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黄昏と黎明のアストリア  作者: 空想好き
第1章:Bランクの日常と歪な契約
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第7話 渓谷の調査 ①

渓谷へ向かう静寂の歯車の背中が、王都の門の向こうに消えた夜。

その頃、王都アステリアでは、別の戦場が静かに開かれていた。


西の塔、ユリウス王子の客間。窓の外の月光は白く街を洗っているのに、室内の空気だけが妙に冷たい。


卓上のチェス盤。ユリウスは白の騎士を摘み、盤上に打ち付けるように置いた。指が小さく震えているのを、彼自身は気づいていない。


「本当にいいのですか。レンが自ら志願したとはいえ…」


アリアの声は張られていたが、そこに混ざるのは祈りに近い不安だった。彼女は王家の血ではない。けれど、男女を超えユリウスが最も信頼を寄せる友だった。


ユリウスは答えに詰まった。王族としての理屈ならいくらでも用意できる。だが胸の内は理屈よりも心臓の鼓動が勝っていた。


「……いいわけがない」


しばし沈黙のあと、彼はようやく言葉を紡いだ。


「だがレンは自分で選んだんだ。僕たちが命じたわけじゃない。彼は、彼自身の信念で歩いている」


駒を再び握る。盤面は整然としているのに、王子の手元だけが乱れていた。


「僕らの目的は、宰相の政略結婚を力で壊すことじゃない。世論をこちらに引き寄せることだ。そのために欲しいのは、派手な一勝じゃない。積み重ねた結果なんだ」


言葉は淡々とした説明に聞こえたが、ユリウスの青い瞳には苛立ちと焦燥が混じっていた。英雄を必要としているのに、その英雄を危険にさらすしかない。そんな矛盾が胸を灼いていた。


