日録10 虎の尾を踏む
二話を同時更新します。
「お茶が入りました」
言葉もなく見つめあう(?)二人の間に、チャンジがタイミングよく割って入った。それぞれの前に、そっと茶を差し出す。
出された茶を見て、やはり昨日と同じマテ茶だと確信した。出された茶器の表面には茶葉の山がこんもりと盛り上がり、片側に空いた隙間に銀の吸管が突き刺さっている。
この吸管の先端には小さな穴がたくさん開いていて、茶葉を漉しながら飲める作りになっている。
吸管を動かさず、このまま茶を吸い上げるのが作法だそうが、昨日は知らずにうっかりかき混ぜてしまった。
この茶器には一口分しか湯が入っていないので、飲み切ったらその都度ぬるめのお湯を注ぐのが正式な飲み方らしい。
そうやって何度もお湯を継ぎ足しながら、味の変化を味わうのだと昨夜、コムジたちから教わった――のだが最初の一口目が思いのほか苦くて、昨夜は飲み込むのにひと苦労した。
それを思い出して、茶器を前にランドがなかなか手を出せないでいると、給仕を続けながらチャンジがそっと顔を寄せてきた。
「苦くて飲むのがツラいようでしたら、お坊ちゃんには蜂蜜を入れて差し上げましょうか?」
ちょうどエンジュに背を向ける恰好で、伏した切れ長の目をチャンジがついと上げる。そこには朝見たものと同じ、不敵に笑うチャンジの顔があった。
その角度だとエンジュからは見えない。それを計算した上でのこの表情なのだろう。あからさまな子供扱いに思わず、ランドの瞳が険を帯びる。
「…躾の行き届いた大人しい犬かと思ったら…なかなか立派な牙をお持ちじゃないですか」
背後のエンジュには聞こえないくらいの、ぎりぎりに抑えた声というところがまた忌々しい。男の計算高さが窺えた。
男の瞳に敵意を感じ、ああ、そうかとランドは思う。
自分たちは、しょせん厄介な余所者。居心地よくいつまでも居座られてはたまったものじゃない――きっとそういうことなのだろう。
「…俺たちが迷惑をかけているのは承知している。連れ合いが起きたらすぐに出て行くから、それまで少し待ってくれ」
元より長居をする気もない。ただ疲れた翼を休めたら、思った以上に安心してしまっただけだ。エンジュの心根が――あまりにも温かいから。
ひそめた声は思いのほか冷えたものになったが、取り繕う気持ちはとうにない。そんなランドを正面から見据えるチャンジの顔が、一瞬、真顔になる。
かと思った次の瞬間、いきなり鼻先まで、男がぐっと顔を近づけた。まっすぐ目を合わせると、囁き声だがはっきりと言った。
「バーカ。ガキの癖に無駄にイキがんじゃねぇ。お前らを招いたのは主だ。俺らが主の意に背くわけねえだろ。追い出すつもりもねえから、捨て犬みてえな顔すんな」
「は?」
目を丸くしたランドの髪を、いきなり大きな手がクシャリとかき混ぜる。
「お前が気に食わねえのは別の理由だ――子供は嫌いじゃねえよ」
きつい眼差しがふわりとやわらいだのを見て、ランドが激しく目を瞬かせる。
「あ――二人で何をしているのですか?」
エンジュの声がした途端、チャンジがぱっと体を離して背後を振り返った。
「いやあ、前髪をもう少し短めに切ってもいいかなあと見ていたんです」
「ああ。そう言えば、チャンジが彼の髪を刈った…いえ切ったのですね」
エンジュの口から、またもや気になる言葉が出たが、ランドは黙って茶を吸い上げた――苦い。ここにいる間に少しは慣れるのだろうか。
その時、いい香りがひと際強くなったかと思うと、扉の向こうから姉妹が盆を掲げて、部屋に戻ってきた。
長い裳裾を上手く捌きながら、するすると近づいてくると、二手に分かれてそれぞれ腰を下ろす。
「「大変、お待たせしました」」
