幕間 祈りの果てに
王都アステリアの大聖堂。
夜の帳が降り、外の喧噪が遠ざかっても、この空間だけは絶えず祈りの声に満ちていた。揺らめく燭火の下、アリアはひとり跪き、両手を胸に組む。
今日も数多の信徒が訪れた。冒険に向かう者、病床の家族を抱える者、飢えにあえぐ子を抱いた母親。彼らは口々に「救い」を求めてきた。
その度にアリアは「聖女」として笑顔を保ち、祝詞を紡いだ。だが胸の奥では、幾度も小さな棘が刺さる。
(私の祈りが、どれほどの人を救えているのだろう)
魂の光を視る力はある。調律で心の傷を癒すこともできる。だが、それはせいぜい目の前の人を支えるに過ぎない。
王国全体を覆う不穏の影、帝国の圧力、宰相派の暗躍、迷宮の異常、それらを払うには、あまりに微力だ。
アリアは燭火を見つめ、瞳を伏せた。
「……レン」
吐息のような囁きが、石壁に吸い込まれる。
彼は今日も迷宮に挑んでいる。人々の間では、負傷者ゼロの異常な冒険者一行、静寂の歯車として語られているが、アリアにはその表層の裏を知る術があった。
彼の魂が幾度も痛みに晒され、軋みながらも仲間を守ろうとしていることを。
(あの人は、私に似ている……誰にも重荷を見せず、ただ前に進もうとするところが)
祈りの言葉は、やがて懺悔へと変わっていった。
「私には……まだ勇気が足りません。皆を導く立場でありながら、王都の権力争いに巻き込まれることを恐れている。……レンのように、迷わず選び取ることができたなら」
震える声が、空虚に響く。
アリアは立ち上がり、祭壇に近づいた。
そこに鎮座するのは、古き神の像。目を閉じ、静かに人々を見守る石の姿だ。
アリアはその足元に跪き、祈りを捧げた。
「どうか……これ以上、無垢な命が奪われませんように」
祈りを終えると、胸奥を鋭い予感が刺した。魂の光を視る彼女だけに届く微かなざわめき。
それは、深淵の迷宮から吹き上がる風のように、冷たく重苦しい。
アリアは懐から小さな包みを取り出した。
布に挟まれた白い押し花。秘密の合図。その花弁を、彼女は指先でそっと撫でた。
「……お兄さま。私も私の戦場で戦います」
クライネルトで今も戦っているはずの兄。遠い地で無事を祈るその想いが、花弁の柔らかさに重なる。
アリアは目を閉じた。祈りと決意を胸に抱きながら。




