第5話 王都の朝、噂と影 ②
翌朝、王都アステリアの中心にそびえる冒険者ギルド本部。
石造りの柱が連なる広間は、朝から依頼を求める冒険者たちで賑わっていた。
その片隅で、黒髪の青年レン・ヴェリタスは人目を避けるように受付へ近づく。仲間は同行していない。足音も気配も抑え、周囲の視線を引かぬまま、彼は受付嬢エララの前に立った。
急に目の前に現れたかのようなレンの出現にエララは一瞬目を丸くするが、レンと分かり、気配を消していたことから内密にしたい旨をすぐさま把握した。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
控えめに声をかけたエララに、レンは依頼票を差し出す。
「導管調査の件だ。正式に受ける前に確認したいことがある」
彼は声を落とし、周囲に聞かれぬように続けた。
「導管の流速を測る器具と、瘴気の濁度を測る器具が必要になる。工匠組合に紹介してもらいたい」
エララは小さく瞬き、すぐに頷いた。
「承知いたしました。工匠組合の方にお繋ぎいたします」
レンは一礼だけを返し、簡潔に尋ねた。
「扱いは複雑か?」
「いいえ。導管に押し当てれば針が動きます。それが流速計です。濁度計は瓶の液体が瘴気に触れると色が変わり、数値は見本表の板があります。それだけ覚えていれば十分です」
「了解した」
レンは間を置かず、さらに一言付け加える。
「ついでに、今回のアイテムボックスの市場価格も把握しておきたい。大まかな相場でいい」
エララはわずかに眉を動かした。
「……レンさん、通常は非売品です。小型のサイズならまだしも中型クラスになるとギルドや王国が直接管理し、冒険者に出回ることはまずありません。相場表など存在しておりません」
レンは視線を逸らさず続ける。
「過去の取引実績でもいい。参考程度に聞いておきたい」
「……公にはできませんが、例外的な売買や功績による譲渡が行われた記録はございます。中型となると、国家間の取引や上級貴族がらみで、金貨数百枚規模……。それも、条件や背景によって大きく変動します。一般冒険者が即金で買えるものではありません」
「十分だ」
レンは簡潔に頷き、話を打ち切った。
エララは小さく頷いた。
「承知いたしました。工匠組合にお取次ぎいたします」
レンは軽く頷き、それ以上は言葉を重ねなかった。
それ以上は問わない。必要最低限だけを確認したレンは踵を返し、また喧騒の中に紛れていった。
ギルド本部の裏手、工匠組合の分室。
石造りの一角に設けられた作業場には、油の匂いと鉄を叩く乾いた音が満ちていた。棚には部品や魔道具の欠片が所狭しと並び、職人たちが黙々と手を動かしている。
案内されたレンを出迎えたのは、髭を蓄えた壮年の工匠だった。厚い前掛けには煤と油の染みがいくつも刻まれている。
「……お前がヴェリタスか。ギルドから話は通っている。導管調査用の器具だな」
男は机の上に二つの器具を置いた。
ひとつは手のひら大の金属筒、魔素流速計。導管に当てれば針が光り、流速や圧力を示す。
もうひとつは符術を刻んだ薬液瓶、瘴気濁度計。瘴気に触れると液体が変色し、付属の板で濁度がわかるよう見本がつけられていた。
工匠は淡々と説明を終えると、レンに視線を投げた。
「扱いは難しくない。導管に当てればいい。瘴気を嗅ぎすぎるな、それだけは肝に銘じろ」
レンは無言で器具を確かめ、必要な手順を確認すると短く答えた。
「理解した」
工匠は頷き、書類に印を押す。
「貸与は任務期間中のみだ。壊すなよ。調査が済んだら必ず返却しろ」
レンは器具を革製のケースに収め、静かに背を向けた。
