閑話2・優しいキスが降り注ぐ (前)[イレイン一人称]
こちらは、ヒロインが「私」で進む一人称語りの回です。
(※里ではイレイン呼びです)
{前・中・後}編の三話のお話です。
三話連日更新します。
美しい銀の髪を持つ、端正な顔が気配に気づいて、こちらを見上げる。
さすがはわが師匠。けして邪なものをつけ入らせる隙など全くありません。その美しいお顔、見ているだけで幸せになります。ごちそう様です。
思わず頬を緩めて、その人を木の枝の上から見下ろしていると、深い湖の青を思わせる双眸がこちらを捉えた。わずかにその瞳が驚いたように見開かれる。
―――ん?
小首を傾げて見ていると。
ぱたんと大きく窓が開かれて、身を乗り出すようにしてその人が――リヴィエラ様がこちらに手を差し出した。
あ、見えていたんですね! 遠くからそっと見ているだけで満足だったのに、気づいてくださるなんて…嬉しいです。
―――もう思い残すことはないかも。
あれ…私、死んだ? だからその前にこうしてリヴィエラ様に会いにきたのかな。また小首を傾げて、少し考え込んでいると。
「おいで」
形のよい少し薄い唇から、耳慣れたあの心地のいい声が自分を呼ぶ。呼ばれると、頭のてっぺんがふわふわする。体がむふぅっと膨らむのが分かった。
そのせいかついつい何も考えず、誘われるままにその少し節のある指にぴょんと飛び乗っていた。
んん? 飛び乗る? そこでようやくじっくりと自分の足を見下ろした。そこには羽毛の生えた岩つばめ特有の足が見える。
え? 今、自分、岩つばめ? 変幻もしていないのに??
少し狼狽えて手をあげると――羽ばたきとなって綿羽がふわふわと舞った。
「これ――大人しくなさい」
やんわりとリヴィエラ様の咎める声にはっと我に返る。羽ばたきを止めると、リヴィエラ様の美しい顔がすぐ目の前まで迫った。
あまりの近さに頬が少し赤らんでしまう。え? 燕だから真っ黒なまま? あ、そうだった。その通りでした。
にしても。近い――近いです。リヴィエラ様。
ぎゅっと目を閉じていたので、その青い双眸がじっくりと全身を観察していたことはおろか、その指が翼に触れていたことにも全く気づかなかった。
目を開けるとホッとしたように息を吐くリヴィエラ様の顔があった。
「良かった」
「死んだのかと思った」という小さなつぶやきは完全に聞き洩らしていた。
だって目の前でリヴィエラ様があまりにも美しく笑うものだから――目が離せなかった。
「急に現れて…あなたは私をどこまでも振り回すのですね…困ったものです」
言ってふと左の翼に目を落とす。
「こちらの手を怪我したのですね」
こちらの手とは左腕だ。悲し気な声でそう言うと、触れたことも分からないくらい優しい手つきでリヴィエラ様が翼を撫でる。
言われて自身の翼を見ると、左側の翼がおかしな風にぷらぷらしている。これで飛べるはずもないので、不思議だった。どうやって自分はここまで来れたのだろう。
「翼には治癒を施しましょう。一週間ほどで癒えると思います。それまで、ゆっくり休んでいきなさい。さあ部屋に入りましょうね」
◇
リヴィエラ様の手に包まれて、懐かしい我が家の囲炉裏端に移動する。見上げると、太い梁が渡された高い天井には煙を出す穴がぽっかりと二つ。
ああ――いつもと変わりない。あまりの歓びに、体をぷるぷる震わせていると、くすりとリヴィエラ様の笑う声が頭の上から降ってきた。
「あなたの部屋にも行ってみますか?」
もちろん。大きく頷く。自室の寝台に下ろされた時は、感無量でしばらく声が出なかった。
(寝台を残してくれていたんだ…)
そのことも嬉しい。そもそも私物も多くない。それでも一人部屋を与えられた時からここは、私のお城だった。
この先も望めばここにいられると何も考えずに思っていたのがつい昨日のことのように思える。
けれど今はどれほど切望しても、師のそばで穏やかな毎日を過ごすという願いは叶わない―――。
「イレイン?」
置き物のように、じっと動かないでいるのが気になったのだろう。リヴィエラ様がシーツの上で丸くなる自分に呼びかける。
「どうしたのですか?」
リヴィエラ様が身をかがめて、頭のそばでそっと問いかける。慰めるように、こちょこちょと頭を撫でられた。
くすぐったい感覚に、ゆっくりと頭上を仰ぐと、こちらを見下ろす心配げな瞳と目が合った。その瞳は、珠飾りの石のように澄んでとても綺麗だ。
そういえば、ひとつ言わなければならないことがあったのだと思い出す。
――リヴィエラ様。あのね。
「はい」
実は、私…リヴィエラ様からいただいた珠飾りを…なくしてしまいました。
大切なものなのに…。本当に、申し訳ありません。
