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唯一無二〜他には何もいらない〜  作者: 中村日南
歓びの里編 『番外編 ― イレインの里帰り』
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閑話1・堕ちたらそこは深い沼。多分底のないやつ (後)

「彼女が行きたいところなんて一つしかない」

 

 彼女の師であり養父である、リヴィエラの元。きっとそこに飛んで行ってしまったに違いない。


 今頃は師のそばで幸せに浸っているのだろう。そう思うとランドはこの上なく複雑な気持ちになる。

 

 果たしてここに戻ることが彼女にとって幸せなのだろうかと。

 苦悩するランドの横顔をながめて、エンジュはゆっくりと口を開いた。


「安心なさい」

「……え」

「一週間程度であれば、このままでも命に別状はありませんよ。彼女には久しぶりの里帰りを楽しんできてもらったらいいと思いますよ」

「ですが……」

 

 ―― 一週間後、フェイバリットはこちらに戻ってこれるのだろうか。


 なんとなくそう言うのは(はばか)られた。


 その頃には彼女はもう、向こうを離れがたくなっているのではないか。そんな気がしてならない。

 

 それに自分では、彼女をこの場所に繋ぎ止める抑止力とは、なり得ないだろう。つまり、こちらに未練になるものはない。それは口に出せなかった――さすがにランド自身、凹んでしまう。


「大丈夫――彼女は、戻ってきますよ」

 

