次回予告4 前編
次回予告
水素原子がじゃまだ。
次回「二酸化イオウの海」宇宙の膨張を遅くしてしまえ。
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二酸化イオウの海
『日経サイエンス』2022年10月号に「キリンの首が長くなったのはなぜ?」という見出しの記事が掲載されていた。
中国北部のジュンガル盆地で約1690面年前の中新世に生きていたキリンの近縁動物の化石が77点以上発見されたのだそうだ。それらは首の短いオカピに似ていたと考えられるのらしい。ちなみにオカピというのはキリン科オカピ属に分類される偶蹄類だ。ウマのような体型のキリンだと思えばいいだろう。
で、その頭頂部にはケラチン層が積み重なった厚さ5センチの硬い構造物があったので、これは現生のヤギのように頭部をぶつけ合って優劣を競うためのものだったのだろうということらしい。キリンの祖先が森林を出て草原で暮らすようになってから首を使って闘うようになったために首が長くなったというわけだ。
うーん……頭をぶつけ合うという形で力比べをしていた偶蹄類の中から「首を使いたい」という変わり者の雄が生まれたとしても、他の雄が全員「頭をぶつけ合いたい」と考えていたら雌に選ばれることもなく、仲間はずれにされて寂しく死んでいくしかないような気がする。首で闘う雄が同時期に2匹以上存在すれば闘うことは可能になるわけだが、そんな雄たちを見て「まあ、素敵!」なんて思ってくれる変わり者の雌も(少なくとも1匹は)存在しないと子孫を残せないはずだ。
首で闘う偶蹄類のアダムとイヴが同時期に存在することによって長い首の方が魅力的であるとするグループが生まれ、中国北部で子孫を増やしていったとしても、さらにキリンのモーゼに先導されて「約束の地」であるアフリカのサバンナへ向かう必要もある。こういう歴史があったのだとしたら、ユーラシア大陸に残ったであろうキリンの子孫か、あるいはその化石が発見されなくてはならないだろう。この仮説に「キリンの首は長くなってしまった」「しかし、それは絶滅に繋がるほど劣った形質ではなかった」という仮説を捨てるに値するほどの説得力は感じられない。
作者は「首が長くなった」のがキリンという種が生まれた原因だと考えているのだが、生物学の研究者にとって、それはあくまでも結果でなければならないということなのかもしれないなあ。
さて、本題に入ろう。二酸化イオウの海である。
二酸化イオウ(SO₂)、またの名を亜硫酸ガスは火山活動やイオウ化合物を含む化石燃料を燃焼させることで生じる空気よりも重い刺激臭を有するガスである。これが水と反応すると亜硫酸(H₂SO₃)となり、酸性雨の原因になるわけだ。
作者が二酸化イオウに魅力を感じるのは、水分子と同じようにイオウ原子1個と酸素原子2個が三角形を形成するからである。水らしさの指標の一つである双極子モーメントは水が1.85Dであるのに対して二酸化イオウは1.63D。アンモニアが1.42Dだから、この点ではアンモニアよりも水に近い性質を持っていると言える(ちなみに、炭素原子1個と酸素原子2個が一直線に並ぶ二酸化炭素や正四面体の頂点に水素原子が位置するメタンなどは0.0D)。
二酸化イオウは常温では気体なのだが、融点がマイナス72.4度C、沸点がマイナス10度Cなので、太陽系でいうと火星軌道辺りであれば液体の二酸化イオウが存在できることになる。とはいえ、実際の火星では二酸化イオウの川や海は発見されていないのだから、温度以外の条件がそれを許していないということだろう。例えば火山が足りないので噴出した二酸化イオウの量そのものが少なかったとか、石膏(CaSO₄2H₂O)や明礬石(「みょうばんせき」と読む。分子式はKAl₃(SO)₄(OH)₆)などの硫酸塩鉱物になってしまっているのかもしれない。
というわけで二酸化イオウの海が生まれる条件はかなり厳しい。第一に二酸化イオウを供給する多数の火山が必要だ。第二に二酸化イオウが液体になるような低温の天体でなくてはならない。第三に二酸化イオウを亜硫酸に変えてしまう水の存在量が少ないことが要求される。
木星の衛星イオには火山が多いし、その熱と低重力によって水が宇宙空間に逃げ去ってしまったために太陽系で最も水が少ない天体になっている。その上、イオの表面の大部分は、イオウと二酸化イオウの霜で覆われた広い平原になっているらしい。ということは、イオを火星軌道辺りまで運んでくれば二酸化イオウの霜が融けて液体になるはず……なのだが、イオの質量は地球の100分の1くらいしかない。絞り出せる二酸化イオウの量も多くはあるまい。二酸化イオウの海を造るなら、せめて地球の約10分の1の質量を持つ火星くらいの惑星にしたい。
そうすると問題になるのが水の存在だ。惑星が大きくなれば水の存在量も多くなる。この水をなんとかして減らさないと……違うな。酸素原子も二酸化イオウ分子の構成要素なのだから、減らすべきなのは水分子ではなく、水素原子だ。
ところが、水素は宇宙で最も豊富に存在する元素であって、暗黒物質と暗黒エネルギーを除くと宇宙の質量の4分の3は水素原子であるのらしい。したがって、二酸化イオウと反応できるような(他の原子と強く結合していない)水素原子だけに限定しても減らすのはかなり難しい。
そこでさらに調べてみると、水素原子は宇宙が誕生してから約38万年後に急速膨張によって宇宙の温度が低下したために陽子と電子が結合できるようになって初めて生成したとされているらしい。この「宇宙の晴れ上がり」の時期以後、この宇宙では水素原子は生まれていない……はずだと思う。それなら、この時期の宇宙膨張の速度を遅くすれば水素の原子核はどんどん融合してヘリウムを初めとするより重い原子核に変わっていくのではあるまいか。つまり、この宇宙そのものを恒星の代わりにして水素原子を消費してしまうのである。〔そこまでやるかよ〕
ここまでしなければ二酸化イオウの海を生み出すことはできないのだ。
なお、水素がほとんど存在しない宇宙における生物は水素に代わる原子を使って有機物を造る必要がある。二酸化イオウの海では酸素原子が水素原子の代わりをしているわけだが、酸素は2価の原子だし、特に多数の炭素原子が繋がった高分子を形成する場合には酸素原子では大きすぎるような気がする。
水素の代わりなら同じ一価の第一族元素を使いたいところなのだが、リチウム以下の第一族元素はすべて常温で個体の金属なので、ここは第一七族のフッ素を使おう。フッ素は炭素と結合しやすい元素だし、フッ素分子も二酸化イオウが液体になる温度域で気体だからちょうどいいだろう。
というわけで、この宇宙では炭水化物に相当する分子は炭素とフッ素と酸素で、アミノ酸は炭素とフッ素と窒素と酸素でできているというわけだ。これはなかなか面白い生物が生まれそうな気がするぞ。
次回予告
恐竜は竜盤類と鳥盤類に分けられる。
次回「恐竜は鳥になった」それに意味はあるのか?
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恐竜は鳥になった
林譲治先生の『工作艦明石の孤独 1』を読み終えた。〔いつ頃書いた原稿なのかがバレるぞ〕
この作品の世界ではワープ航法が実用化されているのだが、その原理がわかっていないという設定になっている。そういう世界で異常なワープという現象が発生すると困ったことになるわけだ。エンジンの構造や作動原理を知らなくても車を運転することはできるが、いったん故障が発生すると、どこが壊れているのかすらわからないというようなものである(ワープができないと、車社会におけるJAFのような救助隊もその場所にたどり着けないのだ)。これはもう「遭難」と言える状況である。この先では林先生らしく、惑星規模のサバイバルが展開されていくのだろう。
また、この小説では光速を超えて移動することによって発生する「因果律の破れ」もうまく処理されているようだ。作者の場合、ワープ航法はただの小道具として使うので、因果律の破れなど見なかったことにして「ワープしました」で片付けるところだ。かなわんなあ。
さて、本題に入ろう。実は川上和人先生の『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』も読んでいるのである。
いやいや、これはなかなか面白かった。今では鳥は獣脚類恐竜から進化したという仮説が一般的になっているのだが、やや専門外であるはずの鳥の研究者が恐竜について考えると、専門家には思いつけないような突拍子もない仮説がポンポン飛び出してくるのだ。もっと早く出会っていればと後悔したくなるような本である。
ただし、「恐竜とはどんな生物か」の章の「まず、恐竜には大きく分けて2つのグループがある。鳥盤類と竜盤類だ」「これらの2つは、骨盤の恥骨の向きによって区別することができる」という記述はねえ……竜盤類の恥骨の形を少し変えれば、それだけで鳥盤類の恥骨になるだろうに……。
と思っていたら、2017年に「新・オルニトスケリダ仮説」というようなものが提唱されているんだそうだ。オルニトスケリダとは「鳥の足」という意味で、恐竜類を四足歩行の大型植物食恐竜である竜脚類とオルニトスケリダに分けましょうという分類法らしい。ウィキペディアの「オルニトスケリダ」のページによると、恐竜様類からまずマラスクス、次にシレサウルス類が分岐して残りが恐竜類になり、恐竜類は竜盤類とオルニトスケリダに分岐したとするのらしい(マラスクスとシレサウルス類というのがどんな動物なのかはわからない)。竜盤類はヘレラサウルス類と竜脚形類を含み、オルニトスケリダの定義は「イエスズメとトリケラトプス・ホリドゥスを含む最も包括的なクレード」だそうだから、いわゆる鳥脚類恐竜と鳥を含む竜盤類恐竜が含まれるグループというような意味になるんだろう。要するにティラノサウルスや始祖鳥のような二足歩行の肉食恐竜とハドロサウルス類やトリケラトプスなどの基本的に二足歩行の鳥盤類恐竜を1つのグループにまとめてしまいましょうというわけだ。鳥盤類の恥骨は、オルニトスケリダと竜脚類が分岐した後にオルニトスケリダ内で生じた派生形質であるとするのらしい。「竜盤類の恥骨も鳥盤類の恥骨も同じものだ」と覚るまであと一歩だな。その一歩のためにはトポロジー(位相幾何学)の知識が必要だろうが……。ひょっとすると、AIの方が先に気付いてしまうかもしれない。
ついでだから、テリジノサウルス(名前の意味は「刈り取りをするトカゲ」)という変な恐竜も紹介しよう。テリジノサウルス科の骨盤の構造は鳥類のそれに似ているらしいのだが、そういう進化はテリジノサウルス科において3度起こったとされているのらしい。竜盤類のトカゲ型の恥骨を鳥盤類型に変えるのは簡単なことなのだ。
テリジノサウルスは中生代白亜紀後期(約7千万年前)のモンゴルに生息していた恐竜の一種で、前肢に巨大な爪を持つアヒルのような姿で復元されることが多い獣脚類である。ウィキペディアによると「テリジノサウルス科に属する恐竜は側面に腕を広げられ、鳥が羽ばたくような動きも可能な腕構造を持っていたが、なぜこのような進化を遂げたのかはよくわかっていない。また、食性についても植物食であるという直接の証拠は少なく、魚食性であったとする説もある」のだそうだ。
植物は肉よりも消化しにくい。したがって、植物を食べるのなら腸は長い方が有利だ。トカゲ型の恥骨を上へ引き上げて腸を長くすることに成功したのが鳥盤類恐竜だったんじゃないだろうか。つまり、鳥盤類と鳥の恥骨が似ているのはただの収斂進化の結果なのだろうと作者は思う。
ここで『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』に戻ると、「鳥の祖先が獣脚類の中から枝分かれしてきたのは、獣脚類たちが積極的に前肢を小型化させていくよりも古い時代と考えられる。獣脚類では、もてあます前肢への対処方法として、小型化と翼化の2つの道筋があったということだ」「鳥が空を飛ぶという偉業を成し遂げることができたのは、不用器官のリサイクルというちょっとエコな感じのする進化の道をたどったからなのだ」という記述もある。なるほど、ティラノサウルスに代表される二足歩行の肉食恐竜の前肢には体重を支えるという機能は要求されない。獲物を押さえつける必要が生じた場合でも現生のワシやタカのように後肢を使えば済むだろう。確かに不用器官のリサイクルである。
そしてこの本では「翼竜、大地に立つ」として、飛ばない翼竜の可能性についても論じられている。「足跡化石が見つかっていることから、翼竜は地上を歩き回ることができただろう。それなら、彼らが二次的に飛翔性を失う資格は十分にある」「巨大翼竜は、その可能性を秘めている。巨大になると体重を空中で支えることは難しく、地上に降りる理由に不足はない」「巨大翼竜なら、大きいだけで捕食に対する防御になる」って、これは作者が第三巻の「飛べ! ケツァルコアトルス」の章で展開した論法とまったく同じではないか!〔先に読まなくてよかったな〕
しかし、「巨体なら捕食者がいても無飛翔性が進化することは、チーターのいるアフリカで青春を謳歌するダチョウが証明している」というのはどうかと思う。チーターはスプリンターだから、ダチョウのスピードと持久力で振り切れるかもしれないが、飛ばねえ翼竜はただのトカゲだ。がに股の四足歩行では直立型の股関節を持つティラノサウルスなどからは逃げ切れないだろう。
作者はケツァルコアトルスの翼は大きいままの方がいいと思う。捕食者に対しては翼を広げて威嚇し、それでも向かってくるようなら、地面効果による揚力増加まで利用した超低空滑空飛行で一気に距離を取るという逃げ方をするのがいいだろう。これを繰り返せばティラノサウルスに追いつかれることは永久にないのである。あくまでも理論的には、という話だが。
次回予告
ちゃんと噛んで食べなさい。
次回「生命の大進化 その1」やだっ。丸呑みがいい!