力なくうなだれる。
怖い人たちに追いかけられました。
ぎゅっと目を瞑る――今も思い出すだけで体が震える。
その時…私…リヴィエラ様を呼ぶのをためらってしまいました…。
「なぜ?」
…自分勝手なことを考えてしまったんです。
「…どんな、ことですか?」
黙り込んでいると「言っていいのですよ」と優しく促された。
勇気を振り絞り、震える唇を開く。
この一回を使ったら――この先、もう二度とリヴィエラ様と会えなくなるって。
それはイヤだと…思ってしまって…、
呼ぶのをためらったら…結局、何もかも…全部失くしてしまいました。
「……そうなんですね」
失くしてしまうくらいなら、呼べばよかった…っ。後悔しても…遅すぎるけど…っ――でも。
悔しいと食いしばった歯の間から言葉を押し出す。
取られた時、もっと頑張って奪い返せば良かった…。もっと、もっと…あの時だって、後を追いかければ良かった。諦めずに。どうして、どうして――っつ。
ああしていたらこうしていたらというのは、言ってもどうしようもないことだ。過去は変えられない。
分かっているのに、何度も思い出しては――あの時のことを後悔する。そればかりを延々と繰り返してしまう。
――とても悲しいです。
ぽたりと丸い染みがシーツに出来た。ぽたぽたと続けざまに涙の粒が落ちる。
そう。悲しかった。怒りも悔しさもたくさんあるけれど、残ったのは深い悲しみ。あれは向こうでリヴィエラ様とつながっていられる唯一のものだったから。
あれがあるからどれだけ寂しくても頑張れた――なのに。あんな風に奪われるなんて。
珠飾りを取り返したい。そう強く願ったら暗闇の中にリヴィエラ様の気配がした。向こうでもずっと肌で感じていた気配。だから間違いないと思った。
ずっと胸もとにあったあの気配がどんどん遠ざかるのが悲しくて、切なくて。たまらず追いかけた。
草地では立ち上がることすら出来なかった。けれど目を閉じた時、体がふわりと軽くなった。
どこにでも行けると思った。気配を追って懸命に羽ばたいていくうちに、ここにたどり着いていた。
「イレイン」と落ち着かせようと、何度も自分を呼ばわる師の声が聞こえる。
だが甘えていると分かっていながら、子供のようにひたすら泣きじゃくってしまう。
「イレイン。あれは物です。物は物でしかありません。どうか、落ち着いて――」
それでも泣き止まないでいると、さらりと頬に何かがこぼれ落ちるのを感じた。
目を開くと、普段リヴィエラ様が耳にかけている前髪が頬にかかるほど近く――すぐ目の前に、少し目を伏せた整った顔があった。
息を飲んだ瞬間、そのまま、あふれ出る涙をそっと唇が吸い取る。その後も何度も――額に、頬に、目に、リヴィエラ様の柔らかな唇が、なだめるように口づけを落としていく。
頭が少し冷えると、ついばむような口づけに一気に顔が熱くなるのが分かった。
もう大丈夫です泣き止みますと言うより先に、あちこちに口づけが降ってくるものだから、最後はもう声も出ない。為すがままにリヴィエラ様に身を任せるしかなかった。
慌てふためいているうちに、いつしか涙は引っ込んでいた。つくづく自分の扱い方をこの方はよく心得ていると思う。
口づけの嵐がおさまる頃にはすっかり茹だってしまい、動けなくされてしまった。後はお好みの味つけで仕上げるばかりという体である。
うう…恥ずか死ぬとはこのことか。
逆上せてぐんにゃりした自分を、眉を下げて困ったような、なんとも言えない目をしたリヴィエラ様がのぞき込む。
「ねえイレイン」とリヴィエラ様が優しく言った。返事が出来ず、目だけを持ち上げる。
「あなたが無事で本当によかった。私にとって大切なのは、あなた、だから」
それにねと頬をうっすらと赤らめると、リヴィエラ様が言を継ぐ。
「あの宝珠は私自身と言っても過言ではないと言ったでしょう? だったら――あなたと引き離されても、きっとあの珠はなんとしてもあなたのもとに戻ろうとするはず…いいえ、戻ります」
それまで待っていてくださいと耳もとで囁かれる。その言葉が嬉しくて、何度も頷いた。それでいいとリヴィエラ様も目を細めて頷き返す。
「さあ、イレイン。まずはあなたの話を聞かせてください。向こうでのことを」
そうやってやんわりと気持ちを逸らしてくれたのだと、後になって分かった。
実際、その後リヴィエラ様に話を聞かせるために、涙を流す暇など一切なかったのだから。
読んでいただき、ありがとうございます。
この後も溺愛は続きます。
次話は明日、更新予定です。
次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




