表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏と黎明のアストリア  作者: 空想好き
第1章:Bランクの日常と歪な契約
26/43

第8話 沈黙の森 ①

王都アステリア。夕刻の薄明かりが石畳を黄金色に染める頃、静寂の歯車の四人は宿舎の一室に集まっていた。


厚い扉を閉じれば外の喧噪は遠のき、机の上には渓谷調査で回収した記録板と地図が並べられている。


レンは椅子に腰掛け、羽ペンで観測記録を書き込んでいた。その姿を黙って見ていたクラウスが、静かに口を開いた。


「……ハーピーの行動は不自然だった。巣から離れ、群れ全体が狂ったように襲いかかってきた。自然発生では説明できん。そして、ミーシャに付着した卵だ」


部屋の空気が張り詰める。リーナが目を見開き、ミーシャは思わず肩を抱いた。クラウスは視線を逸らさず続ける。


「群れが一斉に狙った理由はそこにある。カバンに偶然付着したにせよ、あれは明らかに誘因だった。なぜ外れの崖で卵が落ちてきた?誰かが意図的に仕掛けたのではないかと考えるのが自然だ」


レンの羽ペンが止まる。沈黙。クラウスは視線を逸らさず続けた。


「そしてもう一つ。相手が誰かは断定できないが……敵対勢力の存在がいる。だからお前は異様なまでに慎重だった。……俺はそう考えている」


「秘密にしていることを責めてはいない」


クラウスは静かに語る。


「秘密はお前の自由だ。言いたくないなら言わなくていい。だが危険の度合いだけは共有してくれ。低いのか、高いのか。それが分からなければ初動が遅れる。次は間に合わないかもしれない」


ミーシャが小さく息を呑む。


「……誰かが、本当に私たちを狙っているの?」


(でもあの時、気配は感じ取れなかった。)


レンはようやく顔を上げた。


「確証はない。推測の域を出ない。ただ、偶然にしては整いすぎているのは事実だ」


クラウスは短くうなずく。


「なら、せめて次の任務では戦闘回避を軸に、痕跡の抽出と尾の炙り出しを優先する。どうだ?」


レンは記録板を閉じた。


「……同意する。次は調査依頼を受けつつ情報の回収を最優先にする」


リーナは腕を組んだまま、わずかに口元を緩める。


「それなら乗る。見えない相手を、見えるところまで引きずり出そうぜ」


ミーシャがうなずいた。


「私も。罠の匂いは、近づけば必ず残り香があるから」


重い空気は残ったが、合意は取れた。四人は短く確認の合図を交わし、次の任務へ向けて準備に入った。




翌日、王都アステリアはゆっくりと目を覚ました。


石畳には露が光り、店先では商人たちが手際よく天幕を張り、野菜や果実を並べていく。衛兵の鎧が朝日を反射し、馬蹄の音とともに巡回が始まる。


貴族街の屋根からは白い鳩が群れ飛び、路地裏ではパン屋の娘が籠を抱えて走り去る。どこを見ても人と音と匂いが重なり合い、この都市が大陸の心臓であることを証明していた。


その中心にそびえるのが、冒険者ギルド本部。高い尖塔に朝日が差し込み、石壁の紋章が金色に光を返す。


静寂の歯車の四人が扉をくぐると、広間の喧噪がわずかに変質した。昨日までと同じざわめきでありながら、そこには確かに異なる成分が混じっている。


畏怖だけでなく、期待の色があった。


「……あれが無傷の歯車か」

「ワイバーンも、渓谷の魔物も退けたんだろう」

「いや、そんな上手い話じゃないだろう。でも実際、生きて帰ってきてる」


好奇と羨望と嫉妬。そのすべてを背に受けながら、レンは一言も発さずに受付へ向かう。リーナは小さく舌打ちし、クラウスは表情を崩さず、ミーシャは視線を逸らす。


受付の奥にいたエララは、彼らを認めると立ち上がった。周囲のざわつきに動じず、落ち着いた微笑みを見せる。その眼差しには、他の職員にはない温度が宿っていた。


「おはようございます、静寂の歯車の皆さま」


言葉は丁寧で、積み上げられた報告書を扱ってきた彼女にとって、彼らはただの異端ではない。


戦場で血を流さずに戻ってくるのは奇跡ではなく、徹底した準備と常識外れの調査力の結果だと次第に理解していた。


レンが無言でエララの前に立つと、エララは静かにうなずいた。


「次の任務についてですが、ギルドから推奨依頼がひとつあります」


彼女は新しい依頼票を取り出し、机に置いた。


「沈黙の森の測量手。未調査区域の地形記録を作る任務です。付近の魔物は弱く危険度は低いとされていますが、普通の測量隊では長らく手をつけられなかった場所です。動物の声がなく、静けさが異常だと報告されており、長期間では幻覚を見る例も報告されております。探索能力の高い皆さんに最適だと判断されました」