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生命の大進化 その1
土屋健氏の『生命の大進化40億年史 古生代編』を読み終えた。このての解説書は数多くあるのだが、土屋氏の場合は最新の情報を惜しげもなく盛り込んでくれるので読まないわけにはいかないのだ。
この本でもいきなり「2017年、東京大学大学院の田代貴志たちは、カナダ北東部のラブラドル地域から採集した約39億5000年前の岩石に炭素質の微粒子を確認したことを報告した。そして田代たちの分析によって、この微粒子が生物起源であることが明らかにされた」という記述が出てきた。「つまり、約39億5000万年前の海には、すでに生命がいたらしい」ということになるわけだ。
この本は2022年に発行されているから、5年前に発表された研究結果を知ることができたというわけである。こういうのは本当にありがたい。古生物の専門家なら原著論文(おそらく英語で書かれている)を読んで、常に最新情報に更新し続けることも必要なのだろうが、作者は専門家ではないのだ。〔めんどくさいだけだろ〕
ただし、論文にしろ、書籍にしろ、正しくないことが書かれている可能性は常に存在する(すべて鵜呑みにして書いてしまって、「私のせいじゃありません」というやり方もありだとは思うが)。したがって、読者には嘘を見抜く能力か、あるいは嘘を許す寛容さも要求されるのだ。
例えば第二章の「爆発的進化の時代」には「立体化し、硬質化する」として、カンブリア紀初期に現れた微小有殻化石群(SSFs)が紹介されている。「その硬組織は、大きさにして数ミリメートル以下という小さなものだ。それらの形は多様で、チューブのような形をしていたり、トゲのような形をしていたり、巻き貝や二枚貝に近い形状をしていたり、楕円形に近い板のような形をしていたりする」。このSSFsは何らかの動物のパーツだったのではないかと言われているらしい。それは中国の約5億2000万年前の地層から発見された「ミクロディクティオン」の化石からも示唆されるのだそうだ。
ミクロディクティオンは、最大で全長8センチのミミズのような胴から10対20本の脚が生えていた動物で、脚の付け根辺りにほぼ楕円形の板のような硬組織が並んでいたのらしい。ミクロディクティオンの化石が含まれていた地層は軟組織も硬組織も残りやすかったのだが、これが小さな硬組織しか残らない地層だったならば、それらは「謎のSSFs」と呼ばれることになっていたわけだ。
ただ、その先には「それにしても、SSFsはいったい何のためのパーツだったのだろう?」「トゲ状のSSFsが、まさしくトゲだったというのなら、それは防御用だったのかもしれない。しかし、たとえば、ミクロディクティオンのような「肩当て」は防御の鎧としては明らかに心許ない」と書かれている。こういうことはミクロディクティオンの身になって考えてみればわかると思うのだけどなあ……。
この本にはアノマロカリス・カナデンシスの腹面の復元画も掲載されていたので物差しを当ててみたのだが、その体長64ミリに対してリング状の歯の開口部の直径は約1ミリだった。それに対して、実際のミクロディクティオンの肩当てのサイズは最大3ミリほどらしい(ウィキペディアによる)。
作者はラディオドンタ類の歯は柔らかい獲物を逃がすことなく消化管に送り込むためのものだろうと思っている。中央に穴が開いている歯では獲物を噛み切ることはできまい。そういう前提で考えると、ラディオドンタ類がミクロディクティオンを丸呑みにするためには、計算上192ミリ以上の体長が必要になる。カンブリア紀の動物の多くは全長100ミリ以下だったというから、この肩当てはかなりの防御力を発揮していたはずだ。この仮説が信じられないという人は、うどんとせんべいをそれぞれ噛まずに丸呑みしてみるといい。それがラディオドンタ類の食べ方だ。〔大変危険です。せんべいは噛み砕いて食べましょう〕
その後、ラディオドンタ類が大型化してミクロディクティオンまで丸呑みすることができるようになると、その歯にひっかかるような長さの2列のトゲを獲得したハルキゲニアが現れる。いわゆる「軍拡競争」というやつだ。この本にはハルキゲニア・スパルサの復元画もあったので、それにも物差しを当ててみると、体長約70ミリに対してトゲの長さは約25ミリだった。実際のハルキゲニアの体長は20~30ミリということなので、30ミリで計算すると実際のトゲの長さは10.5ミリになる。ということは、アノマロカリスがハルキゲニアを丸呑みするためには、少なくとも全長67センチまで巨大化する必要がある。アノマロカリスが最大1メートルに達したと言われるのは、それが必要だったからなんだろう。〔トゲトゲのハルキゲニアなんかを丸呑みにしたら消化管に穴が開くぞ〕
……ラディオドンタ類に補食できたのはミミズのような体型の動物か小型の魚くらいだっただろう。なお、最大で2メートルと言われているオルドビス紀のエーギロカシスは濾過食者だったそうだ。現代のヒゲクジラやジンベイザメを見ればわかるように、プランクトンを海水ごと呑み込むという生態なら大型化しやすいのである。
そして、カンブリア紀の次のオルドビス紀にはラディオドンタ類には不可能だった「噛む」ことができる節足動物が現れる。ウミサソリである。
ウミサソリとラディオドンタ類の比較は第三巻で書いているので詳しくはそちらを読んでもらいたいのだが、ウミサソリの口は頭胸部下面に位置していて、その口を囲んでいる脚の付け根近くには噛み合わせることができる構造(顎基)があった。例えばアノマロカリスがハルキゲニアを狩るのはかなり無理があっただろうが、ウミサソリならば、ひっくり返してしてしまえば柔らかい脚や胴を噛みちぎることができただろう。それどころか、ウミサソリに上から抱え込まれたアノマロカリスは、柔らかい背面を生きたまま食われていくということにもなりかねない。逆はどうかというと、アノマロカリスはウミサソリの硬い外骨格に文字通り歯が立たないのだ。
「圧倒的じゃないか、ウミサソリは」〔こらこら〕
ウミサソリが現れたオルドビス紀以降、ラディオドンタ類は急速に衰退していく。発見されている化石はオルドビス紀のエーギロカシスとデボン紀のシンダーハンネス(体長10センチ)だけらしい。つまり、ウミサソリが抱え込めないほどの大きさになるか、思い切って小型化して個体数を増やし、少しくらい補食されても種を存続していけるようにするか以外に手はなかったのだろう。
もしもラディオドンタ類がウミサソリのように噛むことができる口器を獲得していたら、地球の生物の進化史はどうなっていただろう? 脊椎動物である魚は生まれただろうが、大型化できなかったかもしれない。ある程度大型化しないと上陸もできないだろうなあ。
次回予告
アノマロカリスなど怖くはない。
次回「生命の大進化 その2」真の敵は甲殻類だ。
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生命の大進化 その2
前回に続いて土屋氏の解説書を見ていこう。この本の第二章「爆発的進化の時代」には「進化はゆっくりと進む。それが、進化論の基本的な考え方だ」という記述があるのだが、作者は賛成しかねる。実際、ガラパゴス諸島ではたったの数十年で自然選択と進化が起こったことが観察されているのだ。
またカンブリア紀には眼を持った動物たちが数多く現れている。最初に眼を獲得したと言われているのは三葉虫だが、これは炭酸カルシウムの背甲の一部を透明な結晶にするだけでレンズを入手できたからだろう。後は光を感じる細胞をレンズの底に配置して神経系を引き回すだけでいい。〔「だけ」と言えるのか、それは?〕
その他にもアノマロカリスに代表されるラディオドンタ類、5つの眼を持つオパビニア、甲殻類だったらしい一つ目のカンブロパキコーペと三つ目のゴチカリス、原始的な魚たち、頭足類らしいネクトカリスなど、カンブリア紀に眼を獲得した種は多い。まるで、三葉虫が眼を獲得したのを見て「眼って便利みたい。私も使ってみようかしら」と眼を獲得することが大流行していたような感じだ。〔いやいや、眼を獲得するまでは見えないだろ〕
もとい、眼を獲得したことを察知して、だ。ただし、三葉虫が眼を獲得したことを他の動物たちがどうやって知ったのかについて言及している資料にはいまだに出会っていない。個人的には三葉虫が死んだ後、海中に流れ出したDNAを取り込んだのではないかと思っているのだが、さすがにそこまで先鋭的な仮説を発表する研究者はいないらしい。せいぜい眼の遺伝子だけはすでに多くの動物たちに普及していて、実際に使われ始めた時代が「カンブリア紀」と名付けられることになっただけという仮説くらいのようだ。今は何の役にも立たない遺伝子を少しくらい抱えていても、それが直接絶滅に繋がるものでもないだろうしな。
さてさて、その先にもおかしな話が出てくる。2020年に報告されたキリンシアという5つの眼を持つ化石節足動物がラディオドンタ類の「一歩進化した先」と位置づけられたというのだ(誰が位置づけたのかについての説明はなかった)。キリンシアの脚は二肢型付属肢(または二叉型付属肢)で、これは歩くための内肢の付け根付近から櫛のような呼吸用の外肢が生えている脚だ。土屋氏はこの二肢型付属肢を「節足動物が持つ典型的なあしだ」としている。特に水中で生活する節足動物の場合、硬い外骨格の表面でガス交換といいうわけにはいかないので、外肢で呼吸するわけだ(例外もある。アノマロカリスは外骨格を柔らかくして、その表面で呼吸していたようだし、ウミサソリの呼吸器官は蓋付きの書鰓(しょさい)だ)。
そこまではいいのだが、その先には「つまり、オパビニアのような動物からラディオドンタ類のような動物へ。ラディオドンタ類のような動物からキリンシアのような動物へ。キリンシアのような動物から、現在の地球で最も多様性に富む動物群である節足動物へ」「キリンシアは、ラディオドンタ類と節足動物の間をつなぐ動物とされている」と書かれているのだ(誰によって「されている」んだろう?)。つまり、アノマロカリスの仲間が二肢型付属肢を獲得して三葉虫や甲殻類にになったのだということらしい。どうしてそんな話になるんだろうか。
キリンシアの化石が出土する澄江の地層は約5億1800万年前なので、アノマロカリス・カナデンシスなどで有名なバージェス頁岩(約5億500万年前)よりも古い。それならキリンシアが最も古いと考えるのが論理的なのではあるまいか。二肢型付属肢など水中で生活する節足動物では当たり前の脚だ。実際、澄江の地層から出土する化石節足動物であるフーシェンフイア類(フーシェンフイア、チェンジャンゴカリス、アラカリス)は二肢型付属肢を持っていたとされている。
さらに、ウィキペディアの「キリンシア」のページを開いてみると、「腹側にある口は、前端の付属肢(後述)の直後で後ろ向きに開口する」「眼の直後から口の直前までの腹面には、捕獲用に発達した前端の付属肢が一対ある」と書かれている。しかし、この大きな付属肢はどう見ても上方に向かって動くようにできている。これは海底の泥の中に差し込んでゴカイのような獲物を掘り出すためのものだろう。ところが、口がこの付属肢の直後の腹側で後ろ向きに開口していたとすると、この大型付属肢では獲物を口元まで持って行くことはできないことになる。個人的にはエビのように頭部先端に口があったと思いたいところだ。
それはともかく、キリンシアの5つの眼を残したまま大きな付属肢を捨てて、代わりにゾウの鼻のようなノズルを取り付ければオパビニアになれるだろう。やはり大きな付属肢を捨てて、無駄に多い眼も2つに減らし、海底を這うという生活に適した重い背甲を獲得すれば三葉虫のできあがりだ。ラディオドンタ類はもう少し手間がかかるのだが、まず眼を2つに減らし、大きな付属肢を下向きにしてからリング状の歯を獲得し、さらに体の表面で呼吸するために外骨格を脱ぎ捨てたうえに体の側面を広げてひれに変え、不要になった二肢型付属肢も捨ててしまえばいい。というわけで、甲殻類以外のほとんどの節足動物はキリンシアをアレンジするだけでできあがると思う。
話は変わるのだが、作者はロブスターが二枚貝の殻を割って中身を食べるという動画を見たことがある。ロブスターの口の位置は頭部先端の下側だ。そして三葉虫の背甲も二枚貝と同じ炭酸カルシウムでできていた。ということは、もしもカンブリア紀にロブスタークラスの大型甲殻類が存在していたら三葉虫は食われ放題になっていた可能性があるわけだ。しかし、カンブリア紀の甲殻類で大型のものは見つかっていない。カンブリア紀の海を支配した捕食者は、三葉虫と同じように頭部の下面に口器を持つラディオドンタ類だけだったのだ。これはどういうことなんだろうか。
さすがにここからはSFにさせてもらうが、とある恒星系に古生代の地球のような海が存在する惑星があったとしよう。そして、そこには三葉虫のような姿の知性体が生きていたとする。この三葉虫モドキたちは、まだ小型の種しかいない甲殻類モドキたちが大型化すると、その頭部先端の口器が炭酸カルシウムの背甲をも噛み砕けるようになることを予測するのだ。それを阻止するためには、甲殻類モドキに先んじて、三葉虫モドキを補食することが難しいリング状の口器を持つ大型捕食者を育成してニッチ(生態的地位)を潰してしまえばいい。こうしてこの星の大型節足動物というニッチは頭部や頭胸部の下面に口器を持つ種が支配することになったのだった。
天敵が生まれることを阻止することに成功した三葉虫モドキたちではあったが、惑星環境までコントロールすることはできない。気候変動による大量絶滅が起こる度に種数を減らし、さらに顎を持った魚まで現れたために、三度目の大量絶滅でついにその歴史に幕を下ろすことになるのだった。合掌。
次回予告
ウミサソリのミクソプテルスはサソリに似ている。
次回「生命の大進化 その3」口の位置はまったく違うぞ。
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生命の大進化 その3
前回に引き続き土屋健氏の解説書をネタにさせていただこう。
まずはクレームだ。この本の103ページに掲載されている三葉虫を腹面から見たイラストには、1枚の板であるはずのハイポストーマから触角と脚が一対ずつ生えているように描かれているのだが、これはどう考えてもおかしい。ハイポストーマというのは三葉虫やフーシェンフイアなどの化石節足動物たちが持っていた頭部下面の口に被さっている板で、これが存在することで実質的に口は後方に向かって開口するようになる。三葉虫などが前進しながら脚で海底の泥をかき回すと、ハイポストーマの後方で口の方に向かう水流が生じて、有機物を含む泥が口まで運ばれると言われている。つまり、海底の泥ごと有機物をすすり込むという食べ方をするための器官である……と思う。作者は三葉虫ではないので断言はしかねるが。
ハイポストーマは1枚の板なので、体液が通うほどの厚さがあるとは思えない。そこから生きている器官が生えるのは無理だろう(実際の化石でもハイポストーマから触角や脚が生えているものはないようだ)。ではハイポストーマを外した状態なのかというと、キャプションにはそういう記述はないし、ハイポストーマの下にあるはずの口も描き込まれていない。この絵だけが妙に不鮮明であることまで考え合わせると、これは作図を依頼されたイラストレーターさんがあまりにも資料が少ないためにまともな絵を描けないので、わざと不鮮明にしてごまかそうとしたんじゃないだろうか。あるいは流行に乗ってAIに描かせたか、だな。
念のために言っておくと、作者はこの絵を描いたイラストレーターさんを責めるつもりはない。試しに「三葉虫 画像」で検索してみたら三葉虫の腹面の画像は5枚しか出てこなかった(それでも5枚はあるのだから、それを知らん顔で描き写して欲しかったとは思うが)。イラストレーターさんは資料が少ない中で迫り来る締め切りと闘いながら精一杯の仕事をしたのだろうと思う。おそらく三葉虫の腹面の知識を持っているスタッフが1人もいなかったのだろう。それなら腹面の絵なんか載せなければいいだろうに。
次はオルドビス紀に現れた殻を持ったアンモノイド類(オウムガイの仲間。彼らから分岐したのがアンモナイト類)について。
土屋氏によると「殻のある頭足類は、気室内の液体量を調整することで浮力を制御しているのだ。すなわち、気室内の液体量を増やして沈み、減らして浮く。現代の潜水艦の浮力制御システムと同じである。ちなみに、上下移動は気室で調整するとして、前後左右は「漏斗」で制御している」のだそうだ。確かに、現生のオウムガイはそういうやり方をしている。
しかし、オルドビス紀のアンモノイド類が持っていた細長い円錐形の殻には2つの問題がある。第一に単純に重い。アンモノイド類の殻は炭酸カルシウムでできていた。これはサザエやハマグリのような貝の殻と同じ材質である。海中を泳ぎまわる巻き貝などいないだろう(例外は成長すると貝殻を失って遊泳するようになるクリオネくらい)。だからこそ気室を使って浮力を調節する必要があるわけだが、殻が平面らせん形ならば内側と外側の気室で壁の一部を共有することで、ある程度の軽量化が可能になるのに対して、円錐形の殻ではそれができない。しかも、大型化していくと増えた重量に浮力の増加が追いつかなくなっていくのだ。土屋氏も「もっとも、カメロケラスの場合は、満足に浮くことができなかった、という指摘がある。普段は水中に浮かず、獲物が射程内に来たときだけ、瞬間的に攻撃態勢へ移行する。そんな待ち伏せ型の狩りをしていたのかもしれない」としている。必要であれば水中に浮くことができたという考え方だ。
しかし、その場合には動力が漏斗からの水噴射だけというのが問題になる。野尻法介先生の『私と月につきあって』を読んだことがある読者なら見当が付くと思うが、6メートル以上の重い殻の一方の端に収まっている軟体部の漏斗から水を噴射して運動するのは非常に効率が悪いのだ。作者としては第二巻で述べたように、小型の雄たちに獲物を貢がせるか、あるいは海底に沈んだままで現生のイソギンチャクのように不用意に近寄ってきた獲物を捕らえるくらいが合理的な範囲だと思う。また、重いカメロケラスが海底から浮上するとしたら漏斗から噴射する海水は海底方向へ向けなくてはならないはずだ。となると、海底の泥が盛大に舞い上がってしまうことになるだろう。これでは獲物が驚いて逃げてしまうんじゃないだろうかなあ。
続いてウミサソリ。この本ではウミサソリの仲間であるミクソプテルスについて「ウミサソリ類」の名にふさわしいウミサソリ類だとして「何しろ、その見た目がサソリっぽい」と書かれている。「クジラは魚に似ている」というような話だな。
さらに「あしはすべて頭胸部についていて、とくに前から2番目の一組と3番目の一組は発達し、その内側に鋭いトゲが並んでいた。明らかに獲物を捕獲・保持するためのあしである。また、最も後ろの一対のあしの先端は、わずかに平たくなっていた。これは遊泳に用いられたと見られている。そして、その間にある2対四本のあしは歩行用だろう。役割ごとに分化した「多様なあし」は三葉虫などにはみられないし、「前時代の覇者」であるラディオドンタ類にもないものだ」とも書かれている。
それはいいとして、その説明と復元画からミクソプテルスが何を食べていたのかを想像するのは難しい。大きく湾曲しているトゲの生えた脚ということは、比較的大型でトゲが刺さるような柔らかい獲物を狙っていたわけだ。それは同時に細いトゲが折れてしまうほど暴れる獲物ではないということでもある。そしてミクソプテルスは全長70センチに達したというし、その第五脚は他の遊泳型ウミサソリほど幅広ではない。つまりあまり速くは泳げなかったわけだ。ということは、泳ぐのが遅くて柔らかい獲物を補食していたのだろう。さて、シルル紀後期にそんな生物がいたのだろうか? と、そこで気が付いた。クラゲだ。クラゲなら速く泳ぐことはないし、トゲを突き刺して抱え込むこともできるだろう。
しかし、その後には「現生のサソリ類がそうであるように、尾部を反り返らせて尾剣を正面に向けた「攻撃姿勢」を取ることも可能だったようだ」と書かれている。やれやれ、土屋氏はどうしてもウミサソリをサソリにしてしまいたいのらしい。ウミサソリはウミサソリ目でサソリはサソリ目だし、クラゲに毒針を刺したところで意味はないだろうに。〔ミクソプテルスがクラゲ食と決まったわけではないだろうが!〕
ついでに言えば、サソリと近縁のカブトガニも尾剣を持っているのだが、あれは攻撃用の毒針ではないのだよ。
次回予告
しょ、少佐、温度が違います。この温度では液体の水は存在できません。
次回「タイタンの生命体」バレなければどうということはない!
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タイタンの生命体
K氏の『〇〇外生命体』を読んだ。サブタイトルは「アストロバイオロジーで探る生命の起源と未来」。これは悪い本ではない。よくもまあ、ここまで最新の情報を盛り込んでくれたものだとも思う。
それでも伏せ字にせざるを得なかったのは「第六章 タイタン」があるからだ。おそらく、根本的な問題は「地球型にあらずんば生命体にあらず」という硬直した考え方にあるのだろうと思うが、この章にはおかしな記述が多いのである。
順に見ていくと、カッシーニ探査機によるレーダー探査で「タイタン表面に火山のような地形が見つかりました」として、これはアンモニア水が噴出する氷火山であろうとしている。タイタンの表面温度はマイナス179度Cなのだが、地下はもう少し温かいはずで、さらに「アンモニアの融点はマイナス78度Cですが、アンモニアと水の混合物(アンモニア水)はさらに低くなり、35パーセントのアンモニア水だとマイナス91.5度Cまで下がります。このため、タイタンの地下には液体のアンモニア水からなる地下海が存在する可能性も議論されています」と書かれている。この辺りは初めて知った。
また、メタンやエタンから生まれた各種炭化水素と窒素に紫外線や宇宙放射線、隕石衝突などのエネルギーが作用することによって「タイタンの大気中にはアミノ酸のもとになる複雑な有機物や核酸塩基のような生命に関連する有機物が存在している可能性が考えられます」とも書かれている。「アミノ酸」だの「核酸塩基」だのという用語が出てくるのだから、タイタンの地下のアンモニア水の海にいるのは地球型生物だと考えているのだろう。しかし、地球の生物が生きている環境はせいぜいマイナス10度Cからプラス130度Cの範囲だったはずだ。マイナス数十度のアンモニア水の中で生命活動ができるタンパク質や核酸などあるんだろうか。〔「ない」と言い切れるものでもないだろ〕
さらにその先には「タイタン大気中で生成した多様な有機物は、氷火山の噴出孔などから地下に潜ってアンモニア水に溶け込み、そこでの化学進化により生命が誕生したという可能性は検討する価値があります」と書かれているのだが、意思を持つ生物ならともかく、ただの有機物が噴出するアンモニア水の流れに逆らって地下に潜っていくというのは想像し難い。どうしても大気中で生じた有機物を地下のアンモニア水に溶け込ませたいのならば、ジュール・ヴェルヌ先生の『地底旅行』のように、地表付近でかき集めた有機物を担いで死火山の火口の洞窟から地下へ運んで行くしかないだろう。〔誰が運ぶんだ?〕
それはもちろんタイタン人である。〔…………〕
さらにひどいのがタイタンの地表に生息しているであろう生物の細胞膜だ。地球の生物の細胞膜は基本的にリン脂質の親水基部分と細胞内と細胞外に向けた二重膜構造になっている。これはアンモニア水生物でも使える。ここまでは正しい。しかし、「一方、液体メタン・エタン湖中の生物は外側に水になじまない部分を向ける必要があります。細胞の中身にアミノ酸のような水になじむ分子を使うとすれば、内側に水になじむ部分を向けることにより1層だけの膜を使っているかもしれません」てのはいったい何なんだ?
