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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
歓びの里 [ランド、七日間の記録]編
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日録9 愛犬のお手入れ

遅れてすみません。気がついた時に読んでいただけると幸いです。

「――遅くなりました。客人をお連れしました」


 二人の護衛に促されて一歩部屋に踏み込むと、ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐる。


 目の前に広がるのは、ゆったりとした居室――広さは二十四帖ほどもあるだろうか。


 室内には卓も椅子もなく、獣の毛で織られた厚い敷物を床に広げて、その上にお茶や食器、果物などが並べられている。


 部屋の中央には、すでに見慣れつつあるエンジュの姿があった。相変わらずほっそりと儚げな姿が、抱枕(クッション)の上で胡座をかき、ゆったりとくつろいでいる。


 その傍らに、給仕をするために立つ双子の姉妹――ウコムジとサコムジの姿があった。見たところ、それ以外に人の姿はないようだ。


 チャンジの声に、エンジュがぱっとこちらを振り返った。

 ランドを見ると、淡い緑の瞳が驚いたように見開かれ、その後、花が開くようにふわりと笑顔になる。


「ああ――お(ぐし)を整えてもらったのですね」


 あの後――二人の護衛に裸に剥かれて、ランドは男たちの手で全身くまなく磨かれた。


 そればかりかランドの身繕いは、全身の清拭(せいしき)にとどまらず、ガタガタになった爪の処理、さらに伸び放題になっていた髪の調髪にまで及んだ。


 おかげで、久しぶりに前髪はすっきりして視界良好。襟足もすうすうして心許ないくらいだ。磨き抜かれた肌は玉のよう。輝いて見えるような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。


 もっとも――美しい娘であればいざ知らず。ただの若造が容姿を磨いて誰得?なわけだが、そこについては、今はあえて触れないでおこうとランドは思う。


 用意された衣裳はとても上質なものだった。あつらえたように体に馴染み、着丈も身幅もぴったり。着心地も申し分ない。


 だがどうにも着飾っているようで、ランドにはそれが少し気恥ずかしくもある。何より、美しい着物に着られてしまっているのではないかと気になった。


 いたたまれず、視線を彷徨(さまよ)わせていると、視界の隅に、じっとこちらを凝視するエンジュの姿を捉えた。


 ずっとそうしていたのか。その目が、星を散りばめたようにキラキラと輝いている。何も言わなくても全身から喜びが伝わってくるようだ。


「…どこか、おかしいでしょうか…?」

「いえ――まさか。とてもよくお似合いだと思います」


 エンジュは迷いなく即答する。

 品定めをされるのは不快だが、褒められるのは――苦手だ。


 こんな時、どんな顔をしていいのか、いつも困ってしまう。表情も変えずに口だけの礼を述べて、さらりと流せるようになれればいいのにと思う。


 ――だがあいにくと、今のランドには逆立ちをしても無理な芸当だ。


「あ…ありがとうございます…?」

「嫌ですね。なぜ語尾に『?』がつくのですか。心からの言葉ですよ?」


 楽し気に笑うエンジュの声はとても弾んだものだった。


「朝からひと仕事でしたね。さぞお腹が空いたでしょう。こちらにどうぞ――近くでよく見せてください」


 エンジュは、向かいに置かれた厚い藺草(いぐさ)の円座を手で示す。包み隠さぬエンジュの物言いに、ランドはまだ眺めるつもりかと声にならない悲鳴を上げる。だからと言って行かないわけにもいくまい。


 敷物の上に置かれた食器の間を縫うようにして移動すると、勧められた円座に腰を下ろす。見計らったように、コムジたちが給仕に動き始めた。


 ランドを前に、エンジュはわずかに頬を紅潮させながら、にこにこと屈託のない笑みを浮かべる。ランドの髪型ひとつでこの笑顔だ。


 そう言えばこの人にはこういう子供っぽい一面があったのだと、ランドは心の内で苦笑を洩らす。


 エンジュのこういう言動にはまだ慣れないが、その根底に悪意がないことをもう知っているので、それほど気分は悪くない。


 料理を運ぶ為に姉妹が部屋を出ていくと、入れ替わりにチャンジが動いた。


 チャンジが持ち場を離れると、一人で護衛を担うことになったチュンジは心得たもので、すぐに扉の辺りまで移動する。そこから全体を見渡して、油断なく室内に目を配る様子が見て取れた。


 朝の様子だと二人の間には険悪な空気があったが、何のかんのと言いながら二人の呼吸はぴったりだ。


 ランドとエンジュの近くに進み出ると、チャンジはおもむろに茶の準備を始めた。どうやらこの男、護衛だけではないらしい。慣れた手つきで拳大の茶器を二つ取り出して、盆の上に並べる。


 ころんと丸い形が特徴的な容器を見て、コムジたちが昨夜用意してくれたものと同じ茶を淹れるつもりだと分かった。


 茶の名前を『マテ茶』とコムジたちは言った。その茶を思い浮かべると、昨夜飲んだ野草のような風味が口の中によみがえる。


 半分眠りながら飲んだ茶は初めて飲む味で、少し舌に苦かったことがぼんやりと頭に残っている。


 茶器の中に直接、大量の茶葉を注いだ後、チャンジは手のひらで蓋をしてひっくり返し、そのまま上下に振る。慣れているのだろう。手つきに(よど)みは一切ない。


「――あなたの視線を独り占めできないのは、少し妬けてしまいますね」


 その声に、男の手元に釘つけになっていた意識が引き剥がされる。はっと目をやれば、エンジュが胡坐をかいた膝に肘をつき、こちらを眺めていた。


「―――な」


 何が、どうして、そうなる? ぎょっと、ランドはエンジュを見た。


 ランドの視線が自分に戻ると、エンジュの瞳が満足したようにゆっくりと細くなる。まるで悪戯が成功したことを喜ぶような眼差しだった。


 苦々しい気持ちを、ランドは顔の下に押し込めた。とは言え、視界を遮る前髪がなくなってしまった今、自分の感情がきちんと隠せているのかどうか、はなはだ怪しい気もする。


 気づかなかったが、伸びた前髪はただ邪魔なものではなく、心を隠す手立てになっていたのだと今さらながらに思い知らされた。


 ――そしてその盾を失くした今、痛いほど無防備な自分にも。


 穴があくほど見つめるエンジュの視線の前に、ランドはただの置き物のようにじっと耐えた。そろそろ本当に自分の顔に穴があいてしまいそうだ。


「すっかり綺麗になって――柔らかそうな毛並み…いえ髪、ですね」


 ぽつりとエンジュが感想を述べる。己の失言に気づいたのだろう。エンジュがそっと自身の口を押さえるのが見えた。


 あいにく、()()()という言葉はランドの耳にしっかり届いていた。


 自分はエンジュの目にどう映っているのだろう。少々心配になってきた。――もしや大きな犬にでも見えているのかもしれない。

読んでいただき、ありがとうございます。

夜に出来たらアップと思っていましたが、少し推敲させていただきます。


次話は、水曜更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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