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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
1章はじまりの場所[ヘイルの里]編
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5 一度目の迷図

 イレインをかばうように立つリヴィエラの後ろ姿から、ほっと緊張が解けるのが分かった。

 それまで振り返らなかった背中がこちらを向いた。その視線がまっすぐイレインを射て足早に近づいてくる。


 「無事ですか? 怪我は――」


 学びの庭での厳しい眼差しとは打って変わり、心底心配そうなそれがイレインの瞳を覗き込む。この眼差しをきちんと見つめ返したのはいつだっただろう。我ながら泣き虫だと悔しく思いながらも、こみ上げる涙を止めることが出来なかった。


「ごめ…さい…リヴィ…エラ…ま…」


 その名前を呼ぶのもどのくらいぶりだろうか。気がつけば、いつも『お師匠様』と呼んでいたような気がする。

 禁止されていたわけでも、強要されてもいないのに、なぜだかそう呼ばなければいけないような気がして。


 そんな気持ちになったのは一体、いつからだったのだろう。

 イレインに向けられるリヴィエラの気持ちはいつも変わらずにいたのに。

 

 恥ずかしいくらいに嗚咽が止まらない。「ごめんなさい」とちゃんと謝りたいのに、声を出そうとすると代わりにひどくしゃくりあげてしまい息をするのも苦しい。


 リヴィエラはイレインの涙の意味を違う意味で捉えているようだった。眼差しを細めると、イレインの頭をそっと優しく撫でる。


「もう怖いものはいませんよ。それよりも痛いところはありませんか?」


 そればかりかイレインの体をいたわってくれる。

 優しくされると涙はいっそう溢れて止まらない。涙の理由わけを説明したいのに、喉が張りついて、出るのはひきつれた泣き声ばかりだ。


 二人の背後で、倒卵形の光がひときわ強く輝いた。その光でイレインは思い出した。

 そう言えば、あの嵐の中で卵は無事だったのだろうかと。

 明かりの方に顔を向けたと同時に卵に変化が起こった。

 

 ピシリという音と共に、卵に大きな亀裂が縦に走ったのだ。あっと思う暇もあらばこそ、ビシビシと軋む音をたてて細かいヒビが表面全体を覆いつくす。


 はらりと小さな一片が砕けて落ちた。

 卵が孵ろうとしている。はらら…とまた新たに一片が剥がれて落ちた後、残りの殻が一気に弾け飛んだ。咄嗟にリヴィエラが胸の中に抱え込んだおかげで、イレインには破片の一片も届くことはなかった。


 頭上で少しかすれた声が「蛇竜ビィビィル」と呟く。

 腕の隙間からそろりと卵のあった場所を覗き見ると、そこに、とぐろを巻いた黒い塊が空中に浮かんでいた。

 硬いうろこに覆われた背に小さな黒い翼が折りたたまれている。そして頭部には顔の半分ほども占める大きな単眼ひとつめがあった。


 視線の先で、蛇の体がシュルリとほどけて、ゆっくりと鎌首を持ち上げる。真紅に輝く柘榴ざくろ石の瞳が二人を射抜いた。その視線の鋭さにその場に縫い留められてしまい、イレインは一歩も動くことが出来ない。硬直する体をリヴィエラに支えてもらわなかったら、その場に崩れ落ちていただろう。

 

 産まれたばかりの玉体からは激しい闘気が絶えず噴き上がり、熱風となって顔面に叩きつける。洞穴内を息苦しいくらいに濃厚な気配が満たした。

 

 目の前の存在が神に属するものなのか、はたまた神そのものなのか、あるいは異形なのか、いずれもイレインには見当がつかない。ただ堂のあるじは今すぐ二人に襲いかかってくる様子はないようだった。


 一歩間違えば厄災のような荒々しさ。

 黒い大蛇は、二人を見下ろしながらペロリと舌を出し、ゆっくりと動かした。イレインにはそれがヘビがよくやる舌をチロチロと出し入れする動作とは少し違うように見えた。


 まるで餌の動きを真似て舌をわざとゆっくりと揺らしている――獲物の目を引きつけながら自分の縄張りの中へ誘い込むような、そんな動きに思えた。


 ぶるりと体に震えが走る。矢も楯もたまらずこの場を走り去ってしまいたい衝動に駆られる。だが走ったくらいで到底逃げおおせるとは思えなかった。


 緊張が高まる中で、ゴゴゴゴゴゴ…と低く唸るような地鳴りが足元から聞こえてきた。先ほどの激しい闘いで地盤が緩くなったのか、その音は次第に大きくなって、地面が小刻みに揺れ始める。


「――ここは危険ですね」

 ひそりと囁くように耳元に落とされた。耳を掠める吐息のくすぐったさに体が一瞬縮こまる。


『……モノ…』

(え?)

 声が聞こえたような気がした。同意を求めてリヴィエラを見上げたが反応がない。聞き間違いかと首を傾げると『名モ無キ者』と今度こそはっきりと聞こえた。


 リヴィエラの腕の中からイレインは蛇竜を振り仰いだ。

ぶううぅんという不思議な音がすると、空中いっぱいに大きな迷路が広がっていく。


 それは四角いマス目が壁と通路を作り、複雑に入り組んで出口まで続く、イレインがよく知るものだ。小さい頃、地面を棒で引っ搔いて迷図を描き、ランドとどちらが先に出られるかという遊びをしたのは懐かしい思い出だ。


 空中の迷図に重なるように、赤ん坊に手を差し伸べるリヴィエラの姿が見えた・・・と思ったら、そこから一気に過去の記憶が鮮明に流れ始めた。


 →→→リヴィエラに手を引かれて初めて行った里の集まり。

 →→→泣いて泣いてリヴィエラを困らせた記憶。

 →→→一人で大きな木に初めて登った時の喜び。

 →→→初めて食べた蜂蜜の甘さ。

 →→→不安と期待を胸に学びの庭へ初めて臨んだ朝。


――つい先ほど逃げ出してべそをかいたことも。


 去年、先月、先週、一昨日おととい、昨日、今朝、そしてたった今。

 全て、覚えていることも、忘れてしまっていたことも含めて、全ての記憶が目の前をものすごい速さで流れ去っていき収束していく。


迷図めいずヲ』

『解キ明カシタ』


 その間にも地鳴りはどんどん大きくなり、振動がさらに激しくなる。周囲をざっと見回したリヴィエラの眼差しが険しくなった。すでに天井の一部が崩れ始めている。


「ここまでです」

「リ、リヴィエラ様」

 それでも最後まで蛇竜の言葉を聞きたくて、イレインは腕の中で身をよじる。

 『私ヲ目指セ』唐突にその言葉が耳に飛び込んだ。


―――え?

 

 背中にまわされた腕にぐっと力が強くこめられた。そのまま胸に固く抱きすくめられる。

「リヴィエラ様、ちょっ、待」


 待ってくださいと最後まで言うことは出来なかった。頭上で口早に唱えられる詠唱が完結したからだ。精一杯、蛇竜の方に顔をねじると、真紅の眼差しと視線がぶつかった。

『次ノ迷図ハ今ヨリ難シクナル』


 その瞬間、二人の体は風と化した。

読んでいただき、ありがとうございます。

”迷路のレベルが上がる→解くのが難しくなる”について。元ネタはドラ〇もんの『ホームメイロ』です。

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