表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
84/132

日録18 恋はするものじゃなく落ちるもの

「俺――(ふらぐ)が立ってもうたわ」


 そう言ってのけたソジを何とも言えない顔で見つめるのは、ヤクジ、ランドの二人だ。ヤクジに至っては言葉を失っている。


「…ふ・ふらぐ…が立つ?」


 内心、身構えていたランドは、思ってもみなかった言葉に、ものの見事に肩透かしを食らった。呆然と繰り返しながらも言葉は頭にちっとも入ってこない。


 ソジの話す内容はほぼ分からないが、どうやら深刻なものではないと、それだけは薄っすらと分かる。


 ちらりと横目でヤクジの顔を見れば、いつもと変わりなく静かで穏やかで――いや、静かすぎるほどだ。


 厚い目鑑(めがね)の向こうの瞳は、今はどのような眼差しでソジを見つめているのだろう。背筋に冷たいものが走るのを、ランドは止められなかった。


 そんな思惑をよそに、今やこの場は彼の独壇場となりつつあった。


 ぽっと頬を赤く染めると、ソジは眠るフェイバリットに熱のこもった目を向ける。そこから浮かれたように熱く語り始めたのである。


「…っ、想像以上の破壊力。ひとめで俺の(ハート)はイチコロや。くっそ――くっそ可愛すぎやろっ。そやから兄ちゃん、里のみんなには悪いけど、俺の破滅は確定や! 俺は愛に生きる――」


 視界の隅に映るヤクジの握り込んだ拳が、小刻みに震えて見えるのは、きっと見間違えではない。


 漂い始める冷気にどうしてソジは気づかないのか、ランドにはそれが不思議だった。


「何をくだらないことを、いつまで喋り続けるつもりでしょうか……?」

「ん? なんか言ったか、兄ちゃん」


 恋に浮かれてキラキラとした黒い瞳が、キュルンと兄を仰ぎ見る。その顔がぎょっと強張り、ひっと声にならない悲鳴を上げた。


「に・兄ちゃん…? お顔が、変よ…? あれ? なんか急に寒なってきた??」


 遅ればせながら、そのことに気づいたソジが、慌てて周囲に視線をめぐらせる。


 はぁっとヤクジが深い溜め息を吐く。いつからか、その息までも薄っすらと白く色づき始めている。


 ランドは自身を抱き締めるようにして、腕をさすって暖を取る。辺りが急激に冷えつつあった。


「お嬢さんを“希代の悪女”呼ばわりした時から変だと思っていたのです…」

「あ、それな。間違いやったわ。よお考えたら“悪女”やなくて“魔性の女”やわ。悪女は手練手管を駆使して男を骨抜きにするもんな? 得体の知れへん魅力で、男を破滅さすんは魔性の女やもんな。俺は間違いをキチンと受け止められる器のデカイ男やで。うん」


 一人悦に入りながら、ソジは得意げにそう語る。目の前のヤクジが一層冷え込んだ――いよいよ危ないかもしれない。


「バカだバカだと思っていましたが…――やっぱりバカでした」

(言い切った…)

「いや、それ拾うとこないやん…っ!」


 あまりの言われように、さすがのソジも声に怒気を孕ませた――次の瞬間。


「東方かぶれで、奇妙な喋り方をするのはまぁご愛嬌。舌が回り過ぎるのも玉に瑕ですが、里一番の知恵者だし思慮分別くらいはあるはず――そう思って見逃していた僕が馬鹿でした」


 氷のように凍てついた声によって、ソジがあらわにした腹立ちが一瞬にして吹き飛んだ。


「に・兄ちゃん…いやお兄様…?」

「真面目にお役目に励んでいるかと思ったら…あなた、外で何を仕入れてきているんです? (フラグ)が立つ? 愛に生きると言いましたか? そんな世迷いごとをどこで覚えたんです」

「ええと、それは――その――情報収集の一環(いっかん)で…ネタの出処(でどころ)は極秘っちうか」

「お吐きなさい」


 ソジに向かって、すうっとヤクジが腕を突き出した。ギクリとソジがあからさまにうろたえる。


「くく――草双紙(くさぞうし)。読み物や。庶民の間では大流行りなんや…それも立派な情報源やねんで…? す・少なくとも俺はマジメな気持ちで読んどる」


 さすがに後がないと思ったのか、ソジは額に汗を浮かべて、必死に言葉を尽くす。


 きりりっと顔を引き締めると甘さがなくなり、少年の顔が年より大人びて見える。


 真偽を見極めようと、ヤクジが少年の顔に瞳を凝らすも、やがて無言で突き出した腕をそっと下げた。


「なるほど――ソジ、誤解があるようですが、僕は書物を読むことに反対しているわけではありませんよ。僕も読みますからね。知識を偏らせ、狭い世界だけで物事を判断することは治癒師としても良いことではありません」