第一にマイナス179度Cの環境では基本的に水は凍ってしまう。どうしても液体にしたいのならば、第二巻で述べたように常温核融合などを使って熱を生み出す必要があるだろう。ただし、エタンの沸点でも1気圧下でマイナス89度Cだ。せいぜい原子数十個分の厚みしかない細胞膜に90度以上の温度勾配が生じることになるから、その温度差に耐えられる細胞膜が必要になる。
第二に、水と炭化水素(要するに油)は基本的に混ざらない。したがって、油の中に溶け込んでいる物質を細胞内に取り込む、あるいは逆に不要な物質を細胞外に排出することがきわめて困難になることが予想される。「SFの辞書に不可能の文字はほとんどない」のだが、こういう油の中の地球型生物も「ほとんど」の範囲に入るんじゃないだろうか。〔いいんだよ、科学なんだから〕
この問題は細胞の中も液体のメタンやエタンにしてしまえば解決する。地球型生物の細胞膜の疎水基を細胞内と細胞外に向けてしまえばいいのだ。しかし「この場合、地球生物と同じようなタンパク質は使えず、有機溶媒に溶けるような「生体分子」を触媒や自己複製に用いることになりますが、そのような分子を私たちはまだ知りません」だと! 知らないのなら「タイタンの地表には地球型生物は存在できません」と言ってしまえばいいじゃないかあ。
さてさて、この本の参考文献欄には関根康人(せきねやすひと)先生の『土星の衛星タイタンに生命体がいる』も載っていたので、それも読んでみた。ほとんど同じテーマで書かれた本なのだが……いやはや、本というものは書き手によって輝く宝石にも道端の石ころにもなってしまうのだなあ。
関根先生が信用できるということは「誤解を恐れずにいえば、地球上で行われている光合成は、水を太陽光エネルギーによって酸素と水素に分解することです」という文章でわかる。これは光合成の本質を理解できていないとできない表現だろう。植物が必要としているのは二酸化炭素を還元するための水素原子であって、酸素はただの排泄物なのである。
関根先生はタイトルの通りタイタンのメタンとエタンの海で誕生するであろう生命体の細胞膜についてもちゃんと細胞の内側と外側に疎水基を向けた二重膜を考えておられる。さらにマイナス179度Cと低温のタイタンの地表では代謝を地球の生物よりはるかに遅くする必要があることにも気が付いていらっしゃるようだ。
なんとまあ、SFの出番がほとんど残っていないじゃないか。しょうがない。タイタンのメタンとエタンの海で生きている生命体が使っているであろう有機物(地球の生物にとっての炭水化物やタンパク質に相当する物質)について、少しだけ踏み外してみることにしよう。
鍵はフッ素や塩素などの第一七族元素にある。例えばエチレンの水素をフッ素で置き換えたテトラフルオロエチレン(C₂F₄)の融点はマイナス143.5度C、沸点はマイナス76.3度Cだ。ジクロロフルオロメタン(CCl₂F₂)ならマイナス157.7度Cとマイナス29.8度Cである。ただし、炭素とフッ素でできた長鎖分子であるポリテトラフルオロエチレン(商品名テフロン)になると安定しすぎていて生命活動向きではないから、地球型生物が使っているタンパク質のような大きな分子ではない方がいいだろう。タイタンのメタン・エタン生物はミニマムサイズの有機物を使ってミニマムな生命活動を行っているんじゃないかと思う。
そして遺伝子は……ああっと、もうスペースがない。いやあ、これは残念だなあ。〔……狙ったな〕
次回予告
スクランブル! 獲物の落下を確認。
次回「ヒメグモのぽとん」可及的速やかに捕獲せよ。
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ヒメグモのぽとん
作者は2019年から趣味でクモの観察をしているのだが、特に2022年はヒメグモについての貴重な観察結果が得られたシーズンだった。
新海栄一先生の『日本のクモ』によれば、ヒメグモは雌の体長が3.5ミリから5ミリ、雄で1.7ミリから3ミリという小型のクモで「都市部~山地まで広く生息する普通種。人家、公園の庭木の間、生け垣、雑木林、草原、河原、林道、渓流沿いなどの樹木の枝葉間、草間にシート網を付けた不規則網を張る。その中央部に枯れ葉を吊して住居とする」のらしい。さらにウィキペディアによれば、この枯れ葉の下で産卵し、出囊した幼体はそこに留まり、母親は幼体に食物を与えると書かれている。また、「卵囊内の卵数は平均で20個であった」のだそうだ。子育てをする分、卵の数は少なくていいということだろう。
さてさて、ここまでは一度観察すればわかることである。手間がかかるのは卵囊を切り開いて卵の数を数えることくらいだろう。しかし、ここまでの情報には作者の感じていた疑問、ヒメグモのお尻の色はオレンジ色からモスグリーンまでの範囲で変化するのかどうか、変化するとしたらその要因は何なのかに対する答はない。この程度の情報が見当たらないというのは不可解だったのだが、どうやら、作者のように目を付けた野生のクモに獲物を与えながら毎日のように観察し続けるというやり方は普通ではないのらしい(小中学生や高校生なら連続的な観察もできるようだが)。
一般的なクモ研究というと、クモを見つけて終わり、ある地域内にいるクモの種類と数を調査して終わり、酢酸エチルなどに放り込んで殺したクモの外雌器を観察して何グモかを確認して終わり、というものらしい。手元にある本では宮下直編集の『クモの生物学』の第六章で大崎茂芳氏が「糸の物理化学特性」としてジョロウグモの牽引糸(しおり糸)の可視光スペクトルの季節変化を5月・7月・8月・9月・10月の5回測定しているくらいである(たったの5回だ!)。プロの研究者は毎日のように観察を続けられるほど暇ではないのだろう。まあ、プロはお金を稼ぐのが目的なのだから、できるだけ少ない観察回数で論文を書かなければならないのだろうし、アマチュアは本来の仕事の合間にクモ観察をするのだろうから高密度の観察はできまい。そういう面では無職の年金生活者というのは観察者として恵まれた立場なのだな。
ヒメグモの話に戻ろう。ヒメグモについては、過去の観察でどうやらお尻の色が変化するらしいという観察結果が得られてはいたものの、ヒメグモがいた3ヶ所の植え込みが剪定されてしまったので観察を中断せざるを得なかったのである。しかし、今回は剪定済みの植え込みに居着いてくれたのでじっくり観察できた。クモの神様に感謝しなければな。
で、結論から言えば、確かにヒメグモのお尻の色は変化した。最初の産卵後に「ヒメグモ母さん」と名付けた個体に獲物(主に体長4ミリから5ミリくらいのアリ)をあげ続けると、お尻の色がオレンジ色からオレンジとモスグリーンが混ざったような色を経てモスグリーンに変化したのだ。もちろん、獲物をあげないでいればオレンジ色に戻る。また、対照群(1匹だけだが)として、ほとんど獲物をあげなかった「お隣ちゃん」のお尻はオレンジ色のままでモスグリーンになることはなかった。ただし、ヒメグモ母さんは最初の卵囊から子グモたちが出てきてからは子グモたちにも獲物を食べさせていたはずだし、お隣ちゃんも何かしらは食べていたはずなので少々ノイズが多くなったことは認めざるを得ない。
なお、去年観察したヒメグモは体長10ミリほどのカメムシも補食していたのでハエの類もあげてみたのだが、重すぎたせいか、シート網を突き破って落下してしまうことが多かった。また、風が吹いていると、シート網の外まで獲物が吹き流されてしまうこともあった。さらに、おそらくヒメグモ母さんの都合でシート網の穴が補修されていなくて、そこから獲物が落ちてしまったこともあった。ヒメグモのシート網はクサグモのそれのように分厚い物ではないので、穴が開いているのを確認し難いのだ(老眼で視力が低下しているせいもある)。
そういった事情で観察回数は少ないのだが、論文を書く気がない作者にとっては十分なデータが得られたのだった。
面白い観察例としてはシート網にアリを落とした途端に枯れ葉の下からヒメグモ母さんがぽとんとシート網の上に落ちてきたことが3回あった。そこからシート網の下に潜り込んで、その下面を歩いて獲物に近づき、獲物に向かって糸を投げ上げるか、あるいは獲物の近くでシート網を切り開いて、その穴から糸を投げつけて獲物の抵抗を封じてから牙を打ち込んで仕留めていたようだった。
その他に縦方向に張られている不規則網の糸を伝って降りてきたことが1回ある。後は獲物が不規則網に引っかかったり、多分風でシート網が揺れているせいで獲物に気が付いてもらえなかったりだ。
なぜヒメグモはぽとんと落ちるのかというと、これは獲物までの移動時間を短縮して、逃げられる前に糸を巻きつけようということだろう。推測でしかないが、ヒメグモの不規則網にもシート網にも粘着性はなく、不規則網に衝突してシート網の上に落下した獲物を仕留めるというのがヒメグモの基本的な狩りなのだろうと思う。実際にシート網の上に落ちてしまった体長2ミリほどのアリが歩いてシート網から脱出したこともあった。
さてさて、第二の問題であるヒメグモのお尻の色はなぜ変化するのかについてだが、クモは作者にとっては貴重な観察対象なので、ほいほいと解剖して確かめるわけにはいかないし、体長5ミリ以下という小型のクモを解剖する道具もない。そこで文献をたよりに推理を進めていくことにする。
鍵はおそらく消化器官にあるだろうということで、小野展嗣先生の『クモ学』を開いてみると、クモの消化管は大きく前腸・中腸・後腸からなっていて、「とくにクモの場合、前部と中部にたくさんの盲囊(袋状の分岐)があるのが特徴で、盲囊の働きによって、大食いをしても消化吸収ができるようになっている」と書かれている。
さらにウィキペディアによれば、この中腸部は腹部背面近くを通っている部分で大きく膨らんで、数対の分岐が出ており、この腺様中腸腺がさらに細かく分岐して腹部の心臓の両側に大きな塊を成しているのらしい。
おそらく、この細かく分岐した部分が脊椎動物の脂肪組織に相当する様な栄養貯蔵器官になっているのだろう。この部分に食べた物が送り込まれると、ヒメグモのお尻の薄い外骨格を通して、その色が透けて見えてしまうのではないかと思う。ジョロウグモやナガコガネグモも獲物を大量に食べるとお尻が大きく膨らんでいくから、クモの腹部の外骨格はよく伸びるようにできているのだろう。
次回予告
諸君らが愛してくれた7ミリ君は食われた。何故だ!
次回「ジョロウグモの秘密」お弁当だからさ。
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ジョロウグモの秘密
単なる思いつきなのだが、突然気温が急降下する惑星というのはどうだろう? その星の原住民は変温動物だという設定にするともっと面白くなるだろう。気温が低下すると動けなくなってしまう異星人である。
そんな異星人たちと地球から派遣された友好使節団が会談していると、突然けたたましいアラームが鳴り響き、異星人たちは一斉に立ち上がることになるわけだ。
「気温が下がります。急いで避難してください」
そう言った異星人代表は他の随行員に続いて部屋に備え付けの個人用カプセルに入って蓋を閉めてしまう。
すでに宗教的な理由で暖房をしない異星人だという情報を得ていた使節団は宇宙服のエアコン機能の作動をチェックして、異星人たちがカプセルから出てくるのを待つことにする。
気温がだいぶ下がった頃、ドアのない入り口から鋭い牙を備えた怪物が現れる。おそらく、この星の恒温性捕食者だろう。それはともかく、武器がない。平和的な会談に銃など持ち込めるわけがない。座っていた椅子を怪物に向けるくらいが精一杯だ。しかし、そこで使節団のひとりが宇宙服に使える機能が備わっていることを思い出した。
「パワーアシスト120パーセント!」
宇宙服に命令し、大重力星用のパワーで怪物に椅子を叩きつける。木製の椅子は粉々に砕け散ったが、手元には先端が尖った脚の残骸が残った。とっさにそれを怪物の眼に突き入れる。怪物は悲鳴をあげて逃げ出した。
全員が「避難してください」の意味を理解させられたわけだが、怪物は1匹だけではないはずだ。とりあえず、それぞれ武器になりそうなものを持って、怪物がうろついている無人の街を宇宙船に向かうことにする。
この先はお約束のサバイバルが展開されて、数十時間後、気温が上がってからまた会談が再開されるわけだ。
その場で、なぜ危険な怪物を野放しにしておくのかと問い詰めると、異星人代表がその理由を説明する。
「それは許されていません。捕食者もこの星の環境の一部です。逃げ遅れた者は食われなければならないのです。食われたくないからと捕食者を殲滅すると、この星の環境そのものまで破壊することになると言われているのです」〔そんなものを読まされた読者の多くは怒るだろうな〕
さて本題に入ろう。
「我々は1匹の雄を失った」〔こらこら〕
というわけで、2022年9月27日に体長7ミリほどのジョロウグモの雄が同居していた体長25ミリほどの雌に食われてしまった。
その前日には他の雌と同居していた体長5ミリほどの雄も食われている。そういうことがあるのは知っていたのだが、さすがに2日連続だと精神的にこたえる。さらに他の雌では同居していた6匹の雄がほぼ1日1匹のペースで姿を消していくという「そして雄はいなくなった」事件も起こっている。
しかし、よく考えて見るとこれはどうも状況がおかしい。実際に目撃した7ミリ君と5ミリ君は馬蹄形円網の中央付近で捕帯を巻きつけられた状態で発見されているのだ。ジョロウグモの雄は通常、円網の前後に張られているバリアーと呼ばれる不規則網状の部分で交接のチャンスを待っている。そして交接は基本的に雌が脱皮した直後か獲物を食べている時にホームポジション付近で行われる。つまり、雄が円網の中央に出向く理由が見当たらないのだ。これはミステリーでいう「被害者が訪れるはずのない場所」である。いったい何が起こったのだろう?
この謎を解く鍵は7ミリ君の過去の行動にあると思う。この子は同居していた25ミリちゃんと交接した後、そのままバリアーに居着いていた。オニグモやナガコガネグモの場合は交接を終えた雄はどこかに去って行くのに対して、ジョロウグモは交接した後も雌と同居し続けるのだ。ウィキペディアの「ジョロウグモ」のページを開いてみると「これはより多くの子孫を残すため、交接相手の雌と他の雄との交接を防ぐ目的での行動と考えられている。同属の別種では雄は一頭の雌との交接で全精子を消費することが知られている。本種もそうであれば、交接した雄が他の雌を探しに行く意義はなくなる」と書かれていた。なるほど。実際、7ミリ君も25ミリちゃんと何回か交接していたし、他の雄が交接しようとして25ミリちゃんに近寄っていく度に追い払っていた。しかし、食われる前日には体長5ミリほどの雄が25ミリちゃんと交接するのを7ミリ君は黙認したのだ。これは何を意味するのだろうか?
