じて気配を探る。
「……入り口から奥に近づくほど気配が霞んでる。やっぱり入り口はまだ中心から外れてたんだ」
レンは全てを記録板に符号で刻む。
「確認。干渉は時間依存の変動を持つ。周期性の可能性あり」
森を円弧状に歩きながら、彼らは次々に異常の境界線を探し出した。ある地点から少しづつ鳥の鳴き声が復活し、風の音が戻ってくる。そこに杭を打ち、範囲の外縁と定める。
「直径七粁(約七km)前後。誤差二割以内。沈黙領域はおおよそ円形に近い」
レンが結論を口にする。
だが調査はそれで終わらない。
「音の吸収だけじゃない。昨日、景色が循環していた。空間歪曲の有無を確かめる」
再び入口付近まで戻り、同じ経路を辿る。標は確かに増えているのに、景色は一定の箇所で繰り返し現れる。瘤を持つブナの木、折れた枝の痕跡。
クラウスが険しい顔で呟く。
「……物理的な距離と空間の印象が一致していない。導管から漏れた魔素が、局所的に空間を折り曲げているのだろう」
リーナが吐き捨てる。
「とんでもねぇ森だな。出る時に標がなきゃ絶対迷う」
レンは記録板を閉じ、結論を刻んだ。
「沈黙領域の核は地下結晶洞。影響範囲は直径七粁。副症状として音響消失、気配喪失、空間歪曲あり」
重苦しい空気の中で、ミーシャがぽつりと呟く。
「……こんな場所に長くいたら、誰だっておかしくなる」
それでもレンは視線を逸らさず、仲間を見渡した。
「だからこそ、測る。森全体を理解すれば、次の一手が見える」
誰も異論は挟まなかった。
沈黙の森の測量は三日をかけて完遂された。杭の座標はすべて連結され、森の沈黙範囲は正確に六・二粁。外縁の魔素濃度は安定、だが中央域は異常値を示し続けていた。
レンは記録板の表示を見つめながら短く告げる。
「地表の測定は終わり。次は地下だ。入り口の結晶洞に入る」
誰も返事をしなかった。
森の静寂に慣れすぎて、声を出すことが恐ろしく感じられるほどだった。
リーナが肩の盾を直し、ぼそりと呟く。
「ここまで来て引く方が後味悪い。行こう。あんたの測るってやつに、もう付き合う覚悟はできてる」
森の外縁に打った杭が背後に遠のく。命綱のロープを主索に、四人は岩穴を降りた。
残るは、中心――結晶洞ならぬ魔晶窟。
沈黙の森の最深、導管の裂け目から垂直に降りる。レンが懐中時計で確認した。
「計測開始。三分間以内に異常を感知したら即退避」
湿気が重く、声が吸われる。光があっても、闇の方が濃い。
最初の十mで、護符がひび割れた。
リーナが眉をしかめる。
「波がずれてる。符が外界基準のままだ」
「この下は外じゃない。魔晶石から出る波が層を作って反射してる。符術の共鳴は狂う」
レンが答える。彼の言葉は淡々としていたが、全員の背筋に冷気が走った。
洞の中は音を拒む。足音がなく、呼吸の音が遠ざかる。
ミーシャが弓を下ろし、目を閉じた。瞼の裏に魂の目を開く。
「……瘴気が流れてる。濃い層と薄い層が、波みたいに交互に押し寄せてる。薄い帯のときだけ、前に進める」
「周期は?」
「三分ごと。けど、場所ごとに微妙にずれる。潮目がずっと動いてる」
クラウスが呻いた。
「空間が呼吸してるのか」
レンは短く頷き、決断を下した。
「ミーシャの感覚を主軸に動く。潮目が変わるたびに休止、観測三十秒で同期を確認。潮を外せば、全員ここで終わりだ」
彼らは糸道と呼ばれる瘴気の薄帯を進む。
青白い結晶の林の間を、吐息も立てずに歩いた。
潮が変わると、世界の傾きが逆転する。
床が壁へ、天井が地面へ。リーナの盾が鳴るはずの金属音は、何かに吸われるように途絶えた。
「待って、潮が濃くなる。五、四、三……止まって」
