閑話5・夢でいいから ④
こちらは、リヴィエラ視点・三人称の回です。
青い月明かりが部屋を満たす中で。
互いの温もりを肌に感じながら、鼓動の音までも重なり合っていく。
隙間なく抱き締め合う――静かな夜。何者もそこに割り込むことはない。
そこに、おずおずと遠慮がちに、窓の外から虫たちが音を添える。長い間、ずっと二人でそうしていた。
不意に、首に回された腕から力が抜けた。そのまま、肩を滑り落ちて、だらりと垂れ下がる。ついに寝落ちてしまったようだ。
この娘にしては案外、粘った方だとリヴィエラは思う。そっと顔をのぞき込むと、まぶたを腫らして眠るあどけない顔があった。
その耳もとに唇を寄せる。
「イレイン…もう二度とこちらに来てはいけませんよ…」
穏やかな寝息が聞こえる。その顔をじっと見下ろして、リヴィエラは頬を指で優しく撫でる。
「怖いのがくるから――銀の長い髪をした鬼。捕まったら、今度こそ連れて行かれて閉じ込められてしまいます――だから」
「来てはなりません」呪を乗せて、リヴィエラはこんこんと眠る娘の耳に吹き込んだ。
魂の離脱は本来、望ましいことではない。
だがイレインは、珠飾りを奪われて、よほど悲しかったのだろう。
珠飾りに染み込んだリヴィエラの気配をたどって、魂となってまでこちらに来てしまった。魂が一度通ったところは”道”になりやすい。
つまりそれは、簡単にたどれるようになってしまうということに他ならない。本来、魂が体から抜け出ること自体、とても危険な行為だ。
”神に連なる者”とは言え、イレインは特に呪力に秀でているわけでもない。ごく普通の娘だ。
上手くこちらにたどり着けたから良かったようなものの道に迷えば、すぐさま死に直結する。
そして力を持たない普通の者は、何度も魂の離脱に耐えることは出来ない。大きな負荷が体にかかってしまう。
だから。
イレインのつけた道筋を消す。
そのためにも、イレインがこちらにやってきた、今回の魂の帰郷――この記憶ごと封じなければならない。
目が覚めたイレインには、七日間眠っていたというその事実しか残らない。この帰郷は、彼女にとって目覚めると忘れてしまう、ただの夢となる。
ゆっくりとリヴィエラは瞳を閉じる。
まぶたの裏によみがえるこの六日間の思い出。
この二人きりの夜も全て、小さな頭の中から消え去ってしまう。
――まるで春先に降る淡雪のように。
ふたたび目を開いて、腕の中で眠る娘を見下ろした。
それでも、構わない。
この愛おしい記憶は自分の心の中に、大切にしまっておく。寂しくなった時は月を眺めるように、時々そっと取り出して、思い出せばいい。
そうすれば自分はいつだってこの愛おしい夜に戻り、
この娘に会いに来れるのだから。
現実じゃなくてもいい。
夢でいい。
夢でいいから――あなたに逢いたい。
◇
珠飾りを失ったところまで、記憶が巻き戻ってしまうのが気がかりだが、彼女は乗り越えてくれるだろう。きっと。
「あなたの心に加護を」
せめてもと、額と額を合わせて、彼女の行く末に祈りを込める。
噛みしめた唇が、ゆっくりと開かれる。深く息を吸い込み呼吸を整えると、その口から発動の呪が流れ始めた。
高く低く――さながら歌のように。
「 ――ha eeeen 」
ほんの瞬きほどの沈黙の後で。
「 iwanpe ramu;―― emukneno(六つの記憶)」
低い音と共に、大気に力が満ちていく。震える唇が言葉を紡いだ。
「 isam. (なくなれ)」
術の発動と共に、眠る娘の体が淡く光った。光の輪郭はやがて、夜の静寂に吸い込まれていった。
先ほどとなんら変わりなく眠る娘の姿を見下ろす眼差しが、わずかに悲しげに揺れた。
(これで…いい)
後は帰る道筋を、その魂につけてやるだけだ。幸いにもイレインの体のそばに、自分と同じ賢人の気配がする。
そばについて守るだけでなく、目印までつけてくれている。これなら安全に送り届けることが出来るだろう。