さてさて、ここからは作者の踏み外しになる。ジョロウグモの雄は成体になると網を張らなくなる(これは網を張るクモではよくあることらしい)。もう成長しなくていい。要求されるのは交接して精子を雌に提供する能力だけというわけである。ならば、交接を終えた雄は急速に体力を失っていくことが考えられる。他の雄が交接するのを妨害することもできなくなることで死期を覚った雄は、雌に食われるためにジョロウグモの雄の墓場である円網の中央部へ向かうのではあるまいか。
雌に食われれば、その分、自分の遺伝子が次の世代へ伝えられる確率を上げることができる。もしかすると、雌に確実に食われるために円網を振動させて「ここに獲物がいるよ」というメッセージを送るという可能性もあるのではないかと作者は思う。
ここで雌の立場でも考えてみよう。ウィキペディアには「複数の雄と交接した雌では、その卵塊の80パーセントが最初に交接した雄の精子で受精したものであることがわかっており、雌が成体になる最終脱皮を交接の機会とすることはその意味でも有効である」という説明もあった。実にもっともらしい。しかし、これは雄にとってのメリットでしかないだろう。そこで残りの20パーセントに注目してみよう。もしもこれがゼロであった場合、雄が雌と同居する意味はなくなる。雌の立場で考えれば、これでは実質的に獲物が減ってしまうのである。つまり、この「20パーセント」には制限付きではあるものの、遺伝子を残す権利と引き替えに「おとなしく食べられてくれる生きたお弁当」を増やそうという意図がその背景にあると考えることができるわけだ。〔ひどいな〕
ジョロウグモの産卵期は獲物が少なくなっていく10月以降である。その場合、確実に食べられるお弁当が手元にいるのは雌にとって好都合だろうし、二番手以下の雄にとっても制限付きながら子孫を残す権利を与えられるのはありがたいだろう。つまりこれは、全員にとってメリットがあるシステムなのである。人間は認めたくないだろうと思うが。
次回予告
捕帯という強力な武器。
次回「続・ジョロウグモの秘密」あえてそれを捨てる勇気。
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続・ジョロウグモの秘密
体長50ミリほどのトンボを捕まえたので、少し弱らせてから体長25ミリほどのジョロウグモにあげてみたことがある。するとこの子はトンボの腹面から歩み寄って、その頭部の腹面に牙を打ち込んだのだった。これは非常に危険なやり方である。トンボの頭部腹面には大顎がある。トンボに噛まれると人間でさえ痛いのだから、クモのような小動物では致命的な大けがをすることにもなりかねない。大顎を避けて背面側から牙を打ち込めばいいだろうと思うのだが、ジョロウグモはしばしば腹面側から近寄っていくらしいのだ(ちなみに作者が観察するのは2回目だ)。クモの牙はポケットナイフのような折りたたみ式になっているから、トンボの大顎よりも1ミリか2ミリ遠い間合いから牙を打ち込むことができるのかもしれない。
ジョロウグモと同じような大型のクモであるオニグモやナガコガネグモは、捕帯という幅広で伸びない糸の束を巻きつけて獲物の抵抗を封じてから牙を打ち込むという手順を基本とする。例外はチョウやガなどの鱗翅目昆虫が網にかかった場合で、鱗翅目は反撃手段を持っていないから捕帯を使う必要はないのだが、鱗粉のせいで横糸の粘球が効きにくいので逃げられる前に素早く駆け寄って牙を打ち込んでしまう必要がある。この手順を最もうまくこなすのがオニグモで、おそらく円網の振動だけで狙いを付けられるのだろうと思うのだが、一気に駆け寄ってその胸部に牙を打ち込んでしまう。さらに、牙を打ち込むのと同時に長い脚で翅を抱え込んでしまうので獲物は羽ばたくこともできない。作者の観察した範囲では、オニグモがガを捕らえる時の成功率は100パーセントである(ガの飛行能力ではクモをぶら下げたまま飛び立つことはできないのだろうとは思うが)。基本的に夜行性であることまで考慮すればオニグモが狙っているのはガなのだろう。
ただし、オニグモは基本的に獲物を選ばないタイプなので「こんな大っきいの無理!」と判断した場合は別として、網にかかった獲物はほとんど何でも食べてしまう。作者が網に放り込んで観察した範囲では、成体のオニグモが手を出さずに捨てた獲物は体長80ミリほどのショウリョウバッタだけである。ちなみに、今のところショウリョウバッタを仕留めたのは2匹のコガネグモだけだ。なお、ナガコガネグモが狙っているのもバッタの類だと思うのだが、その円網は体長40ミリほどのイナゴの雌の体重ですら支えられないことが多いので実験していない。
話を戻そう。大型の獲物に対しては、まず捕帯を巻きつけて動きを封じてしまった方が安全なのは当然である。しかし、ジョロウグモの場合は基本的にいきなり牙を打ち込んで獲物を仕留めるのだ。なぜそういう狩りをするのかというと、ジョロウグモの捕帯は糸の本数が少ないので、獲物の抵抗を封じるのには向かないのらしい。フィールドで観察していても、ジョロウグモが捕帯を使うのは仕留めた獲物を円網に固定する時の補助くらいなのである。この点でジョロウグモはオニグモやナガコガネグモなどに対してハンディキャップを背負っていると言える。
というわけで、円網に大型で暴れる獲物がかかるとジョロウグモは困ってしまうのである。体長20ミリほどのジョロウグモの円網に体長50ミリほどの活きのいいトンボがかかった時には、トンボが暴れることによって円網がほとんど破れてしまっても、その子は網の隅で何もできずにいたくらいだ。
「なぜ……誰がジョロウグモをこんなふうにしてしまったのでしょう」〔こらこら〕
その謎を解く鍵はジョロウグモの網にあると作者は思う。ジョロウグモの円網はオニグモなどのそれと比べて横糸の間隔が狭い。ジョロウグモの産卵期が大型昆虫が少なくなっていく10月以降であることまで考慮すれば、これは短時間の日光浴で飛び立てるような体温になる体長2ミリ以下の小型昆虫を捕らえようという網だろう。ただし、大暴れする獲物であっても、網から脱出できないまま力尽きてしまってから牙を打ち込むという手はあるようだ。
宮下直先生編集の『クモの生物学』の「ジョロウグモの円網の機能」の章には「このクモの網の特徴は、縦糸の本数が多いことと伸縮性が高いことであった。また、横糸密度も同サイズのナガコガネグモと比べると倍近く多いことが知られている。これらの事実から、エネルギー吸収効率が高く、また餌の保持力も高い網であることが推測される。そのため、大型餌に対する潜在的な餌捕獲能力は高いはずである」と書かれている。現代の日本人は日常的に「獲物」を仕留めたりしないのだろうから「餌」という表記はしょうがないのだが、この「はずである」を見れば、この先でどういう論理が展開されるかは予想できる。
実際、都合のいい実験が順に並べられていって「したがって、ジョロウグモの網は小型の餌を効率よく捕らえる機能があると同時に、ほかの垂直円網のクモと同等かそれ以上に大型餌に対しても有効であるといえる。この網の性質は、おそらくジョロウグモが短期間に急速に成長できることと関連しているだろう」と続く。そして結論は「ジョロウグモについては、おそらく飛翔力の強い大型昆虫を捕らえるためにエネルギー吸収力の高い網が進化したのだろう。この考えに立てば、多くの小型餌が捕らえられることは、「副産物」とみなしたほうがよい」になる。
なるほど、体長10ミリ以下のジョロウグモの幼体は基本的に自分の体長の半分以下の獲物しか補食しようとしないとか、体長20ミリクラスの成体でも体長30ミリのイナゴの雄に対して長い時間をかけて安全を確認してからでないと牙を打ち込まないとか、起き上がることもできないほど衰弱したスズメバチでさえ仕留めるのに50分以上もかかるとかいうようなことを観察していないとこういうことを考えてしまうのだろう。要するに視野が狭いのである。しょせんはプロの研究者だしな。
ついでに言ってしまえば、作者が「コガネ関」と名付けた立派な体格のコガネグモが張っていた直径約70センチの円網は、飛び込んできたショウリョウバッタを「どすこーい」と受け止めていた。したがって、円網そのものを大きくすればエネルギー吸収力も自動的に向上するのではないかと作者は思う。
小型の飛行性昆虫を効率よく捕らえるために横糸の間隔を狭くすると、糸の太さや網の面積が同じだとしても、より多くの原料タンパク質が必要になるはずだ。無理を承知の上で腹部の容量が同じだと仮定すれば、その中に収容できる糸の原料の総量も同じくらいになるだろう。ジョロウグモは横糸の本数を増やすために捕帯用の原料タンクを小さくせざるを得なくなったのではあるまいか。
現在のジョロウグモが繁栄している要因の一つは、捕帯を使うことを諦めてまで横糸の間隔を狭くするという割り切った戦略を採用したからなのではないかと作者は思う。ゾウやシロナガスクジラのように逃げることも反撃することもできない小型の獲物を数多く食べるという生き方をする種は大型化しやすいのである。
次回予告
半回転して手の甲から落ちた。
次回「落車した」右足首も骨折した。
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落車した
10月22日の昼前に落車した。背負い投げを食らったように、右手の甲から路面に落ちてしまったのだ。スリップして転んだ場合はだいたい擦り傷程度で済むのだが、こういう転び方だと大けがになりやすい。よい子のみんなは真似しないでね。
右手の甲の凹んだ傷の中には白いものが見えていた。一瞬、骨かなと思ったのだが、骨にしては細すぎるし、見た目も骨らしくない。おそらく中指を伸ばす腱だろう。全体重を乗せてアスファルトにバックハンドブローを打ち込んだようなものなので肉が潰れて腱が露出してしまったらしい。ただ深い傷の割に出血は多くない。これなら安静にしていれば治りそうだ。
そして、右シューズのバックル部分のアルミの金具が引っ張られたように変形していた。これではおそらく足首もねんざしている。明日には歩けなくなるだろう。困ったもんだ。なお、ヘルメットには傷一つなかった。
ロードバイクはほぼ無事。右のブレーキレバーのブラケットがずれているのと後輪が少しゆがんでいるくらいだ。特に発注してからショップに届くまで二ヶ月かかるやっかいなフレームには傷もない。
午後3時。歩くと右足首が痛いので、ロードに乗ってスーパーへ買い物に行く。歩けなくなる前に食料を確保しておかなければならないのだ。
ところが、足首が痛くてビンディングが外せない。しょうがないのでそのままシューズから足を抜いて、シューズは手で外してからまた履いた。トライアスロン方式である。
10月23日、午後6時。予想通り、ほとんど歩けない状態になってしまった。今日は朝食にカロリーメイトゼリー、夕食にはバナナ1本を追加の1日二食しか食べていない。見事に食欲がないので、何回かトイレに行く時以外は寝ていた。ちなみに大便は出ていない。まるで体全体がスリープモードに入ってしまったみたいだ。
右足は甲からアキレス腱辺りまで腫れている。痛みで立ち上がるのも困難なので、室内では膝をついて四足歩行である。これが一番楽だ。ただ、右膝にも擦り傷があるのでフローリングの床に点々と血が付いてしまった。後で拭き掃除をしよう。
トイレは洋式なので、どうしても立ち上がる必要がある。とは言っても、和式だと右足でも体重を支えることが要求されるんだろうなあ。
そして、洋式便器だと椅子として使えそうだということもわかった。うちの便器は水のタンクがちょうど頭の位置にあるので枕代わりにできそうなのだ。仰向けに寝ていると背中の擦り傷も痛いので、横になるのに疲れたらトイレで座ったまま眠るという選択肢もありかもしれない。
10月24日、午前4時。雨の音が聞こえる。気温は11度C。
トイレのついでにミルクティーを一杯。歩幅も15センチくらいにすれば歩けるようになった。明日は可燃ごみの収集日だ。カメラ用の三脚を杖代わりにして外へ出てみようと思う。
午前11時。パックのおでんを一袋食べる。ガスコンロを使うのには立ち上がる必要があるので冷たいままだ。
なお、冷蔵庫の上に置いていた常用薬の類はすべて床に降ろした。これで立ち上がる必要があるのは水を飲む時とトイレくらいになる。
午後6時。カロリーメイトゼリーで夕食。1日2回、朝食後と夕食後に服用という薬を飲んでいるので、何かを口に入れなければならない。
午後11時。右のつま先に毛布を被せても痛くなくなったのでリハビリを開始する。まずは右足指で「結んで開いて」から。これはほとんど痛くない。ただし、足首の関節を前後左右に動かすのは痛い。体重を右足だけで支えるのも無理だ。
10月25日、午前1時。湿布を貼り替える時に気が付いたのだが、右ふくらはぎが腫れて紫色になっている。かなり鬱血しているようだ。血流が完全に停止してしまうと壊死することになるから気を付けないと。右手の甲も腫れているが、こちらは拳を握ると痛いという程度だ。
午前6時。カメラ用の三脚を杖代わりにして、リハビリを兼ねてジョロウグモのモトちゃんのところまで往復で数十メートル歩く。これはさすがに痛みが出た。
しかも、モトちゃんは円網を張り替えていなかった。どうやらこの子は寒いのが苦手らしいことがわかった……とでも思わないと文字通り「無駄足」になってしまう。
軽いカメラ用の三脚に全体重をかけたのでロック機構が緩んでしまった。ほとんど使っていないのに燃えないごみである。やれやれ……。
午後3時。右足はふくらはぎまで腫れてしまって、指で押すとしばらくの間くぼみが残るようになってしまった。これでは整形外科を受診するしかない。
午後4時。近所の整形外科でレントゲンを撮った結果、膝から足首まで伸びている骨の末端部が二ヶ所折れていることがわかった。どうやらくるぶしを両側から押さえつけるような力を受けてしまったらしい。明日、大きな病院に入院して手術だ。
「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを」
……年寄りが使っていい台詞ではないな。
10月26日。総合病院で再びレントゲンとCT。その結果、右足首は三ヶ所骨折していることがわかった。そのうち二ヶ所はプレートやボルトで固定する必要があるということらしい。それ以前に、腫れを抑えるために足を高く上げた状態で電動式のアイスノンのようなもので24時間冷やし続けることになった。これではベッドから降りることもできない。「病床1.9メートル」状態である。
腫れが引いたら手術。さらにリハビリ……。退院はいつになるのやら。
次回予告
生命の材料は隕石衝突によって生じた。
次回「〇〇誕生」生命は粘土に吸着された状態で生まれた。
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〇〇誕生
『日経サイエンス』2022年12月号の特集その1は「ブラックホールの中をのぞく」だった。その中の「事象地平をまたぐ「アイランド仮説」では「ブラックホールの情報パラドックス」に対する解決策として、2つのブラックホールを量子論的に橋渡しするワームホールが生じればブラックホールに落ち込んだ情報が計算上は消失しない形になり、パラドックスが解決するとしている。「あるブラックホールの内部は、ワームホールを通して他のブラックホールの内部とつながることができる」「非常にまれではあるが、これは理論的に可能である」のだそうだ。ミステリーに例えるなら犯人のものらしい爪の垢を発見しましたという程度のものだな。やれやれ……量子論の研究者というのはどうして「ごく一部だけを解決できる可能性」程度で満足してしまうんだろうかなあ。論文さえ発表できればそれでいいという考え方なのか?
だいたい、ワームホールを通じて他のブラックホールへ情報が逃げ出したとしても、そのブラックホールが蒸発してしまったら情報が失われるのは同じだろうに。それとも、情報を溜め込むばかりで蒸発させないバックアップ専用のブラックホールが存在するということなんだろうか? ああっと、そういえば銀河の中心には超巨大ブラックホールが存在していたなあ……。
さてさて、話は変わるのだが、N氏の『〇〇誕生』を5回くらい読み終えた。どうしてそこまですることになったかと言えば、ちゃんと実験をして、その結果を基に論理を展開している部分があるので突っ込みどころがわかりにくかったからだ。まあ、1回読んだくらいでは納得してしまいそうな危険な本だったよ。
この本の趣旨は「地球の生命の原料は隕石衝突によって生まれた」「生命は粘土に吸着された状態で誕生した」ということらしくて、ただひたすらにその結論に向かって話が展開されていく。それは何故かと言えば、N氏が粘土の研究者だからだ。
要はRNAの研究者は「生命はRNAから始まった」と主張し、タンパク質の研究者は「最初の生命はごく単純なタンパク質だった」と言い、細胞膜の研究者は「膜の中の反応系こそが生命の前段階だ」という仮説を提唱するのと同じようなものだ。まあ、生物についての知識がない素人さんが生命誕生を語るというのは突っ込みどころ満載で面白いのだがね。
この本でN氏は40億~38億年前に起きた大量の隕石落下事件に注目している。当時の海に覆われた地球に多数の隕石が突入し、中生代白亜紀末にユカタン半島付近に落下した隕石と同じか、それよりも一桁大きなエネルギーを解放して、アンモニアやメタンなどを経て膨大な量の有機分子が生じたというわけだ。化学的には適当な原料と十分に大きなエネルギーがあれば、たいていの有機分子を生成させることができるのだが、それを実験的に証明しているのが素晴らしい。
ただし、「最大で」と言っておきながら、白亜紀末のものと「同程度か、さらに一桁大きいサイズと速度のものが多数含まれていたのです」というのはどういうわけなんだ?「最大」ということは、その1個以外はそれよりも小さいはずだと思うのだが……。もしかすると「最大級」の書き間違いなのかもしれないが「この本を手放しで信用するのは危険だな」と作者は思ったのだった。
その後、親水性の有機分子は粘土粒子に吸着されて海に戻り、地下深部の高温高圧によって脱水重合が起こり、大きな有機分子に成長する(アミノ酸のグリシンを使った実験では地下三キロの温度・圧力条件で11量体まで生成したそうだ)。ただし、これもそこまで大量の粘土が生じるほど多数の隕石が落下したのかという点に疑問を感じる。
さらに有機物を吸着した粘土はプレートに乗って移動し、海溝の部分でマントル内へと沈み込むプレートから剥がれて付加体を形成する。この場所では二酸化ケイ素が小胞を形成して、その内部に有機物を取り込み、熱水による加水分解から有機物を守る。この小胞同士が合体し融合することによって生命が生まれるんだそうだ。……まあ、確かに新しい。しかし、研究者という人種は自分の研究分野にとって都合のいいことしか言わないから油断は禁物だ。
例えば、この本の最初の方には「化石に見られる進化の法則「巨大化して特殊化して絶滅する」」という記述があって、ご丁寧に胎児が幼児を経て少年になっていくイラストとアミノ酸が重合してペプチドになり、タンパク質に成長していくイラストが並べてある。各種アミノ酸を混ぜて放っておけばタンパク質ができあがるというのなら、この本の半分はいらないということになるのだが、そこまでは気付かなかったんだろうか。あるいは、この程度のトリックに引っかかるような読者だけを想定して書かれた本なのかもしれない。
その次のページには森林で生活していた小型のウマ(ヒラコテリウム)が草原で暮らす現生のウマ(エクウス)へと大型化していく定向進化の図まで掲載されている。なんと、ラマルクの進化論である。
さらにその先には「生命の発生と生物進化は、地球エントロピーの減少に応じた地球軽元素の秩序化」で「地球の進化とは、熱の放出によるエントロピーの低下による構造の秩序化なのです」「「生命の発生と生物進化は、地球のエントロピーの減少に応じた、地球軽元素の秩序化である」といえるでしょう」だと! N氏は地球が冷えていくことによって核・マントル・地殻という層構造ができていくのと化学進化による生命誕生や生物の進化をごっちゃにしているのである。
高温の原始惑星が冷えていけば生命が生まれるということなら火星や金星でも生命が誕生しなくてはならないはずだ。しかし、N氏はそれも否定する。「歴史まで地球と同じであることを条件に加えれば、そして恒星の数が天文学者の推定どおり2000億個であるなら、銀河系内の地球外天体に生命がある可能性はさらにずっと小さく、おそらくゼロに近くなるのではないでしょうか」だと。
おそらくN氏は、この「生命」という用語を「地球の生物」という意味で使っている。確かに、今の地球に存在している生物群とまったく同じ生物群が系外惑星で生まれるかということなら、その確率はほとんどゼロになるだろう。しかし、タンパク質を使って生命活動を行っているという程度の「地球型生物」ならば、その存在確率は桁違いに上昇するはずだ。作者のように地球型以外の「生命体」の可能性まで考えればどこまで増えるか見当も付かない。
N氏の仮説は生物学の研究者たちには認めてもらえなかったらしいのだが、こんなご都合主義で穴だらけのヨタ仮説が受け入れられるわけがないだろう。隕石が落下することによって有機物が生じるという実験結果は素晴らしいと思うのだが、それだけの本だな。
次回予告
次の問題です。見た目だけは高速遊泳型の三葉虫と言えば?
次回「三葉虫のなぞなぞ」ハイポディクラノトゥス!
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三葉虫のなぞなぞ
三葉虫の専門家らしいF氏の『三葉虫の〇〇』を読み終えた。これは……悪い本ではないのだが、F氏は三葉虫以外の生物の知識が不足しているようだ。研究者が書いた本は専門分野についての部分以外は読み飛ばすか、鵜呑みにしないことが大事なのだということがよくわかる本だった。まあ、研究者が本を書くのは金儲けのためなのだろうから、嘘やデタラメを書かれても非難はできないのだがね。
どういうところが信用できないかというと、まずは「三葉虫の殻は、十指に余る他の海洋生物の殻と同じように硬い鉱物質のカルサイト(炭酸カルシウム)で形づくられている。カニの甲殻はカルサイトでできており、二枚貝の殻もそうである」という記述だ。カニの甲殻はカルサイトではなく、キチン質でできているのである。
さらに、三葉虫の眼の材料である透明なカルサイトについて。「最も透きとおった結晶、よちよち歩きの赤ん坊のように透明なものは、アイスランド・スパー(氷州石)である」「アイスランド・スパーを調べてみると、三葉虫の視覚の秘密を知ることができる。なぜなら、三葉虫は眼のレンズをつくるのに透明なカルサイトを用いたからで、この点で彼らはユニークである。ほかの節足動物は、ほとんどが「やわらかい」眼を発達させており、レンズは体のほかの部分を構成しているのと同じクチクラからできている」って、どこがユニークなんだ? クチクラの背甲を持つ節足動物がクチクラで眼を作ったのなら、カルサイトの背甲を持つ三葉虫がカルサイトで眼を作るのは当たり前なんじゃないか?