レンは即答した。


「それを受ける」


リーナが思わず声を上げた。


「これはまた地味なやつを……」


「危険の度合いが読めない以上、妥当だ」


レンは断言する。


クラウスは薄く笑った。


「測量は微妙だが、依頼内容は妥当だな」


ミーシャは小さく頷き、すでに目は依頼票に向いていた。


エララはそんな彼らを見回し、少し声を落として言った。


「今まで放置されていた案件になります。未知の領域を調べるのは、討伐以上に難しいケースもあります。痕跡を見落とせば全てが無意味になりますし、危険の芽も把握できないままになります。だからこそ、ギルドは皆さんの調査力を高く評価しています。地味に見えるかもしれませんが、こうした記録が都市を守る基盤になります。どうか、確実な成果を持ち帰ってください」


その言葉に、リーナがふっと笑みを漏らした。


「ありがとよ、エララ」


ギルドの広間に視線が集まり続ける中、四人は依頼票を受け取って踵を返した。石畳の向こうには、まだ見ぬ沈黙の森が待っている。




宿で準備を済ませた一行は、北東に広がる沈黙の森へと足を踏み入れた。


森の入口はごく普通に見えた。鬱蒼とした梢が陽を遮り、濃い緑の匂いが立ちこめる。だが、奥に進むにつれ空気が変わっていった。


次第に足の音が小さくなっていく。


鳥のさえずりも虫の羽音も、枝を擦る風の声さえない。靴底が落葉を踏む音は、出たそばから吸い込まれ、反響が小さくなっていった。世界そのものが沈黙し始めていた。


「……耳が詰まったみたいだな」


リーナが不機嫌そうに呟いた。


「いや、違う」


クラウスは首を振る。


「音が遮られている」


「現状音のみか。仮説だが符と同じ効果か空気の振動そのものが吸収されている」


レンがつぶやく。


ミーシャは口を閉ざし、目を細めて周囲を見渡していた。彼女の魂の目は、仲間や敵の感情、存在の揺らぎを敏感に捉える。今はそれが、異様な沈黙の中で逆に際立っていた。


「……気配が、濁ってる」


小柄な体を震わせて呟く。


「普通なら動物の命の光が散らばって見えるはずなのに、森の奥は……濃い霞みたいなもので覆われてる。目に見えないけど、次第に濃くなる感じ」


レンは即座に記録板を取り出し、短い符号で書き込んだ。


「異常を確認。確認地点から測量標を三十mごとに設置。進路の誤差を補正しながら進む」


レンは地道に作業を続けた。腰の袋から金属杭を取り出し、定められた間隔で地面に打ち込み、符術で刻印を施す。


これを繰り返すことで自分たちがどこを通ったかを正確に記録していた。


「相変わらず几帳面だな」リーナがぼやく。


「この森は方向感覚を狂わせる。次第に標がないと出られなくなる」レンは即答した。


事実、歩き始めて間もなく違和感が生じた。東へ進んでいるはずなのに、太陽の位置は西から差している。コンパスが指す方角も不安定に揺れていた。


「……この森全体が歪んでいるのか」


クラウスが吐き捨てるように言う。


「魔素異常が発生していると考えていいだろう。おそらく強力な魔素源、いや魔晶石がある。その影響で音だけでなく空間そのものが乱れているんだ。問題は、それがどこにあるか、だ」