アリアは王子をじっと見つめ、静かに頷いた。

「レンはやり遂げます。彼が戻らぬ時は……私が果たします」


口元に宿る決意は祈りと同じ色をしていた。


ユリウスは駒を倒し、深く息を吐いた。


「君がいるのがせめてもの救いだ。…神がどうあれ、僕は友を失いたくない」


その声には、為政者の冷徹さではなく、ただの若い男の不器用な心情が滲んでいた。




場面は切り替わる。城の反対側、宰相バルトロメウスの執務室。分厚い帳が夜を遮り、燭台の火が机上の羊皮紙を赤く照らしている。


「報告が届きました。静寂の歯車がワイバーン調査を受諾」


ヴァロワ伯爵は微笑みを浮かべたまま羊皮紙を差し出す。


宰相は窓外を見据えた。彼の眼差しは遠い記憶を映していた。二十年前の戦乱、王妃を失った夜、国が崩れかけた苦い轍。


「彼らを憎んでいるのではない。ただ、英雄譚が暴走すれば国は再び戦に引きずり込まれる。あの過ちを繰り返すわけにはいかぬ」


ヴァロワは口角を僅かに吊り上げ、羊皮紙を机に広げる。そこには情報屋ゾルディから得た行動記録が記されている。レンの戦術傾向、地形図、風の流れ。


「ただの失敗では足りません。二度と立ち直れない傷を与えるべきです。突発的混乱に弱い。ならば、そこを狙う」


声に嘲りはない。ただ淡々とした確信だけがある。


「私の駒が動きます。無傷の英雄など、長くは要らない。顔に刻まれた一筋の傷で十分でしょう。どれほど癒えても、人々の目はそれを忘れません」


宰相は目を細め、低く返した。


「我らの手が露見してはならん。目的は一つ、国を守ることだ」


ヴァロワは満足げに頭を垂れる。


「承知しました。隠密に、確実に」


密談が終了し宰相がいなくなった後、ヴァロワは指を鳴らした。闇が揺れ、一つの影が立ち上がる。蝋燭の火さえ届かぬ場所から現れたその存在は、音もなく主の命を待つ。


「シャダ。舞台を整えよ。主役の顔に傷を残せ。ただし、痕跡は決して残すな」


影は返答せず、ただ空気の中へ溶けるように消えた。室内に残ったのは燭火の揺らぎだけだった。


王都の盤上で駒が一つずつ置かれていく。


ユリウスの胸には友を失わせまいとする熱があり、宰相の卓上には冷徹な計算があった。

その狭間に静寂の歯車の運命が置かれていた。まだ誰も知らぬままに。




王都を出てからの街道は整備されていた。交易都市へ続く幹線ゆえに馬車も多く、初めは人の声と蹄の音に包まれていた。


しかし進むほどに道は細くなり、往来の姿もまばらになる。森の深みへと分け入る頃には、風が冷たくなり、鳥の鳴き声が減った。


レンは歩みを止めず、ただ前方を睨み続ける。視線は路傍の草木、獣道、折れた枝、痕跡を探す眼差しだった。


「足跡、三つ並んでる」


ミーシャが小声で告げた。


柔らかな土に沈んだ蹄跡があった。だが鹿や馬のものとは違い、爪の形が鋭い。


「魔物か」


リーナが盾を軽く叩いた。


「深さからして、体重は相当だな」


クラウスが膝をつき、符を走らせて計測する。


レンは記録板に符号を書き付ける。

「行軍を続ける。交戦は避ける」


森を抜けると丘陵地帯に入った。乾いた風が強く、草は膝丈で途切れる。地表には白く風化した骨が転がっていた。


リーナが拾い上げて言う。


「獣の骨だ。噛み砕かれてる」


「形状からして、狼型魔物に狩られた可能性が高い」クラウスが分析する。


「……だが、食い残しが多い。普通の捕食じゃない」レンの声は淡々としていた。


進むごとに、空気はさらに荒れていく。風は谷へと吸い込まれるように流れ、低くうなる音が響く。まだ渓谷は視界に入っていないのに、その存在感だけがじわじわと圧してきた。