その上「この制限のなかで、おびただしい変異が見られる。すなわち、ハエのように多数のレンズを持つ眼、大部分のクモ類に見られるような大きな複眼……」だと。まったくもう……鋏角類クモ綱(クモガタ綱)の背甲に備わる眼は通常、数個の「個眼」だ! まあ、イギリスのクモはいち早く複眼を獲得しているという可能性もないとは言えないのだけれど。
ただし、さすがは専門家だなという情報も含まれてはいる。まずは「三葉虫のびっしりとレンズが集まった眼は、動きを察知するのにとりわけすぐれている。堆積層の表面をわたって近づいてくる別の動物は、その像が視野の異なった部分に侵入するにつれ、次から次へレンズを一ずつ興奮させていくだろう。もしその変化が警告を与えるものであれば、三葉虫は回避行動を取るよう刺激を受けるだろう。たぶん、体を球のように丸めるか、さもなくば、すみやかに泳ぎ去るかして」がそれだ。作者はシルル紀に顎を持った魚が現れるまでは、基本的に三葉虫を補食できる動物はいなかったと思っていたのだが、二叉型付属肢を含む腹側の器官は背甲のように硬くはなかったのだな。クチクラでできた脚などであれば、アノマロカリスの丸い口でも囓れたかもしれないし、ウミサソリの脚の付け根にある噛み合わせ構造で噛み砕くこともできたかもしれない。作者は腹側に弱点がないのであれば球形の防御姿勢で腹面を守る必要もないのだということを見落としていたのだ。
考えてみれば、脚の関節には柔らかいクチクラでできた部分がないと歩いたり泳いだりはできないのだな。つまり、三葉虫は背甲と他の外骨格で素材を使い分けていたというわけだ。こんなめんどくさいやり方をした節足動物は作者の知る限り三葉虫だけである(イラガの繭も硬いが、あれは外骨格ではあるまい)。これはやはり、カルサイトの背甲はその重さを活かして、海底から浮き上がってしまわないようにするためのものだったということなんじゃないだろうか。
そして、もっとよく見ようとしたのがファコプス目の三葉虫らしい。ユーアン・クラークソンとリカルド・レヴィ=セッティが研究したファコプスの眼では、結晶構造の内部のカルシウム原子の一部が、同族元素であるマグネシウムに置き換えられていたのだそうだ。こうすると光の屈折率の違いによって、実質的に現代の光学系でいう二重レンズとなって、焦点のずれによって生じる球面収差を補正することができていたのらしい。つまり画像がより鮮明になるレンズである。正直なところ「古生代にそんな高性能の眼が必要だったのかい」と言いたくなるくらいだ。
しかし、驕るファコプスも久しからず。デボン紀末には他の多くの目と共に絶滅し、ペルム紀末まで生き残るのはプロエトゥス目だけになるのだった。合掌。
そして作者にとっての最大の収穫はその先の「私自身の三葉虫の眼とのかかわりはギョロ目の種の調査であった」で始まるオルドビス紀のオピペウテルについての記述だった。これは何というか、およそ三葉虫らしくない姿の三葉虫である。「それは長くて薄く、軸が体の大半を占め、そのため肋は小さな三角形に退化してしまっていた。しかし、眼は本当に並外れたものだった。非常に大きく膨れ上がり、小さな浮き袋のようにぷっくりとしていた」という説明ではよくわからないのだが、次のページの復元画を見ると、三葉虫の名前の由来である縦に三分割された背甲の左右の部分(肋)が小さくなっていて、上から見るとイモムシのようなスタイルになっているのだ。さらに頭部の左右の巨大な複眼は下の方へ大きく張り出している。これは一目見ただけで、この三葉虫は海底を這うタイプではないとわかる。ウィキペディアの「オピペウター」のページを開いてみると「水中を遊泳していたと考えられる。その際には背中を下にしていたとされる」と書かれていた。その大きな複眼も前後左右に広い視界を確保するのに有効だっただろう。そして最も大事なことは、この「一葉虫」と言いたくなるような体型だと背甲が少ない分軽くなるということだ。例えば、クリオネは巻き貝の仲間なのだが、成体になると完全に殻を失ってしまう。カルサイトの殻のような重い物は遊泳性の動物にとっては邪魔物でしかないのである。
しかし、そうなると問題になるのが土屋健氏の『古生物たちのふしぎな世界』に出てくるハイポディクラノトゥスだ。土屋氏はその化石だけを見て「流線型に整えられた形は、まるで現代の戦闘機のようだ。流線型であるということは、すなわち、水の抵抗を減らすことができたということを意味している。水の抵抗を減らすことができたということは、すなわち、この三葉虫が高速で遊泳していた可能性を示すものだ」と言い切っているのだが、その膨らんだ背甲と巨大なハイポストーマはいかにも重そうだ。ハイポディクラノトゥスの体型で高速遊泳するのには非常に強力な推進器官が必要だっただろう。
個人的には、流線型ではあっても重い背甲と巨大なハイポストーマというのは速い潮流に押し流されないためのものだったんじゃないかという気がする。ああっと、背甲とハイポストーマをキチン質に置き換えて軽量化すれば、その分遊泳速度を上げることもできたかもしれないなあ。〔それはもう三葉虫ではないぞ〕
いずれにせよ、ハイポディクラノトゥスの化石はオルドビス紀の地層からしか出てこないらしいから、流線型の背甲もさほど有効なものではなかったのだろう。
次回予告
5、4、3、2、1、スイッチオン。
次回「タイムパラドックス」ドッカーン!
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タイムパラドックス
ある雑誌の2023年4月号の第二特集は「時間はなぜ戻らないのか」だった。
この特集では二つのパラドックスが紹介されている。第一に「タイムマシンに乗って自分が生まれる前の過去に戻り、自分の母親を殺したら自分は生まれないことになる。自分が生まれなければ母親を殺すことはできない」というおなじみのパラドックスだ。
第二に「ある小説家がスランプにおちいり、小説をうまく書けない日々がつづいています。そんなとき、未来の自分がタイムマシンに乗ってやってきて、未来でベストセラーになった自分の原稿を手渡します。小説家がその原稿を発表したところ、とてもよく売れました。その後、スランプを脱した小説家は、タイムマシンに乗って……」という無限ループに陥る「作者不明のパラドックス」だ。とてもうらやましい話だが、この場合は、誰がその原稿を書いたのかということが問題になる。確かにこの話の中では誰も原稿を書いていないのだ。
やっかいなことに、アインシュタイン先生の一般相対性理論の方程式を解くと、過去と未来が繋がったループ状の「閉じた時間」も存在できることになるのらしい。後者は「時間的閉曲線(CTC)」と呼ばれるものなんだそうだ。時間的閉曲線が生じると、作者不明のパラドックスのように、因果律が成り立たず、原因と結果がループする世界を受け入れざるを得ないということになるわけである。
しかし、個人的には「作者不明のパラドックス」は成立しないような気がする。まず、原稿はAIにでも書かせればいい。この時点では時間的閉曲線はまだできていない。したがって、タイムマシンさえあれば、それを過去の小説家に届けることができる。過去の小説家がそれを受け取った時点で初めて時間的閉曲線が成立して原因と結果のループが成立すると考えればいいのだ。要するに、これは「アキレスと亀」のような単なる見かけ上のパラドックスだろう。
親殺しのパラドックスはそれほど簡単ではないのだが、これを解決できる可能性を示したのがロシアの理論物理学者イゴール・ノヴィコフがCTCの可能性について議論する中で提唱した「ノヴィコフの首尾一貫の原則」なんだそうだ。これは「CTCの世界では過去へ戻ることはできても、過去を変えることはできない」ということらしい。「要するに、ノヴィコフの原則によれば、自分や世界の運命はすでに決まっており、タイムトラベルして過去を変えようとするあなたの行動自体も、「全て歴史に織り込み済み」というわけなのです」と書かれている。「神は見ている」式の論理だな。
その先ではスティーヴン・ホーキング博士の「時間順序保護仮説」も紹介されている。量子論では何も存在しない真空の空間にも真空のエネルギーが存在することになっている。ホーキング博士は、ワームホールによるタイムマシンが作られると真空のエネルギーが計算上無限大になってしまうことを示したのだそうだ。これはSF的には面白いぞ。例えば、敵対している惑星を挟み込むようにワームホールタイムマシンの入り口と出口を作れば、作動スイッチを入れた瞬間に真空のエネルギーが無限大になってドッカーン!……ではあるのだが、この場合、爆発の規模が問題になりそうだ。無限大の真空のエネルギーが十分に大きければ(「無限大」の「大きさ」というのもおかしな話だが)この宇宙ごと破壊されてしまいそうだし、影響範囲がごく狭くて、ワームホールだけが破壊されるということなら兵器としては役に立たないということになりかねない。〔使えないじゃないか!〕
この辺りは研究が進めば明らかになっていくだろう。
ただ、その下の囲みの中の「量子論も考慮してワームホールの構造を計算すると、「真空のエネルギー」が現在と過去を何度も循環することで増幅され、強力なビームとなると考えられています。そして、タイムマシンは完成直前に、このビームによって破壊されてしまうだろうとホーキングは予想しています」というのがわからない。なぜ完成していないワームホールタイムマシンが破壊されなければならないんだ? 作動したのなら破壊されてもしかたないだろうが、完成前に破壊されたのでは、それこそ因果律が破れてしまうんじゃないか? 頭のいい人の考えることはわからん。あるいは、完成してしまうとこの宇宙そのものが破壊されてしまうから、その前に神様によって阻止されてしまうはずだという考え方なのか?
さらにその先では「親殺しのパラドックスを回避しながら過去を変えることができるかもしれない、という考え方も存在します」として、量子論の「多世界解釈」が紹介されている。例えばスクリーンに向かって電子を1個発射した場合、電子のようなミクロの粒子は粒子と波の性質を併せ持っているので、スクリーン上の広い範囲に衝突する可能性がありながら、実際のスクリーン上では必ず一点に衝突する。これを量子論の標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)では「電子はスクリーンに当たるまでは波のように広がっていたのに対し、スクリーンに衝突した瞬間に「収縮」して粒子になり、一点に衝突痕を残す」と考えるのだそうだ。それに対して多世界解釈では「電子がスクリーンに当たった瞬間に世界は可能性の数だけ分岐し、その中の1つの世界だけが観測される」という考え方になるのらしい。
なるほど、母親が殺された世界と殺されなかった世界が存在すればパラドックスは回避できるわけだ。しかし、母親を殺した子はどの世界へ戻ればいいんだ? 母親が殺された世界に戻ると、生まれなかったはずの存在になってしまう。戸籍を持たないホームレスになるしかないんじゃないだろうか? 逆に殺されなかった未来に戻る(「行く」と言うべきかな?)のなら過去に赴いた意味がなくなってしまうだろう。
その先には「量子論はタイムトラベルの可能性を完全に否定しているわけではありません。光子などのミクロな世界では、時間を巻き戻すようなことはすでに可能なのです」として、二重スリットを使った「量子消去実験」が紹介されている。
光子1個を2つのスリットに向かって発射すると、その後ろのスクリーンには干渉縞が現れる。これは光子が波としての性質も持っているからだ。したがってスリットに光子の検出器を置くと、光子の波としての性質が消えてしまって干渉縞も消える。
ところが、「特殊な方法によってどちらのスリットを通ったかという情報がわからないように検出する(どちらのスリットを通ったかという情報を消去する)と再び干渉縞が現れるのです」ということらしい。「これは、検出された光子が、過去へさかのぼってその結果(干渉縞の有無)を変えているようなものであることから、光子が過去へタイムトラベルしているとも解釈できます」と書かれている。ここまで来ると、もう作者の手には負えないのだが、人間の技術は光子ちゃんを騙せるところまで進歩したのはまちがいないだろう。
次回予告
諸君らが愛してくれた魚竜は絶滅した。何故だ!
次回「魚竜の謎」働き者だからさ。
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魚竜の謎
土屋健氏の『生命の大進化〇億年史 中生代編』を読み終えた。例によって「〇」は「40」なのだと思っていただきたい。
中生代というと「恐竜の時代」というイメージが強いのだが、この本ではまず魚竜、次にクビナガリュウ、カメ、ワニの仲間と続いて、その先で初めてエオラプトルやコエロフィシスなどの初期の恐竜の説明に入るという構成になっているのが良心的だ。中生代は「広い意味での爬虫類の時代」だったのであって、恐竜だけが繁栄していたわけではないのである。
とは言っても、疑問を感じる部分はどうしても出てくる。
例えば魚竜について。この本では、最初期の魚竜として三畳紀のカートリンクスとウタツサウルスが紹介されている。カートリンクスというのは、全長(頭部の先端から尻尾の後端まで)40センチと推測されているトカゲのしっぽを持つアシカのような姿の魚竜で、有名なウタツサウルスは、宮城県南三陸町から産出した全長2メートルで尖った口吻を持つトカゲの脚をひれに変えたような、完全に水棲だろうなというスタイルの魚竜である。
そこまではいいとして、全長18メートルというキンボスポンディルス・ヨウンゴルムの前振りとして出てくる「時間が経てば経つほどに、より大きい超大型の種が登場する傾向にあることも「自然界の常」だ」という記述は気になる。C・ヨウンゴルムの化石は約2億4600万年前の地層から産出したというから、カートリンクスやウタツサウルスの時代からわずか200万~300万年でこんな大型の魚竜が出現したことになるわけで、「これはすごいぞ」と土屋氏は言いたいのだろう。
しかし、その祖先のキンボスポンディルスは全長6メートルから10メートルで、化石はドイツとアメリカ合衆国ネバダ州の2億4000万年~二億1000万年前の地層から発見されているらしいのだ。なんと、時間が経つほど小型化しているじゃないか!
作者は化石の現物を見たわけではないし、見たところで細かい違いが分かるとも思えないのだが、C・ヨウンゴルムというのはただ単に長生きして、その分大きくなったキンボスポンディルスなんじゃないかと思う。爬虫類は一般的に繁殖できる年齢になっても完全に成長が止まるということがない。成体になった後でも少しずつ成長し続けるらしいのだ(歯も次々に生え替わる)。この辺りは成体になると成長が止まってしまって、後は衰えていくだけという哺乳類とはだいぶ違う。哺乳類は世代交代と突然変異を重ねることでしか大型化できないのに対して、爬虫類は一個体が成長を続けることで大型化することもできるのだ。さらに、魚竜は基本的に胎生だったらしいから、大型の母親はより大型の子を産むこともできたかもしれないし、水中生活者なら水の浮力が働く分大型化しやすかっただろう(イリエワニでは体長6.17メートル、体重1.075トンという記録があるそうだ)。というわけで、魚竜が長生きすれば大型化しても不思議はないだろう。試しに体長10メートルのキンボスポンディルスが1年に1パーセントずつ成長していったと仮定して計算してみると、10年後には11メートル、20年後には12メートルになり、30年後には13メートルを超えて、60年後にはめでたく18メートルに達することになる。
三畳紀という時代は古生代末の大量絶滅によって崩壊した生態系が回復していった時代だろう。ライバル不在の環境にいち早く進出して、獲物が増えていくのに合わせてのんびり成長していったキンボスポンディルスの一個体がC・ヨウンゴルムだったのではないかと作者は思う。ただし、大きく成長しただけの同種なのか、進化して大型化したのかを化石の状態で判断するのは非常に難しいだろう。古生物の研究者としては新種を発見したということにしたいという事情もあるだろうしな。
その先では、魚竜よりも少し遅れて現れた初期のクビナガリュウやカメなどが紹介されているのだが、これらはどう見ても魚竜ほど高速で泳ぐ体型ではない。クビナガリュウなら海面にぷかぷか浮いていて、不用意に近寄って来た小魚をその柔軟な首を使って補食していたのだろうし、カメなら逃げ足の遅い獲物をマイペースで補食していたのではないかと思う。つまり棲み分けが成立していた可能性があるわけだ。
ただジュラ紀後期に現れた首が短くて頭部が大きいプリオサウルス類には全長15メートルに達する種もいて、大きな口と歯で魚類、頭足類、海棲爬虫類などを補食していたとされている。魚竜の方が速く泳げそうに見えるのだが、現生のネコ科のように待ち伏せして襲いかかるというやり方をしていたのなら、オオカミのように追いかけるタイプだったであろう魚竜と棲み分けができていたのかもしれない。
そして、この本では魚竜の絶滅については触れられていない。気になったので調べてみると、魚竜はジュラ紀に特に繁栄し、白亜紀後期の初め頃に絶滅したのらしい。
ウィキペディアによると、魚竜の絶滅は二段階に分けて進行したのらしい。複数のニッチにまたがっていた魚竜のうち、まずジェネラリスト捕食者のグループと柔らかい獲物を補食するグループが絶滅して頂点捕食者のグループだけが生き残り、その後で「おそらく特殊化していなかったであろう生き残った頂点捕食者を襲ったのは、海面上昇による酸素極小帯の拡大に伴う大規模な海洋無酸素事変であった。海洋無酸素事変が複数回発生して海洋生態系が大きなダメージを受け、これが後期白亜紀序盤の魚竜の衰退と絶滅を招いたとされる(セノマニアン・チューロニアン境界事変)」のらしい。魚竜は爬虫類で肺呼吸なのだから海水中の酸素濃度が低下しても呼吸できなくなることはないはずだから、獲物が少なくなったので子孫を残していくのに必要な量の獲物を食べることができなくなったということなのだろう。
首の長いクビナガリュウなどは積極的に泳ぎまわるタイプではないので、その分必要なエネルギーも少なかったはずだ。獲物が少ないのなら食べなければいいという爬虫類本来の生き方で環境の変化を乗り越えたのだろう。それに対して魚竜は、積極的に獲物を追いかけるという生き方をすることで成功していたために獲物が減るという方向への環境変化には耐えられなかったのだろうな。合掌。
その後、魚竜と首の短いクビナガリュウとも言われるプリオサウルス類、そして海生ワニ類が絶滅したことで空いたニッチには、四肢がひれになったオオトカゲというスタイルのモササウルス類が進出している。
有名な大型恐竜のスピノサウルスは魚食性で間違いないとしても四肢はひれになっていないし、前肢がペンギンのようにひれ状だったというハルシュカラプトルと流線型の体型だったらしいナトベナトルはどちらも1メートル以下だ。海という環境では恐竜よりも爬虫類の方が大型化しやすかったのらしい。恒温動物と変温動物の差なんだろうかなあ……。
次回予告
力強く羽ばたくためには大きな胸の筋肉が必要だ
次回「翼竜の飛行」コウモリは貧乳だぞ。
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翼竜の飛行
前回に引き続いて『生命の大進化〇億年史 中生代編』を見ていこう。前回は魚竜の話だったので、今回は飛行する者たちについて。
この本にはジュラ紀の地層から発見されたというコウモリのような皮膜でできた翼を持っていた「イー」という推定全長60センチの恐竜の復元画が掲載されている。ウィキペディアの「イ」のページによれば、この「イ」というのは属名で種小名は「チ」らしい。つまり「イ・チ(Yi qi)」というのがこの恐竜の正式な学名なのである。中国の研究者による命名らしいが、なかなかやるもんだ。同じ属の新種が発見されたら「ニー」という学名に……。〔んなわけあるかい!〕
実はイーの復元画を一目見た作者は「これは飛べないだろう」と思ってしまったのだが、ウィキペディアの「イ」のページには木に登って、そこから滑空するくらいはできそうな復元画が掲載されていたのだった。この本の復元画のどこがまずいかと言うと、第一に下半身がいかにも重そうなのだ。ところが、ウィキペディアによると、イの化石は「保存状態が」よく、頭骨、下顎骨、頸骨、肋骨を保存しているが、背骨の大部分、骨盤、尾は失われている」のらしい。おそらく、失われた下半身は何も考えずに地上性の小型獣脚類のそれを描き込んでしまったのだろう。大きな翼を持つ古生物の復元画なのだから飛べるような体型にしておけばいいだろうに。〔「飛べない」と思わせたかったんだろ〕
第二に左の翼には円錐形の爪(指?)が1本しか描かれていない(他の指は画面の外)。右もはっきりわかるのは1本の爪だけだ。これで木に登るのはかなり無理があるだろう……と思ったのだが、ウィキペディアのイラストには独立している第一指と皮膜を支えている第二指・第三指の先にはかぎ爪が付いていたのだった。さらに下肢にもかぎ爪があったのなら木に登れる。木に登れたのなら、羽ばたくことができなくても滑空することはできたはずだ。
イラストレーターさんとしては、データがない部分は適当にごまかすしかなかったのだろうが、プロが書いた本を鵜呑みにしてはいけないのだな。まあ、いいネタを提供してもらったのだから、その点については感謝するがね。
その先の始祖鳥については「アルカエオプテリクスの骨格をみると、「羽ばたき」に必要な筋肉が付着する「竜骨突起」が発達していない。竜骨突起が未発達ならば、筋肉も未発達だったはずだ。つまり、アルカエオプテリクスは、少なくとも力強い羽ばたきはできなかった」と書かれている。確かに鳥の場合、羽ばたくための筋肉はこの胸の中央にある骨の板から翼の骨に向かっている。しかし、コウモリや翼竜はそんな骨を持っていなかったんじゃないか?
