517 傷心旅行からの
夜も更けてきたころ。その宿の台所には俯きながら黙って椅子に座るハンナと、その横で黙々と夕飯を食う俺がいた。
たった今失恋が確定した若い女に、俺はなんて声かければいいかまるで分かんねえ。
「……」
軽く様子を伺うか。
「飯まだだろ?」
「ん……」
軽く頷くハンナは限りなく無気力だった。
さすがに飯どころじゃなさそうだ。
続けて俺は少し遠くを見つめながら、慰めになっているのかどうかもよく分からないような言葉を投げた。
「おう、悲しいのは分かるが一人で背負い込むより愚痴でも言って発散させた方がいいぞ?」
ハンナは俺をジロッと見つめる。その目には力はないが、悔しさのようなものが滲んでいた。
俺は500ゲイル硬貨を机の上に差し出しハンナの方に滑らせ、奥の木棚から安い酒とグラスを取ってきた。
「俺は帰り道も運転すっから飲まねーけど……」
グラスに酒を注いでハンナの横に置く。
「ううっ……」
しばらくボケーっとそれを眺めるハンナだったが突如、それを掴み一気に口に当てがった!
「……んっんっ…………はぁあーっ!」
――ダンッ!
「もう一杯!」
「はっはっ、良い飲みっぷりだぜ!」
俺は笑って出されたグラスに酒を注いだ。
そうやって飲ませているうちに、徐々にハンナの目がすわってきた。
「もおおお……何だよもうアイツ!!既婚者なら分かるようにしろっての!バカー、そうでしょカイトさーん……ゔゔーっ」
ハンナは横に座る俺の肩をバンバン叩いて文句を言った。
「カイトさん……なんとかしてよぉーー」
「うんうん、辛いよな。分かるぞぉその気持ち」
実は俺は結構こういう愚痴を聞いてるのが好きなのだ。なんていうか人間臭さに溢れてるっていうのかな……。
あとまあ人ごとだから気楽ってのが一番大きい気もする。
「まあそういうことは人生にゃ付きもんだぜハンナ。気持ちを吐き出して寝て忘れろ」
こんな慰め方でいいのか分からんが、ちょっとでも気が楽になってくれたらいいと思う。
……。
「……アベンタの丘に行きたい。ねえ、カブに乗せてよカイトさん」
少しだけ回復したハンナはそんなことを言ってきた。どこだそこ?まあいい、せっかく希望してるんだし連れてってやるか。
「あ、ご、ごめん。カイトさん疲れてるよね?」
「気にすんな。行くぞ」
正直、無理してないわけじゃないが、今回俺は荷物を運んでないから体力的に余裕があったのはマジな話だ。
「……ありがと!」
皆疲れて寝ている中、俺とハンナはカブの停まっている駐車場へと歩いていく。
「あれっ!?カイトさん……どうしました??」
「近場まで軽い傷心旅行だ」
「夜中にごめんよカブ」
ハンナはカブに手を合わせて軽く謝り荷車に乗り込んだ。
「僕は全然いいですよ!ちょっとでもハンナさんの気が晴れるなら!」
カブは笑顔でそう答える。ふっ、相変わらずいい奴だぜ。
――ドゥルルルルッ!
俺はハンナに案内に従って山の中の道をカブで走っていく。
行き先はどうやら町の方ではなく山の方だ。まあ丘っていうぐらいだから当然か。
「あー!やっぱりいいなー。ウチ、こういうカブみたいな風を切って走る乗り物好きかも」
「はははっ。おうハンナ、思いっきり叫んでもいいぜ?この辺じゃ人もいねえし、ストレス解消にゃちょうどいい」
そう煽ると、ハンナは大声を上げた。
「わーーーーっ!あーーーーっ!」
「うおおーーっ!!」
なんか俺もついでに叫んでしまう。いや、特に意味はねえけどそういうノリだ。
「わーーい!」
お前も叫ぶんかい!?カブまで真似し始めたぞ……ま、ここは流れに乗っとけ!
