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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
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日録27 伸ばしたこの手が触れる距離に君はいる?

「ここが鹿の村(ルー)です。名前に“鹿(しか)”という言葉を持ちますが、鹿のいる村という意味ではありません。実はこの里では、(ふもと)という字と、鹿(しか)という字は、どちらも〈ルー〉と読みます。なので鹿の村(ルー)は、実は“ふもとの村”という意味なのです」



 いつになく流れるように、形のよい唇から言葉があふれ出す。エンジュもまた気分が高揚しているのだろう。


 山間部を吹き抜ける爽やかな風が、ランドの頬を撫でていく。目の前にあるのは、山肌に連なる何枚もの棚田だ。


 大小さまざまな棚田は、滑らかな弧を描き、時に曲がりくねりながら幾重にも折り重なる。


「棚田では雨季には米を、乾季には麦やトウモロコシを育てます――美しさは必要ありませんが、この景色は見事なものでしょう?」


 色づき始めた稲穂が風にそよぐと、辺り一面、波打ったようになる。ランドが洩らした感嘆の溜め息もまた、風に運ばれて行く。


「…時間が許すなら、夕焼けの時間に、この風景を見て欲しかったのですが…」


 呆けるランドに、残念そうなエンジュの視線が向けられた。ランドはそんなことはないと首を振って返す。


「十分、美しい眺めです。エンジュ様」


 茜色に身を染める夕刻はさぞ美しいだろう。


 だが目の前に広がる景観は、きっといつだって美しいことに変わりはない。


 朝霧に包まれる早朝も、青空に映える――今この瞬間も。


 ランドはまだ見ぬ風景に思いを馳せながら、再び前方に視線を戻す。

 

 山の斜面には人が住んでいると思われる家屋が立ち並び、そこに縫うように走る用水路や道、さらに祠なども顔をのぞかせる。


 長閑でゆっくりした時間の流れを感じさせる、里山の風景。その景色は、かつてあちらでランドが見たものとよく似ていた。


 ほとんどの家には水車があり、静かな棚田に寄り添うように、からからという木の音を響かせている。


 ランドが住んでいた里も、同じように山野に囲まれた里だった。改めて見ると、否が応でもあちらを思い出す。


 人が住む痕跡を端々から感じて、ランドはそれだけで胸がいっぱいになる。


「さあ――参りましょうか。時間は有限ですから」




 棚田の中を薪を背負って歩く村人。

 水の入った水瓶(みずがめ)を籠に入れ、背負い紐を器用に頭に引っかけて歩く娘たち。


 道中でランドは、多くの村人と出会った。


 水牛の村(シュイニィゥ)では、牛舎で水牛の世話をする老爺や、水牛の飼い葉を刈りに行く村人を多く見かけた。


 この周辺は急斜面が多く、農地には不向きなのだと、ランドは後からエンジュに教わった。


 水場で、重い籠を降ろして、順番待ちの合間にのんびり立ち話をする女たち。やんちゃ坊主が軽い足取りで、薪を集めに斜面を駆け下りて行く。


 軒先で山羊の乳を絞るのは、子を背負った母親。リズムよく上下する手の先で、白い乳が勢いよく器を満たしていく。


 おこぼれにあずかろうと、野良猫がその回りをうろつき、それを追っ払おうと飼い犬が吠える。


 曳き手を務めるランドに、笑顔で土地の言葉で声をかけてくる老婆がいれば、軒下で一服しながら、そっと見守るだけの老爺もいた。


 刈り取られて、庭に積み上げられた菜種の山。それを足踏みして脱穀する女子供の声は、とてもにぎやかだ。自然とランドの口元が綻んだ。


 他愛ない日常を送る村人たちの横を、ランドたちはゆっくり通り過ぎてゆく。


 村人たちは皆、ターキンに揺られるエンジュを見ると、笑って手を振り、姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれた。


 村と村とをつなぐ旧道に出たところで、立ち枯れた枝を切って燃やしている村人もいた。白い煙が、木漏れ日に煌めきながら立ち昇る。


 煙を追って空を見上げれば、天から降り注ぐ光は、すでに午後の柔らかい日差しへと移ろい始めていた。


 村の後ろに屏風のようにそびえる神々しい連山を、畏敬の念をもってランドは見上げる。


 時々ターキンに水を飲ませる以外、二人の足が止まることはなかった。


 二人が最後の村(ディンシャン)に入る頃、天高くにあった太陽は、もう西の空に傾き始めていた。


 頂きの村(ディンシャン)の北端には小高い丘がある。今回の旅路の終着点に、エンジュはその丘を選んだ。


 頂きを目指して、尾根に沿って造られた石段をひたすら登っていく。上りはかなりきつい。さすがのランドも汗が噴き出すのが分かった。 


 最後の坂道を登り切れば頂上だ。

 ふぅと長いひと息を吐いて顔を上げると、一直線に続く雪山と、延々と広がる平野が視界に飛び込んでくる。


 背後を振り返れば、上がってきた道がよく見えた。村一帯が棚田になっているのがひと目で見渡せる。

 

