その日、僕は海に行く。
窓の外を見ると青空が広がっていた。少し遠くに見える森。手前に見える校庭。そこでは体育の授業が行われていた。ソフトボールだ。青色のジャージが目に入る。おそらく1年生だろう。授業はイタリア語のよく分からない歌。それをBGMにしながら、ただぼーっと外を眺めていた。
お弁当を食べる時、校舎裏にある芝生へよく行く。そこは校舎内の騒音が心地の良い音量で届く。誰かの話し声や笑い声。内容は一切分からないが楽しそうである。ひとつ困ったことはチャイムが全く聞こえないことだ。遅刻したこともある。上を見ると音楽室から見ていた空が視界いっぱいに広がる。
友人達と会話をしている。また外に目をやる。
風で揺れるオレンジに染った竹林が見えた。会話の内容が耳に入らなくなってきた。遠くから音が聞こえる。軽音部と吹奏楽部が入り交じって独特な音色を奏でていた。
電車に乗っていると窓の外に海が広がる。綺麗な水色に光が反射して少し眩しい。友人と海に行く約束をしていた。プレイリストに入れた夏っぽい音楽。海に見とれて歌詞は一つも聞こえていない。
マクドナルドを買って夕日が沈む浜辺で食べることにした。先に食べ終わった友人が、はしゃぐ。流木を掲げ、持参したボールを使い、野球模した遊びをしている。綺麗に芯を食った。どこまで飛ぶかと期待したが、軽いボールはすぐ強い浜風に押し戻された。日が落ち、花火をやることにした。サンダルを履いてきた友人。足元に火花が散り悲鳴をあげる。写真係を友人と交代した。写真部に所属していたため構図や色合いを意識する。だが途中からどうでも良くなってきた。専門分野なのに枚数が少ないと後に友人から言われることになる。
他県の親族に会いに行く。気分転換の散歩。小高い丘に登る。頂上からは段々になっている田んぼが一面に広がっている。目の前には大きな山がある。浅間山という名前だ。条例で高い建物が建てられないのは、この山が見えなくなってしまうかららしい。鳥の鳴き声がいくつか聞こえる。聞き馴染みのある声がひとつ聞こえた。ぴーひょろろろ。トンビだ。
独特な鳴き声に用水路の流水音が重なる。すると一件の通知がくる。そろそろ帰っておいで。祖父からだ。これが祖父と最後のラインだ。送信しても届くことはもうない。
野球中継を寝転がりながら見ていた。日本シリーズのベイスターズ対ホークス。ライオンズファンにとってはあまり面白く無かった。十一月の寒さに耐えきれず布団に入り、そのまま眠った。中継の音にうなされて起きる。眠気がまだある中、画面に目をやる。優勝が決まり胴上げが起きていた。眠気と戦っていたため、それ以外の情報は入ってこなかった。完全に目覚めて遅めの夕飯をとりにいく頃、中継は終わっていた。
ホームルームで卒業の歌が発表された。クラスメイト全員で、すぐに練習することに決まった。練習中すごく不思議な気持ちになった。幸せなのか寂しさなのか。途中歌うのをやめて、クラスメイトの歌声と放課後の教室を楽しみながら三年間の思い出を振り返った。気付けば練習が終わっていた。明日は体育館で学年全員で練習をする旨が伝えられていた。
指揮と伴奏が加わった体育館での練習は、教室よりも本格的になっていた。ここには部活や授業、学校行事での思い出がある。人と喧嘩したこともあったが 今ではいい思い出だ。その後は練習に励んだ。本番に歌えなくては困る。
迎えた卒業式。長い呼名の間、また思い出を振り返る。長いようで短い、かけがえなのない日々。楽しかった。その一言に尽きる。しばらくすると、呼名が終わり校長の話が始まった。普段は聞き流していた校長の話も最後だと思うと感慨深い。話が終わり、卒業の歌に差し掛かる。伴奏が始まり最初の歌詞。涙が溢れ声が出ない。歌詞の単語全てが心に刺さる。涙ぐみながら見上げた体育館の天井も、記憶に刻まれている。
式が終わり、下校時間になる。普段は気にもとめなかった別れ際の言葉。もう会えないのかな。この日々が終わってしまうことを目の当たりにした。最後の教室を静かに眺めながら友人を待つ。喪失感が凄かった。同時に自分が幸せだったことに気付いた。
最後のバイトが終わり高校の最寄り駅を眺める。綺麗な駅舎と町並み。この街にも来なくなるのかもしれない。そんなことを考えていると母親から電話が来る。何も考えず用件を聞くと、母の声が少し暗い気がした。嫌な予感が的中した。祖父が亡くなったと一言。それ以上は何も聞かなかった。電話を切ったが不思議と涙は流れなかった。そのまま青春時代を謳歌した街並みを数分眺めた後、帰宅した。虚無感という言葉が似合うだろうか。
