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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
87/132

日録21 四方山話に花が咲く

お待たせしました。

今回、長めの一話になりますm(__)m

「―――あ~…ええ匂い…」


 可愛らしい黒猫にはおよそ似合わない、こてこての異国訛りの科白がその口から飛び出した。


 瞬間、ランドの頭の中が真っ白になった。

 まじまじと見下ろして、すぐに相手が誰なのか分かった――“ソジ”。


『当分はまともに体が動かねえだろうよ』

『ソジがここに来んのはちと厳しいと思うぞ』


 ぅわんっと、頭の中に、今しがた聞いたチャンジの言葉がこだまする。


 無意識のうちに、先ほどくぐった扉をランドは見た。


 ――侵入者除けの結界があったんじゃなかったか?


 人はありえないものを目の当たりにすると、混乱するあまり、頭の中にある知識から情報を得ようとするものらしい。


「寝るつもり、なかったんやけどなぁ――…あぁ~よお寝たわ…」


 くわぁっと顔の半分が口に見えるほど、大きな欠伸をした後で、とろんとした起き抜けの声が言った。


 自分は彼を――そう、ソジを探していた。会うのは無理だとチャンジに言われて、つい今しがた途方に暮れていたところだ。喜ばしいはず――なのに。


「な・な・な……っ」


 わなわなと体を震わせて、出てくる言葉は、意味のないものばかり。


(当分は、体が動かないんじゃなかったのか?!)

(ぴんぴんしてるじゃないか!)

(どうやって結界を越えた?!)