 優しい声だった。先ほどまでの少しからかうような、含みのある口調ではなく、心から(いた)わる、そんな声音だった。


 眠る姿に目を落としていたランドがその目をゆっくりとエンジュに向けた。なぜそう言い切れるのだとその目が無言で問いかけている。


「気休めはよしてください…」

「そんなつもりはありませんよ――だって、あなたという人が待っているではありませんか」


 ランドは、ほんの少し目を下げただけ。何も答えられなかった。


「それとも、彼女は自分本位で薄情な方なのですか?」

「そんなはず…ありません。彼女をそんなふうに言わないでください」


 言葉は静かだったが、その目に険しさがじわりと帯びる。エンジュが苦笑を浮かべた。


「ほら――彼女がどんな人柄かだなんて、あなたの方がよくご存知ではありませんか」


 エンジュの言う通りだ。フェイバリットは――あの娘は、残されたランドのことも考えずに、自分本位な決断が出来るような、そんな性格ではない。


 どれほど渇望しようと、きっとこちらに戻ってこなければ、ひどく(さいな)まれるに違いない。

 もちろん戻ったとしても落ち込むに決まっている。


 悲しいくらいに、どこまでも不器用にしか生きられない。それがランドがよく知る彼女の性分だ。


「――何が彼女の幸せなのでしょうか…」


 ――彼女の望むようにさせてやりたい。もしそのために助力を必要とするなら、どんな事でも(いと)いはしない。


 しかし、命を賭してまで師のそばであり続けたいというのが彼女の願いであれば話は別だ。


 生きて幸せになる、それが誰にとっても普通な事で、一番だと思うから。


「…喜びのあまりもういつ死んでもいいとか、死んでも叶えたい夢だとか、希望や幸せの延長に死があるという考えは…正直言って俺には分かりません」


 誰に言うともなくランドはそっと洩らした。ランドは()(びと)だ。食べるために他の多くの生き物の命を奪ってきた。


 獣は死ぬ間際まで、自分の死を受け入れることなどない。その首に刃を振り下ろされて、目から光が消えるまで生き続けようとする。


 それを見ているからこそ、命を軽く扱う気持ちにはなれない。もちろんランドとて、ただ生きていればそれでいいと思っているわけではない。


 だからと言って、幸せのために命を犠牲にしてもいいという考え方は、ランドには受け入れられないものだった。


「つまり、身を滅ぼすような幸せの在り方は、間違っていると」

「そうは言いませんが、俺にはその理解は厳しい」

「であれば、あなたがこちら側で生きていく、その(よすが)になってあげればいいのではありませんか?」

(よすが)…?」

「ああ。分かりにくい言い方ですね。あなたが彼女を(めと)り、この地に繋ぎとめてやればよいのでは、と言いました」

「―――は??」


 瞬間、ランドの顔が真っ赤に染まった。可笑しそうにエンジュが笑う。


「あなたは初心(うぶ)で、とても可愛らしい方ですね」

揶揄(からか)わないでください」


 ランドは恥ずかしさのあまり、憮然と言った。

 そんなランドの様子に、声もなくひっそりと笑った後、エンジュは切り替えるように言った。


「まあ――まだ彼女が戻ってこないと決まったわけではありません。あなたの心配は先走りし過ぎです」

「――。それは…おっしゃる通りですね…彼女のことになると、俺はどうも心配が先に立ってしまうようです」


 きまり悪そうにつぶやくランドの姿は、常日頃の落ち着き払った姿からほど遠く、年相応のものだった。


 その姿に、思わずといった感じで、エンジュの口もとに笑みがこぼれた。


 慈しむような眼差しが自分に注がれていることに、ランドは露ほども気づいていない。


 血の気のない娘の白い頬を、そっとごつごつとした指が撫でる。見下ろす瞳には、やはり心配の色がありありと見て取れた。


「先ほども言いましたが、魂が受けた傷は、癒えるまで思いのほか時がかかるもの。どれほど時間がかかるのか、どうすれば癒せるのか、それは本人次第です」

 

 そう言って、エンジュもまた眠る娘に手を伸ばすと、頬にかかった髪をそっと長い指で払ってやる。不揃いだが、純白の輝きを取り戻したそれは艶やかで美しい。


「今は、里での過ごしが一番の薬になるかもしれません。歯がゆいでしょうが、あなたは信じて待っておあげなさい」


 それにと、さらに続ける。

 

「あなたの師は、物事の道理をよくご存知な方。彼女が死ぬと分かっていてそのままにするような方ではないはず。あなたがひどく心配されるということもよくお分かりでしょう。きっと彼女が翼を休めた後にはこちらに戻るようになさってくださいますよ」

「そう…ですね…」

 

 その通りだ。彼女が望もうとそうでなかろうと、あの方の目が届く限り、それを許すとは思えない。


「彼女がこちらに戻るまでの間くらい、あなたも少し気を緩めてはいかがです?」


 腑抜けたようにぼんやりとするランドの隣で、いつの間にかエンジュがその顔をのぞき込んでいた。


「そう、ですね」

「何かやりたいことはありますか?」


 ひとまずフェイバリットの身は安全だ。そう思うと少し肩の荷が下りたというのが正直な気持ちだった。


 ここに着いてもどこか気持ちが張り詰めて気が休まらなかったから。エンジュに明るくたずねられたものの、ランドは困ったように笑うばかり。


「すみません…いきなり時間ができると、何をしたいのかすぐには思いつかないものですね」

「構いませんよ。考えることもきっと楽しいことの一つだと思います。ゆっくり考えてください」

「…ありがとうございます――何から何まで」


 なんてことはないとエンジュは首を振った。

 時おり放たれる人を食ったような物言いには戸惑うものの、基本的にエンジュは慈悲深い。


 その優しさは、ランドの疲れた心にじんわりと染み込んだ。ほっと腹の底からランドは息を深く吐いた。


 先ほどまで感じていた息苦しさから開放されて、少しだけ体が軽くなったような気がする。


「会ってそれほどでもないのに、エンジュ様はとても親切な方ですね」

「誰にでも親切なわけではありませんよ――それに下心がないとも限りませんし?」

「え?」

「私は聖人君子ではありませんからね」


 ふんわりと笑うエンジュの見た目は、聖人君子そのものだ。だがふとした時に見せる顔はいくつもある。


 先ほどのような、いたずらを楽しむ子供のような顔。かと思えば、教え諭す顔は、年を重ねた賢人そのものだ。


 ――くるくると変化する姿はまるで掴みどころがなく、ただただ翻弄される。


 気を許したら、どこまでも相手に振り回されてしまいそうだ。ランドは今一度、気を引き締めねばと決意を固めた。


 なにしろ相手は自分とは違う。神の領域に片足を突っ込んだ方なのだから。ひと筋縄でいくわけがない。


 それに、じきに大人になろうという年頃の男に――胸の内を暴いてやる、それどころか手懐けたいなどと面と向かって言う相手だ。


 用心に用心を重ねるに越したことはない。


(油断禁物だ…うん)


「そんなふうに警戒されると寂しく感じます」


 不意に声をかけられた。見ると、エンジュが眉を下げて、こちらをじっと(うかが)っていた。


 ランドの方が背が高いせいか、その眼差しが心持ち上目遣いになる。それがとてもあざとく思えるのは、ランドの被害妄想だろうか。


「いえ、俺―――私のような若輩者に気安くされるなど、恐れ多いことです」

「別に取って食ったり、しませんよ?」


「お気持ちだけ」とランドが言いかけた――その前に、エンジュがさらりと言い放つ。


「まあ、今のところは、ですけれどね」


 その瞳に、獲物を前にした捕食者のような、鋭い光をしっかり覗かせながら――極上の笑みを浮かべる。


 背筋に走った悪寒に、我知らず、ランドは自身を強く掻き(いだ)いた。

読んでいただき、ありがとうございます。


次話は3日後、更新予定です。

次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。

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