数十分ほど進んだとき、リーナが立ち止まった。


「なあ……気づいたか?さっきから、同じ木を何度も見てる」


見上げれば、曲がった幹に三つの瘤を持つブナ。確かにさきほど通り過ぎたはずのものだった。


「方角は間違えてない」


レンが記録板を示す。


「標の数も合ってる」


「なのに、景色はループしてる……」


クラウスは眉をひそめた。


緊張が高まりつつある森の奥で、ミーシャがぴたりと立ち止まった。

小柄な体が硬直し、弓を握る指先が震えている。


「……下から、光が滲んで見える」


囁くような声に、全員の視線が地面へと集まった。苔むした倒木の下、土がわずかに盛り上がり、暗がりの隙間から青白い輝きが染み出していた。


普通の目では気づきにくい微細な光だが、ミーシャの魂の目には確かな流れとして見えているらしい。


レンはすぐに判断を下さず、ミーシャに問いかける。


「その先は……降りても大丈夫か?」


ミーシャは眉を寄せ、視線を深く地下へと沈めた。しばしの沈黙の後、小さく頷く。


「……入り口付近なら問題ないと思う。光は穏やかで、濁りも少ないから。でも、なぜか結晶じゃなくて晶石に近い性質になってる。なんでだろう」


レンは頷き、即座に手順を示す。


「よし。リーナは前衛、ロープを固定しろ。クラウスは周囲を警戒。ミーシャは先導、危険域が近づけば即座に報告。……安全を最優先する」


倒木を押しのけ土を払うと、人工的な黒い金属製の蓋が露出した。蓋はゆがんで劣化しており、ゆがみの隙間からわずかに青白い光が確認できた。


開けるとそこから吹き上がる青白い光が、森の薄暗さを照らし出す。冷たい風が頬を撫で、異質な匂いが鼻を掠めた。


リーナが盾を背に回し、慎重にロープを降ろす。滑落防止符具を装着した四人は、ミーシャが先に降り、安全を確認後、順に崩落穴へ身体を滑り込ませた。


十数mの下降。岩肌を掴む手に冷気が刺さり、下へ行くほど光は強さを増す。やがて靴底が岩棚を踏んだ瞬間、全員の視界に広大な光景が飛び込んできた。


巨大な空間だった。

壁も床も天井も、半透明の結晶で埋め尽くされていた。淡い光が反射して乱舞し、青白い揺らぎが水中のように漂っている。


リーナが思わず息を呑んだ。


「……まるで万華鏡の中だ」


だが、美しさと同時に全員の背筋を撫でたのは、不気味な寒気だった。結晶が反射する影が幾重にも重なり、存在しないはずの人影を生み出す。誰もいない空間に、何者かの気配が立っている錯覚。


リーナが盾を構えかけると、ミーシャが小さく首を振った。魂視を研ぎ澄ませ、深く集中している。


「……この岩棚までは大丈夫。光は澄んでいて、精神を乱す力はない。晶石の領域。だけど……」


彼女の声が震えた。視線はさらに奥へと向けられている。


「奥は違う。濁りが強い……結晶が黒ずんで、うごめいてる。危険な感じの魔晶石だ。幻覚の匂いが濃くて、息をするだけで体に入りそう。まるでダンジョンの奥に足を踏み入れる感覚。……ここより先は、普通の人間なら持たない」


クラウスが顔をしかめ、低く唸る。


「なるほど……手前は安定した晶石、奥は不安定な魔晶石か。もともと魔素を結晶化、晶石にするための場所なのか?しかし、今は壊れて機能してない。文献にも沈黙の森に関する詳細な資料はなかった。おそらく、停滞した魔素が澱んで結晶化し、精神干渉性を帯びたわけだ」