 思考がいたずらに空転する。


 混乱の中、ランドの脳裡に、先ほど目にした娘の顔にぴったりと頬を寄せる黒猫の姿が、唐突に浮かんだ。蕩けそうな顔まで、ありありと再現される。


 ―――あんなの、近すぎるだろ。


 気がつくと、小さな舌打ちが口から出ていた。


 夜露の冷たさを(しの)ぐため、フェイバリットと何度も身を寄せ合って夜を過ごした。そのランドですら、あれほど顔を密着させたことなどないと言うのに。


 ランドの胸に何かがモヤリと込み上げる。


 ――いや、そうじゃない。自分には彼に聞きたいことが山ほどあるはずだ。


 我に返って首をひと振りする。頭に上った血がゆっくりと下りてきて、ようやく視界が澄み渡った――途端。


「なんやぁ――目ぇ、シロクロさせて…二日ぶりやな」


 視界の中の黒猫がこちらに顔を向け、その目がにんまりと笑った。もちろん、ずっと前からこちらに気づいていたのだろう。驚く素振りもない。


「! ――なんでここにいるんだ」


 やっと言葉を吐き出せた。


「そんなん、好きな()と一緒にいたいからに決まってるやん」


 恥ずかしげもなくシレッと返して、黒猫は唇――もといひげ袋を引き上げる。


 かと思うと潮が引くように笑みが失せ、ふうと大きな溜め息が口から洩れる。


「――と言いたいところやけど“動物介在療法(アニマルセラピー)”の真っ最中や」

「“動物介在療法(アニマルセラピー)?」

「知らんのか? 動物と触れ合うことで、心の健康を回復させる癒し術――れっきとした治療法やで」


 ランドの疑わしげな視線を見るや、ソジがきっと目を尖らせる。


 「下心からやないぞ!」と噛みつくように言うと、獣は再びフェイバリットの顔のそばにドサリと横たわる。


 先ほどまで子猫だった姿が、いつの間にやら成猫それも結構な大型猫になっていた。


 淡い緑の虹彩が、静かに娘の寝顔をのぞき込む。


「…こないだ見た時分かったんや。この()の心、傷いってもうてるやんか」


 抑えた声には、やり切れなさが(にじ)んでいた。動物介在療法(アニマルセラピー)がいかほどのものか、ランドには分からない。


 ただソジの真摯な眼差しを見ると、それ以上声をかけるのも気が引けて、ランドは黙るしかなかった。


「よしよし。俺がついとる。きっちり治したるからな…安心し」


 その時。あろうことかランドの眼前で、娘の顔を至近距離からのぞき込む黒猫の頭が動いた。


 あっと思う暇もない。首を伸ばすように顔を突き出した猫に、ランドが絶句した。


「ちょ――待て! ソジ、口は駄目だ……っつ!!」

「………は?」


 ぴたりと動きを止めた黒猫が顔を上げた。その顔が信じられないと目を見開き、ランドを凝視する。数秒後、ぶわりと全身の毛という毛が逆立った。


「はあああああ?! おまっ…俺がチューするとでも思てんのか――?!」


 ランドに負けんばかりの大声が室内に響き渡る。羞恥のあまりか、ソジの体がぷるぷると小刻みに震える。その動揺っぷりにかえってランドの頭が冷えたほど。


「ええと、違うのか…?」

「阿保抜かせ! 鼻と鼻をコツンとこう…軽くこすり合わせただけや!」


 それも(れっき)とした「鼻キス」ではないかとランドの目が胡乱(うろん)なものになる。その目を見て、ソジがぎりっと歯を噛みしめた。


「――。これは異国の挨拶や! 自分の命の息吹を相手に分け与える――ともかく、必ず治したるっちゅう約束の証で、いかがわしいもんやないっ。――それに俺が同意もなく、そんな破廉恥なことするわけないやろっつ!!」


 そんなこと知ろうはずもない。至極当たり前のことだが、今そんなことを言えば、火に油を注ぐだけだ。


 黙って言葉を飲み込み、平身低頭、ひたすら詫びたランドの判断は賢明と言っていいだろう。


 それが功を奏したのか、いくぶん落ち着いた声でソジがボヤくように言った。


「……ったく誤解も甚だしいわ。俺の『初めて』を絶賛大公開とか、なんの罰遊戯(げえむ)やっちゅうねん。それに俺は…身持ちが固いんや。誰とでも()()()()したりせえへん。一生コイツだけって思た女とだけするって心に決めとる。俺の唇は安うないんやで。でもってこういう…ひ、秘め事は、ふ・二人っきりでするもんなんやろ。――お前は違うんか?」


 いつものソジとはうって変わり、微妙にたどたどしく言って、ちらりとランドを見上げる。これまでの威勢のよさはどこへやら、もじもじとはにかむソジは、初めて見る可愛さだ。


「いや――俺は…」

「なんや? お前は違うんか? その若さで、もう経験あんのか? お前、そんなマジメそうな顔して実は女たらしなんか?」


 ぴょこんとソジの耳が立った。瞳がまん丸になる。勢いよく話し始めたソジを見て、ランドは焦る。このまま一人で喋らせておくと、とんでもなく話に尾ひれがつきそうだ。――それは困る。


「い、いやそうじゃない。俺も経験はない! それに相手が誰でもいいわけじゃない――するなら、好いた女性(ひと)だけだ」


 思わず大声で言い切った後で、ランドははっと我に返る。見舞いに訪れた部屋で、子供相手に自分は何を熱弁しているのだろう。


 いや、相手は生まれて百年以上経つと言っていたはず。なら立派な成人男性か。いや、しかし――。


(男二人が個室で恋バナとか…そっちのが微妙すぎるだろう)


 ソジと話していると、たびたび脱線してしまう。彼と会ってしたかったのはこんな()話ではないのに。


 これでは本末転倒もいいところだ。

 仕切り直さねばと、ランドは今一度、決意を新たにした。



 ◆



 深呼吸一つ。ランドは改めて、目の前の黒猫に向き直る。


 ソジの――黒猫の体は、今も娘の顔のすぐ近くに(はべ)り、寄り添ったまま。


 時折思い出したように、スリスリと頭を娘の顔にすりつける――まるで自分の匂いを擦りこむように。


 たかが猫、たかが七歳の子供のすることだ。本来なら微笑ましいくらいのはず――なのに。


 娘にすり寄る相手に、はっきりと下心があると知っているだけで、こうも違って見えるものなのか。


 近すぎるソジを、ランドはなんとも言えない気分で、じっとりと見る。


「なんや? 言いたいことあるなら、はよ言えや」


 ランドのもの言いたげな視線に、ソジの方から声をかけてきた。その声が笑いを含んでいる。


「驚いてたんだ。よくこの部屋に入れたなって」

「言うたやろ。俺に入り込めんとこなんて、この世にないて。こんな仕掛け、造作もないわ…と言いたいとこやけど、二日かかってもうた。さすがに次の日は体がえろうて、丸々一日動けんかったからな」