革製のケースを抱えたまま、レンは工匠の案内で分室奥の訓練用導管へと通された。壁際には試験用に設置された短い導管の一部が露出し、周囲には淡い魔素が漂っている。
工匠が顎で示す。
「ここで動かしてみろ。使い方は知っておくべきだ」
レンは無言でケースを開き、魔素流速計を取り出す。手のひらほどの金属筒を導管表面に押し当てると、針が淡い光を放ちながら震え、やがて安定した緑の枠内を示した。
「流速、正常範囲、圧力も基準値内」
呟きは報告ではなく、自身の確認にすぎない。
工匠が鼻を鳴らす。
「そうだ。それが緑なら導管は健康だ。針が黄色の枠内に振れたら要注意、赤に届けば異常値だ」
レンは軽く頷き、次に瘴気濁度計を手に取った。瓶の中で揺れる青白い液体を、訓練用の瘴気噴出口に近づける。液体はすぐに薄い紫に濁り、符板と比較し「濁度・小」と判別した。
「変色の速度と数値の安定が重要、か」
「そういうことだ。赤黒く濁ったら即撤退しろ。精神をやられてからじゃ遅い」
レンは瓶を傾けて液体の揺らぎを観察し、符板の数字を確認してから再びケースに収める。必要最低限の挙動と反応を記憶に刻み込むと、短く言葉を残した。
「理解した。問題ない」
工匠は腕を組み、じろりと彼を見た。
「本当に理解した顔だな。なら返す言葉はない。導管は人の血管みたいなもんだ。雑に扱えば都市ごと死ぬぞ。俺はガノッサだ。なにかあったらまたこい」
レンは返答をせず、一礼だけを残して分室を後にした。
外に出れば、石畳に夕陽が差し込み、王都の喧騒が耳に届く。ケースを手にした青年の足取りは変わらず静かで、周囲に気配を漏らすことはなかった。
調査に備える準備は、これで整った。
王都近郊、迷宮外郭に設けられた臨時の拠点。
広場の中央に設置された大天幕には、合同調査に参加する十余のパーティが集っていた。鎧の金属音、獣皮の匂い、見慣れぬ武具の影。まるで小規模な軍の出陣前の光景だった。
そこに立つのは、蒼穹の矢リーダー、エルン・ハルバード。鋭い眼光を持つ狩人であり、索敵の名手と評される男だ。
「全員、静まれ」
低く響く声にざわめきが収まる。
「調査範囲は三つ。まず王都南の導管路、次に東方丘陵を通る支線、最後に迷宮外郭へ繋がる主流。これを我らで分担し、二週間以内に異常の有無を確認する。索敵と記録は必須、交戦は最小限とする」
彼の声は理路整然としていた。周囲のパーティリーダーたちは頷き、順に志願を表明する。
紅蓮の刃のドラン・ヴァルガスが叫ぶ。
「俺たちは南を行こう。戦いがあるなら俺たちが前に出る!」
黒犬の牙のザグロス・フェルディーンが薄笑いを浮かべる。
「じゃあ俺たちは東だ。夜目も利くし、地形の罠も嗅ぎ分けられる」
白銀の環のセリーナ・リィンは穏やかな声で言った。
「では私たちは南に同行し、治癒と補助を担います」
エルンが頷き、視線をレンに移す。
「静寂の歯車はどうする?」
レンは短く答えた。
「単独行動で外郭主流。最短で終わらせる」
その言葉に周囲がざわつく。主流は最も広範で、負担が大きいはずだった。だがレンの瞳には一片の迷いもなく、エルンはやがて頷いた。
「わかった。ただし、主流は私たちのパーティも並行して調査し精度を高める」
調査は始まった。
各隊がそれぞれの持ち場へ散る。南へ向かう紅蓮の刃と白銀の環、東へ向かう黒犬の牙。そして外郭主流に踏み込むのは、蒼穹の矢の一部と静寂の歯車だった。
Cランクパーティも静寂の歯車以外にそれぞれ配置される。