リーナは拳を握りしめる。


「なら放っておけば、魔物の巣になるかもしれないってことだろう?」


「その通りだ」


レンの声は冷ややかだった。


「だが、今の装備で奥に踏み込むのは自殺行為だ」


レンは記録板を取り出し、簡潔に符号を書きつける。視線は奥の闇に注がれていた。青白い光の中で、結晶の層の向こうに確かに直線が走っている。


「ミーシャ、あの影を確認できるか?」


ミーシャは魂視をさらに集中させ、頷いた。


「なんとか見える……結晶の向こうに、まっすぐな管がある。太い、人工のもの。導管だと思う。…途中で折れてる。その断面から赤黒い結晶が溢れ出して固まってる」


クラウスが唇を引き結ぶ。


「未発見ということは…古代エーテリオンの導管……大断裂以前の施設の一部か。破断して魔素が漏れ続けた結果、結晶洞が生まれたんだ」


レンは記録板に手早く追記し、冷静に言い放つ。


「導管の存在は確認。晶石と魔晶石の分布も確認。だが数値的裏付けがない。……測定器を揃えて再調査だ」


クラウスも頷く。


「同意する。魂視に頼るだけでは報告もできん。数値化こそがギルドを納得させる。濁度計と流速計、それにダンジョン外なら精神干渉防御具の強化は必須だな」


ミーシャは不安げに声を絞った。

「……あの奥は、ほんとにダンジョンの奥に似てる。空気そのものが呑み込もうとしてる。私の目で見ていても、長くは持たない。防御具は奥では効果がないかも」


レンは短く頷き、全員を見渡す。


「撤収する。今回の成果は結晶洞、いや魔晶窟の発見、導管の存在確認、晶石と魔晶石の分布差だ。これで十分だ。深入りは不要。戻って文献を確認」


リーナがため息をつき、盾を背に回した。


「せっかく見つけたのに、惜しいな……」


「欲を出すな」


レンは即座に切り捨てた。


「資産としての価値は理解している。だが、命を落とせば何の意味もない。戻って準備を整える。測定器を持ち込み、再挑戦する」


全員が頷き、撤収の手順を確認する。ロープを再度固定し、岩棚から順に上へ。青白い光が背後で脈打ち、影が揺れる。まるで結晶そのものが彼らを見送るかのようだった。


地上に戻った瞬間、森の空気が重苦しいながらも確かに生の匂いを取り戻していた。全員が深く息をつき、肩の力を抜く。


レンは最後に記録板を閉じ、短く総括した。


「結論。奥はダンジョン同様に危険。調査続行は準備が整ってから。調査隊の派遣は現調査完了後。これで行く」


仲間は異論なく頷いた。青白い光の残像がまだ瞼の裏にちらついていたが、誰も言葉にはしなかった。




静寂の歯車は指標をもとにすぐに帰還した。迷わずに帰還できたのはレンとミーシャの連携の結果だった。


ギルド本部の受付に姿を見せるや、レンは依頼票を差し出し、低く言った。


「……相談したいことがある。ここでは人目が多い、別室を用意してくれ」


エララは驚きに目を瞬かせた。


「……承知いたしました」


レンは頷き、淡々と続ける。


「沈黙の森で異常を確認した。詳細はそちらで話す」


エララは一瞬逡巡したが、すぐに決意を固めた表情で頷いた。


「……承知しました。会議室をご用意します。こちらへ」


彼女は同僚に受付を任せ、レンたちをギルド本部の奥へと案内した。


石造りの廊下を抜け、扉を閉ざした会議室に入ると、外の喧噪は完全に遮断される。


レンは記録板を机に置き、冷徹に告げた。


「沈黙の森の地下で魔晶窟を発見した。発見した入口は安定した晶石の領域だが、奥は魔晶石が巣窟のように堆積し、精神干渉は欺瞞の回廊クラスかそれ以上の可能性。無装備での踏査は全滅を意味する。よって測定器の貸与を申請する」


リーナが険しい顔で腕を組み、クラウスが唇を引き結ぶ。ミーシャは小さな体を震わせ、拳を握りしめていた。


エララは息を呑み、真剣な眼差しで頷いた。


「……危険性は理解いたしました。また、ダンジョン外での魔晶窟の潜在的な価値も含め、この件は上層部にのみ報告し、かん口令を敷きます。測定器も急ぎ手配いたします」


その言葉に、リーナは肩をすくめて「助かる」と呟き、クラウスは静かに同意した。ミーシャは緊張に小さく拳を握りしめていた。


その日は装備調達に充てられ、夕刻を迎えるころにはパーティは一時解散となった。


沈黙の森で発見された魔晶窟。それは欺瞞の回廊すら凌ぐ危険の象徴として、ギルドの内部で厳重に秘されることとなった。




夜。王都の裏通りにある古びた書店。灯りは落ち、軒先には「閉店」の札がかかっている。


レンは静かに扉を押した。かすかな鈴の音。薄暗い書棚の奥から、小柄な影が姿を現す。艶を失った銀髪、紫水晶のように澄んだ瞳。


「……リューネ」


彼女は唇の端を吊り上げ、子供のような小さな身体に似合わぬ古風な声音を放った。


「おやおや、夜更けにわしを訪ねてくるとはのぅ。さては面倒事を見つけてきおったな?」


レンは低く答える。


「沈黙の森の地下で……大断裂の残骸を見た。導管が破断し、流れ込んだ魔素が堆積して魔晶石となり、森全体を蝕んでいる。測定器を借りて再挑戦するつもりだが……あれは、ただの結晶洞じゃない魔晶窟だ」


