日録29 君は特別①
お待たせしましたm(__)m
むっつり回パート2です。
ひとしきり懐かしさを味わうと、入れ替わるように現実が戻って来る。
基本的に、同性で名を明かすのは親愛を意味する。互いを兄弟、または家族として迎え入れ、どちらかが困った時には支え合う。
そして言わずもがな男と女であれば、恋慕。
相手が受け入れてくれたなら、死が二人を分かつまで、一生を共にする誓いを交わす。
もちろん、男女であっても家族の契りを結ぶことはある。なんらおかしい事でもない。
…こちらでは違うのだろうか。
思い返せば、里ではもっと手順を踏んで、ことを慎重に進めていた印象がある。
事前に相手の気持ちを打診して、いい?――まだ、そろそろいい?――いいよという具合いに。もちろん受け入れるつもりがなければ、この時点で断っていい。
そんなやり取りを何度か経て、互いの了承が得られたところで、そっと名前を交わす。ランドの知る用婆比は、そんなふうに実に奥ゆかしいものだ。
少なくとも、相手の了承も得ず、言い捨てるようなものではない。そうなると相手にその意志がなかった場合、どうなるのだろう? 言った方も言われた方も困るだろうに。
(…だったよな?)
ランドは一番上の兄のことを思い浮かべた。のんびり屋の長兄は、一昨年やっと幼なじみと結婚した。
その時ランドは十五歳。
十三離れた兄が、意中の相手に向かって、たどたどしく何度もつかえつかえしながら、名を捧げるところを陰でしっかり見ていた。
今より幼い考えだったランドには、ガチガチになって挑む兄が理解できなかった。だってこんなものは、答えが分かり切った茶番劇なのだから。
というのも、この日の為に、事前に家同士で互いに何度も探りを入れて、すでに二人の婚姻は親も認めるところだった。
しかもこの日の用婆比は、夜に挙げる仮祝言の為に、吉日を選んでの決行だったという。
その為、朝早くから家族総出で祝いの席を調えた。――これほど万全の態勢で臨んでいて、何の心配ごとがあるというのか。
だから、呂律が回らないくらい緊張する兄の姿に、生意気盛りだったランドは、なぜそこまで?と不思議でならなかった覚えがある。
話は逸れてしまったが、ともかく名を明かして、それでおしまい…というものでないことだけは確かだ。
名前というものは、それほど大切なものなのに。
エンジュは、自分に名を明かした。
だとしたら、それは親愛か恋慕――どちらだろう?
逃避することしばし。ランドは気を落ち着けるように、ふ―――っと長い息を吐いた。
(……まさかと思うが、男と男の時にも、恋慕の場合とかあるのだろうか?)
考えたくない――考えたくないが、万が一。
至って自分の性癖は普通だ。考えが古いのかもしれないが、伴侶は普通に異性がいい。
(あなたがそこにいるだけで――)
ふと、今日、言われた言葉が脳裡に思い出された。
あの時、笑ったエンジュはとても美しかった。思わず、目が奪われるほど。
(だからといって…)
これが仮に、男女間の恋慕の用婆比だとしても、名前を返すわけにいかない。目の前の貴人は、けして自分ごときが軽く扱っていい人ではないから。
――それに恋にうつつを抜かしている暇など、自分にはない。師から託されたあの小さな娘の行く先を見届けない限り。
「ふふっ…さっきからずっと、百面相していますよ。何を考えているのですか?」
そんなことを考えるランドを、エンジュがひょいっと下からのぞき込む。先ほどつないだ手は、どさくさに紛れて離すことが出来た。
そこに少しだけ安堵するも、思い出すとランドの胸は途端に落ち着きを失う。これ以上の無用な接触は避けるべきだと、本能が告げてくる。
半歩、後ろに身を引いたのは、ここにはいない一途な護衛への後ろめたさから。と同時に、自分の生き残りを賭けた無意識の動きだとランドは思う。
そろそろチャンジに殺されそうだと、さすがに本気で心配になってくる。そうとは知らないエンジュは小首をかしげると、瞳を細めて、くすりと小さく笑う。
「そんなに怯えなくても、取って食うようなことはしませんよ? …多分」
「お…怯え…っ??」
咄嗟に返そうとした言葉は、あえなく引っ込んだ。
しなやかな獣のように、エンジュのほっそりとした体がするりとランドの懐深くにもぐり込んだから。
ぎょっとしたランドがその身を引く前に、伸ばされた両手がランドの頬を優しく包み込むのが早かった。その瞬間ぎしりと、音を立ててランドの体が固まった。
「な…にを、なさるのですか…」
我ながら情けないくらい、弱々しい声だ。
「今日一日、歩き通しでさぞお疲れでしょう。一度、診ておいた方がよいかと。…だいぶ風が冷えてきたせいか、あなたの頬、すっかり冷たくなっていますよ。これは、少しばかり温めた方がいいかもしれませんね」
そう言って、エンジュの細い指が耳のつけ根や、下瞼をひっくり返してのぞき込んだりと、動き始める。
――この距離感、正しいのか?!