ミーシャの声が震える。
足を止めた瞬間、瘴気が噴き出したのか空気が軋み、視界が歪む。結晶の光が反転し、音が吸い込まれるように消えた。
まるで世界そのものが呼吸を止めたかのようだった。
「……今、踏み出してたら内側から焼かれてたな」
リーナが低く呟く。
クラウスが観測符を凝視し、眉間に皺を寄せた。
「逆流だ。魔素の流れが完全に反転してる。互いの流れと衝突して、波が食い合ってる」
「つまり、触れたら?」とリーナ。
「体内の魔素が逆に引かれる。呼吸も血流も乱れて、数秒で意識が飛ぶ可能性が高い。……熱でも毒でもない、流れの逆転だ」
ミーシャが喉を押さえる。
「……わかる。波が乱れてる。体内の魔力が強制的に引き抜かれる感じ……」
魂の目を維持するだけで、彼女の体温が下がっていく。
レンは彼女の肩に手を置き、静かに言った。
「三十秒休む。瞳を閉じろ。潮が落ち着くまで、俺が測る」
手の温度は冷たいが、一定だった。
その間、クラウスが簡易結界を重ねる。
空気の重さがわずかに薄れ、ミーシャの頬に血の色が戻った。
脈拍が一定のリズムを取り戻したころ、レンが短く合図する。
「潮が戻る。行くぞ」
進むたびに、世界の色が褪せていく。
結晶の光は鈍く濁り、壁は呼吸するように脈動していた。
クラウスが息を詰める。
「周期が乱れた。次の波、早いぞ!」
ミーシャが顔を上げる。
「逆流の糸が絡む……来る!」
壁面がきしみ、結晶が軋む音が低く響いた刹那
レンは腰の記録板を叩いた。
「遮断、展開。全員、動くな」
空気が凍った。音も光も、魔素の流れすら止まる。
世界が一枚、外側にずれたような感覚。
レンの空間遮断が発動していた。
完全な沈黙が訪れる。
魔素の逆流が結界の外で唸りを上げて通り過ぎるが、何も感じない。
内部は、呼吸と鼓動の音だけ。
やがて、圧力がわずかに緩んだ。
レンは懐中時計に手を当て、振動から秒数を確認し、誰にも聞こえないが解除という。
「解除。外界へ戻す」
結界が解けると同時に、空気が一気に流れ込んだ。
肺に重みが戻る。ミーシャが咳をつき、息を吸い込む。
「……潮、通り過ぎた。次の波まではまた二十秒ほど」
「十分だ」
レンは短く返す。
一行は進むにつれ、空気が軋み、地が呼吸していた。
洞窟の奥、壁一面を覆う結晶が淡い青光を放っていた。
導管の断片が絡み、巨大な球体を形づくっている。
それは生きているように脈打っていた。
六十秒ごとに淡く光を放ち、洞窟全体の空気が押し出される。
リーナが盾を構えたまま低く呟く。
「……これが、異常の元凶?」
クラウスが観測符をかざす。
針が狂ったように震え続け、音もなく途絶えた。
「魔素の流れが逆方向だ。外から吸い込んで、中心で反射してる……」
「潮の中心か」
レンが短く言った。
彼の声は静かで、研ぎ澄まされていた。
ミーシャが魂の目を開く。
彼女の瞳に映るのは、森全体を走る魔素の血管のような光。
すべてが、この一点に収束していた。
「……森の呼吸が、ここで止まってる」
「なら、動かすしかない」
レンが記録板を広げた。
「六十秒で臨界を迎える。一定か」
「つまり、あと六十秒で何か起こるってこと?」
リーナの声に緊張が混じる。
「起こるじゃない。爆ぜるだ」
「ミーシャ」
「敵意はなさそう」
「ならば様子を見る。カウント開始。十、九、八、…二、一、来るぞ!」
言葉と同時に、地面が鳴った。
結晶が震え、青白い光が壁を走る。
次の瞬間、球体の外殻が裂け、閃光が溢れ出た。
空気が押し潰される。
音が消える。
——世界が、沈黙した。
裂け目の奥から、塔のような巨体が立ち上がる。
脚も腕もない。
導管が胴に巻き付き、淡い光を流している。