リューネは目を細め、椅子にちょこんと腰掛けながら愉快そうに笑った。


「ほほぅ……面白きものを嗅ぎつけてきたか。わしの退屈を紛らわせるには、なかなかの土産ではないか」


彼女は顎に手を当て、じっとレンを見据えの瞳がきらりと光る。


「あの森はただ静かなだけでは済まぬと、わしも踏んでおった。なるほど、導管が破断し循環が止まれば……魔素は淀み、やがて毒となる。まさに大断裂の爪痕よ」


「……循環施設、ということか」


「うむ。魔素とは大地の血流。都市や森を潤すため、古代エーテリオンは幹線導管を掘り、各地に調整施設を置いた。おそらく沈黙の森の魔晶窟はそのひとつじゃな」


レンは黙って聞いていた。崩落穴の奥に見えた巨大な管と結晶が脳裏によみがえる。


「じゃが今は、調整機構は潰れ、魔素が溢れっぱなし。森の沈黙はその副作用じゃろう。放っておけば新たな災厄の核となるやもしれん」


リューネは紫水晶の瞳を細め、ふと別の笑みを浮かべた。


「……レン、お主、これ以上を探りたくば……え~となんて名じゃったかの。…たしか…エリアス、エリアス・グレイバーグに会うがよいぞ」


「エリアス?」


レンの眉が動く。


「うむ。あやつは古代の研究にかけては、わし以上に詳しい。おそらくいろいろ知っておる。わしが口を利いてやろうかの?」


リューネは考えこみ、

「ただし、あやつは骨の髄まで学者気質ゆえ、口説くのは容易ではないがのぅ」


レンはしばし考え、静かに頷いた。


「……借りる」


「ふふ、素直じゃの。わしも久々に退屈せずに済みそうじゃ。エリアスに伝えておこう。お主が沈黙の森の真実を暴くに足る相手だとな。それで興味がわくじゃろう。明日会いに行くがよい」


リューネは椅子の背に身を預け、いたずらっぽく笑った。


「さて、レン。次はどんなものを持ち帰るか、楽しみにしておるぞ」


レンは軽く頭を下げ、書店を後にした。外の夜風は冷たかったが、胸の奥にわずかな光がともった気がした。沈黙の森の奥に眠るものへと、確かな道筋が見え始めていた。


リューネの書店を出たレンは、夜風の冷たさを頬に受けながら歩みを止めなかった。石畳の上に映る灯火が風に揺れ、背後から聞こえる鐘の音が遠ざかっていく。


『エリアス・グレイバーグに会え』


リューネの言葉が耳に残っていた。古物商。表向きは骨董を扱うただの商人。だがその裏で、古代の研究を続ける男。沈黙の森の真実に迫るには有益そうな相手だ。




翌朝。王都の市場区はすでに人の波で溢れていた。露店から香辛料や果実の匂いが漂い、行き交う商人の声が石壁に反響する。レンは人混みを抜け、目指す路地へと足を踏み入れる。


大通りの喧噪から一転、そこは静かな裏路地だった。薄暗い通りの奥に、一軒の古物店が建っている。木の扉の看板は掠れ、辛うじて古物と読める程度だった。


レンは扉を押し、軋む音とともに店内へ入った。


埃の匂いと羊皮紙の酸味が鼻をつく。棚には古い壺や彫像、欠けた武具や破れた旗が所狭しと並ぶ。窓から差す薄明かりだけが光源で、奥は闇に沈んでいた。


「……いらっしゃい」


現れたのは灰色の髪を撫でつけた壮年の男だった。顎の無精髭の下、瞳は鋭く研ぎ澄まされている。


「エリアス・グレイバーグ氏だな」


レンが切り出す。


「銀髪の少女の紹介で来た。沈黙の森について調べていると聞いた」


その一言に、男の目がわずかに細められる。


「……あの娘の紹介、だと。聞いてないが、まあいい。ならば客ではなく調べに来たと見ていいな」


レンは動じず続ける。


「…この情報はかん口令扱いで頼む。沈黙の森の地下で、破断した導管を見た。流れ込んだ魔素は結晶化していた。あれは調整施設の残骸だろう」


エリアスは沈黙したまま机に手を置き、しばし考え込む。やがて興味を隠せぬように振り返った。


「……沈黙の森、年々範囲が広がっていたから何かあるとは思っていたが…。それにしても初見の相手にかん口令の情報を出してくるとはな。…ちょっと待ってろ」


彼は部屋の奥に入り、しばらく探し物をしていた。部屋から出てくると右手に持った古びた地図を取り出し広げた。羊皮紙には複雑な線が網目のように走っていた。


「これは大断裂以前の導管網の写しだ。おそらく沈黙の森付近につながる枝管がここだ。北方山脈の源泉から幹線に繋がり、余剰を結晶化して吐き戻す循環点だった。だが今は破断し、暴走した魔素が異常を作り出しているのだろう」