「あははははっ!あっはははっ!」
「はーっはっはー!」
「わぁい!」
山の中をハンナの笑い声が響いている。俺やカブも一緒になって笑った。
やがて俺達はアベンタの丘に到着し、そこで初めてカブのエンジンを切った。
景色が見えるところまでは少し歩くみたいで、俺はハンナの後について行った。
カブのヘッドライトが消え、真っ暗になった高台から見えた景色……。
それは壮大な夜景などではもちろんなく、町の街灯や鉄工所の小さなランプからわずかに漏れる明かりだけのどこか郷愁漂う慎ましやかなものだった。
しかし現代のLEDの明かりに慣れた俺には逆に新鮮で、景色とかに滅多に良いと思わない俺でも不思議と見とれてしまう。
「へえ、いいな。しばらく眺めとくか」
俺が地面にあぐらをかいて座ると、ハンナもその隣に腰を下ろし二人でぼーっとニンジャーの町を見下ろしていた。吹き抜ける夜風が心地いい。
「……」
ふと静かになった隣のハンナを見てみると、俯いて顔を伏せていた。どうやら泣いているようだ。
しばらくその状態でいてから、俺は軽くハンナの肩を叩いて帰りを促した。
するとハンナは勢いよく立ち上がったかと思うと俺の肩に手を回し背中に飛び付いてきた!そしてこんなお願いをしてくる。
「このまま運んでよ?カイトさん」
「ほぼ強制じゃねーか……まったく」
酒のせいかやや火照った体温を背中に感じながら、俺はカブの荷車までハンナをおんぶして行った。
「ほら、降りろよ。もう夜も遅いし帰って寝るぞ」
「う……うん」
そこから宿までの帰り道は行きのときとは違い、無言だった。
皆に気付かれないように遠くからカブのエンジンを切って静かに駐車場へカブを押していく。これで短い傷心旅行は終了だ。
すると、カブがいつものテンションで別れを告げた。
「カイトさん!ハンナさん!お休みなさーい!」
おまっ……何のためにエンジン切ったと思ってんだ!?
宿のドアを開けると、ハンナは俺に頭を下げたあと台所奥の従業員の休憩所に入っていった。うん、ちゃんと寝ろよー。
――コツコツ……。
ふとここで、台所の方に誰かがやってくる音が聞こえた。振り向くとミルコだった。
「あ、カイトさん。その、すんません。ちょっとさっき……お二人の会話聞こえちゃって。なんか俺のせいみたいっすね……」
「ハンッ。別にお前は悪くねえよミルコ。気にすんな。明日も早えんだ、さっさと寝ようぜ」
……。
その翌日、夜明け前に俺はターニャの声で目が覚めた。
「おはようおじ。またエルドがいないよ」
はあ、またかよアイツ!?
俺は目をこすりながら起き上がった。
朝起きたらエルドが外に遊びに行ってていない――ウチじゃよくある事だが流石にこんな遠方で迷子になられたらマズイぞ……っつーかそもそも今日は朝すぐに出発するって言ってたのにアイツめ!
ターニャが宿の中、俺が外を探すと……あ、いた!!
そのエルドと一緒にいるもう一人の姿を見て俺は吹いた。
「エルド、ハンナ!?」
それはいつものように誰かに抱きついているエルドと、それを受け止めて抱き返しているハンナだった。うおおっ!?
「あ、あの、カイトさん!?これは、ち、違うんよ……」
なんか慌てふためいているハンナ。俺は訝しげな表情を見せながら言った。
「いやーたしかに俺、ミルコのことは忘れて次に行け!みたいなこと言ったかもしれんがさすがにソイツはちょっと――」
ハンナは大慌てで首を横にブンブン振った。
「ちがーう!ウチがここでボーっしてたらエルド君が抱きついてきて!いや……でも別に嫌じゃなくて!」
「僕はハンナおねーちゃん好きだよー!?」
ニヤニヤと可愛い顔してハンナの腰に手を回すエルドだった。まったく、このエロガキめ。
「あ、いやーありがとねエルド君。ふふふ」
ハンナも意外と嬉しそうにしてるじゃねーか。ま、ちょっとは元気になってくれて良かったぜ。
エルドも無事見つかり、俺はホッとしながら帰り支度に入った。