野営地を探す必要が出てきた。森と丘陵の境、岩と木々が入り混じる場所を選ぶ。リーナは大盾を地に伏せ、風除けを作る。


クラウスは符を散らし火を起こし、ミーシャは木立の間に警戒符を刻む。


焚き火が赤く灯る頃、四人の影が揺れた。


「ここなら匂いは谷に流れない。夜は凌げる」


リーナが周囲を見回す。


「結界符は二重にしておいた。三十分ごとに交代」


クラウスが短く告げる。


「了解」


ミーシャが微笑みながら枝を火に投げ込んだ。


レンは少し離れた岩に腰を下ろし、記録板を広げる。今日見た痕跡を一つずつ符号で刻む。焚き火の赤が彼の横顔を照らし、陰影を深く落とす。


「レン」


リーナが低い声で呼んだ。


「無理に抱え込むなよ。あんたの肩一つで全部支えるには、谷は重すぎる」


レンは返事をせず、ただ筆を止めずにいた。焚き火の音と、遠くの獣の声だけが夜を満たす。


月が森の梢越しに顔を出し、夜営の場を青白く染める。谷はまだ見えない。だがそこに口を開ける闇が、確かに近づいていることだけは、全員が理解していた。


渓谷に足を踏み入れた瞬間、ひやりとした風が頬を撫でた。岩壁には古い爪痕が残り、時折、遠雷のような翼音が響く。


「……ワイバーン、今日は姿を見せてないね」


ミーシャが低く呟く。


「おそらく飛行経路を外れている。明日以降、リスクが増える」


レンは記録板にさらさらと符号を書きつける。


翌朝、森を抜けた一行の前に、世界が裂けたかのような光景が広がった。

大地が唐突に途切れ、どこまでも続く断崖が口を開けている。


風は谷底から吹き上がり、わずかに腐敗臭を含んで喉を刺した。


リーナが眉をひそめ、大盾を握り直す。


「……これが、ワイバーンの谷か」


クラウスは口元を布で覆いながら頷いた。


「空気が重い。ここで長居は危険だ」


クラウスは慎重に崖の縁へ歩み寄り、符を放つ。光が弧を描いて谷へと沈み、数秒後に岩壁を照らした。


照らした岩壁をミーシャが確認する。


「……見える。骨が散らばってる。大きいのも、小さいのも」


彼女の声は硬かった。


レンは崖下を凝視した。視線はわずかな影や乱れを拾い、記録板に符号を書き記す。


「飛行経路はまだ断定できない。だが谷底には捕食した痕跡がある。谷底で堆積している魔素だまりの濃度を調べる必要があるな」


その場で拠点を築くのは無謀だった。風と臭気が強すぎる。レンはワイバーンの警戒網(稜線)を越えない、谷を見下ろせる場所を選ぶ。


「稜線の北側だ。谷を監視できる位置で、退路も確保できる」


拠点設営に選ばれたのは、崖から少し離れた森の縁。風下を避けた小さな高台で、木々に囲まれ視界も遮られている。


リーナは大盾を地に伏せ、焚き火の風よけを作った。クラウスが符を散らすと、枝先に火花が走り、乾いた薪がはぜる。ミーシャは外周に警戒符を刻み、木立の間に目印を残していく。