レンは視線を落とす。


「……つまり、沈黙の森の枝管は本来、循環の一部だった」


「その通りだ。ただし誤解するな。王都とは直接つながっていない。アストリア王国は大断裂の後に形成された。だが旧枝管の異常は周囲の土地や湖に波及し、やがて王都の安定にも間接的に影を落とすことになる」


レンは小さく頷いた。確かに直結ではない。だが無視できない影響がある。


エリアスは地図を畳み、鋭い視線を投げた。


「導管の異常を掘り下げるなら、敵は魔物だけではない。隠そうとする者、利用しようとする者の思惑も絡むだろう」


レンは別の問いを放つ。


「精神干渉防止具は、森では効かなくなると聞いた。どうするべきだ」


「…ふむ。おそらくその通りだ」


エリアスは息を吐く。


「密閉空間で長年堆積した魔素だまりはダンジョンのように魔晶石ができる場合がある。おそらくだが、魔晶窟内は魔素の波が狂っている可能性が高い。外で通じる符具や護符も中では無力化するだろう」


「なら、外での滞在や観測時に限って使うことにする。内部では撤退基準を厳格にして対応する」


二人は短く視線を交わし、了解を共有した。


「いい情報だった。……この地図の写しを持っていけ」エリアスは羊皮紙を差し出す。「返す必要はない。有効に使ってくれ。だが保管は厳重に」


レンは受け取り、懐に収めた。


「感謝する」


その後、議論を繰り返し、みるみる時間が過ぎていった。


議論が煮詰まりレンが店を出る間際。


「結果は報告する。結果次第だが情報統制されるだろう。くれぐれも内密に頼む」


「彼女がなぜ君を寄越したのか、少し理解できたよ。また来なさい」


エリアスは背を向け、散らばる古物へと視線を戻していた。


古物店を後にすると、陽はすでに傾き始めていた。石畳に長い影が伸び、鐘楼が夕刻を告げる。


懐の地図を確かめ、レンは北東の森へ目を向ける。沈黙の森の導管に踏み込めば、必ず敵を呼び寄せる。


魔晶窟は危険であると同時に有効に活用すれば晶石として財源になるからだ。だが進むしかない。


彼の歩みは、次なる試練を見据えて静かに確固たるものとなっていた。




王都の外れにある宿の二階。レンが借りている一室は、冒険者用にしては清潔で静かだった。厚い木扉を閉めると、喧噪はほとんど聞こえない。


だが、レンは念入りに結界符を取り出し、部屋の四隅に貼り付けた。符が青白い光を放ち、薄い膜が張られる。


「これで声は外に漏れない。念のためだ」


集まっているのは静寂の歯車の四人。リーナは壁際に腰を下ろし、腕を組んでレンを見ている。クラウスは机に肘をつき、興味と不信の入り混じった眼差しを送っていた。


ミーシャは窓際に座り、小柄な体を丸めている。


「情報を得た」


レンは懐から羊皮紙を取り出した。古びた地図が机の上に広げられる。線の複雑な網目が都市を結び、枝管のような道が大陸の各地へ伸びている。


「……これは?」


クラウスの眉が動く。


「古代導管の地図か?そんなもの、王立図書館の禁書庫にすら残っていなかったぞ。まあ、すべて調べたわけではないが」


「情報屋を通して入手した。出所は言えない」


レンは即答した。


クラウスの目が鋭く細められる。


「情報屋ね。だが、こんな完全な写しを即日で?信じろという方が無理だな」


「信じなくていい。ただ、見ろ」


レンは淡々と指を走らせた。


「ここが北方山脈の源泉、ここが幹線。沈黙の森の地下で俺たちが見た枝管は、このルートに合致していた。元は魔素の余剰を結晶化、晶石にして循環させる調整施設だったと考えられる」