大地を貫く導管は石造りのトンネルのように地中を走り、所々で魔素の光が漏れ出している。その光は本来淡い青だが、所々にわずかに濁った赤が混じり、異常を示していた。
エルンが短弓を背に、進路を示す。
「導管は蛇のように枝分かれしているな。俺たちが索敵を担うからお前たちは後ろを…」
だが言葉は途中で途切れた。
レンは先頭に立ち、革のケースを開いた。中には、事前に工匠組合から貸与された魔素流速計と瘴気濁度計が収まっていた。
「こちらは測定を行っていく。蒼穹の矢は先行して安全の確認と調査を願う」
(あの測定器はなんだ。そして、今回のリーダーは私なんだが…)
エルンは少し困惑した顔をして、
「…わかった、先行する。みな!私に続け!静寂の歯車も調査に時間をかけ過ぎないように!」
そう言って先に進んでいった。
先行したパーティーたちの足音が消え、静かになった後、
「計測を開始する」
レンは魔素流速計を導管表面に押し当てた。針が淡い光を放ちながら震え、やがて黄色寄りで止まる。
「流速、低下傾向。圧力変動あり。基準値を下回っている」
呟きは仲間への報告ではなく、自身の確認にすぎなかった。
リーナが大盾を支えながら覗き込む。
「見た目じゃ分からんもんだな。光ってるだけに見えるが……針の色で危険度が分かるのか」
「数値は誤魔化せない」
レンは淡々と答え、羊皮紙に記録を走らせる。
クラウスが眼鏡を押し上げる。
「器具で得られるのはあくまで流速と圧力だな。だが、この変動率なら、逆流が始まるのも時間の問題だ」
次にレンは瘴気濁度計を取り出し、瓶を亀裂に近づけた。液体は青白から紫に濁り、符板に「濁度・中」と表示される。
「精神影響の危険域。滞在は一時間が限界。安全の確保も必要か」
リーナが顔をしかめた。
「頭痛や吐き気ってやつか。瘴気に長くいれば戦えなくなる。厄介だな」
「調査には時間制限があるということだ」
レンは記録を続ける。
通路を進むごとに、導管は枝分かれし、複数の交差部へと至った。
レンが器具を当てては記録する作業を繰り返していると、不意にミーシャが立ち止まった。小柄な体を竦ませ、導管の一部をじっと見つめる。
「……待って」
リーナが振り返る。
「どうした、ミーシャ」
彼女は答えず、導管に手を触れ、目を閉じた。しばし沈黙が流れ、やがて低い声で呟いた。
「流れが、裂けてる。ここだけ濁って、詰まってるみたいに、ざわざわしてる」
クラウスが驚きに目を細めた。
「ミーシャ……今のは何だ?ただの感覚じゃないな」
ミーシャは困惑したように首を振る。
「わからない。でも、直接流れが響いてくる。音でも匂いでもなくて……見えるっていうか……」
リーナが半信半疑で問い返す。
「まさかとは思うが、導管の中なんて覗けるのか?」
「……うん。魔素の塊みたいなのが渦を巻いてて、流れを塞いでる」
レンは黙って濁度計をその箇所に近づけた。液体は一瞬で濁り、符板は「濁度・高」と跳ね上がる。
リーナが目を剥いた。
「……本当だ。さっきより濃い数値だ」
クラウスは吐息を漏らし、興奮を抑えきれない様子で頷いた。
「魂視……あるいはそれに類するものか。彼女は導管内部の魔素の歪みを直接認識している……信じ難いが、器具の数値と一致している以上、否定できん」
ミーシャは不安げに呟く。
「でも、じっと見てると頭が痛くなる。長くは耐えられないみたい……」
レンは静かに目を伏せ、短く言った。
「確認終了。記録する」
羊皮紙に追加で「ミーシャによる目視観測:濁度計一致」と記載を考え、一旦保留にした。
以降の調査は劇的に効率を増した。
ミーシャが導管に触れ、目を閉じるだけで異常箇所を言い当てる。その直後にレンが器具で確認すると、必ず数値が一致した。