そこで「コウモリ 骨格 画像」で検索してみたのだが、コウモリは竜骨突起を持っていないようだった。ついでに翼竜の骨格を調べてみると鳥ほど大きな竜骨突起は見当たらなかった。かなりの貧乳体型なのである。では翼竜は「力強い羽ばたき」はできなかったのだろうか?
翼竜は無理だが、コウモリの飛行は実際に観察することができる。作者が観察したのは市街地を中心として平野部に広く分布するという小型のアブラコウモリ(体重5~11グラム)だけだが、彼らの飛び方はスズメやトンビとはまったく違っていた。パタパタひらひらと飛ぶ様子は昆虫の蝶の飛び方に近いのだ。どうしてそうなるかというと、彼らは幅広で大面積の翼を持っているので、蝶と同じように翼面荷重が小さいからだろう。ちなみに彼らが地上に降りた(墜ちた?)場合は這うことしかできないらしい。脚で体重を支える能力まで失っているのだ。
そこで始祖鳥の翼はというと、ほとんど鳥そのものである。それでいて、しっぽには恐竜のままの骨、口には歯まであった。歯があるということは噛むための筋肉もあっただろう。つまり、鳥と同じくらいの面積の翼でありながら体重は鳥よりも重かったとしか思えないわけだ。これで羽ばたくとしたら、鳥よりも大きな筋肉とそれが付着する竜骨突起も必要になるが、化石を見る限りではそんなものは見当たらない。となると、前肢と後肢のかぎ爪を使って木に登り、そこから滑空していたと考えるべきだろう。滑空しながら昆虫を捕食するというのもかなり無理があるから、おそらく、木の上で昆虫などを捕食して、次の木まで滑空するか、あるいは捕食者から逃れるために樹上で生活していたかだろうな。
では翼竜はどうだろう? 翼竜の竜骨突起も鳥ほどの大きさではなかったようだ。何度も言うようだが、航空力学の世界には「2乗3乗の法則」というものがあって、ある航空機の大きさを単純に2倍にすると翼面積は4倍にしかならないのに対して重量は8倍になる。つまり翼面荷重が2倍になってしまうのだ。そこで翼を大きくすると、その分重くなるからまた翼を大きくしなければならない。すると、またまた重くなって……というようなわけで、飛行生物の大きさには限界があると言われている。
揚力は速度の2乗に比例して増加するから、速く飛ぶという解決策もあるのだが、その場合は離着陸が難しくなる。体重が最大で5.3キロというアホウドリでさえ気流が乱れると離陸や着陸を失敗することがあるそうだ。
翼竜は大型化するにつれて歯や長いしっぽを失う傾向があったのだが、これで軽量化したとしても羽ばたき用の筋肉の不足をカバーするほどではあるまい。翼開長10メートル以上と推定されている巨大翼竜ケツァルコアトルスの推定体重が70キロから250キロと、三倍以上の幅になっているのは体重を減らして飛んでいたのか、それとも飛行速度を上げて揚力を稼いでいたのかについての結論が出ていないということなんだろう。〔飛べなかったという説もあるぞ〕
作者は翼竜も飛べたという立場を取りたい(地上生活者らしい頑丈な骨格を持つ者は除く)。そこで視点を変えてみよう。爬虫類はもともと腕立て伏せのような姿勢で体重を支えるのが基本だから、そのための筋肉をそのまま翼の打ち下ろしに使えたという可能性はあるかもしれない。脚が真っ直ぐ下に向かっている恐竜やその子孫の鳥は、すでにそういう筋肉を失っていたので、改めて飛行用の筋肉を追加したために巨乳になってしまったという考え方だ。
さらに無理を承知の上で言ってしまえば、翼竜の翼は鳥のそれよりも軽かったのかもしれない。鳥の羽は確かに軽いのだが、ある程度の剛性(変形しにくさ)を持っている風切り羽が多数付いている翼は翼竜の皮膜の翼よりも重かったという可能性もないとは言えないだろう。鳥は重い翼を胸の筋肉だけで打ち下ろすために、竜骨突起を獲得してまで巨乳にならざるを得なかったという考え方だ。
それに対して、翼竜の翼は軽かったのと、歩行用にも使える上肢と下肢の筋肉で羽ばたいていたということならば、貧乳の胸でも十分飛べただろう……と思いたい。
次回予告
恐竜が知性を獲得するためには直立二足歩行に進化する必要があっただろう。
次回「ディノサウロイド」非論理的ですね。
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ディノサウロイド
『ナゾロジー』というサイトで「もし恐竜が絶滅していなかったら「知的生命体」に進化できたか?」という記事を見つけた。これはとても面白いので遠慮なくネタにさせてもらうことにしよう。
この記事によると、1982年にカナダのデイル・ラッセル氏はトロオドンという実在した肉食恐竜をモデルに、もしも6600万年前に恐竜が絶滅せずに進化を続けて知性を獲得したら、という思考実験を展開したのだそうだ。この記事は2022年にアップされているから『ナゾロジー』の管理人さんは40年も前の論文の化石を発掘したというわけである。
「トロオドンは、白亜紀末期(約7400万年~6600万年前)の北米に生息した羽毛恐竜で、体サイズに比して大きな脳頭蓋を持っていたことがわかっています」「また物をつかんだり握ったりする器用な指と、立体視可能な目を持っていたと推測されることから、ラッセルは「トロオドンが絶滅せずに進化していれば、人によく似た知的生物になったかもしれない」と考えました」というわけで、ラッセル氏はトロオドンを下敷きにした恐竜人間「ディノサウロイド(Dinosauroid)」を発表したということらしい。なお、ウィキペディアによると、ラッセル監修、ロン・セガン製作のディノサウロイドの想像模型というのがオタワのカナダ国立自然博物館に収蔵されているそうだ。専門的な知識のないお客さんにはウケるのだろうな。
ウィキペディアの「ディノサウロイド」のページにはより詳しい解説もある。
(1)身長は170センチ程度。
(2)全身に鱗を持つ。
(3)頭部に爬虫類的な印象を残している以外は、ほぼ人間に近い体形。
(4)哺乳類ではないので乳房がない。そのため、子どもが幼い間は、現代における鳥類のように親が餌を吐き戻して子供に与える。
(5)(大きく発達する脳を包む頭蓋骨の形成に胎盤が役立つとの観点から)胎生に移行しており、臍がある。
(6)人間と同様にかかとを接地させて直立二足歩行する。尾は退化している。
(7)手には3本の指を持つ。そのうちの1本は、ヒトの親指のように拇指対向性を持つ。
(8)生殖器は体内にある。
(9)言語は、ある種の鳥の鳴き声のようなものになる。
なんというか……(1)(2)(3)には「恐竜をヒト化すればいいだろう」という実に安易な考え方が見えるな。特に(2)については、羽毛恐竜から進化したのに鱗に退化してしまうのはどういうわけなんだ? と思ったら、始祖鳥以外の羽毛を持った恐竜の化石が発見され始めたのは1990年代に入ってからだったのらしい。もしもラッセル氏が2000年以降になってから発表したとしたら、ディノサウロイドは羽毛に覆われた姿になっていただろう。科学は常に進歩し続けているのだな。
(4)はどうでもいいとして、(5)も最近の鳥の知能に関する研究結果を参考にすると、あまり正しくないことがわかる。例えばカラスはヒトの7歳児レベルの知能を持っているとされているのだ。何度も言うようだが、鳥は脳の神経細胞を高密度化して知性化しているのらしい。「脳が大きくならなければ知性化できない」などと考えているのは人間だけだろう。
(6)も「ヒューマノイドタイプにあらずんば知性体にあらず」という考え方だな。獣脚類恐竜は三畳紀のエオラプトルから現代の鳥まで基本的にかかとはつけていない。ヒトがかかとをつけて立つのは地上を走る必要のないサルから進化したせいだろう。またティラノサウルスの尾には後肢を後方へ引っ張る筋肉が付いていたのらしい。トロオドンも同じ筋肉を持っていたと仮定すると、地上で生きている限りは尾が退化することは考えにくい。知性を獲得したとしても、直立姿勢に移行することはあるまい。地上では直立しているように見えるペンギンもかかとはつけていないのだ。
(7)指が3本ではお箸が使えない。〔スプーンとフォークでいいだろ〕
(8)恐竜の生殖器の化石が発見されたという話はないようだ。これは爬虫類の生殖器だろう。
(9)この辺りは正しいかもしれない。なお、2023年に世界で初めて恐竜の喉の骨の化石が発見されたそうだ。
ラッセル氏がディノサウロイドなどというものを考えてしまったのはキリスト教徒だからではないかと作者は思う。聖書の創世記には「神はご自分にかたどって人を創造された」と書かれているらしいから、次に「人は知性を持っている」ときて、「恐竜も知性を獲得したならば人の形になるに違いない」という三段論法なのだろう。やれやれ、聖書は誰が何のために書いたのかということをまったく考えずに鵜呑みにしてしまえるキリスト教徒のお気楽さはとてもうらやましいよ。〔おいおい〕
『ナゾロジー』に話を戻すと、その先には「ラッセルの唱えた「ディノサウロイド」は当然というべきか、科学者よりもSF作家たちの関心を強く引きました」と書かれている。しかし、ウィキペディアには、ラッセル以前に考案された恐竜人間についての記述もあるのだ。
『ゲッターロボ』(1974~1975年)や豊田有恒先生の『過去の翳』(1974年)、『ダイノサウルス作戦』(1977~1978年)、『続・時間砲計画』(1978年)は日本国内限定だったかもしれないが、1977年にはカール・セーガン先生が『エデンの恐竜』を発表している。その内容は「白亜紀末のサウロルニトイデスなど一部の恐竜は絶滅さえしなければ知性種族となっていたかもしれないと指摘し、そうすると指の数から十進法ではなく8進法や6進法の算数を自然なものとして使うのではないかと空想している」のだそうだ。またアメリカの心理学者ハリー・ジェリソン氏が1978年のアメリカ心理学会の比較心理学・生理心理学会での講演において「ドロミケイオミムス・サピエンス」という恐竜人類を発表したらしい。恐竜が知性を獲得したら、という思考実験は珍しいものではないのだな。これらの知的恐竜がどんな姿を想定していたのかはわかっていないが、参考にする時間はあったはずだ。
なお、、ラッセル氏がディノサウロイドを発表した後には他の考古学者たちから「擬人観が過ぎる」と指摘されたり、「人間らしさが胡散臭い」と言われたりしたそうだ。当たり前だ。こんなものが否定されなかったら、それは科学ではない。
次回予告
直立二足歩行の進化については数多くの疑問が残っている。
次回「ホミニンの足跡」いやいや、謎なんか何もないよ。
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ホミニンの足跡
『日経サイエンス』2023年6月号に「特別解説 直立二足歩行 人類が試した多様な足取り」という記事が掲載されていた。これは実に面白い。刑事ドラマに例えるなら捜査会議では「シロだ」とされていた被疑者を何十年も追い続けて、共犯者であることを突き止めたというような展開が語られているのだ。
発見の経緯を見ていくと、まず1976年7月にタンザニアのラエトリで、露出した366年前の火山灰の堆積層で化石化した多数の足跡が見つかった。そしてその年の9月には、この遺跡Aで「4本足ではなく2本足で歩く何かが残した5つの連続した足跡」が発見される。しかし、その足跡は奇妙な形をしていたのだ(この記事には違いがわかりやすいように、太陽光が斜めにあたる時間帯に撮影したらしい足跡の写真も掲載されているのだが、これは何というか……人差し指から小指までを失った人間の手のひらを押しつけたような足跡だ)。しかも「足跡を残した何かは普通の人間の歩き方とは異なり、ファッションショーのモデルのように左右の足を交差させて進むクロスステップであるいていたのだ」という。
その二年後、遺跡Aから西へ2キロの遺跡Gで新たな二足歩行の足跡化石が発見される。「2体か3体、あるいは4体の個体が、泥灰の中を歩き、驚くほどヒトに似た足跡を69個残していた」という足跡化石は、ラエトリで化石が発見されていたアウストラロピテクス・アファレンシスのものであると一般的に認められている。これが有名な「ラエトリの足跡化石」だ。
それでは遺跡Aの足跡化石を残したのは何者なのか? 1980年代にシカゴ大学の人類学者タトルは裸足の人間、チンパンジー、二足歩行させたクマの足跡と比較して「この足跡を残したのは鮮新世にラエトリをうろついていた第二のホミニンもしくは二足歩行するクマであると結論づけた」「人類の二足歩行の進化に対して直線的な見方が主流だったこともあり、他の研究者たちはクマ仮説を支持した」のらしい。そのために遺跡Aの足跡は忘れられてしまうことになる。
それから30年以上も後の2017年、この記事の著者であるダートマス大学のデシルヴァ氏らは、地元のアメリカグマの専門家と協力してラエトリの遺跡Aの足跡と足の大きさが同じくらいの子グマを後ろ足で立たせて、実験用の泥道をゆっくり歩かせたのだそうだ。その結果、「驚いたことに、子グマの足跡と足運びは遺跡Aのものと一致しなかった。クマの足跡はかかとが狭く、腰と膝の構造上、二足歩行をすると前後にふらつくため、歩幅が広かった」「私たちはクマ説に疑問を持ち始めた」って、クマの足は現生人類のように指が5本とも前を向いている歩行専用の足だ。しかし、写真を見る限り、化石の足跡はサルのそれのように物をつかめる足のものなのである。まあ、実験をしてから疑問を持つ辺りはさすがにプロだな。アマチュアの作者なら疑問を感じるのが先になるだろう。
そして2019年、デシルヴァらはラエトリに赴き、遺跡Aの足跡を再発掘する。高解像度のレーザースキャナーで撮影して「遺跡Aの足跡はかかとが大きく、ヒトや類人猿と同じように親指が一番大きい。これはクマではない。ホミニンの足跡だ」という結論に至るのだ。
デシルヴァ氏らはさらに言及する。「ラエトリの足跡層が捉えているのはせいぜい数日間の活動だと考えられるので、これは鮮新世の同時期に異なるホミニンの種が存在していただけでなく、同じ地域に生息していたことを示すこの上ない証拠だ」「私たちの最初期の祖先で二足歩行が進化したとき、爆発的な進化の実験があり、足の形の異なるホミニンが誕生した。私たちが調べた200万年の期間中に5種類の足の形態が見られ、おそらくは直立歩行も5通りあった」と。見事な謎解きである。
しかし、その後の「なぜ直立歩行が私たちの最古の祖先や絶滅した人類にとって自然選択上、有利に働いたのかはまだわかっていない」とか「二足歩行はアフリカ各地のやや異なる環境にすんでいた異なるホミニンが、おそらくは異なる理由によって、ホミニンの系統樹の根元の時代から何度も進化させた可能性が高いと私は考えている」という自然選択教徒的な結論には同意しかねる。繰り返しになるが「ヒトが二足歩行になったのは股関節が直立型になってしまったからだ」というのが作者の考え方だ。足(足首からつま先まで)の変化など、直立してからの試行錯誤でどうにでも変化するだろう。また、自然選択教徒には受け入れ難い考え方だろうが、自然選択は全知全能の神様ではないと作者は思っている。ついうっかり、劣った形質を持つ個体群を生き延びさせてしまうこともあり得るだろうと。
