85 別れ
――数十分後、全てが明らかになった。
やはりイヴはこの男に脅されて窃盗に協力させられていたようだ。
しかしコイツが捕まった今、もうイヴは安心していいはずなのだが――相変わらず彼女の表情は冴えないままだ。
……元々そういう顔なんだろうか?
「では、私はこの男を留置所へぶち込んできます」
兵士はそう言うと精神的にも肉体的にもボロボロになった泥棒の男を引き摺るように引っ張っていった。
再び俺とイヴの2人になり、なぜか沈黙が訪れていた。
「……な、なあイヴよ。お前にあんな事させてた奴は今見た通り捕まったぜ?少しは安心できたんじゃねーか?」
俺がそう言うと、イヴは少しうつむきハッキリ聞こえるようにため息をついた。
「……ごめんなさい、私の周りにはああいう人が他にもいっぱいるの……」
え……いっぱい??
そしてイヴは手で顔を覆い、震えながら泣き始めた。
「わ、私はただ平凡に暮らしたいだけなのに……誰かに襲われそうになったり、今みたいに犯罪に加担させられたり……もう嫌!消えてしまいたい……」
そ、そうだったのか!?キッツイな、そりゃあんな虚ろな顔にもなるか……。
俺はなんとかイヴを励まそうと、ネットの動画でどこかのインフルエンサーが言っていた言葉を思い出した。
「なるほどな……でもそういう時はよ。環境を変えるのが一番良いと思うんだ。例えばここの宿屋の受付とは別の仕事を探すとか――」
かく言う俺本人が日本の会社員から異世界の運び屋になって、今色々と充実しまくっているから一応本音ではある。
「無駄です!一度逃げ出したけど、すぐに見つかって連れ戻されました!!結局私は不幸な目に遭う定めなの!うっ、……ううっ……」
うーむ、こりゃどうにもなんねえぞ……。
「てかお前さん、まだ若いだろ?親はどうした?」
イヴは冷めた目で俺を見てつぶやく。
「……いません」
「あ、すまん……」
ぐすっ……うっ……ううっ……。
イヴは大粒の涙を流して泣いている。なんかこっちまで辛くなってきた。
とりあえず慰めるようにイヴの背中を手でポンポンと叩いてやる。
「まあー……ちょっと俺にはどうする事も出来ねえわ。申し訳ない!」
俺がそう言うと、イヴは俺の胸に寄りかかってきて枷が外れたように大泣きした。
まるで、今まで押さえていたものが爆発したかのように……。
「ぅわあああああああああっ」
あ、やべえ、こっちまで泣きそうになってきた……。
――それから、俺はどれぐらいそうしていたか忘れてしまったが、イヴの様子には変化があった。
最初号泣していたイヴは、すすり泣く程度にまで大人しくなって。しばらく俺の胸に頭を預けてうつむいていた。
やがて彼女は顔を上げ、謝罪の言葉を述べた。
「……ごめんなさい。本来私がおもてなしする立場なのに」
「いや気にすんな。それより大丈夫か?これからやっていけそうか?」
俺がそう聞くとイヴは初め無表情のまま沈黙したが、俺の目を見つめたまま少しずつ表情を緩ませ、ハッキリとした口調で答えた。
「……やります。私、必ず幸せになる!」
それは今までのイヴの空虚な目ではなく、ハッキリと力のこもったそれであった。
「アテはあるのか?」
「……はい」
うぉ……!!
その時、そのイヴの笑顔はまるで女優のような輝きで、俺は一瞬それに心を奪われて見惚れてしまっていた。
「お夕食はどうしましょう?今から用意出来ますが……」
あ、そういえばそうだったな。
「いや、もういいや。明日も早いし寝るわな」
「分かりました。ごゆっくり……あ、あのっ」
「ん?」
「あ、失礼ですがお名前、カイトさんでよかったですか?」
そう聞かれた俺は、にこやかな笑顔を作って爽やかに答える。
「ああ、俺はカイト。スズッキーニ国のヤマッハに拠点を置く配送会社『スーパーカブ』の社長だ!よろしくな!!」
「スーパーカブの、カイトさん……覚えておきます」
おっ、いい顔だ。俺につられたように笑ったイヴを見て、心から嬉しくなった。
「おう、じゃあな。おやすみ」
「おやすみなさい」
……という訳で俺は再び部屋に戻り、ターニャの寝顔を確認するとすぐ横になった。
あー、今日も色々あったなー……。
などと考えていたらいつの間にか眠りに落ちていた。
――ピリリリリリリリリィッ……!
俺はスマホの目覚まし時計の音で目を覚ました。
時間は日本で言う所の午前4半だった。
相変わらず朝早えーけど、ま、出発すっか……。
時間的には関所で荷物を積み込んで出発する頃に朝日が昇ってくる、……ってのが理想だ。
こっちからヤマッハに運ぶ荷物はすでに関所で用意されてるって話だしな。
俺はチラッと隣のベットでスヤスヤ寝てるターニャを見た。
ふっふっふ……。
ここで俺におかしなスイッチが入ってしまう。
「うおおおおおおおお!ターニャ起きろおおおお!」
俺はターニャの耳元で大声で叫びながら、ターニャの足の裏や脇をくすぐりまくった!
ターニャはものすごく不愉快そうな顔をしてうめき声を上げ、そしてやはり泣き出した。
「うぅぅ……ぅああああああああん!」
ギャン泣きである。マ、マズイ……、起こし方間違えたか!?
俺はとりあえずターニャをおんぶして一階に降り、外の空気を吸わせようと考えた。
「あ、カイトさん。おはようございます」
一階に降りるとすぐにイヴに出会った。
「お、おうイヴ。おはようさん。お前も朝は早えな」
「あああああああああん!!」
相変わらずターニャは泣き続けていた。
ここでみっともないながらもイヴに尋ねてみた。
「な、なあ、昨日の夕飯とか残ってたりしない?」
イヴは一瞬ポカンとするも、すぐに「ありますよ」と答えてくれた。
「ちょっとコイツに食べさせてやりてえんだ」
俺は親指で後ろにおぶったターニャを指差した。
イヴは少し微笑んでコクリと頷く。
ターニャの機嫌を取るには飯が一番良いと俺は単純に思ったのだ。
――「あああああぁぁぁぁ……ぅぅ……!?」
イヴが部屋に持ってきてくれた料理をテーブルに並べると、ターニャはすぐに泣き止んだ。効果は抜群だ!
そして、小さな声で「おじ……しっこ」とつぶやいた。あ、そっちか。
俺は慌ててターニャをトイレへ連れていくのだった。
――それから慌ただしい早朝のやり取りが終わり、俺達は宿を立つ時が来た。
「ありがとうなイヴ!」
「はい。カイトさんもお元気で」
「ばいばーい!」
「……」
カブだけはやはり沈黙していたままだったが、それで正解だろう。
俺はそんなカブを押しながらターニャと一緒にイヴに手を振った。
力強く生きてくれよ!
その時は確かにそう願っていた――。