クラウスが舌を巻く。
「器具で十分以上かかる作業を一瞬で……魔素の可視化がこれほどとは…。索敵の域を超えている。斥候として完璧な能力だ」
リーナも感嘆を隠さなかった。
「ミーシャ、お前本当にすごいぞ。俺たちが汗かいて探すよりずっと早い」
ミーシャは頬を赤らめ、視線を逸らす。
「……怖いんだよ。見えると、頭の奥が締め付けられる。導管が泣いてるみたいで……」
クラウスは真剣に考え込む。
「精神に直接干渉しているのだろう。過負荷は危険だ。訓練次第で制御できる可能性もあるが……」
レンは一切表情を変えず、淡々と次の指示を出した。
「一時休憩、休憩後、次の分岐を調査する」
調査を終える頃には、異常箇所の地図がほぼ完成していた。
レンによる地形の把握と流速計と濁度計による客観的数値、ミーシャの観測による直感的な位置指定。その両者が重なることで、記録は寸分の狂いもなく整えられていく。
レンはまとめ上げた図を見下ろし、内心で静かに結論を下す。
(効率は三倍以上。彼女ひとりでAランク斥候に匹敵している。だが、この能力はまだ外部に知られるべきではない)
羊皮紙には、器具で測定した数値だけを記録した。
ミーシャの観測については一切触れない。
「本日の調査は終了。撤収する」
リーナが盾を担ぎ直し、クラウスが眼鏡を押し上げる。ミーシャは安堵したように深呼吸し、仲間の背に追いついた。
王都外郭の地下通路を巡る導管調査は、驚くほど順調に進んだ。
ミーシャの魂視、魂の目が異常を言い当て、レンの器具による数値確認と完全に一致する。測定は正確かつ迅速で、想定の三分の一の時間で主要ルートの調査が完了してしまった。
リーナは肩をすくめて苦笑した。
「……これじゃ早すぎるな。二週間かかるはずの調査を、四日で終わらせたら余計な目を引くだろう」
クラウスも頷く。
「異常な効率は、むしろ不審を招く。調査の正当性を疑われる危険があるな」
レンは黙って羊皮紙を見下ろし、数値の羅列を確認する。
「予定通りの日数を消化する。ここで一旦休息を取れ。残りの調査は俺が単独で行う」
リーナが目を丸くした。
「おい、レン。お前ひとりで大丈夫か?」
「器具を扱うだけだ。危険はない」
クラウスが後押しする。
「むしろ合理的だ。俺たちが休んでいればそれぞれ分かれて調査したり等、周りは勝手に憶測する」
ミーシャは不安そうにレンを見上げた。
「……気をつけて。瘴気が濃い場所は、私がいないと分かりづらいよ」
レンは短く首を振った。
「問題ない。検証するだけだ。場所は変わらない」
翌日から、レンは単独で導管に向かった。
仲間たちは拠点の天幕で休息を取りつつ、表向きはそれぞれが別行動をしており長期調査に備えて常にだれかいるという体裁を取る。
だが実際には、空いた時間を使ってそれぞれの作業を進める準備を整えていた。
そのため、レンは直近で得た中型のアイテムボックスを仲間へ渡した。
リーナは大盾の補修金具や鎧片に加え、砥石や縫い糸まで詰め込んだ。さらに調理用の小鍋や香辛料も入れ、戦士としての務めだけでなく、食事と生活を支える覚悟を見せていた。
クラウスは魔術書や羊皮紙、筆記具を真っ先に入れ、小型晶石や測定符具を並べた。さらに薬液や保存瓶を詰め込み、導管から得た資料や標本を処理する準備を欠かさなかった。休息の場を、彼は即席の研究室に変えようとしていた。
ミーシャは不審者対策として索敵を行いつつ、矢束や替え弦、弓の油を収納し、罠仕掛けに使う細紐や小鈴、粉末袋も加えた。