大学へ進学した。人間関係に悩み友人が出来ず孤立した。高校時代の友人は大学生活を楽しんでいて、一緒に過ごす時間も減ってきた。一ヶ月前とは全く違う生活に絶望していた。多量の課題、親族からの期待感、学校での周りの目線。どこに行ってもストレスを感じる。景色を眺めることが好きだった。しかし今は地面を見つめている。青空を見上げることですら難しかった。いつしか一番仲の良い友人ですら信用出来なくなっていた。下を見続けた。地面を見続けた。そのまま歩いて、歩いて、海に辿り着く。海は下にある。見やすかった。いつも見ていた空と同じ青色。凄く惹かれる。気が付いたら海に入っていた。大好きなスニーカーが濡れているのも気にせず。ただ夢中になって海に行く。海とひとつになれたのだ。こんなに嬉しいことは他にない。
きっと彼はそう思っていただろう。私はそう願っている。
大学へ進学した私は、普通の生活を送っていた。有難いことに友人が数人でき、休日の予定に困ることは少なかった。高校生活と大差はない。
一つ挙げるとするなら、ニコイチのような存在が居ないことだ。彼とは一緒に行動することが多い。お昼ご飯の時間になると決まって校舎裏の芝生へ誘ってくる。聞いてもいない休日の出来事も写真付きで楽しそうに話してくる。夏に浜辺で花火をしたのも記憶に新しい。その時は他の友人もいたが、やはり私といる時間が多かった。
彼との出会いは音楽の授業。選択授業で入学前に選んでいたため故意に合わせることは出来ない。運命とでも言うのだろうか。
彼は優しい人だ。将来は消防士を志している。たくさんの人を助けたいといっていた。私が暗い顔をしている時も一番に彼が気付く。
彼は幸せそうな人だ。多趣味で、スポーツやカメラ、旅行など日々は凄く充実しているように見える。彼の写真は青空が多い。さすがの晴れ男だ。
しかし、彼は寂しそうな人でもある。
急に静かになったと思い彼の方を振り向くと、外の景色を見つめていることが時々ある。その時の表情は、いつも見せる幸せそうなものではない。切なそうな、はたまた寂しそうな。そんな風に見える。
何を考えているのか一度尋ねたことがある。しかし彼の説明力か私の理解力のどちらか、もしくは両方が足りず何も伝わらなかった。景色がどうの、思い出がとうの、そんな風なことをずーっと喋っていた。
そうしている時間が、卒業式の日はやけに多い気がした。過去を振り返っていたのだろうか。そうしたい気持ちもわからなくはないが、最後の時間を出来るだけ楽しみたい私にとっては少し不満が残る。
進学前に彼と一度カラオケに行った。待ち合わせ場所に居る彼を見ると、いつにも増して寂しそうな顔をしている。流石に気になったので尋ねてみる。どうやら祖父が亡くなってしまったらしい。私はとくに何もしなかった。いつも通り接することで、いつもの彼に戻るだろうという謎の自信があった。しかし、その自信とは裏腹に彼は全く戻らない。それに見かねた私は別れ際に一言
「大学も楽しいから大丈夫、消防士になるんだろ、元気のない消防士に助けらたい人なんていないよ」
そうすると彼は
「たしかに」
と言った。少し言い過ぎたかもしれない。後悔している。次会った時に謝ろうと思う。予定はまだ無いが彼ならすぐに誘ってくるだろう。また根拠の無い自信だ。結局、進学するまで彼と会うことは無かった。ラインすらも来なかった。進学の準備やら、進学後の生活に慣れることに夢中になっていた私は、彼のことなどすっかり忘れていた。
彼から一ヶ月ぶりのラインが届く。
「海に行ってくる」
何を返信しようか迷い、一旦メッセージを閉じた。その日は返信するのを忘れてしまった。数日後、何を返信して良いか分からない私は、またメッセージを閉じる。
ある日、高校の担任から電話が来た。どうやら彼のことらしい。彼の親とは連絡先を交換していなかったため経由をしてくれたとのことだ。そうしてまもなく先生が衝撃なことを口にする。息を引き取ったと。現実を受け止められない。その辺を歩いていれば彼が後ろから来る気がするし、向かい側のホームで手を振っている気がするし、芝生に行けば空を眺めている彼がいる気がする。
一週間かけて現実を受け入れることがようやく出来てきた。それと同時に後悔が残る。彼に言ったあの言葉に対して謝罪ができていないこと。彼を元気付けられなかったこと。自分から連絡しなかったこと。数をあげればキリがない。涙が込み上げてくる。
後悔を少しでも減らそう。私は一緒に花火をした砂浜に行った。彼が写真を撮ってくれている気がする。だから私は下を向かなかった。地平線を眺めながら彼のことを考える。その時、彼の気持ちが少し分かった気がした。眺めたくなる気持ちを。何だか少し嬉しくなった。その表情をカメラに収めてくれると信じている。
私はスマートフォンを開き画面を操作する。
開いたのは、もう二ヶ月前。彼からのメッセージ。
待たせてごめん。
今までありがとう。
そう心で思いながら私は一言で返信をした。
「またね」