163 イヴの悩み
勝負が終わった後もバダガリとガスパルの二人はしばらく和やかに話をしていて、俺やイヴは安心したように見守っていた。
「あはっ、なかよしー!!」
ターニャが笑いながら二人の元に駆け寄っていく。
「いやー、なんか知らんけど良かったわ。ここ来る前から心配だったからなあの二人……」
俺は隣に立っているイヴに本音を漏らした。イヴはため息交じりに苦笑する。
「あの人、男には強いんですよ」
「だな。ところでイヴ、アイツとは最近どうだ?」
「……」
イヴはちょっと困った顔をした。なんだ?気になるな……。
「おーいカイトさん。ちょっとガスパルにウチの畑案内してきていいかー?ターニャも一緒に」
遠くからでもハッキリと聞こえるバダガリの声だ。
「おう。別に急いでねーからゆっくり回ってこいよー!」
「カイトさん!僕もちょっとセローでその辺走ってきていいですか!?もうちょっと練習しときたくて……」
今度はミルコだ。
「おう、行って来い」
そう答えると笑顔で「はい!」と答え、颯爽とセローで山道を駆けていく。すっげー楽しそうだなアイツ……。
「カイトさん。僕もミルコさんに付いて行きます。万一事故ったらすぐ知らせに戻りますから!」
「お、おう。オフロードで単独事故はやべーからな。頼むわカブ」
「了解です!」
――ドゥルルルルー。
ふと気付くと、ここに居るのは俺とイヴだけになっていた。
イヴが俺の袖を引っ張った。
「ちょっと……」
「ん?」
イヴはそのまま物置小屋に入って行く。俺も続いた。
「……なんか話したい事があるみたいだな?」
俺は小屋に置いてある長椅子に座りイヴの言葉を待った。
イヴは俺の隣に座り、少し潤んだ瞳でこう切り出した。
「カイトさん、愛って何でしょうね?」
いきなり飛び出した哲学的な質問に俺は戸惑い、思わず苦笑いになった。
「いや、難しい事を聞くなあ……バダガリとなんかあったのか?」
イヴは相変わらず浮かない表情だ。
「バダガリとは良好ですよ。少なくとも悪くはないハズです」
なんか引っかかる言い方だな。
「……」
俺はイヴをじっと見て、どういう感情でいるのかを読み取ろうとしたが、やはりよく分からない。
「あの人はよく変な行動しますけど、優しいし、経済力もあるし、基本的に良い人なんです」
「うん。いい奴だな」
「だから、これは私の我儘なのかも知れません……私は……」
俺はじっとイヴの言葉を待った。
「私はもっと深く愛されたいんです!」
え!?
どういう事だろう?バダガリはイヴを大切にしてるんじゃないのか……?
そんな俺の疑問を先読みしたようにイヴは話し始める。
「あ、もちろんあの人が私を愛してないって事はないと思うんです。それはすごく感謝してます……ただ……」
イヴは一旦呼吸を整えて言った。
「彼にとって私は……一番大切な存在じゃないって事です」
え?そうなの??
「あの人が一番好きなのは何だと思いますか?カイトさん」
「……い、いやー。何だろ?」
それまで俯いていたイヴは顔を上げ、俺を真っ直ぐ見つめて大きめの声でこう言った。
「あの人はね、自分が一番好きなんですよ!」
あー、なるほど!そんな感じするわ。
「もっと正確にいうと自分の筋肉とかですね!!」
俺は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
イヴはちょっと怒ったように眉を吊り上げる。
「圧倒的に好きなのは自分、で次に私……いや、もしかしたら畑かも知れない。なんか……、なんか段々腹が立ってきました」
ありえる、バダガリならありえる。
「う、うーん。まあでも逆に考えればアイツは浮気しないいい旦那になると思うんだが……」
「それは私を愛してくれた上での話です!一緒に寝てるときもずっと不安なんです。私ってこの人に愛されてるのかな……って」
うーん、やはり。
基本的な部分は変わってない。イヴはやっぱり精神的に不安定だ。
もちろんバダガリにも欠点はあるんだろうが……。
ここは気休め程度だが慰めておこう。と思って言った事が大きな間違いを引き起こした。
「うん。なるほどな。分かったぜイヴ。でもよ、男女なんてそんなもんだぜ?ある程度は妥協しねーとよ。俺もセシルと――!?」
俺が「セシル」と口にした瞬間、イヴが鋭く刺すような目に変わった!?あ、やべ!
「なん……ですか?」
「い、いや。アイツもちょっと鈍臭い所があってな。未だにカブに乗れなかったり……まあそれ以外は全く不満はないんだが」
などと言って火に油を注いでいく。
イヴは瞳を閉じて笑った。
「ふーん。そうですかー。良好なんですねアイツと……それは良かったですねー」
なんかめっちゃ冷たい言い方だ。
するとイヴは閉じていた目を開け、同時に涙が頬を伝って流れた。
ああー、まずかった。セシルの話はするべきじゃなかった。
「け、結局私は誰の一番にもなれない。どれだけ見た目を磨いても家事を頑張っても……本当に欲しいものは手に入らないっ……」
ああっ、あかん!泣かせてしまった。
俺はイヴを介抱するように腕を回しグッと引き寄せる。
数秒間そうした後、イヴの方からも俺の背中に手を回してきた。
顔がものすごく近い。
「カイトさん、……あなたが優しいから私、忘れられないんですよ。これはあなたのせいです」
イヴはそう言い終わると自身の唇を俺の唇に重ねてくる。
うおおおお。理性が持たん!
すまんセシル。い、今だけは勘弁してくれー!
しばらくお互い無心でキスをしていた。
この歳でも今だに心臓の鼓動が早鳴りする。
誰かが帰ってくる気配はない。
数分後、俺とイヴは二人で椅子にピッタリ横並びになりながらぼーっとしていた。
いや、ぼーっとしていたのは俺だけだ。イヴは恍惚とした表情で俺の肩に顔を預けている。
「やっぱり私、カイトさんでないと満たされません」
幸せそうにそんなことを呟くイヴ。うーむ、困ったな……。
こんな関係はマズいと分かっちゃいるけど、どうすりゃいいんだ??
俺はゆっくり立ち上がった。
「カイトさん?」
「イヴ、本当はマズいんだがな、こういうの。ウチも新人が入って俺が直接ここに来る機会も減るし……お前にはバダガリと幸せになってもらいてえ」
「分かってます。でも、……たまにでいいので顔を出して下さい。ありがとうカイトさん」
そう言ってニッコリと笑った。
俺も最後に笑顔で励ました。
「人間すぐに幸せになれる事ってあんまりねえけど、時間が経ったら感覚も変わる……幸せの基準も変わる……。後になってなんでこんな事で悩んでたんだって思ったりもするぜ?」
イヴは先程までより力強い表情で「はい」と答えた。