516 ハンナの恋
とりあえず宿の部屋のベッドにエルドを寝かせると、ターニャもそのベッドに横になってエルドとともに一瞬で眠りに落ちた。
「ね、ね、カイトさん。今日はミルコさん来てる!?」
部屋に入ったすぐの場所で、興奮を隠す様子もなくハンナは聞いてくる。
そういえば今日のハンナはなんとなく艶っぽい。その目はどこか潤んでいて、何かに期待しているようにも感じられた。
ははぁ、ミルコが目当てだったか。
「お前、あいつはな……」
その先を言いかけて俺は口をつぐんで言い直した。
「ミルコは来てるぞ。用があるのか?」
俺は以前から何となくハンナがミルコに惹かれているような雰囲気を感じていたのだが、そんな確証もないし本人の問題だし、そもそもミルコは子持ちで既婚者だぞ!?
というわけで俺はほっといたのだが、この感じはいよいよ想いを打ち明けようってことか?
ハンナは少しモジモジと体をよじりながら打ち明けた。
「うん、ちょっとね……ウチ、前からその……ミルコさんいいなーって思ってたんだよね……」
な、なるほど。やっぱりか……流石にこれは伝えといた方がいいか。
俺は真面目な顔をして、ど直球に話した。
「ハンナよ。本当のことを言うが、アイツはもう子持ちの父親だぞ?」
そのときハンナの目が一瞬大きく見開く。そしてすぐに俯いてしまう。
しかしハンナはショックを受けて狼狽するかと思いきや、眉を吊り上げて逆に強気に出てくる!
「フ、フン!だったら何さ!?今の嫁さんよりウチの方が魅力的だって知ったらミルコさんも心変わりするかも知れないだろ!?」
ぐあっ。
イヴのときといい……なんでここの宿屋の娘は略奪愛に走るんだ??そういう伝統でもあんのか!?
しかし嫁がイングリッドじゃ相手が悪いぞ。
「ま、まあその辺は俺がどうこう口出すことはねえからお前の好きにしろ。ただ、告白しても厳しいと思う――」
俺がそう言いかけるとハンナは大声で反発した。
「うるさいっ!ウチは……ウチはっ!!」
素早く後ろを向き、顔を手で拭ったハンナはそのまま廊下から受付カウンターの奥に走って行ってしまった。
あちゃー。なんかミスったか……?しかしいずれは知ることだ。早いか遅いかの違いでしかないぞ。やれやれ。
俺は一旦外に出て、秋風に吹かれながらミルコ達の到着を待っていた。
――ドゥルルッ。
すると、カブが駐車場からこちらに自走してきた。
「あれ?カイトさんどうしたんですか!?なんか浮かない顔してますね!?」
よく分かるなカブの奴。ま、話し相手にちょうどいい。俺はカブに先程の出来事を話した。
「ええー!?そ、そんなのダメですよ!ハンナさんは何を考えてるんですか!?」
そう、コイツは浮気とかには厳しいんだ。
「僕だってカイトさんがいきなり『今日からお前を降りてハンターカブ乗るわ!』とか言い出したら発狂しますよ!バイクは相棒と言われるぐらいですから、動かなくなるまで乗りましょう!人とバイクは絆があります!人間同士だって一緒。一生一緒にエヌビディアです!!」
顔を赤くして力説するカブ。うーん、まあそう言ってくれるのを喜ぶべきかな?
俺はカブの勢いにちょっと引きながらもこう返した。
「でもお前、その考えだと市場に中古車が流れないし新車もなかなか売れないしバイク販売店やメーカーが困るぞ?」
するとカブは汗をダラダラと流し始め俺から目を逸らして斜め上を見上げた。
「そ、それはその……ほ、ほら……やっぱり人とバイクって違うじゃないですか!?」
「おまっ……さっきと言ってること違うじゃねーか!?」
などとアホなやり取りをしていると、やがて皆がやって来た。
「カイト社長、本日は協力どうもありがとう。今晩はゆっくり休んで明日の早朝にまた関所で落ち合おう」
「おう。またな」
どうやらビスマルクはじめ輸送団の皆は別館で寝泊まりらしく、ギガーブを駐車場に停めてすぐそちらに入っていった。
「くあーっ。長距離走った後の宿って最高にホッとすんぜー」
「本当にね……あーつかれた……」
「温泉があればいいのになー」
ガスパル、シャロン、メッシュがそれぞれ感想を口にしているが、問題はミルコだ。
俺は三人をさっさと受付にいざなったあと、ミルコを確保した。
「いやー疲れたっすねカイトさん。早いとこ夕飯食って寝ましょう」
当然何も知らないミルコは、疲れ切った顔で笑いかけてきた。
ちょっと聞いておこう。
「なあミルコ、お前って女に言い寄られたことって結構あったりするか?」
「えっ、なんすか急に!?いや、まあよくありますけど」
はあ!?ふざけんなよこのイケメンが!
……じゃなくて、それならちょっと安心だ、うん。変な断り方もしないだろう。
「いや、ちょっとな。まあとにかく入ろうぜ」
そう言って俺はミルコと一緒に宿の正面入口から中に入った。
受付にはしっかりハンナの姿があって安心したが、その表情はやはり強張っている。
「あ……こ、こんばんわミルコさん!」
ミルコが入ってくるのを確認したハンナは少し高めの声色で挨拶をした。
「こんばんわーハンナさん。いやー疲れたよホント」
疲れまくっているにも関わらず爽やかな笑顔を返すミルコ。やるな。
ハンナは一瞬目を輝かせたかと思うとすぐに複雑な表情に戻った。
何か言うタイミングを見計らっているようにも見えるが……俺がそう思っていたところ、それは現実のものとなった。
「あの、疲れてるとこアレなんだけどさ。ミルコさんって、その……夫婦仲いいの?」
「えっ、うん。まあまあじゃないかな……どうして?」
ハンナは慌てたように手を胸の前でブンブンと振った。
「い、いやー、その……ウチも将来の参考にしたいなーって……あはは」
「ははっ。まあ俺は今の結婚生活が気に入ってるし、ハンナさんも早く彼氏見つけなよ!じゃ」
そう言ってミルコは、ハンナに手を振りガスパル達の手招きする部屋の方に歩いていった。
「……」
その場に残された俺とハンナ。
重すぎる空気の中、ハンナはずっと俯いていた。さて、どうすっかな。
「……夕飯持ってかなきゃ」
まるで、全ての力を使い切ったようなハンナの声。ゆっくり裏のキッチンへと歩いていく。すっげー無理してるなコイツ。
俺は背後霊のようにその後ろについていき、配膳を手伝った。
「おいハンナ。飯は俺が運ぶからお前はここで休んでろ」
「え?……」
呆然としながら首を傾げるハンナ。
「後でここで飲むぞ!酒だ酒!!」
俺も疲れてるけど愚痴ならいくらでも聞くぜ?