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黄昏と黎明のアストリア  作者: 空想好き
第1章:Bランクの日常と歪な契約
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第3話 欺瞞(ぎまん)の回廊調査 ①

王都アステリアの中心、冒険者ギルド本部。


大広間は、朝から熱気に包まれていた。


依頼票の前に群がる若者たちの声、鎧を引きずる金属音、酒場から漂うエールの匂い、すべてが渦巻き、都市の繁栄を支える「ダンジョン経済」の脈動そのものだった。


その喧噪の中、ひときわ異質な沈黙が広がった。


黒髪の青年、レン・ヴェリタスを中心とした四人組、静寂の歯車。


彼らが姿を見せるだけで、ざわめきが変質する。好奇、畏怖、嫉妬、さまざまな視線が突き刺さるが、彼らは一切反応を示さない。


規律正しく並んだ四人は、軍の分隊を思わせる冷ややかな気配を纏っていた。


受付カウンターで彼らを待っていたのは、栗色の髪を結い上げた女性職員だった。


「お待ちしておりました、静寂の歯車の皆さま」


エララ・フェン。


本日から正式に、彼らの専任窓口として任命された受付嬢だ。報告の異常性を各受付による主観をなくすため、ギルドはエララを指定したのである。


専任窓口への任命は緊急対応の迅速化と情報統制を行うための戦略であった。


彼女は専任ファイルを開き、落ち着いた声で告げた。


「今回、提示できるBランク依頼になりますが、……第二十二階層、欺瞞ぎまんの回廊の調査です」


その名が広間に響いた瞬間、ざわめきが波のように広がった。


エララは説明を続ける。


「階層の中で危険な領域として認識されており未踏領域ではありますが、近年周辺への影響が強くなっている回廊になります。回廊で生じた魔晶石の影響を無視できず調査を依頼しているのですが、過去の調査報告は断片的で矛盾が多く……幻惑や錯乱を訴える者が後を絶ちません。それと…」


「危険度は暫定Bですが、直近で実績のあるBランクパーティーが断念しており実際にはA難度に近いと見られています。そのため、調査による+評価は高いです。受けられますか?」


レンは一切ためらわず答えた。


「受ける」


短いその一言に対して、ギルドの模範的な返答をエララは言った。

「……どうかお気をつけて。無事の帰還を願っております」


返答はなく、ただ受諾の署名が記される。

その様子を、壁際の影がじっと見ていた。


ヨルム。


柱にもたれかかりながらこちらに視線を向けていた。


かつてBランク斥候として名を馳せたが、仲間を失いパーティは解散。今はギルド直属の監視者として、静寂の歯車を観察する役を担っている。


レンは視界の端でその存在を捉えた。


(……おそらく監視か。気配が自然だ。優秀な人材をつけてきたな。だが、ダンジョン内で気配が邪魔するなら釘をさすべきか……)