 (ララ)湖を見下ろすと、夕陽を映して黄金色に輝いている。


 二人の眼下で、傾き始めた太陽が、湖面を赤く染めながらゆっくりと山の向こうに沈んでいく。




 暮れ残った空を、雁の一群が渡っていく。頭上でホッと安堵する声を聞いて、ランドが馬上のエンジュを仰ぎ見た。


「一日ずっと騎乗されて、さぞお疲れでしょう」


 ランドは両手を差し出して、そっとターキンの背からエンジュを下ろした。その体が、驚くほど軽い。


 透き通るほど白い顔は、今は心持ち青く見える。ランドは薄い背に手を添えて、体を支えるようにしながら心の内で舌打ちをする。


 誰もが自分のように体力があるわけではない。

 ましてやエンジュは、これほどにか細い体をしているというのに。


 もっと休みを取るべきだったと、今さら後悔してももう遅い。どうしていつも自分はこう気が回らないのだろうと、ランドは己の鈍さに唇を噛んだ。


「…嫌ですね。そんな顔をしなくても私は大丈夫ですよ。陽があるうちにここに着きたかったので、間に合って本当に良かった」


 そう言うと、ランドを気遣うように笑う。


「村は…あなたの目には――どのように、映りましたか…?」

「いずれも、よい村ばかりでした。どの村も、穏やかで平和だと感じました」


 誰もかれも、とりたてて裕福には見えなかった。だが日々の暮らしは慎ましくとも、誰一人として飢えに苦しんでいる様子もない。


 またどの村も、怪我や流行り病、争いごとにも無縁のように思われた。少し考えて、「ですが」とランドが続けると、問うようにエンジュがランドを見る。


「たいしたことではないのですが…意外に思ったことはありました」

「なるほど。それはなんでしょうか?」

「はい。村の民が、髪色も肌の色もさまざまだったこと、です。しかもあなたと同じ髪色、同じ色の瞳を持つ者は一人もいなかった」


 その上、見た目もごくごく平凡な者ばかりだ。邸宅の顔ぶれを見慣れていたランドにとって、さぞやキラキラしい人々が住まう土地だと思っていた。――ランドの勝手な想像だ。


 だがエンジュと同じ色を持つ者が、五つの村の中にただの一人もいないとは思わなかった。

 

(別に悪いことを言ったわけではないはずだが――)


 自分の鈍さに多少の自覚があるランドは、探るように、そっとエンジュを垣間見る。


 エンジュの目が、頑是ない子供を見るように、柔らかいものになる。


「それは民が皆、この土地の生まれではないからです」


 それでは全員が生まれ故郷を離れて、ここに移り住んだということになる。それとも自分たちのように、気がついたら、この里にたどり着いていたのかもしれない。


 ここは半神が統べる隠れ里。

 だから不思議なことがあったとしてもおかしくない。

 思案するランドに、エンジュがひっそりと言った。


「ここは――悲しい里です」


 エンジュは背後を振り返ると、じっと村を見下ろす。


 その横顔はいつもと変わりなく美しいのに、どことなく作りものめいて温度を感じられなかった。


「悲しい…?」


 道々で出会った村人は皆、穏やかで幸せそうだったので、ランドにはその言葉が眼下にある村とすぐに結びつかなかった。


 それはどういう意味だろうか。

 目線でエンジュの横顔に問いかけると、その視線に気づいたエンジュが、薄く笑いながらランドを見る。


「この里は、奪われた者たちだけが入ることを許された場所なのです」


 親を奪われた子供。あるいは他ならぬ親に売られて、体を失った者。


 理不尽な目に遭い、死にかけた者。家族を失った者。戦で生きる場所も生きる目的も失くした者。


「――そうしてそれぞれ何かを失い、絶望した者たちがここで残りの人生を過ごすのです…」


 この里ではなぜか寿命が二倍に延びるのだと、エンジュはさらりと言った。


 残り三日の命の者は六日、一年であれば二年…そんなふうに。


 そして残された時を全うすると、ひっそりとその存在が消える――まるで水面に浮かぶ(あぶく)が、弾けてすぐに消えてなくなるように。


 その消え方は、死を悼む者たちに亡き骸一つ残さない。最初からいなかったように、跡形もなく消え失せるのだという。


 これにはランドも思わず、息を呑んだ。そんな不思議な事があるのだろうか。にわかには信じられないが、これはれっきとした事実なのだ。


 エンジュはさらに続ける。


 そして、去った者と同様に、奪われた者がまたどこからともなくこの里にたどり着き、ひと時の仮住まいを得る。


 古くから、この里は去るものと流れ着く者とで、在り続けてきたのだと。


「…新しい命をはぐくむわけでもない。この里には、命を繋いでいけるものは何もないのです。死に往く者がひと時腰を落ち着ける場所…だから、私にとってここは慈しむ場所でありながら、同時に哀れに思うのです」


 淡々とした言い方がかえって身につまされる。


 気がつけば、手からこぼれ落ちるように、誰も彼もがいなくなってしまう。


 せめて世代に渡り続いていけば、そこに懐かしい面影を見ることもあるだろう。


 だが、ここにはそれもない。美しい里長に出来ることはそれをただ見ることだけ――もう長い間ずっと。


 それを思うと、やるせない気持ちになる。


 ランドは眉根を強く寄せ、唇を引き結ぶ。慰めの言葉ひとつ、かけることも出来ない自分が不甲斐ない。


「まれに…生きる力を取り戻す者もいるのですよ」


 エンジュは、苦笑まじりに風になぶられる髪をかきあげる。


「ですが、そういう者は、この里に住み着かず、苦しむとわかっていても、人の世に戻って行ってしまうのです」


 伏し目がちな笑顔がどこか寂し気に見えた。


「奪われた者が…住まう里」


 ランドは呟く。では自分たちも? 声にしなかったのに、エンジュは察して頷いた。


「あなたのお連れの方は、心の支えにしていた魂の欠片を奪われたでしょう?」


 リヴィエラの珠飾り。言われて、まざと思い出す。


 男たちの姿、そしてぼろぼろになって泣くフェイバリットの姿を。忘れていた憤りが再び、身の内を焦がす。


 手のひらに食い込むほど強く拳を握り締めるランドの手に、そっと重なる白い手があった。怒りを忘れて、思わずランドは目線を上げた。

 

「なので、何も奪われずにこの里に来たのは、ランド――あなたが初めてなのですよ」

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は来週水曜、更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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