「やはり循環調整施設か……」


クラウスは低く呟いた。


「だが今は破断し、魔素が暴走している。魔晶窟が生まれ、精神干渉が発生している理由もそこにある」


リーナが腕を組んだまま眉をひそめる。


「それが本当なら、大問題じゃねぇか。森だけの話じゃ済まねぇぞ」


クラウスは沈黙ののち、視線を地図からレンに移した。


「……不思議だな。大断裂の後、アストリア王国では徹底的に資料が失われた。禁書庫にあるのは断片的な伝承ばかりだ。だというのに、君はどうしてこの情報をつかめた」


「情報を拾い集めただけだ」


レンは表情を変えずに答えた。


クラウスはさらに突っ込む。


「拾い集めた?そんな簡単な言葉で済ませられるか?帝国ですらこれほどの写しを持っているか疑わしい。……まるで、君は大断裂の直後から残る本物に触れたかのようだ」


「深読みしすぎだ、クラウス」


レンは肩をすくめた。


「俺が知りたいのはただの事実だ。誰の手から来たかはどうでもいい」


クラウスの視線にはなお疑念が浮かんでいたが、追及はせず、短く鼻を鳴らした。


「……いいだろう」


「ともかく」


レンは話を進める。


「重要なのは、情報の所在だ。アストリアの禁書庫にすら残っていない。ならどこにある?」


クラウスが顎に手を当てる。


「情報を集めたものが言うセリフではないな。まあ、帝国か、東方諸国連合か……あるいは古代人が大量に移住したシルヴァーヘイヴン神聖国あたりか。大断裂の混乱期に、彼らが記録を持ち去った可能性が高い。特に神聖国は古代観測者の末裔が指導層にいる。導管や大断裂の記録を秘匿していても不思議ではない」


「つまり、情報は奪われ、意図的に隠されている」


レンは冷たく言った。


「俺たちが調べれば、十中八九盗んだと疑われるだろう」


リーナが唸る。


「政治に巻き込まれるってわけか」


「そうだ」


レンは頷いた。


「おそらく資産価値は国家級。導管の知識と失われた魔晶石の安定化技術が結びつけば、王国の運命を左右しかねない。だからこそ危険でもある」


沈黙を破ったのはミーシャだった。小さな声だが、確信に満ちていた。


「……わたしの索敵が役に立つ?」


レンは視線を向ける。


「ああ。あの森での異常は、普通の地図や符術では探れない。だが君の感覚なら、隠された歪みを見つけられるはずだ」


ミーシャは唇を引き結び、うなずいた。


「……やってみる」


クラウスは腕を組み直し、冷静に言った。


「だが情報をどう扱うかが問題だな。持ち帰れば王国に利用され、隠せば敵対勢力の疑いを受ける」


「統制する」


レンは言い切った。


「全てを報告する必要はない。だが虚偽を並べれば信頼を失う。真実と虚偽を混ぜ、誰にも全貌を握らせない。それが唯一の道だ」


リーナは口笛を吹いた。


「ずいぶん腹黒いじゃねぇか」


「腹黒くなければ生き残れない」


レンは淡々と返す。


地図の端を押さえ、レンは指で複数の地点を示した。


「沈黙の森だけじゃない。導管が破断し、結晶化の兆候を見せる場所は他にもあるはずだ。湖が異様に光を帯びていた記録、山が歌うと伝えられる村……類似例はいくつか見つかっている」


クラウスが目を細めた。


「それを全部調べるつもりか。正気の沙汰じゃないな」


「正気で世界は救えない」


レンは静かに返す。


沈黙が落ちた。リーナが大きく息を吐く。


「規模がでかいな、まあいい。どうせついてく。やるなら徹底的にやろうじゃねぇか」


ミーシャも小さく笑った。


「……わたし、きっと役に立つから」


クラウスは渋い顔をしたままだったが、地図を見つめ、最後には苦笑を浮かべた。


「……君の異常な調査力、すでにおかしいが今に化け物じみたものになるだろうな。だが、未知なるものの発見は大歓迎だ」


レンは答えず、ただ地図を巻き直した。結界が音もなく消え、夜の静寂が戻る。


すでに宿の外は深夜になっていた。

レンは一人、机に残った導管の地図を見つめていた。沈黙の森の異常。隠された真実。


敵は魔物だけではない。


彼の瞳には冷たい光が宿っていた。やがて迫る政治と戦乱の影を前に、彼はさらに深く、静かに備えていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