表情は動かさず思考を加速させる。


その時だった。


「おいおい、聞こえちまったぜ。欺瞞の回廊を受けたって?」


豪快な笑い声とともに現れたのは、Bランクパーティ鋼鉄の壁のリーダー、不壊のゴラッハ。

盾を背に、戦斧を肩に担ぎ、堂々とレンたちの前に立ちはだかった。


「相変わらずだな、静寂の歯車。負傷者ゼロだなんて、臆病者の小細工ばっかりしやがって。だがな、二十二階層はそうはいかねぇぞ!」


広間がざわめく。ゴラッハはわざと声を張り上げる。


「幻影が仲間の顔で襲ってきやがる。俺たちみたいに力と根性で通してきた連中でも、思わず足を止めちまう場所だ」


レンは反応を返さない。ゴラッハはなおも言葉を続ける。


「どれだけ策を弄しても、幻が心を惑わす。仲間を信じ切れなきゃ死ぬぞ。あそこはそういう場所だ」


一瞬、真剣な色が宿ったが、すぐにまた嘲笑が戻る。


「ま、好きにしな!俺はもう二度とごめんだがな!」


豪快な笑い声を残し、鋼鉄の壁のメンバーは酒場の奥へ消えていった。


残された沈黙の中、レンたちは視線ひとつ交わさず、ただ依頼票を受け取る。

石造りの大扉を押し開け、外へと歩み出す。


しばらくして、もう一つの影が静かに後を追った。


ヨルム。声をかけることなく、距離を保ちながら。監視者の役目として。




灰青色の石で組まれた巨大なアーチは、迷宮の他の階層とは明らかに異質だった。


岩肌には肉眼ではほとんど認識できない細線が無数に刻まれ、光を受けては揺らめき、陽炎のように歪む。ほんの一歩、境界へ踏み込むだけで、空気が濃密になり、肺に吸い込む息が重く沈む。


その変化を確認すると、レンは短く告げる。


「……ここから先が欺瞞の回廊だ」


冷徹な声は湿り気を帯びた石壁に反響し、耳に遅れて届く。仲間たちは無意識に背筋を正した。


ミーシャは静かにしゃがみこみ、手袋の指先で床石をなぞった。嗅覚を澄ませ、鼻を小刻みに震わせる。


「……匂いが三層に重なってる。湿った石、金属の錆、それから……私たち自身の匂い。すでに錯覚がはじまってる。あと、一人分の気配があるけど敵意無し」


声は震えてはいないが、眉間の皺が恐怖を隠し切れていなかった。


「索敵は三十mに絞れ」


レンが即座に指示を下す。


「これ以上広げれば、偽の信号が混ざる。お前の感覚そのものが囮に食われるぞ。気配はギルドの監視だ。現状は無視して問題ない」


ミーシャはこくりと頷き、肩越しに仲間を見た。


「わかった」


(三十m内に監視の人が入ってきたらかなり気になるかも…)


リーナが一歩前に出て、大盾を構える。鉄の縁が石床を擦って鈍い音を立てた。


「さあ、先頭は私だ。何が来ようと押し返してみせる」


レンは首を横に振り、冷静に言葉を返す。

「いや。最初の一歩は観測者の癖を咬みにくる。俺が最も自分の癖を知っている。だから俺が先頭だ」


「癖、ねえ……」


リーナは渋い顔をしたが、押し問答はしない。


「わかったよ。でも、間に合わなければ私が出る。盾役の誇りは譲れないからな」


そのやり取りを横で聞いていたクラウスが、アーチの石材に刻まれた微細な線を指でなぞり、目を細めた。


「……導紋か。紋様の流れをずらして視覚を狂わせる。古代エーテリオンの術式だろう。美しいが、嫌な設計思想だ」


観察者を基準に環境そのものを変える罠、学者としての興奮と、冒険者としての嫌悪が入り交じった声だった。


レンは腰のアイテムボックスから小袋を取り出し、靴底に粉を振りかける。石床に落ちた白い粉が微かに散った。


「レン。小麦粉をまた使うのか」


リーナが目を丸くした。


「そうだ」


レンはあっさりと答える。


リーナは一瞬呆気に取られた後、豪快に笑い声を上げた。


「小麦粉をこんなに使うのはうちのパーティーくらいなもんだな」


その言葉にクラウスが苦笑いをする。


「他のパーティーが知ったら貧乏パーティーと言われそうだ。でも符を使うよりも有効なのも事実か…」


レンは答えなかった。


レンは右手で特注の懐中時計を持ち出しながら呼吸を整えた。


「各自時計を準備、歩幅は十秒で五m。カウントは俺がやる。六十秒、一分で一カウントする。異常を感じたら合図後に針を確認。針が真上を向いていなければ異常だ。即時報告」