固まったまま、ランドは心で盛大に突っ込む。
至近距離から射抜く、澄んだ瞳。含み笑いをする声が、近い。
思わず、ランドは目を瞑りそうになったが、ギリギリのところで持ちこたえた。――そんなことをすれば、今度こそ口づけされる。そんな埒もない考えがよぎる。
「――そんな顔をされたら…思いっきり泣かせてみたくなります…」
(鬼の所業か!)というランドの悲痛な叫びは、声にならなかった。細い手首を力なく掴んだものの、力を込めてみたところで、その手を少しでも遠ざけることが出来ない。
いつものことながら、折れてしまいそうなほど細いこの腕のどこに、そんな力があるのだろうと、ランドは不思議で仕方がない。
「子供みたいに、邪魔をしてはいけませんよ」
優しく指摘され、ランドがきまり悪く目を逸らせば、エンジュの立つ場所からふっと笑う気配がする。たまらず、ランドは声を張り上げた。
「冷えてきたのでしたら…そろそろ戻りましょう。エンジュ様の体にも、良くない」
「あと少し、指圧をするだけです…退屈なら、お話でもしながら――施しましょうか? さあ、手を」
相手はエンジュだ。無下にも出来ず、ランドはぐっとこらえる。それでもただ大人しく身を任せるわけでもなく、弱々しいながらも抵抗を諦めない辺り、ランドもなかなかしぶとい。
「…あまり遅くなると皆が、心配します。先ほどもいいましたが、疲れた体に冷たい風は、毒でしかない。俺には、あなたのお体に障らないか心配です。ご配慮は大変ありがたいのですが、俺はこの通り丈夫ですし、なんら問題ないかと」
「二人きりでゆっくりお話できるのは、今だけなのです。お願いします――もう少しだけ」
強請るような口調は、いつになく甘い。ランドがぐっと言葉を詰まらせる。この手の類で、どのみちランドに勝ち目はない。
「分かりました…少しだけ。約束ですよ? ――あと、もう少しばかり離れてもらえませんか? さすがに近過ぎる」
「何か言いましたか? 風の音で、あなたの声が聞こえづらいのですが」
ランドの心中などお構いなしに、エンジュはさらに顔を近づける。あまりの近さに、慌ててのけぞるように顎を上げたランドの顔が、苦虫を噛み潰したようになるのを見て、小さくエンジュが噴き出した。
「ふ――ふ。どれだけ真面目なのでしょう。普通なら、こんな美人にすり寄られたら嬉しくなるものじゃありませんか? なのにあなたの顔ときたら」
笑いがおさまらないのか、クスクスという笑い声が続く。
「ご自分で言いますか…。全く――」
呆れたようにランドがつぶやく。この言いようだと、エンジュはおそらくわざとだ。呆れるのを通り越して、もはや溜め息しか出てこない。
「ふ…。そんな陸に打ち上げられた魚のような顔をしなくても。ここ、気持ちいいでしょう? “井穴”と言って、爪の生え際にあるツボです。このツボは、体を動かす源となる『気』を出す部分でもあるのです。ここを刺激すると、血の巡りがよくなり、手や指先だけでなく、体全体がポカポカして温かくなるのですよ」
エンジュの指がランドの爪の生え際を挟むようにしてつまみ、痛くない程度にぎゅっと押しながら揺らして刺激する。全ての指を一本ずつ、同じことを丁寧に繰り返していく。
滞っていた血が再び流れ出すような感覚と共に、冷えたランドの頬に、じんわりと温かみがよみがえる。いつのまにか、目を閉じていたことにも気づかないくらい、その手が心地よかった。
ランドは、ゆっくり瞼を開いて何度か瞬きを繰り返すと、ぽつりと、つぶやきにも似た声を洩らした。
「なぜ――俺に名前など…。ご自分が何をしたか、お分かりですか…?」
エンジュの手がふと止んだ。
少しくたびれて見える茶色い目が、ゆっくりとエンジュに視線を定める。
その目は、いつものように照れて逸らすこともない。言葉にはしないものの、瞳の奥に、わずかに咎めるような色があった。
「…それはもちろん。あなたが私にとって、特別な人だからでしょう。それ以外に名を明かす理由がありますか?」
あっさりとエンジュは答える。あまりにもこともなげに言うエンジュに、ランドは戸惑いを隠せない。
「嫌ですね。きちんとお答えしたのに信じられませんか? これまでにも私の気持ちは、お伝えしていたかと思っていたのですが…。思った以上に、あなたの鈍さは筋金入りなのですね」
ふむと首を捻ると、エンジュは一人語りをするようにつぶやいた。
「では」と短く言葉を区切ったエンジュの顔が、みるみる笑顔になる。
「言葉で伝わらないのなら――態度で示せば分かるのか、試してみましょうか?」
「試す…?」
読んでいただき、ありがとうございます。
次話は3日後、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