それは呼吸するように膨張と収縮を繰り返していた。
生き物ではない。だが確かに動作していた。
リーナが低く唸る。
「……これが、森を喰ってたのか」
クラウスが符を握りしめる。
「生物じゃない。構造体だ。制御式が暴走してる!」
レンは冷静に言った。
「今のところ敵意はない。ただ、壊れてる」
巨体が震えた。次の瞬間、無音の衝撃波が放たれた。光が歪み、床が波打つ。リーナがとっさに大盾で受け止め、クラウスが結界を張ろうと詠唱したが、音が掻き消えた。
「詠唱が死んでる!音が届かない!」
「なら動け!」
レンの声が響く。
「リーナ、三m後退!盾を反転!」
「了解!」
リーナが盾を半回転させ、符面の刻印が淡く光る。
大盾が空気を裂き、波を押し返した。反射の一撃が巨体の表面を叩く。
クラウスが叫ぶ。
「効いてる!だが、波形が崩れない!」
「崩す必要はない。止めればいい」
レンは記録板を見た。針が震えて止まりかけている。
「……流れが詰まり始めた。外の魔素が戻ってない。——あいつ、自分で自分を塞いでる」
「そんな馬鹿な!」
リーナが叫ぶ。
「栓になってるんだ。流れを止めて、圧を溜め続けてる。だから狂った」
洞窟全体が軋む。
青白い光がさらに強くなり、巨体の表面がひび割れる。
「潮が変わる!」
ミーシャが叫ぶ。
「十五秒で反転!」
レンが即座に答えた。
「十五秒!?」
クラウスが絶句する。
「間に合わねぇぞ!」
「間に合わせる。——リーナ、足場を固定。クラウス、出力抑制。ミーシャ、狙点を左胸側。
八秒後、俺が動く」
ミーシャの手が震えた。
「八秒後?」
「その頃には潮が緩む。核が露出する。撃て」
「そんな短い時間で詰められない!」
「俺の跳躍で届く。誤差、コンマ一秒以下。——信じろ」
クラウスが顔を上げた。
「跳躍って、お前まさか……!」
だがレンはもう答えなかった。彼は腰を沈め、内部で魔力を練りこむ。空気が歪む。
短距離跳躍。
空間をわずかにずらし、身体を瞬時に転移させる。
だが、今の環境で使えば肉体が引き裂かれる危険があった。魔素の流れが不安定すぎる。
それでもレンは、視線を一点に絞った。
「三、二、一、零」
光が爆ぜ、音が消えた。その瞬間、レンの姿が掻き消え、核の目前に現れた。
青白い輝きが刃を照らす。
「——終われ」
剣が核付近の結晶を貫き、砕く。
同時に、ミーシャの矢が放たれ、レンのすぐ真横を通過、封印符が閃き、矢が核に突き刺さる。光と光が重なり、洞窟が白に染まる。
衝撃。
音が戻る。
遅れて轟音が全身を打ち、床が崩れる。レンが衝撃で吹き飛ぶ。リーナが身を伏せ、クラウスが腕で顔を庇う。
青い巨体が悲鳴のような震動を上げ、全身から光の粒を吐き出した。
そして——止まった。
巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
粉雪のような結晶が宙を舞い、静かな光の雨が降る。
リーナが膝をつき、息を吐いた。
「……終わったのか?」
レンは剣を鞘に戻し首を横に振る。
「逆流は止まった。けど、流れは……戻ってない」
クラウスが観測符を確認する。
「波は沈黙。流量ゼロ。完全停止だ。……森の心臓が、止まった」
ミーシャが震える声で言う。
「でも……放っておいたら、いずれ自分で壊れてた」
「そうだ。だから止めた。それだけだ」
レンは淡々と答えた。
彼はアイテムボックスを取り出し、掌ほどの欠けた透明な核を収めた。
内部で微かに光が瞬く。まだ、生きているように。
沈黙が戻った。
風も、音も、動かない。
ただ、結晶の粉がゆっくりと漂う。
リーナが立ち上がり、肩越しに呟く。