三人は頷いた。レンの歩調、実際には身長の低いミーシャの歩幅に合わせるのは、もう慣れていた。


「ミーシャ、後方監視を頼む。体は前を向いたまま、右肩を半身に開けて、首は四十五度。右眼で後ろ、左眼で粉線を確認。集中力がなくなりそうなら報告」


「わかった」


ミーシャは深く息を吸い込み、観測に集中する。レンの声は落ち着いており、彼女の緊張を少しだけ軽くした。


一歩、足を踏み出す。靴底の小麦粉が石床に薄い軌跡を描いた。


レンは足裏から伝わる抵抗と、天井から落ちる滴の遅延、影の伸縮を同時に観測する。どれも歪んでいた。


数十歩進むと、道は三つに分かれていた。


「右は逃げ道に見せかけた偽出口。左は古い罠の補助線。中央は本命だが、真正面を踏ませるための誘導だ。…それにしても、過去の冒険者の足跡が邪魔だ」


レンは深呼吸を行い、深く観察した。


「中央から半歩右、壁四枚分を離して進む。そこが正解だ」


仲間たちは従い、レンの粉の線に沿って一列で進んだ。


「こんなのレンやミーシャじゃないとわからないだろ…」


リーナがぼそっとつぶやいた。


中央の道を歩いていると頭上に無数の糸が垂れ下がり、回廊を覆っていた。


ミーシャが素早く分析し、「目で見える糸の数と感覚で把握している数が一致してないよ」


レンもその不自然さを感じていた。


「無数の糸は幻影か。だが一部で実体もある」


白く見える糸は数多いが、ほとんどが幻だった。問題は実体を伴う糸。


「クラウス、光を当ててくれ」


レンが即座に命じる。


「了解」


クラウスが杖を掲げ、高照度の光を天井へ照射した。


光角度を変えるたび、一瞬だけ輝く透明な糸があった。


「見えた。ミーシャ、安全なルートを観測」


「わかった。…右上から中央に一本、中央上から右下にかけての二本のみが本物だよ」


「二本だけか」


レンが短く告げる。


「左の側面を通過する」


粉の線が足型を刻む。三人はレンの足跡をなぞるように通過した。


背後に残った糸は再び揺らめき、幻と実体が混じり合う。だが隊は既に抜け切っていた。

粉の軌跡は確かに続いている。


小麦粉が床に刻む白い線は、この歪んだ回廊における唯一の現実だった。


天井から垂れる透明糸を抜けた後、回廊は一層不気味な沈黙に包まれていた。湿った空気は肌に張り付き、苔の光はじりじりと弱まっていく。


白い粉の軌跡が床に淡く続き、唯一の現実を刻んでいた。


リーナがふいに口を開いた。


「……やれやれ、鋼鉄の壁の連中も、ここを通ってきたんだろうな」


大盾を軽く叩きながら、皮肉めいた笑みを浮かべる。


「ゴラッハの野郎、ただの脳筋かと思ってたが。あの糸の罠を抜けてきたんだ。少しは見直さなきゃな」


クラウスが肩をすくめた。


「見直すのは勝手だが、ああいう連中は突破できた事実だけで満足するものだ。方法を語るより、力比べの武勇伝にすり替える。つまり再現性はゼロだな」


リーナはふんと鼻を鳴らし、続けた。


「だが、あいつ自身が言っていた。二十二階層に入った後に戦闘があったと。だから、あの連中はもう少し奥で足止めを食ってるはずだ」


ミーシャが不安げに後方を見つめる。観測範囲を伸ばすとまだ人の気配を感じる。肩をすくめ、声を潜めた。


「……そういうことしゃべってると出てきたりしないかな?」


隊列を進めていたレンの右手が不意に上がった。指先で静かに止まれの合図。


全員が凍りつく。レンは薄闇の奥に目を細めた。空気の張り詰め方が変わったのだ。


「来る……四体。いや、もっとだ。二重に重なっている」


クラウスが苛立ちを隠さず舌打ちする。


「まったく!ただでさえ構造の記録を取るので手一杯だというのに……!」


リーナが大盾を構え直し、緊張を帯びた声を上げる。


「結局、脳筋だろうが学者だろうが、ここでは戦わなきゃ進めないってことか」


回廊の奥、苔の光がふっと歪み、靄の中に影が揺らいだ。獣のような、巨人のような、そして人に似た姿を映す幻影は確実に近づいてきていた。

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