導かれるまま、日が昇る前にイレインの魂はあちらへと戻る。
泣き顔を見ずに送り出せるのは何よりかもしれない。
この娘にはたくさん笑顔でいて欲しいから。
起こさないよう気をつけながら、そっと寝台の上に横たえる。
その隣に寄り添いながら、背中から小さな体を包み込むように抱き締めた。眠っているからか、その体温がいつもより温かい。
ぐっすりと眠ったその後ろ髪に顔を押し当てると、嗅ぎ慣れたいつもの匂いがした。
お日様に当てた布団のような時もあれば、幼い子供が汗をいっぱいかいた後の、少し蒸れた匂いの時もある。
イレインが幼い頃は、いつも今日はどちらだろうと思いながら、寝入った後にクンクンするのが密かな楽しみだった。
この匂いを嗅ぐといつも、なぜかとても安心する。胸いっぱいに深く吸い込んだ。
この手に触れる柔らかな体の感触。
ぷうぷうと鼻を鳴らす子供っぽい寝息。
熱いくらいの体温。
うなじに鼻を寄せると、寝汗で肌がしっとりと湿っている。悪戯心で、うっすらと汗をかいた素肌に唇を寄せた。
緩く開かれた小さな手のひらは、ぎゅっと握り込むとすっぽりと手の中におさまってしまう。
――何ひとつとして、忘れたくない。
リヴィエラは笑った。ああ…まだ全然足りない。
呆れるほど貪欲な自分に、笑いがこぼれてしまう。
イレインの温もりに誘われて、ゆっくりと睡魔が訪れる。何度も瞬きをこらえているうちに、ついに意識を手放した。
◇
窓から差し込む薄い日差し。
闇は薄まり、物の輪郭がはっきりと見て取れる。
辺りにはまだ夜明け前の気配が色濃く漂い、部屋は薄墨色に包まれている。
ふと目を落とすと、腕の中には娘のいた名残りのように、乱れた敷布の跡だけが残っていた。
そろりと敷布を撫でると、まだほんのりと温かい気がする。呆気なく愛しいあの子は行ってしまった。
窓辺に立ち、そこから空を見上げると、いかにも寒そうな鈍色の空が広がっていた。秋もそろそろ終わりのようだ。
窓の隙間から入る朝の空気の冷たさに、じきに訪れる冬の厳しい寒さを思った。
背後へと視線を移すと、人の気配のなくなった、がらんとした自室がいつもより広く感じられた。
長い間、リヴィエラは窓辺に佇んでいた。どのくらいそうしていたか。厚く覆われた雲間から日が差す。
差し込む朝日と共に、辺りが仄々と明けていく。朝の眩しい光を受けて、部屋の中がそして窓の外の風景も、次々と色を取り戻していく。
今日も世界は色にあふれて美しい。昨日までと何ひとつ変わらない――なのに。
もうこの世界にあの子はいない。
そう思うと、
目に映るこの世界が全て、
急に色褪せて見えた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
番外編の短いお話と思っていたのですが、
終わってみると全14話…m(__)m
ヒロインが旅立った後、
リヴィエラ様との恋のエピソードがなさすぎて
個人的に未消化だったので出来上がった番外編です。
以前にもお知らせした通り、引越し準備等で、
5月6月にまとまった執筆時間を
取ることが厳しくなります。
読んでくださる方には、大変申し訳ありませんが、
当面、週1回の更新頻度で継続していこうと思います。
曜日は水曜・朝10時アップで固定します。
次回更新は5/10(水)です。
6月中旬からは定期更新の再開を目指し、頑張ります。
歓びの里編・番外編は終わりましたが、
○イレイン不在の間、ランドとエンジュとのやり取り
○目覚めた後の里での出来事
をまとめた歓びの里編・起き伏し編(仮)を挟みます。
元々のプロットにはなかったエンジュという人物を
少し書かせていただけたら幸いです。
長い後書き、大変失礼しました。
次の章でまたご訪問いただけますと大変嬉しく思います。
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