日録25 そうだ デートは、今だ
「えぇ―――やはり、お嫌なのですね……」
見るからに、しょんぼりと肩を落とすエンジュを前に、決まり悪さを誤魔化すように、ランドが咳払いをする。
大人気ない、いやそれよりも不敬な態度だったと自らを振り返る。
どう言おうか、まずは謝罪をすべきかと躊躇っていると、エンジュが俯いた顔をするりと上げた。
「ただ、あなたと同じものを一緒に見て、同じように感じたい。もし違っていたとしても――あなたがその時感じたことを、そばで一番最初に知りたい。ただ…それだけ。多くは望みません…それでも?」
少し潤んだ瞳。男心をくすぐる健気な科白。
比類なき美貌があらゆる手管を使って、ランドに止めを刺しにくる。
「………っ」
「…それでも、いけませんか…?」
この手のことに免疫のないランドに抗う術もない。
「……。俺が牽引するのでしたら…」
気づくと、そういうことになっていた――後の祭りというやつである。
ただ、ランドもただ流されるばかりではなかった。
“同じものを一緒に見て、同じように感じたい”というエンジュの科白を逆手に取り、ならば逢瀬は『会話をしながら歩くこと』ですねと、火の粉を最小限に食い止めたからだ。
実際その程度であれば散歩も同然。これまで通りランドが先頭に立ち、引き綱を持つのも変わらない。
見方を変えれば、ただランドから“従者”という立場を取り上げたというだけの話。そこに男女の色艶めいたものはない。
これなら嫉妬深い護衛にも申し開きが立ちそうだと、ランドはひそかに安堵の息を洩らした。
チャグチャグカッポカッポという音を響かせて、エンジュを乗せたターキンはひたすら歩く。
先ほどと違うのは、エンジュが声をかけると、必ずランドが足を止めて振り返ることだ。
エンジュが指さす先にはいつも美しい景色や珍しい草木があるので、二人そろってそちらに目をやり、少しばかり言葉を交わして、また進む。
ランドにとってそれらは全く苦ではない。むしろ周囲を警戒して、ただ歩くばかりだった道のりが俄然、楽しくなったくらいだ。――ただ一つを除いては。
「ランド」
ひどく弾んだ声がランドを呼ぶ。ランドは顔に出さないよう気をつけながら、内心、(またか)と舌打ちをする。
見せたいものがある時と、そうでない時にかけられる声の違いが分かるようになった。
ちなみに、そうでない時の方がよく声がかかる。
けして振り返ることが面倒でも嫌なのでもない――だが。自ずとランドの眉間に皺が寄り、小さな吐息が洩れた。
ランドは肩越しに、馬上のエンジュを一瞥する。目が合うと、エンジュがにこりと微笑む。
ほら早くとばかりに小首を傾げるエンジュに促されて、ランドもまたぎこちなく微笑み返した。
目が合うと、微笑みを交わす。――これは逢瀬する二人に必須ですと、後から追加された。
もちろんランドはそれは本当に必要なことかと抗ったが、そうだと言われてしまえば頷かざるを得ない。
目が合う度に恥ずかしさを押し殺し、笑顔を浮かべる。これをもう何度繰り返しただろう。
エンジュから特に方向を示されない時は、それ以上足を止める必要もない。これまでの道行きで二人の間で自然に出来あがった、暗黙の了解だ。
再び前を向き歩き始めたランドは、内にこもった熱を吐き出すように、深い息をは――と長々と吐き出した。
「俺の表情筋…そろそろ限界を迎えそうです」
ついつい恨みがしい声が出てしまう。しっかり聞こえたらしいエンジュは、鈴を転がすような美しい声で楽し気に笑う。
「おや、あなたが弱音を口にするなんて珍しい。それよりも、いつまでたっても慣れませんね」
「慣れる日が来るとは到底、思えません。俺の笑顔など、お目汚しでしょう」
「いいえ。まるで、初心な娘のような恥じらいぶりに、胸が高鳴ります。あまりにも愛らしくて…今ならどんなお強請りでも聞いてしまいそうですよ?」
ピクリと、ランドの肩が揺れた。ついでに心も揺らぐのが分かった。
出発前にソジから言われた「可愛くお願いするんやで」という言葉がよみがえる。
話してみようか、いやでもと、つかのま心の中でせめぎ合う。
ここにソジがいたら、四の五の言ってる場合かと、子犬が威嚇するがごとく、小うるさい檄が飛んできそうだ。
「そろそろ村に入ります。もし――話したいことがあるのなら、今のうちですよ…?」
目を落として黙り込んだランドの背中に、誘いかけるようにエンジュが言った。たまらず、ランドは立ち止まる。
そろりと振り返り、探るように見上げるランドの視線をなんなく受け止め、エンジュが一層、笑みを深める。
「―――お願いごと、あるのでしょう?」
「……え」
ランドの驚いた顔を見て、いよいよ可笑しいとばかりにエンジュの瞳が細くなる。
その顔に浮かぶ、いたずらっぽい眼差しに、ランドの疑惑が確信へと変わるまでそう時間はかからなかった。
思い当たることは一つ――その時、ランドの脳裡に黒髪の愛らしい少年の顔が浮かんだ。
ソジ―――まさか謀られた…?
