幕間 鉄と誇りの枷
2話連続投稿です。
その夜、宿の共有スペースは、珍しくリーナだけのものだった。
床に布を広げ、愛用の大盾を置き、光の反射を抑制させ表面の鈍化加工を強めるためにひたすら砥ぎ続ける。修復を終えたばかりの盾にはまだ生々しい継ぎ目が走り、金属の冷たい匂いが漂っていた。
砥石が奏でる規則的な音が、夜の静寂を刻む。彼女にとってそれは祈りに近い儀式であり、落ち着きを取り戻すための習慣だった。
(……まだ甘ぇな。あのワイバーン相手じゃ、目立つ盾なんざ、ただの的だ)
指先で刻まれた古い紋様をなぞる。無骨で誇り高い印は、自分が捨ててきた過去そのものだった。
アイアンピークの工房。炉の赤光に照らされ、若きリーナは長老たちの前で設計図を広げていた。
「この盾は、ただ硬いだけじゃねえ。表面を削って光を反射しにくくすれば、目立たず立ち回れる。取っ手を改良すりゃ強風でも手を離さねえ。外の戦場を見てきたから分かるんだ――仲間を守るには工夫が要る!」
その声を、大長老の冷徹な一喝が切り裂く。
「リーナ。お前は外の空気に毒されすぎだ。我らの誇りは不変にある。数千年積み重ねた製法こそが力だ。理屈をこねるばかりのエルフや、短命で軽薄な人間どもを真似る必要などない!」
「ですが!」
「口答えをするな!」
工房を震わせる声。
「外の真似事をしたいなら、この氏族から出ていけ」
その絶対の拒絶に、リーナは故郷を出た。頑固な誇りに縛られた場所では、自分が求める守る強さを得られないと悟ったからだ。
ワイバーン相手に震えそうになる今でさえ、その選択だけは一度も間違いだと思ったことはない。
「……野蛮なドワーフは、武具の手入れまで騒がしいな。まるで岩を噛むオークだ」
背後から皮肉。クラウスだ。抱えた古文書の重みでも姿勢は崩さず、冷ややかに見下ろしている。
「うるせえな!この野蛮な盾が、あんたのひょろ長い身体を何度守ったか、数えてみろよ!」
いつもの口論。だが、その声には今日は怒りだけでなく、微かな哀しみが滲んでいた。
クラウスはわずかに眉を寄せたが、それ以上は言わず、ただ鼻を鳴らして階段を上がっていった。
リーナは一人残され、盾を見つめて息を吐く。
(……結局、石頭ばかりだ。故郷も、クラウスも、そして――)
窓を仰げば、消えぬ灯りがレンの部屋に揺れている。
(……あいつも似てるのかもな。完璧さに縛られて、融通が利かねえところが)
だがすぐに、唇の端に笑みを浮かべた。
(けど、違ぇのは――あたしはもう逃げねえ。仲間を守るために、この盾を使う。たとえ相手がワイバーンだろうと)
夜の静寂に、その決意は溶けた。だが確かにそこにあったのは、故郷を飛び出した彼女が得た、新しい仲間を守る誇りだった。