ああっと、これではページが埋まらない。実験を追加しよう。作者は基本的に両足を股関節よりもやや狭いくらいに開いて立ち、つま先を真っ直ぐ前方に向けて歩いている。そこで、つま先を45度くらい外側に向けて、いわゆるがに股で歩いてみよう。個人差はあるだろうが、作者の場合はここまで極端ながに股で歩くと歩行速度が低下してしまう。さらに上体が左右に揺れてしまうので、おそらくエネルギー効率もよくないだろう。そういう面では劣った形質である。しかし、街に出るとがに股で歩いているヒト(主に男性)も多いのだ。どうしてがに股歩行のヒトは滅びないのだろうか? これは簡単な話で、がに股の方が安定性という面では優れているからである。特に柔道のような格闘技や重い物を持ち上げる時にはがに股の方が有利になるだろう。つまり、歩行速度とエネルギー効率では劣るが、力を入れやすいという点では有利になるのである。生物の場合、長所が同時に短所となることも、それが直接絶滅に繋がらないということもよくあることなのだ。
ついでだから遺跡Aに足跡を残したホミニンの足についても考えてみよう。この足跡からは親指が斜め前方を向いていたことがわかる。これはヒトの手やチンパンジーの足と同じ「物をつかむ」機能を持っている足だろう。さらに「ファッションショーのモデルのような歩き方」は木の枝の上を歩く時に有利になるはずだ。ただし、この歩き方で後ろの足を前の足のさらに前方に運ぶためには半円を描くように足を動かす必要がある。これではエネルギーロスが発生するだろう。もちろんバランスも悪いし、速く歩くのにも向かない。地上では不利な歩き方であるはずだ。それでも森の中のような環境であれば、樹上を移動しやすいという面で有利になる可能性がある(チンパンジーのような大型類人猿であれば、フック状に曲げた指で枝からぶら下がり、その体勢で枝渡りをした方が有利になるかもしれないが)。
繰り返しになるが、作者は直立二足歩行は股関節の異常から始まったのだと思っている。つまり、股関節が直立型になってしまったからこそ、直立するしかなかったのだという考え方だ。これなら足首から先が地上を歩くようにできていようが、樹上生活に適していようが関係ないのだ。
次回予告
物質の代わりに空間を食べて成長することもできる。
次回「ダークエネルギー」ブラックホールは仙人のようだ。
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ダークエネルギー
『GIGAZINE』というサイトに「最強生物「クマムシ」の遺伝子を人間の幹細胞に挿入する遺伝子実験を中国の軍事研究チームが実行、核攻撃の放射線に耐性を持つ「スーパーソルジャー」開発へ」という記事が掲載されていた。「一般的な遺伝子編集ツールであるCRISPR-Cas9を使用して、クマムシのクリプトビオシスに関連する遺伝子を人間のDNAに挿入する方法を見つけた」のだそうだ。
以前、ギャグのつもりで「人間をクマムシ型の乾眠ができるようにして真空中で保管すれば恒星間移民船のような長期間の宇宙旅行をするのに便利だろう」などと言ってしまったのだが、本当にやらかすとは思わなかったよ。さすがは人民解放軍だ。
ただし、クマムシはほとんど不死身になれると言っても、それは乾眠状態での話だ。研究チームは「クマムシの遺伝子を挿入した細胞を骨髄に移植することで、放射線耐性のある新しい血液細胞を生成することが可能になります」などと言っているらしいが、血液だけに放射線耐性を持たせるのは無理なんじゃないかなあ。まあ、クマムシを知らない軍人なら簡単に騙されて研究資金を提供してくれそうな話だとは思うが……と思ったら大間違い! クマムシは乾眠の状態になっていなくても放射線に耐える能力が高いのらしい。DNA修復能力が高い可能性があるのだそうだ。中国の研究者たちはそこに注目したのだな。ううむ、注目人……。〔違うだろ!〕
もとい、中国人恐るべし。
しかし、クリプトビオシスとDNA修復能力に関連する遺伝子は別なんじゃないのかなあ……。
さて、本題に入ろう。ある雑誌に「こんなに奇妙なダークエネルギー」という記事が載っていた。ダークエネルギー(暗黒エネルギー)については一度ネタにしているのだが、この記事で新たな情報も得たので、もう一度取りあげてみようと思う。
例によっておさらいから始めよう。アインシュタイン先生は宇宙は不変であると考えていたのだそうだ。しかし、万有引力・重力場を記述する「アインシュタイン方程式」からは宇宙が膨張しているか、あるいは収縮しているという計算結果が出てしまったのらしい。そこでアインシュタイン先生は宇宙を不変にするために、その方程式に「宇宙項」を付け加えてしまう。
ところが、1929年にハッブルとヒューメイソンが銀河の中にあるセファイド変光星を観測し、その明るさと変光周期の関係を使って「銀河の距離と遠ざかる速さが比例している」ことに気が付いてしまう。この関係は、今では「ハッブル=ルメートルの法則」と呼ばれ、宇宙が膨張している証拠とされている。ただし、ウィキペディアによると、ハッブルは複数存在するセファイド変光星の型を区別していなかったため、現在知られている値の約7倍の値を算出していたのだそうだ。
現在の宇宙が膨張しているということは、過去に遡ると宇宙はどんどん小さくなっていくことになる。つまり、ハッブルの観測結果はこの宇宙は極めて小さく高温高密度な状態から急速膨張して誕生したという「ビッグバン仮説」の証拠にもなるわけだ。
そしてハッブルの発見から七〇年後、2つのグループが独立に宇宙の膨張が加速しているようだという観測結果を得る。この「宇宙の膨張を加速させるもの」が後にダークエネルギーと呼ばれることになる。
2つのグループが調べたのは数十個の「Ia型超新星」という天体現象だ。Ia型超新星というのは、ハッブルが用いたセファイド変光星のように宇宙の距離の測定に使える標準光源で、核融合を終えて灰のようになった「白色矮星」に別の恒星からのガスが降り積もり、その量がチャンドラセカール限界(太陽質量の約1.4倍)を超えることで炭素燃焼過程を開始する温度に達して超新星爆発が起こるという現象だ。「Ia型超新星はどれも爆発の際の「燃料」の量がさほどちがわず、同じような明るさになると考えられる。そのため、Ia型超新星の見かけの明るさと、本来の明るさをくらべると、地球からの距離の測定ができるのである」のだそうだ。
作者は、現在の宇宙と過去の宇宙では各種元素の存在量の比も違うのだからIa型超新星の明るさも変化しているのではないかと疑っていたのだが、「ただし宇宙の加速膨張は、Ia型超新星の観測だけでなく、他の観測結果からも支持されている」のらしい。「たとえば、宇宙空間を満たす電波「宇宙マイクロ波放射」の観測結果なども、加速膨張と矛盾しない」のだそうだ。追試によっても否定できない仮説はその分信頼できる。今後は「宇宙の膨張は加速している」という前提で考える必要があるだろう。〔偉そうに……〕
さてさて、恒星や銀河などは質量を持っているので、宇宙の膨張はその重力によって減衰していくはずである。ところが、実際には宇宙の膨張は加速していた。この宇宙の膨張を加速しているものが「ダークエネルギー」と呼ばれるものである。そしてダークエネルギーは宇宙が膨張すればするほど大きくなる、つまり「負の圧力」を持っているということになる。「そんなバカな!」と言いたいところだが、観測結果は嘘をつかない。ダークエネルギーの総量は、放っておいても勝手に増加して、宇宙空間を広げているということになるのだ。
ダークエネルギーの正体はいまだにわかっていないのだが、この記事ではクインテッセンス(第五の元素)という未知の素粒子が存在すれば宇宙の加速膨張を説明できるかもしれないという仮説も紹介されている。これは物理屋さんがよく使う手だが,中間子も湯川秀樹先生によって理論的に予測された粒子が実験で確認されたものだったりするから正しい手段だ。
まあ、素粒子のようなわけのわからないものは物理屋さんにお任せするとして、作者がこの記事で注目するべきだと思うのは「宇宙膨張とともにふえるブラックホールの質量」だ。「2023年、ハワイ大学の段間・ファラー博士を筆頭とする研究チームは、ブラックホールとダークエネルギーに関係があるかもしれないという研究結果を発表した」のだそうだ。「ダークエネルギーを含む宇宙と、ブラックホールを、統合してあらわす数式はまだみつかっておらず、これまで2つは独立した現象としてあつかわれてきた。しかしある種の統合理論によると、ブラックホールは物質を飲みこまなくても、宇宙膨張とともに質量などが変化するという」って、何なんだ、これは? 中国の仙人が霞を食って生きていると言われるように、ブラックホールは物質だけではなく、空間を食って質量に変換し、それによって成長することもできるということなんだろうか? そこで「ブラックホールは生命体である」と仮定すると、何かを排泄している可能性もあるだろう。もしかしたら、ダークエネルギーの正体は空間を食べたブラックホールのウ〇コなのかも……。〔やめんかい!〕
次回予告
自分の専門分野以外の知識は素人以下。それが研究者だ。
次回「ハエトリグモはアノマロカリスの夢を見るか」論文さえ書ければいいのさ。
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ハエトリグモはアノマロカリスの夢を見るか
『ナゾロジー』というサイトに「アノマロカリスあまり強くなかった! 三葉虫を襲うと「腕が折れる」と判明」という記事が掲載されていた。もちろん、アノマロカリスに腕はない。この「腕」というのはアノマロカリスの前部付属肢から生えている「トゲ」のことだろうと思う。
その先には「アメリカ自然史博物館(AMNH)によると、アノマロカリスの歯や2本の付属肢では、岩のように硬い三葉虫の殻を砕くことはできず、逆に破損する可能性が高かったという」「もし無理に三葉虫を食べようものなら、逆に歯を折られていたかもしれません」と書いてある。そもそも、口に入れられないと思うが……。
「そこで今回の研究では、アノマロカリスの「2本の付属肢」が三葉虫のような硬い生物の狩りや捕食に使用できたかどうかを調べました」「するとアノマロカリスの付属肢は、かなり柔軟に曲げたり伸ばしたりすることが可能で、獲物を捕らえるのには問題ないことが分かりました」「ところが三葉虫のような硬い獲物をつかむシミュレーションで、その応力(外力が加わった際に物体内に生じる抵抗力)やひずみ(外力によって物体が変形した割合)を調べた結果、三葉虫の殻ではなく、確実にアノマロカリスの付属肢の方が破損することが示されたのです」だと。
何をいまさら……。アノマロカリスの前部付属肢に生えているトゲは、どう見ても柔らかい獲物に突き刺して捕まえるためのものだろうに。
繰り返しになるが、三葉虫の殻は貝殻と同じ炭酸カルシウムでできていたので、硬化していればアノマロカリスが捕食するのは無理だっただろう。前部付属肢で捕まえるのは難しかったはずだし、ドーナツ型の歯で囓れるはずもない。あの歯は柔らかいミミズのような獲物を確実に消化管に送り込むための歯だろう。
しかし、炭酸カルシウムの殻にも弱点はある。貝殻のような殻はカニのようなキチン質の殻よりも硬化するまでに時間がかかるのだ。殻が柔らかい三葉虫なら前部付属肢のトゲもちゃんと刺さったはずだし、円形の歯でも囓れたかもしれない。その場合に問題になるのは、狙った三葉虫の殻が硬いか柔らかいかで、アノマロカリスのキノコ形の複眼はそれを目視で確認するためのものだったという可能性もあるだろう。
さらにその先には「その一方で、計算流体力学の手法でアノマロカリスの遊泳能力を調べてみると、付属肢をまっすぐ伸ばすと水の抵抗力が最小化され、かなりの遊泳速度が出たと推定されています」「トップスピードで泳ぐときは、スーパーマンのように2本の付属肢をまっすぐ前に伸ばしていたのでしょう」として、前部付属肢を1本だけ取り出して、伸ばした場合と曲げた場合のシミュレーション画像が掲載されている。これはひどい。こんなものに何の意味があるのか……って、論文は書けるわけか。ただ単に論文を書くために最小限のコストでできるシミュレーションをしましたということなんだろうな。
例えば水泳競技でより速く泳ぐための研究をしましょうという場合に、片腕だけを仮想の水中に置いて、それを伸ばした状態と曲げた状態での水の抵抗の差を調べることに意味があるだろうか? 航空機の模型で風洞実験をする場合に翼を外した胴体だけを風洞に入れるようなやり方が役に立つんだろうか?
だいたいアノマロカリスの推進装置はどう見ても高速遊泳には向かないコウイカのひれ型だ。前部付属肢の抵抗だけを減らしたところで遊泳速度が上がるものでもないだろう。
こんな論文がヨイショされるなら、STAP細胞論文を書いた小保方晴子氏はノーベル賞を贈られていたはずだぞ。……まあ、論文の恥は書き捨て。たいして意味のない論文でも、発表してしまえば1本とカウントされるということなのかもしれないが……。
同じく『ナゾロジー』の記事には「クモも夢を見ている可能性があると判明! ムシでは初めての発見」というのもある。睡眠中のハエトリグモが急速な視覚運動と体のけいれんをともなう、人間のレム睡眠に似た状態をとることを発見したのだそうだ。「レム睡眠は人間では夢を見ているときの睡眠として知られています」「もし人間と進化的に遠いクモにレム睡眠があり夢をみているならば、レム睡眠や夢がなぜ存在しているのかや、どんな仕組みで発生しているのかを理解する助けになるでしょう」ということらしい。
やれやれ。「クモ」は節足動物門鋏角亜門クモガタ綱クモ目に属する動物の総称であり、「虫」には昆虫、クモ、ムカデ、ダンゴムシ、イモムシ、ウジ虫、ミミズなどの蠕虫、カタツムリ(でんでん虫)、タニシ、ヘビ(長虫)まで含まれるんだぞ。こんな曖昧な用語は科学の分野で使ってはいけないだろう。それとも「ナゾロジーでは科学を扱いません」ということなのか?
まあいいや。このコラムによると、コンスタンツ大学のレスラー氏はハエトリグモが垂らした糸の先でぶら下がりながら睡眠を取るということに気が付き、暗視カメラでその様子を記録することにしたのだそうだ。すると、眠っている34匹のすべてのクモで、15~20分ごとに約80秒間にわたり足をピクピクとけいれんさせていることがわかったのらしい。イヌやネコも眠っている時に、周期的に手足をバタ尽かせるのだが、この周期的な手足バタつきは、体の筋肉が弛緩している時に脳の一部が活性化するレム睡眠の代表的な現象とされている。
というわけで、レスラー氏はクモにもレム睡眠が存在し、レム睡眠時には人間やイヌやネコと同じく夢を見ている可能性があるという仮説を立てて、その仮説を補強するために、外骨格が透き通っていて網膜の動きを観察しやすいクモの赤ちゃんを使って、レム睡眠時の特徴の一つである眼球の急速な運動に相当する網膜の激しい運動も観察したのらしい。「これらの結果は、クモにも人間と同じようなレム睡眠が存在し、視覚をともなった夢を見ている可能性を示します」と書かれている。
作者はここで違和感を覚えた。レム睡眠の機能は夢を見ることだけではなかったような気がしたのだ。そこで検索してみると、『academist journal』というサイトに「記憶は睡眠中に定着(固定化)されることが知られています」という解説があった(哺乳動物での研究だと思うが)。
例えばオニグモやジョロウグモが網を張った場合、一度網を壊しても、また同じ場所に網を張るのだが、さらにもう一度壊すと、そこには張らなくなることが多い。つまり彼女らは網を壊されたことを記憶しているのだ。これができないと、延々と無駄な努力を続けることになって生存に支障をきたすことになる。クモのレム睡眠は夢を見るためのものではなく、記憶を定着させるためのものなんじゃないかと思うぞ。
※後でわかったのだが、記憶を定着させるのはノンレム睡眠の方らしい。お詫びして訂正させていただきます。
次回予告
諸君らの愛してくれたヒ素生物は否定されてしまった。何故だ!