言葉を失くして呆然とするランドを前に、こらえきれずにエンジュが小さく吹き出した。おさまりきらない笑いを手で隠すようにしながら、エンジュは頷く。
「ふ―――ふふ。ご推察通り…ソジから条件つきで、とある話を持ちかけられました」
「ソジは…なんと?」
震えそうになる拳を、ぎゅっと握り込む。
「あなたの師として、里にしばらく自分を留まらせて欲しいと」
その瞬間、ガンと頭を打ちつけられたかと思うほどの衝撃を覚えた。
あの狡猾な末っ子は、はなからランドなどあてにしていなかった。それどころか、まんまと利用した――己の望みを確実に叶えるために。
「なるほど…その話を受けられたのですね」
平静を装うも、きつく噛みしめた歯がぎりっと音を立てるのを止められない。
そんなことに気づいているだろうに。エンジュは素知らぬ振りで、ランドの言葉に頷いた。
「ちなみに――その代わりに彼は何を差し出すと言ったのか、お聞きしても…?」
「あなたの可愛い姿を存分に見せてやると」
その時の気持ちをどう表現したらいいのか。
「――――――あんの、くそっガキ…っ」
まんまと、してやられた。
食いしばった歯の隙間から、ぽろりと声が洩れる。
紛れもないランドの本音だった。
つまりソジは、共謀と見せかけてランドを売ったのだ。エンジュに頼み込んでこいと送り出したのも、実は彼の策のうちだったのかもしれない。
ランドが上手く立ち回れないことなど、ソジにはとっくにお見通しだった。それどころか、ちゃっかりランドを餌にして、裏では自らエンジュと取り引きをした。
きっと、それが早いと踏んだに違いない。それについてはぐうの音も出ないほど正しいと、不本意ながらランドも認めざるを得ない。
全てソジの思惑通り。結果だけ見ればこれで良かったのだろう――だがしかし。
「おかげでいいものを見られました」
そう言ったエンジュは、これまでのことに思いを馳せているのか、うっとりと目を閉じる。
その途端、今日一日の出来事が一度に思い出されて、ランドの胸中に何とも言えない感情がどっと押し寄せた。
思い出したくもない。事の発端は、ソジの可愛い素振りを真似して見事に外した、あの忌々しい失態――いや生き恥もいいところだ。
思えばあれがケチのつき始めだった。初手の動揺が大き過ぎて、その後は総崩れと言っていい。
あれもソジの策だとしたら、たいしたものだと思う。
立て直すことも出来ず、些細なことにもぶんぶん振り回され、拙い姿を何度晒したことだろう。
あれもこれも――思い返せば死ぬほど恥ずかしい。
―――上手くいったからええやん
小憎らしいほど余裕たっぷりな笑みをたたえて、きっとあの少年はそう言うに違いない。
こみあげた怒りを飲み下せず、「くそう」とランドは小さく吐き捨てた。
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次話は一週間後の水曜に、更新予定です。
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