「……この森、どうなる?」
「わからない」
レンが答える。
「壊したのは外殻だけだ。中の流れはまだわからない」
クラウスが記録板を覗き込み、眉を寄せた。
「見ろ。残留波がある。消えてない……ただ、静止してる」
レンは頷いた。
「なら、時間を置けば流れる。施設は完全には死んでない」
四人は互いを確認し、撤収を開始した。
結晶洞を出る頃には、空気が少し軽くなっていた。
風が、わずかに頬を撫でる。
外は、夕暮れ。
森が赤く染まり、木々の影が揺れていた。音はまだ戻らない。
だが、どこかで微かな揺らぎがあった。
森を抜ける頃、夕陽が枝葉を透かして赤く滲んでいた。
風は冷たく、鳥の声はない。木々の影は沈み、音のない世界が続いている。
リーナが盾を背負い直しながら振り返った。
「……まだ生きてるんだな、あの森」
クラウスが苦く笑う。
「死んでるなら、こんな風は吹かないさ」
ミーシャはレンの腰に下がる封印箱を見つめ、ぽつりと問う。
「ねえ、あれ……何だったの?」
レンは少し考え、低く答えた。
「壊れた知の残骸。けど、まだ癒そうと動いていた」
その言葉に、誰も続けなかった。
沈黙は依然として続いている。
だが先ほどまでとは違う。森の奥底で、何かが確かに呼吸を再開しているような気配があった。
やがてリーナが小さく息を吐いた。
「……帰ったら報告か。どうまとめる?」
「必要最小限でいい」
レンは淡々と答える。
「瘴気の残存、精神干渉の危険、観測不能な魔素圧の存在。——それだけだ」
「つまり、何も分からなかったって報告?」
ミーシャが苦笑する。
「そうだ。あの森を数字で語れば、誰も信じない」
クラウスは何か言いたげだったが、結局口を閉ざした。
四人は宿へ向かう街道を歩いた。
背後で、沈黙の森が赤く染まり、風にわずかに結晶の粉が舞った。
それはまるで、別れの吐息のようだった。
——沈黙の森は生きている。
音の底で、いまも静かに再生の時を待っている。
沈黙の森の調査報告を終えた翌日、冒険者ギルド本部は異様な静けさに包まれていた。
朝の喧噪もなく、依頼票の前で言い争う声すら聞こえない。
重い空気の中、静寂の歯車の四人は無言のまま二階の会議室へ向かった。
扉の前には衛兵が二人。封印符が貼られ、外部通信は遮断されている。
レンが軽く頷くと、衛兵が黙って扉を開いた。
部屋の奥では、副ギルドマスターのレナ・シルヴァナスが待っていた。
淡紫の瞳が冷たく光る。机上には記録符と報告書、封印済みの水晶箱。
その箱の中には、沈黙の森で回収された核が収められていた。
レナは書類を整えながら言った。
「まず最初に確認しておきます。沈黙の森の瘴気は、すでに以前から観測されていました。
季節の変わり目ごとに濃度変動があり、王国土木局では自然現象として片付けられていました。しかし今回、あなたたちが持ち帰った記録により、原因が初めて明確になった」
クラウスが頷く。
「つまり、瘴気の正体は導管の破断と魔素逆流だったと」
「断定はまだできません」
レナは淡々と答える。
「ただし、記録波形と導管脈動の一致から見て、ほぼ確実と判断しています。沈黙の森――あの禁域は、数百年前の導管施設の死に残りだった」
リーナが低く唸る。
「死に残り、ね。……そりゃ、あんな気配になるわけだ」
扉の外が静まり、重い足音が近づく。
白髪の男――ギルドマスター、ジェラルト・アイゼンが入ってきた。
深い皺の奥にある瞳は、静かで、それでいて鋭い。
「報告は聞いた」
彼の声は石を擦るように低く、部屋の空気を一瞬で引き締めた。
「……沈黙の森の瘴気。あれは、我々が長年理由を知らずに恐れていた現象だ。だが、今やそれが文明の遺構によるものだと証明された」