薬草や乾燥材、すり鉢などの簡易調合器具も忘れない。天幕で過ごす時間すら、仲間のために索敵だけでなく道具と応急薬を整えることに費やすつもりだった。
レンは三人の準備を黙って確認すると、革ケースを抱え、導管の調査へと向かっていった。
薄暗い通路に、革ケースを抱えたレンの足音だけが響く。
魔素流速計を導管の三カ所に押し当て、針の揺らぎをじっと追う。呼吸と同じリズムで数を刻み、一定間隔ごとに値を書き留めていく。
(針が落ち着くまで、およそ二十秒。そこから先は誤差が収束する……測定時間の基準は二十秒)
続いて瘴気濁度計。瓶を瘴気にさらし、液体が青白から紫へと濁っていく様子を見届ける。符板の数字を三度繰り返し確かめ、その平均を取る。
(一度目はぶれる。二度目、三度目で安定……測るのは三回目の数値、ということだ)
羊皮紙には、地点ごとの数値と、器具の扱い方の癖が細かく書き込まれていった。誰が持っても同じ結果になるように、誤差の出やすい手順をひとつずつ潰していく。
レンは導管沿いの区画をくまなく巡り、検証と修正を繰り返した。
流速計の針がどこまで揺れたら「危険」と見るか。濁度計の変色が安定するまで、何秒待てばいいのか。
ひとつひとつの過程を数字に置き換えながら、彼は黙々と「基準」を積み上げていく。
やがて、羊皮紙の余白は埋まり、「導管調査測定手順」と題した簡潔な項目だけが残った。
《流速計:導管に当てて二十秒待ち、針の位置を記録》
《濁度計:瘴気に三度触れさせ、平均値を採用》
《滞在時間:濁度が中以上の場合、三十分以内に退避を推奨(風向き考慮)》
それらは単なるメモではなく、「誰が調べても同じ答えに辿り着くための道筋」だった。
レンが執着する再現性の基盤が、静かに形を取っていく。
予定日二日前。
レンは拠点の天幕へ戻り、仲間たちに短く告げた。
「調査終了。報告に移る」
リーナは伸びをしながら立ち上がった。
「ふう、ようやくか。だがこの日数なら、不審に思われることはないな」
クラウスが記録を手に取り、内容を確認する。
「基準化された手順……合理的だ。ギルドも納得せざるを得ないだろう」
ミーシャは小さく安堵の息を吐いた。
「……よかった。無事で」
レンは彼女の方を見ない。ただ淡々と羊皮紙を巻き、報告用の封筒に収めた。
「余計なことは書かない。器具による数値と手順だけで十分だ」
(魂視による観測は、外部に知られてはならない。あれは秘密兵器にも致命的な欠点にもなる)
通路を戻る足取りの中で、彼女だけが小さく呟いた。
「……秘密に、してくれるんだね」
レンは答えなかった。だが沈黙こそが、最も確かな肯定だった。
合同調査は二日繰り上げで終え、そのまま予定日二日前に報告書を提出した
北を担当した紅蓮の刃と白銀の環は傷だらけで戻り、東へ向かった黒犬の牙は報告が粗雑だった。だが静寂の歯車の報告書は寸分の狂いもなく、最も危険な主流を正確に把握していた。
大天幕の下でエルン・ハルバードは報告書を読み終え、深く息を吐いた。
「確かに見た。君たちの調査力は常識の外だ。私たちが知らない調査方法、しかもそれを再現できるようにしている。君たちは学者なのか?ただ、知っているなら先に教えてほしかったな」
周囲の視線が静寂の歯車に集まる。賞賛と疑いが入り交じった眼差し。
レンはそれを受け止めず、ただ冷たく告げた。
「初の調査だ。検証も。それだけだ」
エルンはその言葉を胸に刻んだ。
(彼らは異常だ。しかし、本物だ。彼らなら迷宮の深奥さえのぞけるかもしれない)
「そうか。疑ってすまなかった」
合同調査は終結し、各パーティは解散した。
王都アステリア、冒険者ギルド本部の会議室。