焚き火が安定すると、四人の顔に光と影が交互に浮かんだ。


「ここなら谷の冷気も届かない」


リーナが周囲を見回す。


「結界は三重にした。三十分ごとに交代で巡回する」


クラウスの声は淡々としていた。


「了解。夜目も効くし、私が最初に回るよ」


ミーシャが微笑みを浮かべた。


レンは少し離れた岩に腰を下ろし、記録板に符号を刻み続ける。


「……谷の崖面、複数の窪みを確認した。すぐに巣と断定はできないが、警戒は必要だ」


焚き火の音だけが夜営を包む。谷の腐敗臭は遠ざかり、森の匂いがそれに取って代わった。


森は静かではなかった。遠くで獣の声がし、風が梢を揺らす。しかしそれは谷で聞いた雷鳴のような翼音とは違い、柔らかく耳に残る。


焚き火を囲んだ仲間たちに、ようやく僅かな安堵が訪れる。


「谷の匂いがしないだけで、別世界みたい」


ミーシャが枝を火に投げ込みながら言った。


「油断はできないけどな。夜中に獣が寄ってくるかも」


リーナは盾に寄りかかりながら答える。


「そのための結界符だ。持たせてみせる」


クラウスの口調は短い。


レンは筆を止め、火と仲間を見つめる。谷底の死臭と、この森の湿った土の匂い、二つの世界を隔てる境界を、彼は記録板の隅に符号で記した。


月が梢越しに揺れ、焚き火が赤く踊る。

ここは、谷を睨むための拠点であり、同時に「生」を確かめられる唯一の避難所でもあった。


翌朝、改めて崖の調査に入った。


観測を続けると、岩壁に黒い影が群れを成して張り付いているのが見えた。やがて羽音が重なり、甲高い鳴き声が谷に反響する。


「ハーピー……!」


ミーシャが素早く身を伏せた。


女の体躯に翼を持つ魔物たちが、岩穴から飛び出して群れを作り、渓谷を渡る風に乗る。十、二十……数を数えるのが無意味に思えるほどの群れだった。


リーナが盾に手をかける。


「この数、まともにやり合ったら無傷ではいられないな」


「戦う気はない。観測だけだ」


レンの声は冷ややかだった。


ハーピーの群れが旋回し、やがて遠ざかる。谷に再び静寂が戻ると、今度は別の気配が現れた。


谷底の影の中で蠢くものがある。巨体を引きずるような音、岩を砕くような音が風に紛れて届いた。


「……オーガか、それに近い魔物だな」クラウスが声を落とす。

レンは頷き、記録板に記す。


「谷は複数種の群れが入り乱れている。支配しているのはワイバーンだろうが、周辺に生息する魔物も多い」


静寂の歯車は渓谷の魔物の生息状況をつぶさに観測していった。




そのころ、静寂の歯車とは別の気配が谷付近で静かに行動していた。


朝の谷は薄靄と冷気に包まれており、岩棚に身を潜めるジュダは風の一部のように動かない。彼の気配は闇そのもの。生ある者の視界から外れた存在だった。


ハーピーの群れの大半は夜明け前に狩りへ出払った。だが岩穴には数体のハーピーが残り、巣を守っていた。羽根を震わせ、甲高い声を漏らしながら卵に寄り添っている。


ジュダは岩肌を這い、影と同化する。間合いを詰めた瞬間、指先がわずかに光を帯びた。闇属性の術。動作は一閃、だが音は生まれない。


一体、二体。首筋を断ち切られたように崩れ落ちる。羽音も悲鳴もない。残りも同じ。冷たい刃のような手際で、数呼吸のうちにすべてを刈り取った。


岩穴に残るのは守られていた赤黒い卵とハーピーの事切れた骸。


巣は沈黙した。


ジュダは布を広げ、卵を次々と包み込む。殻の温かさと、内側でかすかに震える影が掌を伝う。ひとつ、ふたつ、みっつ……重みが革袋に加わるたび、彼の目は冷たく細まった。


ダンジョンとは異なり、魔素へと還元されない骸、加えて卵も奪えば群れは確実に発狂する。怒りは理屈を越え、きっかけがあれば最も近い存在を敵と断じるだろう。


手始めに、岩穴の出口付近に卵を一つ、地面にたたきつける。袋の口を結ぶと、彼は岩陰に溶け込んだ。


眼下では静寂の歯車が崖を調べていた。ドワーフの女が大盾から小型の盾に変え、エルフの男が結界を張りつつ風を読む。


小人族の女は周囲を警戒し、リーダーの男は記録板を開いたまま崖下を凝視している。


崖を下りる瞬間が最も隙を生む。視線は下に奪われ、耳は風にさらわれる。


ジュダは静かに息を殺し待機した。母群れが戻るまで、ただ沈黙の中に潜み続ける。


準備は整った。




一方、静寂の歯車は崖下の調査に向けて準備を整えていた。


風が渓谷を吹き上げる。谷底はまだ深い影の中に沈み、その姿を現さない。だが、漂う腐敗臭と湿気の濃さは、確実にそこが死の領域であることを告げていた。


レンたちは岩壁に降下具を取り付け、慎重に崖を下っていく。


リーナは重い大盾をアイテムボックスに収め、軽量の小型盾を装備していた。鎧も足場の危うさを考慮して最低限に抑えている。


ミーシャは軽快に先行し、前方を警戒しつつ進路を探る。クラウスは符を操り、谷風の流れを計測していた。レンは最後尾で全体を監視し、記録板に符号を刻みながら下方を見下ろす。