手際よく料理を敷物の上に並べると、大皿からランドの皿に取り分ける。目の前で、じゅうじゅうと音を立てる揚げたての麺麭が一つ、皿に盛りつけられる。
その隣にもうもうと湯気をあげる、大きめの丼に入った汁物が添えられた。丼の中には白い麺の上に肉と野菜を乗せた汁麺がたっぷりと入っている。
料理を前に、ランドはためらった。眠り続けるフェイバリットのことを考えると、自分一人美味しい食事をするのはどうにも気が引けた。さりとて、好意を無下にするわけにもいかない。
「さあさあ、熱いうちに召し上がれ」
「あら、火傷しないようお気をつけませんと。ふうふうして差し上げましょうか?」
ひと通り料理を並べ終えると、朝の鬱憤を晴らすように、二人がランドの世話を焼き始める。ひとまず勧められるまま、ランドは料理に口をつけた。
自分がどれほど空腹だったのか。ほんのひと口食べただけで、食べたものが胃の隅々にまで染み渡るのをランドは自覚した。
料理はどれも美味しかった。特に麺麭は、言葉にならないほどの美味さだった。
油で揚げて砂糖をまぶした『揚げ麺麭』というものを、ランドは初めて食べた。油のくどさはなく、むしろ口当たりは驚くほどに軽い。
おまけに麺麭には砂糖がふんだんに絡められている。故郷のヘイルでは、砂糖は貴重なものだった。
だから甘味と言えば普通は蜂蜜で――それだってたまにしか口にしない嗜好品なのに、なんとも贅沢極まりない。
揚げたての麺麭に歯を入れると、サクッとした心地良い歯触りが返ってきた。同時に、染み出してくる油と砂糖の甘味が混ざり合い、得も言われぬ旨味となって口の中いっぱいに広がる。
マテ茶の苦みも砂糖の甘さにはちょうどいい。
「おかわりは構いませんが、食べ過ぎはいけませんよ」
「お口のまわりが砂糖だらけですよ。拭いて差し上げましょうね」
手を出し口を出し、つきっきりでランドの世話を焼く二人に、見かねたチャンジが呆れたように言った。
「お前たち。客人は小さい子供じゃねえんだから、構い過ぎるな」
その声に、先ほどランドの頭を撫でた無骨な手の感触が脳裡をよぎる。そう言えば今朝、彼女たちを諭してくれたのも彼だ。
ランドを気に食わないと言った理由は分からないが、見た目よりもいい人なのは間違いないだろう。
「お着換えも洗顔もお兄様方にお譲りしたのですから、このくらいよろしいではありませんか」
「そうです。何も剥ぎ取ったりしておりませんのよ?」
「――私もお世話してみたい…お着換えとか――あ、沐浴のお手伝いもいいですね」
ポソリと、コムジたちが口々に話す声に紛れ込んだのは――エンジュの声だ。その途端、バキリという何かが砕けた音が室内に響き渡る。音が絶えると、シンと室内が静まり返った。
皆の視線が音の出処――チャンジへと集まる。
「「チャンジ…お兄様…?」」
「…失礼。茶器が割れてしまったようです――チュンジ」
扉にもたれて様子を見ていたチュンジが、慣れたように「へいへい。代わりのヤツ持ってくればいいんだろ」と言って部屋を出て行く。
柔らかい果実が破裂したように、木っ端となった茶器をチャンジは黙って盆に乗せた。汚れた手を手拭いで丁寧に拭う。
ランドは手の中にある茶器を見た。それは先ほどチャンジが握り潰したものと同じ。見たところ、茶器は香木から削り出されたもののようだ。
触った感じだと、かなり硬い木だ。きっと削り出すのにも苦労しただろうこの茶器は、おいそれと壊れるようなものではない――はずだ。
少なくとも、握ったくらいで簡単に砕けるような生やさしいシロモノではない。
皆が息を詰める中、チャンジはすっくと立ちあがると数歩を歩き、エンジュのはす向かいにゆっくりと座り込んだ。
「――なりません」
静かな声――なのだが怒りを孕んでいるように思うのは、きっとランドの気のせいではない。
続きます。