石壁に囲まれた長卓の上には、各パーティーから提出された調査報告書が積み上げられていた。机の先端に座るのは、副ギルドマスター、レナ・シルヴァナス。冷徹な眼差しで一枚一枚を読み解いていく。
まず手に取ったのは、紅蓮の刃の報告。紙には血で滲んだような跡があり、文章も粗い。
「南部導管に多数のひび割れ。魔物の襲撃により二名負傷」
レナは眉をわずかに寄せる。記録は大雑把で、測定結果は場所が不鮮明でただ危険だったという印象だけが強調されていた。どうしても再調査案件になる。
白銀の環は仲間の負傷者の治療に追われたため、調査の記録は正確ではあるものの非常に断片的。
蒼穹の矢の報告は比較的整っていた。索敵を得意とする彼らしく、周辺地形や導管の配置は正確に描かれている。
だが測定器を使った記録は当然なく、瘴気の濃度は「体感」に頼る部分が多かった。
そもそも別件で副ギルドマスター・レナの代わりに対応していた幹部が測定器を紹介していなかった点も悔やまれる。
軽くため息をついた後、静寂の歯車の報告書が机の上に置かれる。封を解き、羊皮紙を広げた。その内容にレナの紫の瞳がかすかに揺れた。
そこに記されていたのは…。
調査区画ごとの座標、魔素流速計の数値、圧力の変動。瘴気濁度計による濁度指数、平均値の算出。滞在可能時間の明確な数値化等、余白はなく、簡潔で正確。
冒険者の報告書というより、工匠組合の研究記録をも超えた精度だった。
レナは長く沈黙し、やがて低く呟いた。
「これほどの精度、見たことがないわ」
レナは羊皮紙を周囲の職員が見えるように広げた。
「北部導管の調査内容と比較できませんね、正確すぎる……」
「しかも彼らは予定よりも早く報告しています」
沈黙の後、彼女の口から一言が漏れる。
「ギルドマスターに報告してきます」
職員たちは息を呑んだ。レナはそのままの足でギルド長、アイゼンのもとに向かった。
ギルド本部の上階、ギルドマスター執務室。
レナはすぐに経緯を説明し、ギルドマスターであり、ギルドの実質的なトップ、アイゼン・ジェラルトに静寂の歯車の報告書を提出した。
アイゼンは受け取ると静かに報告書を分厚い手で一枚ずつめくっていった。最後の内容まで確認すると報告書を閉じて机の中央に戻した。
羊皮紙の端を軽く叩き揃える仕草に、彼なりの評価の重さが滲んでいた。
「……実に惜しい。王子派でなければ、確実に引き入れたい人材だった」
低い独り言が部屋に沈む。
レナは一歩下がり、無言で聞いていた。
アイゼンの視線が窓の外に向けられる。遠くに見える王城をしばし眺め、声を落とした。
「この記録はギルドだけではない、国にも貢献する報告書だ。導管は都市の血管、ギルドとしても周知させたい」
そこで、彼の目が鋭さを帯びた。
「宰相派の動きにも注意を払え。奴らがこの報告の価値に気づけば、王子派の勢力を削るため、静寂の歯車を排除したがるだろう。…帝国や東方諸国連合の目にも届きうる」
レナは小さく頷く。
「導管の異常を察知すれば、帝国は資源確保を口実に動くでしょう。すでにケルベロスが迷宮に展開している以上、無関心ではいられません」
アイゼンは短く鼻を鳴らし、報告書に手を置いた。
「そうだ。帝国は間違いなく嗅ぎつける。だからこそ、この記録はギルドが主導して検証し、早期に国に報告する必要がある」
「……レン・ヴェリタス。この報告書は素晴らしいものだったが、果たして何の目的で今まで秘匿してきた規格外の精度を開示したのか…。レナ、引き続き静寂の歯車の監視を頼む」
声の奥には評価と警戒とがないまぜになっていた。