「……痕跡の有無にかかわらず、昼前には必ず戻る。もし何かを見つけたら、一旦崖上に引き返す」


レンの声は風に溶けるように冷たく響いた。仲間たちは短く頷き、緊張を深める。


やがて岩肌の陰に口を開ける黒い穴を見つけた。入口は人が二人並んで通れるほどの広さがあり、内部は奥へと続いている。


「岩穴……!」


ミーシャが囁き、先に身を屈めて中に入る。


四人は符の光に照らされながら足を進めた。内部は十歩ほどで行き止まり、天井は低いが広さは十分にあった。


骨が散乱している。大小さまざまだが、中には人の背丈を超えるほどの大きさのものもある。血痕は完全に風化し、肉は削がれ、腐敗臭もほとんど残っていなかった。


レンが骨を拾い上げ、低く言った。


「使用されたのは相当前だ。……大型の魔物がいた可能性は高いが、今は空だ」


ミーシャは目を閉じ、気配に意識を集中する。


「……反応はない。魔物はもういないみたい」


リーナは壁に触れ、残念そうに鼻を鳴らす。


「痕跡はあるのに、何がいたのかはもうわからんか……」


クラウスもため息をついた。


「せめて羽の一枚でも残っていればな」


短い調査を終え、レンは記録板に刻みつける。


「避難には使える。ただし、長居はできん。確認は終わりだ、出るぞ」


四人は岩穴を後にし、再び崖を下り始めた。


――その矢先だった。


狭く抉れた岩棚を通過しようと、ミーシャが体勢を崩さぬよう慎重に横移動する。

背中の荷袋が岩壁に擦れ、わずかに揺れた、その瞬間。


「……っ!?」


上方から何かが落ちてきて、乾いた音を立てて袋にぶつかった。赤黒く染まった殻が砕け、粘つく膜が荷袋にべったりと張り付く。


「卵……?」


ミーシャの声が震えるより早く、谷を震わせる甲高い絶叫が響いた。


「キィィ――ッ!」


断崖の縁から影が崩れ落ちるように飛び出した。十数体のハーピーが、卵の匂いめがけて雪崩のように舞い降りてくる。


翼が風を裂き、鋭い爪が岩肌を削る。怒りに燃える赤い瞳が四人を捉えていた――。


「なぜ……ここに!?」クラウスが呻く。


通常、ハーピーは人間を避ける。だが今は違った。狂乱に突き動かされた群れが、一点を狙って殺到してくる。


「……狙われてるの、あたし!?」


ミーシャが慌てて振り返る。


その背の荷袋に、べったりと赤黒い卵の殻が貼り付いていた。ひび割れたそれは、上方から投げ落とされたものだった。


粘つく膜が匂いを放ち、谷風に乗って群れの本能を刺激していたのだ。


「卵……投げ込まれたか!?」


レンが即座に気づく。罠だ。意図的に仕組まれた。


「しまった!」


ミーシャが矢を番えようとするが、群れの速度はあまりに速い。


次の瞬間、リーナが動いた。


「貸せ!」


彼女は迷いなくミーシャのかばんを引き剥がし、小型盾を掲げた。そのまま群れの進路に立ちふさがる。


「来い、こっちだ!」


甲高い鳴き声が一斉にリーナを捉えた。狙いは完全に切り替わる。群れは卵の匂いを宿すかばんを執拗に狙い、鋭い爪が盾を打ち据えた。


金属が悲鳴を上げ、衝撃がリーナの体を震わせる。


「リーナ!」


ミーシャの声が悲鳴に変わる。


「下がれ!私が止める!」


盾役の本能。彼女は一歩も退かず、爪撃を正面から受け続けた。崖際での迎撃は危険だと理解していても、仲間を守るために動きは止まらない。


レンは冷徹に状況を分析した。


卵の殻。仕掛けられた罠。群れの異常な執着。

リーナの立ち位置。


――彼女が落ちる確率は、高い。


「リーナ、戻れ!」


レンが叫ぶ。


「無理だ!」


盾が砕けそうな音の中、彼女は短く返す。


群れの一体が捨て身の体当たりを仕掛け、岩盤が悲鳴を上げる。

崖の縁が崩れ落ち、粉塵が舞った。


「リーナ!」


クラウスの声が響く。


次の瞬間、彼女の足場が完全に砕けた。


小型盾を抱えたまま、リーナの身体が闇に飲み込まれていく。仲間を庇い、かばんを抱えたその姿勢を崩さぬまま。


レンの胸に氷の刃が突き立つような痛みが走った。頭脳は冷静に回転を続けるのに、心臓だけが凍りつく。


「……ッ!」


谷底へと消える影。その残響が、彼の視界を赤く染めた。

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