 「言い訳やないからな」とひと言添えて、ソジはこともなげに言う。その言葉を聞いてランドは、ふとチャンジの話を思い出した。


 聞いてしまえば、急にソジの体が気になってしまう。思わず、ぽろりと心配ごとが口をついて出た。


「体は、大丈夫なのか…?」


 ランドの言葉に、一瞬ソジの目が驚いたようにまん丸になり、その後、しばらく黙り込む。その反応を見て、全く何もなかったわけでもなさそうだとランドは推察する。


「チャンジからも仕置きの後は、当分まともに体が動かないだろうと聞いた。それほど酷い目に遭わされたのか…?」


 ランドの中のオムジは静かで、穏やかな人物だ。肩の上で足をバタつかせるソジを慈しむように、わずかに(ほころ)んだ優しい目を思い出す。


 中身は別として、見た目七歳ほどにしか見えない子供相手に、丸一日、足腰が立たなくなるほど、ひどい体罰を与えるようには、とうてい見えなかった。


 深く俯いたソジは、言いにくそうに何度も唇を噛む。やがて最後に、ポツリと。


「あ――…。……。…尻叩きや」

「…ん?」

「尻叩きや――ただの尻叩き!」


 顔を上げると、恥ずかしさを誤魔化すように、ソジはわざと大声を出す。


「あ――うん。そう…か」


 『尻叩き』。文字通り、お尻を叩くことである。人間の尻は体の中で一番脂肪が厚いので、子供を躾けるのに怪我をさせにくい。別名――お尻ペンペン。


 目の前の黒猫は、苦々しく顔をしかめると、とつとつとその先を続けた。


「――そやからお前に心配されるようなことは別にない。やけどアイツの手のひら、めっちゃぶ厚いからな。そんなんでやられてみ。本気(まじ)でしばらく椅子に座られへんくらい尻が腫れ上がるんやぞ。丸一日動かれへんかったのは盛ってない――ホンマの話や」


 それでも子供相手だ。きっと手心は加えられていただろう。さすがに、面と向かって水を差すことは出来ないので、ランドはただ神妙に頷いて返す。


 ソジはそこまで一気に話したところで、喉元まで出かかったものをぐっと飲み込んだ。


「ソジ…?」

「――。尻の痛みは、どうでもええ。俺が一番嫌なんは――尻丸出しにされることや」


 尻叩きをする際、子供のお尻が裸にされることはままある。

 

 よくある理由は二つ。

 一つは、どれだけ皮膚が赤みを帯びたか目視で分かりやすいから――やり過ぎずに済む。


 それと素肌を叩いた方が痛みがより伝わるので、もう一つの理由は単純に罰として、だ。


「俺は小さい子供やないのに…っ。問答無用で尻を剥き出しにされるなんて、ホンマに屈辱。毎回、俺の心はバッキバキに折られるねん。心に負った傷は相当な深手やで」


 ソジの場合、さらに三つ目の理由かもしれない。すなわち、羞恥を与えるため。


 なぜなら、このヤンチャな少年にはその方が断然、効果的だから。だからこそ、それを知る寡黙な長兄は、尻叩きをするのだろう。


「ここに来たことがオムジにバレたら、また叱られないか?」


 叱られて、また尻が腫れ上がるような目に遭わないか、ランドにはそれが気がかりだった。それに対して、ソジは余裕綽々とばかりに鼻で笑う。


「大丈夫や。オムジは阿保やない。そう何度もお仕置きはせえへん…ちゅうか出来ひん。そうそう俺をポンコツにするわけにいかんからな」


 ――優秀な里の隠密が、使い物にならんようになったら困るからな。


 囁くように言うと、すうっと猫の目が糸のように細くなる。声は昏く、楽し気ですらあった。


 先ほどまでの快活さは鳴りを潜め、まるで別人のような変わりように、ランドは思わず息を呑む。


 紛れもなく、この少年もまた他の兄弟と同じ血を引く者なのだと、嫌と言うほど思い知らされる。


「かと言って、それはオムジも承知のすけ。俺をここに来させんように、次の手を打ってくるのは目に見えとる。そしたらこっちはそれより先に動くだけや――ランド、お前、俺に聞きたいことがあるんやろ?」


 ランドがわずかに目を瞠る。それを返答とばかりに、黒猫がうっそりと笑う。

 

「無駄話はこのくらいで終いや――取り引きの話をしようやないか」

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は来週水曜に、更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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