次回「リン酸の逆襲」ヒ素の酸は加水分解されやすいからさ。
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リン酸の逆襲
困ったことになった。作者は『次回予告 3』で「地球の最初の生命はなぜ海水中に豊富に存在していたヒ素の酸ではなく、リン酸を使ったのだろうか?」という問題提起をしたのだが、どうやらこの謎はほぼ解かれてしまったようなのだ。
事の発端はNASAの土星探査機カッシーニによる土星の衛星エンケラドスの観測データだった。『日経サイエンス』2023年9月号の「SCOPE」のページには「土星の氷衛星の生命探査に進展」という見出しに続いて「エンケラドスの海水から生命の材料「リン酸」が見つかった」と書かれていたのだ。
「エンケラドスは太陽から遠く離れた極寒の世界にあり、表面は氷に覆われている。岩石に温められた内部には、液体の水をたたえた広大な地下海が広がる。氷の割れ目からはプルームと呼ばれる間欠泉が噴き出し、宇宙空間に海水が放出されている。カッシーニは何度もプルームの中を通過し、搭載した分析装置を使って海水の成分のデータを集めてきた」のらしい。カッシーニによる探査はすでに終わっているのだが、プルームの観測データの解析は今でも続けられているのだそうだ。
「これまでの解析では、プルームから二酸化炭素やアンモニアなどの他に塩分や様々な有機物、高温の水が岩石に触れた時に形成されるナノサイズのシリカ粒子も見つかっており、海底には地球の熱水噴出孔に似た環境があるとされている」「独ベルリン自由大学を中心とする欧米の研究チームは、プルームの微粒子に含まれる海水の成分をひとつひとつ分析した。ほとんどは塩分や有機物などこれまでにも見つかっている成分だったが、345個のうち9個からリン酸を検出することに成功した。ここからエンケラドスの海水に含まれる平均的なリン酸の濃度を見積もると、地球の海水に比べて数千倍から数万倍の高濃度になっていたとみられるという」ことになるのだそうだ。
さてさて、エンケラドスの海水にリン酸が豊富に含まれているのは何故なんだろうか。日本の研究チームは、これまでのプルームの解析結果をもとに海水の成分や濃度を調整して地下海の環境を実験室で再現し、リン酸が鉱物から海水に溶け出す仕組みを詳しく調べたのだそうだ。その結果、二酸化炭素が溶け込んだ水は酸性になり、アンモニアが溶け込んだ水はアルカリ性になるのに対して、両方が大量に溶け込んだ水はアルカリ性になってしまうということがわかったのらしい。二酸化炭素とアンモニアではアンモニアの方が強いということである。アンモニアの存在を想定できなかった作者のミスだな。
日本の研究チームは、こういう炭酸含有量の多いアンモニア水と海底の岩石と似た炭素質コンドライト隕石の粉末を耐圧容器に入れ、エンケラドスの海底にある熱水噴出孔を模した環境(150度C、300気圧)で反応させると、鉱物からリン酸イオンが溶け出し、そのリン酸の濃度は、観測結果の範囲内にあったのだそうだ。
「リン酸が溶け出すには「アルカリ性かつ高炭酸」という特殊な環境がカギになっていることがわかった。こうした海水が熱水噴出孔のような高温下で岩石と反応すると、岩石の鉱物に含まれるリン酸と海水中の炭酸との間でカルシウムの奪い合いが起こる。アルカリ性かつ高炭酸の条件下では、リン酸塩鉱物よりもカルシウム塩鉱物が安定になるため、カルシウムを奪われたリン酸が溶け出すという仕組みだ」そうだ。
というわけで、40億年前の地球にも現在のエンケラドスと同じ環境があったとしたら、最初の生命がヒ素の酸を使う理由がなくなってしまう。ヒ素を使う生物が生まれた可能性もないとは言えないが、その場合でも、より不安定なヒ素の酸を使う生物はリン酸を使う生物に対して大きなハンディキャップを抱えることになっただろう。地球の最初の生命がリン酸を使ったのは単なる偶然ではなく、それが決定的に有利だったからなのだな。
しかし、この実験では、エンケラドスの海水には生命活動に欠かせない酵素の活性中心として働く鉄や銅などの金属イオンが足りなということもわかったのらしい。アルカリ性かつ高炭酸の環境では金属が溶けにくくなり、その濃度は「生命が存在しえないほどではないが、ギリギリのライン」だったのだそうだ。うーん……これのどこが問題なんだ?
アンモニアと水と二酸化炭素、そして適当なエネルギー源が存在すれば、アミノ酸を初めとする各種有機物がいくらでも作れる。リン酸と脂質と各種アミノ酸などがあれば遺伝子と細胞膜とタンパク質ができる。それだけの条件が揃えば地球型生物は生命活動ができるのだ。それで十分ではないか。金属イオンを含む酵素がないと現在の地球型生物よりも生命活動が遅くなるかもしれないが、それは現在のエンケラドスであれ、40億年前の地球であれ、その天体のすべての生物にとって同じ条件であるはずだ。
ただの思いつきだが、地球の場合は、大きな惑星であったためにエネルギーが豊かで、原始的な生物たちの生命活動によってアンモニアがどんどん消費されてしまって、次第に海水中に金属イオンが溶け出す条件が出来上がっていったのではないかと思う(それと平行してリン酸濃度は低下していっただろうが、いまさらヒ素の酸を使うことはできなかったはずだ)。その結果、金属イオンを含む高性能な酵素を使うニュータイプ生物が生まれ、生命活動が遅いオールドタイプ生物は駆逐されてしまったのだろう。
ということは、そうした金属イオンが少ないエンケラドスの海中や、もしかしたら地球の片隅の極限環境でも、いまだに金属イオンを含まない低性能な酵素を使って生命活動を行うオールドタイプ生物が生き残っている可能性があるかもしれない。いずれにせよ、リン酸の代わりにヒ素の酸を使う地球型の地球外生物の存在可能性はほとんどゼロまで低下してしまったのは間違いないわけだが。
「我々はひとつのSFを失った」〔おいおい〕
「作者が創り上げた生命体、諸君らが愛してくれたヒ素生物は否定されてしまった。何故だ!」〔ヒ素の酸は加水分解されやすいからさ〕
「SF者よ立て! 悲しみを怒りに変えて、立てSF者よ! SFは諸君らの力を欲しているのだ。ジーク……」〔やめんかい!〕
ただし、これまでは生命が誕生した時代の地球の環境は酸化的、つまり二酸化炭素はともかく、アンモニアの存在量は少なかったとされていたと思う。となると、今後はなんとかして「40億年前の地球もアンモニアが豊富な環境だった」ということを証明するのが生命科学のテーマのひとつになっていくのかもしれない。その場合、エンケラドスの海のリン酸濃度は「生命科学におけるコペルニクス的転回」と言われるようになるだろう。面白いことになりそうだな。
次回予告
おーい、磁場よー。どこまで行くんだー。
次回「磁場と磁力線」宇宙の果てまで行くんかー。
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磁場と磁力線
暇なので「クモ」で検索していたら『蜘蛛の糸が色付いて見えるのはなぜか』という論文を見つけてしまった。欄外に「津山高専紀要 第61号(2019)」と書き込まれているから、それほど古いものではないようだ。
この論文では、ジョロウグモの網を逆光で見た時に現れる虹色について、ヘリウム・ネオンレーザーまで使って実験し、さらに「蜘蛛糸に見られる数珠状の疑似周期的構造による干渉で、蜘蛛糸に見られる虹色が再現できるかを、計算で確かめる。干渉光の強度計算は、過剰虹の解析に用いた幾何光学に位相差を考慮して重ね合わせを行う方法を利用した」のだそうだ。数学は苦手なのでよくわからないのだが、結論は「蜘蛛の糸が虹色に輝くのは、糸に並んだ粒がほぼ等間隔に並び、各粒で太陽光がごく限られた範囲に散乱されることが主要な原因で、干渉光に波長による強度の大小が発生し、そのために薄く色づいて見えると推測される」「しかし、計算では青色が優性(優勢?)になると予想されるが実際にはピンクや緑が優性である色合いや散乱強度最大の観察方向でも色付いて見えることなどいくつか説明できないことがある」ということになったのらしい。
これはいい。ひさびさに大笑いした。計算などしなくても見ただけでわかることだし、不適切な計算式を使ったところで正しい答は得られないだろうに……と思ったのだが、ヘリウム・ネオンレーザーや計算式が手元にあれば、それを使いたくなってしまうのも人間なのかもしれない。
話を戻そう。「糸に並んだ粒(粘球)による散乱が原因である」という仮説では、粘球の付いていない縦糸にも虹色が現れることを説明できまい。クモの糸によって生じる虹色は透明な糸の内部で太陽光が屈折するプリズム効果によるものだと考えるべきだろう。この論文の著者らは横糸だけを顕微鏡で観察して、粘球の付いていない縦糸でも虹色が生じていることには気が付かなかったようだ。この時点ですでに道を踏み外しているわけだが、それに気付かずに、誤った結論まで突き進んでしまったのだな。まあ、若者にはこういう失敗もいい経験になるだろう。
なお、ジョロウグモの網には順光でもごく細い幅でリング状の虹色が現れるぞ。
さて、本題に入ろう。
作者は『次回予告 3』で磁場を媒介する質量ゼロで速度無限大の粒子、仮想光子タキオンを使えば「ブラックホールの情報パラドックス」を解決できるんじゃないかとして以来、磁場に興味を持っているのだが、これがどうにも……とにかく情報が少ない。ウィキペディアの「磁場」のページを開いてみても「磁場は電気的現象・磁気的現象を記述するための物理的概念であり、電流が作り出す場として定義される」という程度の説明の後には方程式が並んでいるだけなのだ。どうも、磁場を理解するためには物理学や数学の知識が必要になるのらしい。
そこで「地磁気」のページに移動してみると「地球の磁場は、主に地球(電離層を含む)に流れる電流に起因する。磁場の発生原因は、今でも完全には解明されていない」と書かれていた。地磁気は地下深くで生じているので、地磁気は地殻の部分で生じているのか、もっと深い核の自転や対流によって電流が生じ、それに伴って磁場が生まれているのかさえわかっていないのらしい。まあ、行くのが難しいという意味では、地殻ですら宇宙より遠い場所だからなあ。
今さら電磁気学を学び直す気にもなれないので、直感的に理解できそうな地磁気の図を見てみよう。地磁気の図というと、地球内部のN極から出発して、弧を描いてS極に向かう磁力線が描き込まれていることが多いのだが、こういう図で気になるのN極から画面外に飛び出して行く何本かの磁力線と、弧を描いて画面外からS極にやって来る磁力線だ。これらの磁力線は大きく弧を描いてN極からS極へ向かうのだろうから、出発する時の向きがN極とS極を結ぶ軸の方へ近づいていくと、このループはどんどん大きくなって宇宙の果てをぐるーっとまわって地球へ帰って来ることになるのではあるまいか。そして磁場同士が相互作用、つまり地球からの磁力線に他の天体の磁場が影響を与えることができるのなら、地球のS極で磁力線を観測すれば、その磁力線には宇宙の果ての情報が含まれているのではあるまいか? もちろん、磁場もおそらく重力場と同じように距離の二乗に反比例して弱くなっていくのだろうから、ノイズの大海の中から水素原子1個分程度の情報を拾い出すような作業が必要になるだろうが、理論上は不可能ではあるまい。
N極とS極の延長線上に向かった磁力線はさらにやっかいなことになる。この場合、磁力線は宇宙の果てまで行ったきりになる。ところが、その行ったきりになったはずの磁力線は宇宙の反対側の果てからS極目指して帰って来るのだ! この2つの磁力線には何の繋がりもない。これでは因果律が破れてしまうことになる……と思ったら大間違い。磁力線というものはおそらく存在しないのだ。
間違っていたらごめんなさいだが、磁場というものは重力場と同じように、距離の二乗に反比例して弱くなりながら果てしなく広がっているものなのではないかと思う。磁場と重力場の違いは、磁場にはS極とN極があるということ、S極同士、N極同士は反発し合うということ、そして磁力は重力よりも強いということくらいだろう。ちなみに重力相互作用の強さを1とした場合の電磁相互作用の強さは10の38乗だそうだ。磁石が鉄のクリップを吊り上げられるのはそういうわけである。
個人的にはS極とN極を結ぶ磁力線の途中に、いかにもS極からスタートしてN極にゴールするように描き込まれている三角形も気に入らない。例えば、重力場を一般相対論的に表現すれば「空間のへこみ」になる。磁場の場合はへこみと出っ張りがあって、へこみと出っ張りの間には引力が働き、へこみ同士・出っ張り同士の間には斥力が働くというようなことでしかないのではないかと思う。
こういうことを言うと、「じゃあ、磁石に載せた下敷きの上に砂鉄を撒くと現れる磁力線は何なんだよ」と突っ込まれてしまいそうなのだが、あの縞模様は砂鉄の磁化で説明できると思う。鉄は磁界の中に置かれると磁化しやすい性質を持っている。したがって、磁石の上の砂鉄の一粒一粒は磁石になっている。そのS極とN極の間には引力が働くので見かけ上の磁力線に沿って一列に並びやすい。しかし、見かけ上の磁力線と直交する方向はどうかというと、どうしてもS極同士・N極同士が隣り合ってしまう部分が生じてしまうのではないかと思う。そうなると、この部分では斥力が働くわけで、そのために見かけ上の磁力線の間に空白部分が生じるのではないだろうか。
磁力線の存在を信じていたところで生きていく上で支障が出るわけでもないんだろうけど、何か「私がお前の父だ」と言われたルークのような気分だなあ。
次回予告
3ヶ月論文でも3日論文でもプロは書くしかない。
次回「2本の論文」アマチュアは時間制限を気にせず観察しよう。
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2本の論文
2022年にジョロウグモの産卵後の行動を3ヶ月間観察して「産卵後の母親は卵囊を守るとは言い切れない」というような結論を出した論文が昆虫学の同人誌のような雑誌に掲載されたのらしい。なんだかなあ……。
第一にジョロウグモの産卵については西野真由子氏の論文がすでにある。西野氏は自宅の庭で12年間、のべ660匹のジョロウグモの産卵を観察し、「産卵日・産卵時刻、産卵のために網を離れた日(一部は月日と時刻)、産卵場所、卵囊の高さ、産卵前の網の中心から卵のうまでの直線距離、産卵後卵のうを離れた日、産卵後のクモの経過を記録し、10~11月に産卵したクモと12月に産卵したクモを比較した」(KISHIDAIA,No90(2006))。その後の「考察」では「今回の観察では、ジョロウグモは日没後暗くなってから網を離れ、翌朝または翌々朝までに高さ平均135.0センチ、産卵前の網の中心から平均164.0センチの場所に産卵し、平均4.1日後に卵のうから離れ、半数は何らかの網を張ったが10パーセントは卵のう近傍で死亡し、残りが徘徊または行方不明だった」と述べられている。
第二に、この論文では木の幹に産卵したジョロウグモの写真しか掲載されていないが、西野氏の論文では「産卵場所は常緑広葉樹の葉、落葉広葉樹の葉、人工物(軒下や塀など)、幹や枝の順に多かった」とされている。なお、作者の観察フィールドには常緑広葉樹も人工物もないのだが、それ以外はこの記述と一致する。
第三に、クモについての論文を昆虫関係の同人誌に投稿するというのはどういうつもりなんだ? クモの論文ならクモ学の世界で発表するべきなのに、わざわざ昆虫学の同人誌で発表しているということは、西野氏の論文の存在を知っていて掲載を拒否されることを予想し、なおかつ、昆虫の専門家は西野氏の論文など知らないだろうと高をくくって投稿したということが考えられる。〔いくらなんでも、それは……〕
実は(いつからそうなったのかは知らないが)プロの研究者は年度の初めに予算申請をして、年度末までに論文を発表することが要求されているのらしい。予算が付いてから研究をスタートさせるとすると、実質数ヶ月で論文を発表しなければならないわけだ。そういう制約があるために3ヶ月間の観察で論文を書かなければならず、そんなものを専門家に読まれるわけにはいかないので、わざと昆虫学の同人誌に投稿したという可能性は否定できまい。また、同人誌の場合、会員が投稿した論文なら専門家による査読もなしで掲載してもらえるのかもしれない。同人誌であっても「論文を発表した」と認められることになっているのではないか、と作者は思う。
ただ……そういう制約の中で3ヶ月も観察を続けたというのは評価されるべきなのかもしれない。あまり詳しくはないのだが、最近のクモ学関係の同人誌には「3日論文」とでも言うべきものが多いのだ。どういうものかというと、まず1日目に特定の地域でクモを採集する。2日目にそのクモの標本を顕微鏡で観察する。3日目にには論文が書けるというインスタント論文である。これでもクモの学名をずらっと並べれば1ページや2ページはすぐ埋まる。作者はそんなものに興味はないから読み飛ばしていたのだが、これでも「論文を書きました」というアリバイを作れるのだろう。
プロの研究者にはこういうアリバイ工作用の同人誌も必要悪なのかもしれない。最近手に入れた小島渉氏の『カブトムシの謎をとく』にも「研究対象といかにじっくり向き合うか、あるいは、いかに粘り強くデータを集め続けるかといった要素が生態学では重要ですが、これらに関してはプロの研究者に分があるとは言えません。むしろプロの研究者は研究費の申請、授業やさまざまな雑務に追われ、腰を据えて野外で調査するチャンスはほとんどなくなっています」と書かれている。生態学など予算の無駄だと思われているのかもしれない。これから研究者を目指す人たちは宝くじか競輪・競馬などで稼いでからにするべきだろうな。あるいは核融合のように、この先何十年も予算が保証されているテーマを選ぶとか……。
しかし、その先には「そんな中、2021年の春、埼玉県に住むある小学生が、カブトムシの新たな生態を論文として発表し、話題になりました。その後、彼の発見を皮切りに、研究は大きな広がりを見せています」と続くのだ。
「きっかけは2019年の8月、埼玉県に住む当時10歳の柴田亮さんからもらった1通のメールです」で始まって、シマトネリコ(亜熱帯性のモクセイ科の植物)の木には理由はよくわからないが、昼間から多くのカブトムシが訪れることがある。また、なぜ同じ年に植えたシマトネリコの木が近くにもあるのに、そっちにはカブトムシがまったくいないのか? 今年、6年ぶりに来たのはなぜか? さらに「今は毎日色々な時間に、オスとメスの数や様子を記録したりしています。他にどんなことを観察したら、カブトムシのことがもっと分かると思いますか?」などの質問が並べられていたのらしい。
それに対して小島氏も「時間によるオスとメスの数を記録しているのですね。とても貴重なデータだと思います。ぜひ続けてください。本にも書いたように、シマトネリコには昼間でもカブトムシが見られることはよく知られていますが、きちんとデータをとって確かめた人はこれまでいないからです」というメールを返し、さらに観察方法や
取るべきデータなどのアドバイスもするのである。
そういうメールのやり取りの後に出てくる柴田君の手書きのグラフがまたすごい。夜の方が個体数は多いものの、明らかに昼間にもカブトムシが集まっているのだ。
小島氏は柴田君の観察結果に対して、単にカブトムシの新たな生態を解明しただけでなく、「昆虫の活動時間がどのように決まるか」という、もっと普遍的な問いにも答えうるものです」と考え、この発見は世界中の人に知ってもらうべきだとして英語の論文として発表して高い評価を受けることになるのだ。
その後では、シマトネリコの木に昼間でもカブトムシが居残るのはシマトネリコの樹液が少ないせいらしいという結論(オチ?)になるのだが、こういうドラマチックな展開も自然観察の醍醐味だろう。生態学に必要なのは、もらったお金で東南アジアまで出掛けて行って、珍しい昆虫を採集してくるようなプロの論文屋さんではなく、曇りなき眼で真実を見定めることができるアマチュアなのだな。
そして、この本には個人的に重要な情報も載っていた。「カブトムシが高密度で生息するような場所にシマトネリコが何本も植えられていたとしても、カブトムシが集まる株はその中のほんのごく一部です。しかも、不思議なことに、毎年同じ株に集まるわけではありません」というのがそれだ。作者が観察を続けているコガネグモはコガネムシを主に狙うクモらしいクモらしいのだが、コガネムシも群れる場所(個人的に「パーティ会場」と呼称している)をたまに変えるらしいのだ。もしかすると、甲虫の仲間にはもともとそういう性質を持っているのかもしれない。翅もあるのだし。
次回予告 4 後編に続く