クラウスが眉を寄せる。
「では、王国はこれまで何も気づいていなかったと?」
アイゼンは薄く笑う。
「気づいていたさ。ただ、何であるかを知らなかっただけだ。沈黙の森は王都建国以降、瘴気地帯として観測されはじめ封印されていた。調査は何度か試みられたが、特定できなかった。……今回、お前たちが初めて核心に触れた」
リーナが腕を組む。
「触れたってほど軽いもんじゃないけどな」
アイゼンの視線がレンに向く。
「核は封印しているな?」
「はい」
レンが淡々と答えた。
「魔素圧は安定。封印箱内で逆流反応もなし。……ただ、あれが完全な終息かどうかは不明です」
「当然だ」
アイゼンは静かに頷いた。
「導管の枝管が一つ壊れたに過ぎない。本流がどうなっているかは、まだ誰も知らん」
レナが符板を操作し、別の資料を映した。
映し出されたのは、深淵の迷宮上層の最新報告書。
「ここ数日、リザードマンの出没が増えています。以前は第二十二層以下でしか確認されなかったのが、いまは第二十層付近まで上がってきている」
リーナが目を見開く。
「リザードマン……あいつらが上層に移動しているのか?」
「そうだ」
レナが頷く。
「導管の破損は迷宮の地脈にも影響を与えている可能性がある」
クラウスが思わず息を呑んだ。
「……つまり、森と迷宮は同じ流れの上にある?」
アイゼンは重く頷く。
「王都の魔素はダンジョンから供給されている。調査が必要だがおそらく根源は同じ可能性がある。森の調整機構が壊れたことで、地脈の圧が迷宮側に押し寄せている。それが魔物の行動異常の原因として挙げられる。もっともリザードマンだけとは限らないが」
沈黙が落ちた。
リーナが低く呟く。
「じゃあ、放っておけば――」
「このままでは魔素濃度が上層でも高くなり地上に噴き出す。スタンピートの再来だ」
アイゼンが言葉を継いだ。
「まだ兆しの段階だが、もし地脈圧が王都直下まで達すれば、瘴気は都市規模で広がる。
その可能性を知る者がどれだけいる?」
レナが冷ややかに答える。
「王家上層、ここにいる者だけです」
アイゼンはゆっくりと椅子にもたれ、低く息を吐いた。
「……ゆえに、これは封印事項とする。沈黙の森の異常は、従来どおり自然的瘴気現象として扱う。導管も、古代遺構も、報告書には記さない。理解したな」
クラウスが言葉を失い、リーナが舌打ちをした。
「結局、隠すのかよ」
「隠すんじゃない。守るためにある」
アイゼンの声は静かだった。
「この真実を政治の駒にされれば、国はまた同じ過ちを繰り返す。導管も魔素も、利用されれば戦になる。……われわれはそれを防ぐために沈黙する」
レンは短く頷いた。
「了解しました。報告書は符号化します」
レナが小さく笑う。
「現場らしい判断ね。助かるわ」
会議が終わると、彼らは無言のまま階下へ向かった。
広間では冒険者たちがざわめき、掲示板には新しい張り紙が出ている。
『沈黙の森魔物異常発生のため立入禁止』
理由もなく、ただそれだけ。
しかしその背後で、国家とギルド、そして派閥同士の思惑が水面下で動き始めていた。
リーナがぼそりと呟いた。
「……結局沈黙か」
レンは答えず、ただ森の方向に一度だけ視線を向けた。
夕陽が落ち、空が朱に染まる。
沈黙の森は遠く霞み、まるで息を潜めているようだった。
——人の知が壊したものを、いま自然が癒そうとしている。
それを止める権利も、加速させる資格も、誰にもない。
レンは心の中でそう呟き、仲間の背を追った。沈黙の森は、なおも沈黙のまま。
だが、その奥では確かに、ゆっくりと歯車が動き始めていた。




