日録13 黄金色の侵入者
「もしよろしければ、一緒に行きませんか?」
ヤクジの申し出はランドにとって、ありがたい以外の何ものでもない。一も二もなく頷いた。
人差し指、中指、薬指…。
ヤクジと連れ立って歩きながら、ランドは自身の手――その指を順番にじっと眺めた。
その様子に、何か?とでも言うように、ヤクジが不思議そうな顔をする。
「あの――もしかして、あと親指と小指、それもそれぞれ二人ずついらっしゃいますか?」
「おや、ご明察。彼らのことをご存知だったのですか?」
ランドは首を振る。もしやと思って言ってみただけ――ただの推察だ。
「親指は一番上の兄。小指は末の弟たちです」
「では全部で十人兄弟なのですね」
「いえ…今は九人です。親指は一人しかおりません」
ヤクジはそう言うと、黙って唇を笑んだ形に吊り上げる。目鑑の奥にのぞくその眼差しが、どこか寂しげに見えるのは、きっと気のせいではない。
なぜ親指だけ一人なのか。今はと強調された言葉の裏に、ランドは気づいてしまった。
きっと、昔は親指も二人いたのだろう。つまり、親指の片割れはなんらかの理由で失われたのだと、ランドは察した。
ランドが察したことを感じ取り、ヤクジは少し明るい声で気まずい沈黙を破った。
「参りましたね。あなたは思いのほか察しがいいようです」
ヤクジは誤魔化すように、目鑑に手をかけた。目鑑に手が伸びるのはこの男の癖なのかもしれない。
「――もう…ずいぶん昔の話です。以来、外から招いた方への警戒は厳しくなりました。もしかしたら、そのせいであなたには居心地の悪い思いをさせているかもしれませんね」
ランドはゆっくりと首を振る。それはけして、居心地が悪くないという首振りではなく、気にしないで欲しいという気持ちからだった。
「…親指と小指については、もしかしたらお客様と会う機会はないかもしれません」
その言葉に、ランドはヤクジの横顔を見る。物問いたげな視線に気がついて、ヤクジが苦笑いを洩らした。
「深い意味はありませんよ。単に役割上の話です。親指はこの里の一番外側を守る大盾。小指は常に世界を渡り歩き、いち早く外の動きを伝える役割を担っております」
つまり間諜ということだろう。
「二人がこの邸内にいることはほぼ皆無ですし、ひと処として、とどまることもありません。ですので、会おうと思っていつでも会えるわけではないのです」
特に全員と会う必要はない。会いたいわけでもない。もし会うことがあるのなら、これからのランドにとって、その出会いが必要不可欠だということだ。
会話がとぎれたところで、ヤクジは足を止めた。ランドを振り返ると、一室の扉を手で示す。
「ちょうど着きましたね。こちらの部屋ですよ」
ヤクジに続き、ランドが部屋に一歩、踏み込んだ。窓際に寝台が一つ。そこに昨日と変わりなく、静かに横たわる娘の姿がある。
だが思いがけないものを目にして、ランドは息を呑んだ。
フェイバリットの胸の上にのしかかり、首をもたげて至近距離から顔をのぞき込む――小さな影。
黄金色の艷やかな毛並みに覆われた、細長い体に長い尾、短い手足に小さな丸い耳と、見た目はとても愛らしい。
だが見た目の愛らしさとは裏腹に、とても凶暴な性格だということを、ランドは知っている――イタチだ。
追い払わねばと、とっさにその思いが心に浮かんだ。
だが息が止まるほどランドを驚かせたのは、別のことだった。
「おうおう――稀代の悪女の面、拝みにきたったで」
イタチはランドに顔を向けると、そう言い放ったのだ。
「―――な…!」
いち早く、ヤクジが踏み出した――その途端。
「おどれは、引っ込んどき!」
イタチが吠えた。その一言で、ヤクジの体が縛られたように動けなくなる。瞬間、敵だとランドの脳裡で警鐘が鳴った。
反射的に、小刀を求めて腰に手を伸ばす。だがそこにあるはずのものがないことに気づき、朝の出来事を思い出した。
「なんやぁ? 自分、丸腰かいな」
せせら笑うように言って、イタチが口元を歪める。獣面なので表情はよく分からないが、笑ったということだけはランドにも分かった。
武器がないとわかると、すぐさま攻撃を切り替える。
動けないヤクジを庇うように前に立ち、ランドは口の中で素早く呪を唱え始めた。
動きに無駄がない。流れるような攻撃は、ここ数ヶ月に及ぶ狩猟生活の賜物だ。
詠唱が完結する――かと思いきや。
「―――遅いわっ!」
ふわりと宙に浮かんだイタチの体から、轟と旋風が吹き上がる。
(無詠唱…っ――こいつ、魑魅か?!)
あとひと息で呪が完結するところだったランドの体に、勢いそのままに突風が叩きつけられた。
半端ない風圧に、ランドは壁まで吹っ飛んだ。背中をしたたかに打ちつけて、一瞬息を詰まらせる。
「おっそいおっそい。のんびり詠唱してて、まともにやり合える思てんの?」
ふわふわと宙に浮かびながら、クククッとイタチが喉の奥で笑う。こちらを侮ってか、相手からの二の手はない。
「びっくりするわ。自分、こんなやり方でホンマに闘えとったん? 三千年前て、そんな平和なん?」
三千年前? 何を言っている? それよりも闘いの最中によく口のまわる獣だ。
ランドは苛立たしげに相手を睨みつける。それでも呪を唱えることは忘れない。腐りもせず、淡々と呪を紡ぐランドを見て、イタチが嬉しそうな声をあげた。
「お。まだヤル気あるんや」
無詠唱相手では、圧倒的に分が悪い。戦闘は強さだけではなく速さが物を言うからだ。
「それやったら、もうちょい相手したろかあ――」
言うなり空気が張り詰め、黄金色の体を中心に、パリパリという小さな音が響く。バチッと火花が飛ぶのが見えた。
(稲妻を出す気か)
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次話は3日後、更新予定です。
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