「あ、なんや。そうやの」

「ええ。地本(じほん)の中では、僕は黒本など好んでよく読みますよ」

「ああ。歴史のお話はヤク兄、好きそうやもんな」


 一転、ほのぼのとした空気が漂い始める。だからソジがうっかり気を抜いたのも無理からぬことである。


 極めて何気なく、ヤクジはその質問を口にした。


「で、ソジが好きなのは?」

「あ、俺? 俺はそら人情本に決まって――」


 人情本。地本の中では、主に男女の情愛を描いた読み物である。つるりと口を滑らせて、ソジはハッと口を押さえたが時すでに遅し。吐いた言葉は二度と戻らない。


 「語るに落ちましたね」とほくそ笑むヤクジに、「きたなっ」とソジは吐き捨てる――いよいよ追い込まれた。


 動きかけたソジの前に、いつの間にかヤクジの腕が突き出されている。


()()にはまだ早いと、あれほど言って聞かせたはずですが。他にも色々やらかしていますし、今日と言う今日はさすがに、お仕置きは(まぬが)れませんよ」

「生まれて百年以上、経っとる。俺はもう子供やない!」


 今度はランドがぎょっとする番だ。勢いよくソジに顔を向けると、その姿に釘づけになる。


「動いてはいけませんよ。大人しくお仕置きを受けるか、ひっ捕らえられてからお仕置きを受けるか、どちらか選びなさい」


 つまりお仕置きを受ける一択だ。苦々しく顔を歪めながら、ソジはグッと唇を強く噛み締める。


 諦めて、深く項垂れた――かと思いきや。


 「どっちも嫌や!」咆えるように言って、さりげなく握り込んだ拳をヤクジに向かって突き出した。


「ソジ!」


 その手が開かれた時、隣にいたランドは、ソジの手のひらに光を放って浮かび上がる紋様を見た。


 ソジは高らかに言い放つ。


「…一流の隠密は、常に最後に一回、打つ手を残してるもんや――“隠形(インシン)!”」


 術が放たれた途端、ソジの体がまるで砂が崩れるように、一気に形を失った。ほぼ同時に。


「“無効(ウーシァォ)”!」


 朗々と、ヤクジの口から呪が放たれる。


「甘い!――僕があなたの兄を何年やっていると思うのです。こうなることを、僕が見越していなかったと思うのですか?」


 その時、ヤクジの目が肩越しに、一瞬こちらに向けられたことにランドは気づいてしまった。


 厚い玻璃(ガラス)に阻まれたその目は、常に隠されて見えないはず。――なのに、今その目が(出来ますよね?)と語りかけるのを、その時はっきりとランドは見た。


 ランドは小さく苦笑した。一度、砂になったソジの体は術によって効果を打ち消され、少年の姿を取り戻しつつある。


 その顔は怒りをみなぎらせ、ひどく険しいものになる。その姿を見ながら、ここで助太刀すれば、さらにあの子供の怒りを煽るだろうとランドは思う。


 とは言え、ここで断る選択はランドには許されない。ひっそりと発動の呪を口にする。幸い、(ソジ)の中では、ランドは相手とみなす頭数にも入っていないようだ。


「くっ…そおおおお! こっちは穏便に逃げたろ思たのに…っ。ヤク兄、ちょっと痛い目見るけど、自業自得やからなぁ!!―――“爆裂(バオリィェ)”」

「くっ…【(バオ)】だけではなく【(リィェ)】まで付加するとは…“円蓋(イェンガイ)”――“範囲(ファントン)”!」


 熱で揺らぐ部屋の中、ヴンッと音を立てて、フェイバリット、ランドそしてヤクジ自身を丸い空気の壁が覆い包む。


 今や、ソジを中心に、膨らみ切った空気が弾けるかと思った――その時。


「――iteki(イテキ) moymoyke(モイモイケ)!(決して動くな)」

「くうぅっ…! ま、また………っ」


 ランドの放つ呪が、間一髪間に合った。

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は3日後、更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